ブラック企業で過労死した俺、チートスキル『神の農具』で辺境開拓していたら、追放された無愛想な元騎士団長の胃袋を掴み溺愛されることに
藤宮かすみ
第1話「過労死からのスローライフ志望」
目の前が真っ白になった。
いや正確には白と黒の細かいノイズが視界を埋め尽くし、鳴りやまない耳鳴りが頭の中で反響している。
キーボードを叩いていたはずの指先の感覚はなくなり、椅子に座っているはずの体はふわりと宙に浮いたような、あるいはどこまでも沈んでいくような奇妙な浮遊感に包まれていた。
『あ、これ、死ぬやつだ』
他人事のようにそう思った。
連日の徹夜作業、栄養ドリンクとエナジードリンクのちゃんぽん。
仮眠室のソファで過ごした時間のほうが自宅のベッドより長かったここ数か月。
限界なんてとっくに超えていたんだ。
薄れゆく意識の中で最後に思い浮かんだのは、休日に見たテレビ番組で特集されていたのどかな田園風景だった。
ああ、あんな場所で土の匂いを嗅ぎながらのんびり暮らしてみたかったな。
それが、葉山湊、享年二十九歳の最期の記憶。
のはずだったんだけど。
「はじめまして葉山湊さん。私は世界を管理する者とでも名乗っておきましょうか」
次に目を開けた時、僕は真っ白で柔らかな光に満ちた空間にいた。
目の前には性別も年齢も判別できない、ただ「美しい」としか形容しようのない存在が穏やかに微笑みながら立っている。
『神様、みたいなものかな』
状況が状況だけにすんなりとそう理解できた。
どうやら僕は本当に死んでしまったらしい。
神様(仮)によると僕の死は完全な手違いだったそうだ。
本来ならまだ寿命は五十年以上も残っていたのに、どこかの世界の管理者が僕の魂をうっかり「回収」してしまったのだとか。
なんともお役所仕事的なミスだ。
「つきましては、お詫びと言っては何ですが、二つの選択肢をご用意しました。一つは元の世界の別の人間として記憶を消して生まれ変わること。もう一つは記憶を持ったまま私共が管理する別の世界――剣と魔法のファンタジー世界へ転生することです」
ファンタジー世界。
それはつまりいわゆる異世界転生というやつだろうか。
元の世界に戻ってもまた同じようにあくせく働くことになるんだろうか。
そう思うと少しだけうんざりした気分になった。
「あの、もし異世界へ行かせてもらえるなら一つだけお願いがあるんですけど…」
「ええ、何なりと。ささやかながら特典もお付けしますよ」
神様はにこやかにうなずいてくれる。
僕は最期に思い描いた光景を口にした。
「もうあくせく働くのは嫌なんです。なので王都とか人が多い場所から離れた静かな場所で、のんびり農業をして暮らしたいです」
僕のささやかな願いに神様は少しだけ目を丸くしたけれど、すぐに楽しそうな笑みを浮かべた。
「面白い願いですね。承知しました。ではあなたに特別なスキルを授けましょう。『神の農具』というスキルです」
『神の農具』?
