第3話 3-(1/2)

 私が大陸に渡る際、父は弟のけいを同行させた。見識を広めて来いと言って送り出していたが、実のところ業務全般を任せて不安のない堅実な弟に私の留守中の代理をさせる気でいたのだろう。第二部の任務を唯一知る父の配慮と危機管理だ。

 さほど広くもない屋敷で、経と私は使用人共々暮らしている。


「兄上。昨夜はお戻りが遅かったようなのでお尋ねできませんでしたが、商業会の皆の面前で叱られたのですか?」


 朝一番に、経は何の遠慮もなく訊いてきた。既にやや不機嫌だ。


「情報が早いな」

「兄上が日頃商業会で会っている役員は、僕の友人たちの親族です。兄上の醜聞も艶聞も全て筒抜けですよ」

「それは有難い。お前に面倒な報告をしなくて済む」


 あにうえ。経は私をそう呼ぶ。私が十も年上で、早くに家を出ていて共に暮らした記憶がないせいか、幼い頃からよそよそしく時代錯誤な呼び方を変えないでいる。

 私たちの兄弟仲はすこぶる良い。兄と違って真面目な経は、実質的に吉澤組の後継者だ。本国に妻子がいる。妻は政界に連なる家系の御息女だ。父に閨閥を広げる気があるのか不明だが、先方からの縁談を断らなかったということは吉澤に利するところが大きいのであろう。私は会ったことがない。会わせてもらっていないというべきか。

 とにかく経は社員の信頼も厚い。彼さえいれば会社は安泰だろう。


「宮田という官吏は、兄上と同い年だとか。どのような方か存じませんが、あまりにも失礼ではありませんか」

「至って実直で堅そうな男だ。会の連中には、まあ信頼されそうだな」

「兄上は……また軽んじられたのですか」

「さて。政情不安で治安も悪いのに遊びほうけてけしからんと、事実を指摘されたまでだ。最近行った南京のことでも言っているのだろうか。阿片は決してやらなかったがな」

「そうやって呑気に笑うから、兄上はくみし易いと思われる。だから吉澤組を利用しようとする輩まで出る。直接兄上を知る僕の友人がそう言っておりました」

「それを弟のお前にわざわざ言うのは、お前を心配してのことか。経は友人に恵まれているな。全て人徳だな」

「兄上には面子めんつがないのですか」

「道楽に面子は必要なかろう」


 経が呆れるのは当然だ。これは私だけでなく吉澤組の面子の問題でもある。


「心配するな。私は軽んじられても、吉澤組が馬鹿にされているわけではない。私はお飾り所長だ。それでも吉澤組は傾かないと、むしろ評判ではないか」

「何がお飾りですか。吉澤組の足元を見ようとした取引業者を兄上はどれだけ潰してきたと思っているのですか。しかも、うちは直接手を出さず、商業会が追放している」

「私は知らないぞ」

「兄上が遊び回っているのは、ご自分で世情を見るためでしょう? 最近は暴動の気配や外国の動きが気になって、皆が吉澤組の出方を注視しています。うちが見誤らないのは、兄上の情報があるからです。なぜ、皆それに気づかないのか」

「逆だよ、逆。遊び回っているから、大陸のあちらこちらに知り合いができて情報が入る。父はそれを利用しているだけだ。私はお前がいてくれるから好き勝手ができるが、お前に面倒を押しつけてばかりだな」

「危険な所に好き好んで行くと?」

「会社やお前のために自分を犠牲にしているわけではない。刺激が欲しい。それだけだ。この時代に生まれた私は運がいい。混乱の世にあっても、国は日進月歩で発展している。明日がどうなるかさえわからない。私は全て見たい。我が国の行く末も世界の動きも。私は知らないことを知りたいのだ。だから酒場へも行く」

「兄上の言うことはどこまでが本当か、さっぱりわかりません」

「全部本当だ」


 吉澤外海組に生まれたことも私にとって幸運だった。その出自だけで、こうして大陸に渡ることができたのだ。

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