第3話「不器用な訪問者と畑の約束」

 カイと名乗る男との奇妙な出会いから数日が過ぎた。

 あれ以来彼が姿を現すことはなく僕の生活はまた元の穏やかなものに戻っていた。

 けれど僕の心の中にはあの鋭い眼差しと「カイ」という短い名前が小さな棘のように引っかかっていた。


『一体、何をしている人なんだろう』


 あの鍛えられた体や腰の剣を見るにただの猟師や木こりとは思えない。

 もしかしたらお尋ね者とか何か訳ありの人物なのかもしれない。

 そう考えると少し怖くもあるけれどスープを飲んだ時のほんの少しだけ和らいだ彼の表情を思い出すと、悪い人だとはどうしても思えなかった。

 そんなことを考えながら僕は今日も畑仕事に精を出していた。

 最近のマイブームは地球にあった野菜をこちらの世界の植物と掛け合わせてみることだ。

『神の農具』は品種改良も手助けしてくれるらしくイメージをすればそれに近いものが出来上がる。

 今はジャガイモとサツマイモの間のような甘みがあってホクホクした食感の芋を作ろうと試行錯誤しているところだ。

 名前はまだないけれどきっと美味しいものができるはず。

 夢中になって土いじりをしているとふと視線を感じた。

 顔を上げると少し離れた森の木陰に見覚えのある人影が立っていた。

 カイだ。

 彼はただそこに立ってじっと僕の作業を眺めている。

 こちらに近づいてくるわけでもなくかといって去っていくわけでもない。

 その距離感が彼の戸惑いを表しているように見えた。

 僕から声をかけるべきか迷っていると不意にカイが動いた。

 彼が手にしていた何かを僕と彼のちょうど中間あたりの地面に置くと、またすぐに森の中へ姿を消してしまった。


『え?』


 何が起きたのか分からず僕はしばらく呆然としていたけれど、好奇心に負けて彼が何かを置いた場所へと近づいてみた。

 そこに置かれていたのは一羽の大きな鳥だった。

 おそらく彼が狩ってきた獲物なのだろう。

 まだ温かい。


『これって、もしかして…』


 先日のスープのお礼ということだろうか。

 あまりにも不器用で彼らしいやり方だと思ったらなんだかおかしくて、ふふっと笑みがこぼれた。

 ありがたく獲物を受け取ることにした僕はその日の夕食に鳥を丸ごと使ったハーブ焼きを作ることにした。

 畑で育てているローズマリーに似た香りの良いハーブを鳥のお腹に詰め、『神の農具』で作り出した即席の石窯でじっくりと焼き上げる。

 やがてこんがりと焼けた皮の香ばしい匂いとハーブの爽やかな香りが辺りに漂い始めた。


『カイさんも、一緒に食べられたらいいのにな』


 そんなことを思いながら一人で夕食を済ませ眠りについた。


 翌日またカイは現れた。

 昨日と同じように森の木陰から僕の様子をうかがっている。

 どうやら毎日様子を見に来るつもりらしい。

 僕はなんだか大きな野良猫に懐かれ始めたようなそんな不思議な気分になった。

 僕は彼に気づかないふりをして畑仕事を続ける。

 しばらくすると昨日と同じようにカイは獲物――今度は大きなウサギだった――をそっと置いて森へ帰っていった。

 そんな奇妙な交流が三日ほど続いた。

 カイは毎日狩ってきた獲物を置いていく。

 僕はお返しというわけではないけれど彼がいつでも食べられるように日持ちのする焼き菓子や干し肉を作って、昨日の獲物が置いてあった場所に置いておくことにした。

 僕が置いた食べ物は次の日には綺麗になくなっていた。

 言葉は交わさない。

 でも確かに僕たちの間には不思議な繋がりが生まれている気がした。

 そして交流が始まって四日目のこと。

 その日カイが置いていったのは獲物ではなくぼろぼろになったクワの刃先だった。


『これは…?』


 どういう意図か分からずに首をかしげていると不意に背後から声がした。


「直せるか」


 振り返るとすぐそこにカイが立っていた。

 いつものように森の木陰からではなくはっきりと僕の前に姿を現したのは初めてのことだった。

 彼は僕が持っている刃先を指さす。


「俺のクワだ。柄が折れた」


「え、えっと…」


 突然のことに戸惑いながらも僕は刃先を受け取った。

 錆びついて刃こぼれもひどい。

 ずいぶん長く使われてきたものらしかった。


「たぶん直せると思います。というか新しく作った方が早いかも」


 僕はそう言って『神の農具』のスキルを発動させた。

 僕の手の中に光が集まって新品のクワが現れる。

 カイはその神秘的な光景を驚愕の表情で見つめていた。


「ほら、どうぞ」


「…お前、一体…」


 カイの目が初めて会った時のような鋭い光を取り戻す。

 無理もない。

 こんな魔法のような力は普通じゃないだろう。


「これは僕の生まれつきの力なんです。ミナトっていう名前も本当ですし、ここで農業をして暮らしたいっていうのも本当のことです」


 僕は真っ直ぐに彼の目を見て言った。

 ここで彼に怖がられてまた距離を置かれてしまうのは嫌だった。

 僕の言葉に嘘がないと判断したのかカイは少しだけ目つきを和らげ、僕が差し出したクワを受け取った。

 そしておもむろに近くのまだ手つかずの地面にそれを振り下ろした。

 ザクッ、ザクッ。

 無駄のない動きでみるみるうちに固い地面が耕されていく。

 その手つきはそこら辺の農夫よりもずっと様になっていた。


「…こっちの区画は芋を植えるのか」


「え?あ、はい。甘くてホクホクする新しい品種を作ろうと思って」


「そうか」


 カイはそれだけ言うと僕が耕そうとしていた区画を黙々と耕し始めた。


『えええ!?』


 手伝ってくれるの!?

 僕は驚いてただ彼の働く姿を見つめることしかできなかった。

 無言のまま二人で畑を耕す。

 時折カイが「次はどこだ」というように視線を向けてくるので僕は慌てて次に作る作物の計画を話す。


「こっちは葉物野菜で、あっちは薬草を少し…」


「分かった」


 短い会話。

 けれど不思議と気まずくはなかった。

 むしろ誰かと一緒に土をいじるということがこんなにも楽しくて嬉しいことなんだと僕は初めて知った。

 夕日が空を染め始める頃には僕が一人でやるより何倍も広い土地が綺麗な畑に生まれ変わっていた。

 汗をぬぐうカイの横顔は初めて会った時のような険しさはなくどこか満足げに見える。


「あの、ありがとう、カイさん」


 僕がお礼を言うとカイは一瞬だけこちらを見てすぐにそっぽを向いた。


「…別に。俺がやりたかっただけだ」


 ぶっきらぼうな言い方。

 でもその耳が少しだけ赤いことに僕は気づいてしまった。


「そうだ!今日の夕食一緒にどうですか?カイさんが狩ってきてくれたウサギでシチューを作ったんです」


 僕は思い切って誘ってみた。

 彼は少し迷うような素振りを見せたけれど、やがて小さくこくりとうなずいた。

 その日の夕食は二人で食べた。

 熱々のシチューをハフハフと頬張るカイ。

 相変わらず口数は少なかったけれど時折「うまい」とぽつりとつぶやく彼の声を聞くだけで、僕の胸は温かいもので満たされていくようだった。

 食事を終えた後カイはまた森へ帰っていった。

 けれどその背中はもう寂しそうには見えなかった。

 明日も彼はきっとこの畑にやってくる。

 そんな確信にも似た予感が僕の心を弾ませていた。

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