「それはあなたのイメージ次第でどんな農具にも変化し、どんな土地でも瞬時に耕しどんな作物もすぐに育て収穫することができる万能の力です。これさえあればあなたの望む悠々自適なスローライフが送れることでしょう」
なんだかとんでもないチートスキルを授かってしまった気がする。
でもこれなら確かに汗水たらして必死に働かなくても生きていけそうだ。
「ありがとうございます。それでお願いします」
「かしこまりました。ではあなたの新しい人生が実り豊かなものになりますように」
神様のその言葉を最後に僕の意識は再び柔らかな光に包まれてゆっくりと遠のいていった。
次に僕が目を覚したのは柔らかい草の上だった。
見上げればどこまでも高く広がる青い空。
日本で見ていた空よりもずっと色が濃くて澄み渡っている気がする。
体を起こしてあたりを見渡すと、そこは見渡す限りの広大な草原と遠くに見える深い森、そしてなだらかな丘が連なるまさに手つかずの大自然だった。
深呼吸をすると草いきれの混じった新鮮な空気が肺を満たしていく。
ああ、空気が美味しい。
それだけでなんだか泣きそうなくらい嬉しかった。
服装は動きやすいシャツとズボン、丈夫そうなブーツといった開拓者みたいなシンプルなものに変わっている。
ポケットを探ると麻袋に入った数種類の種と小さなナイフ、火打ち石なんかが出てきた。
最低限のサバイバルセットといったところだろうか。
『さて、まずは拠点作りからかな』
僕は立ち上がるとスキルを発動させることを意識した。
『神の農具、出てきて』
心の中で念じると僕の右手にふわりと光が集まって形を成していく。
現れたのは柄の部分が白木でできたごく普通のクワだった。
でも手に持ってみると驚くほど軽くてしっくりと馴染む。
試しに目の前の地面にクワを振り下ろしてみた。
ザクッと小気味よい音がして硬そうに見えた地面がまるで豆腐のように柔らかく耕されていく。
ほとんど力を入れていないのに面白いように土が掘り返されていくのだ。
「すごい…!」
思わず声が出た。
これならあっという間に畑が作れそうだ。
僕は夢中になってクワを振るった。
まずは今日食べる分だけでも確保したい。
小高い丘の日当たりの良い南向きの斜面を選んで手頃な広さの畑を一つ作り上げた。
土はふかふかで栄養をたっぷり含んでいるのが素人目にもわかる。
次にポケットからカブのような野菜の種を取り出して畝に沿って蒔いていく。
そしてまたスキルに念じる。
『作物が元気に育つように、栄養と水を』
すると僕の手から淡い緑色の光が放たれ種を蒔いた畑全体を優しく包み込んだ。
光が消えたかと思うと信じられない光景が目の前に広がっていた。
土の中からにょきにょきと芽が出てぐんぐん葉を伸ばし、あっという間に青々とした葉を茂らせたのだ。
まるで早送り映像を見ているみたいだ。
試しに一本引き抜いてみると土の中から現れたのは雪のように真っ白で丸々と太った立派なカブだった。
土を軽く手で払ってそのまま一口かじってみる。
シャキッと軽快な歯ごたえ。
その瞬間みずみずしくて優しい甘みが口いっぱいに広がった。
筋っぽさなんて一切なくてどこまでもきめ細かい。
「おいしい…!」
こんなに美味しい野菜食べたことがない。
感動しながら夢中でカブを頬張った。
腹ごしらえを済ませた僕は次に住む場所の確保に取り掛かった。
『神の農具、今度は斧になって』
クワが光に包まれ今度は頑丈そうな斧に姿を変える。
近くの森に入り手頃な太さの木を数本切り倒した。
これも面白いほど簡単に切れる。
切り出した木材を運び今度は『神の農具』をトンカチやノコギリに変化させながら小さな小屋を組み立てていった。
前世ではDIYなんてやったこともなかったけれどスキルのおかげかどうすればいいのかが自然と頭に浮かんでくる。
日が傾き始める頃には雨風をしのげるくらいのこぢんまりとしたログハウスが完成していた。
小屋の前には畑で採れた野菜を煮込むためのささやかな焚火。
鍋も『神の農具』で作り出したものだ。
コトコトと煮えるスープからは食欲をそそる良い匂いが立ち上っている。
空を見上げれば燃えるような夕焼けが西の空を染めていた。
遠くで知らない鳥の鳴き声がする。
過労で死んだはずの僕が今はこうして異世界の広大な自然の中で自分で育てた野菜のスープを飲もうとしている。
なんだか夢みたいだ。
でもこれは夢じゃない。
僕の新しい人生なんだ。
『これからは、ここでゆっくり生きていこう』
スープを一口すする。
野菜の甘みが体にじんわりと染み渡っていく。
その温かさに張り詰めていたものがふっと緩んで自然と涙がこぼれた。
それは悲しい涙じゃなくてようやく手に入れた穏やかな時間に対する感謝の涙だった。
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