第12話
濁すように言ったのは、二人しかいない部屋であってもアリーシャに対する配慮だ。
アリーシャはその真面目な性格故に抱えてしまっているストレス――傍目からでは分からないが、そういった精神的な問題がキッカケで倒れてしまう人も少なくはないと聞く。
だが、ストレスの解消など――おおよそロッテに手伝えるようなことなのだろうか。
「わたしには……その、何をすればいいのか分からないんですが」
ロッテが素直にそう言うと、
「簡単なことよ――私を押し倒してくれる?」
何故だか胸に手を触れながら、自信に満ちた表情で言い放った。
「……押し、倒す?」
言っていることの意味が分からずに、ロッテは思わずその言葉を繰り返してしまう。
押し倒す――当然、言葉の意味だけで言えばそのままなのだろう。
ロッテが、アリーシャを押し倒す――メイドが姫騎士を、だ。
「ど、どういうこと、ですか?」
困惑しながら、ロッテはアリーシャに問いかけた。
いきなり押し倒せ、などと言われれば無理もないことだが。
「だから、あなたが私を押し倒すの!」
「言っていることは分かりますが、えっと、どうしてそんなことを……?」
当然の疑問だ――どうして、ロッテがアリーシャを押し倒さなければならないのか。
「日頃のストレスを解消するなら――やっぱり、興味を持ったことを自分でするのが一番だと思うの。だから、私もこの前買った本に書いてあるような『いかがわしいこと』をしたい。あなたにはその協力をお願いしているってこと」
アリーシャが買った本というと、ロッテが最後まで読むことができなかった過激なもの。
本人が『いかがわしいこと』と表現するような内容なのだから。
「い、いかがわしいことって――わ、わたしがアリーシャ様にですか!?」
「さっきからそう言っているじゃない」
動揺するロッテに対して、アリーシャはきょとんとした様子で言う。
どうしてそんなに落ち着いていられるのだろう。
「む、むむむ無理ですっ! できるわけないですっ! 何を言っているんですかっ!?」
当然、ロッテはアリーシャの要求を拒否した。
まさかそんなお願いをされるとは思いもしていなかったからだ。
ロッテがアリーシャにいかがわしいことをするなど――できるできない以前に、許されることではないだろう。
「すぐに無理って言うのはやめなさい」
だが、そんなロッテに対してアリーシャはぴしゃりと言い放つ。
「そ、そんな正論を……!」
間違ってはいないのだけれど、この場合は認めたくはない。
すると、アリーシャは小さく溜め息を吐き、
「……あなたは私のことを理解してくれていると思っていたのだけれど」
そう言って少し悲しげな表情を浮かべた。
――胸にちくりと、針でも刺されたような気持ちになる。
アリーシャの力になりたいのは本当だ。
おこがましいことなのかもしれないけれど――彼女がストレスを抱えているというのなら、それを解消してあげたいとは思う。
だが、いかがわしいことをしてほしいなどという願いを叶えることはできない。
だって、それが根本的な解決になるとは思えないし、アリーシャはロッテにとって憧れのような存在だ。
そんな彼女を押し倒すなんて。
「……やっぱり、わたしには無理です、ごめんなさい」
――度重なる願いを、ロッテは全て拒絶してしまった。
彼女がこのためにロッテをメイドとして戻したのだとしたら、早くも期待を裏切ってしまったことになる。
けれど、押し倒すという意味の中に、『いかがわしいこと』が含まれているというのなら――やはりロッテにはできないことだ。
「……そう、なら仕方ないわ」
諦めてくれたのか、アリーシャはベッドから立ち上がる。
ロッテはほっと胸を撫で下ろす。
「あ、あの、お着替えは……?」
「大丈夫。それより、他のメイドに頼むことにしたから」
ロッテの問いに、アリーシャはそう答えた。
「……えっと、お着替えを、ですか?」
「いいえ、私を押し倒してくれる人を今から探すの」
「……は?」
ロッテは思わず、驚きに声を漏らしてしまう。
今、アリーシャは何と言ったのだろうか。
押し倒してくれる人を探す――聞き間違いであってほしい。
「だから、私を押し倒してくれる人を探す。この屋敷になら。頼めばやってくれる人もいるでしょうから」
――残念ながら、聞き間違いではなかった。
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