第14話 にゃーも名人にトラウマを植え付けたいのにゃん
将棋の平均手数はおよそ110手とされている。60手前後で勝敗が決することがあれば、200手を超える熱戦になるなんてこともざらにある。そして、王雅戦第1局は、名人の度重なる攻めを挑戦者増渕がしのぎ続け、もう300手に及ぼうとしていた。持ち時間5時間の同棋戦は例年午後7~10時に終局するのがおおよその流れなのだが、本日にいたってはもう深夜0時にさしかかろうとしていた。記録係の奨励会員が静かすぎる対局室に耐えられず、机の前でうとうとしていた。
「これは……本当に形勢互角なのでしょうか」
「ハハッ。AIの見立て上はそうでも実際はそうじゃないだろうね。99段まで並べたトランプタワーくらいに不安定だと思うな」
「なるほど……うーん」
名瀬の前で棋譜を並べていた棋士は最善手を得るべく、あれこれ駒を動かし続けていた。AIもAIで最善手や第2、第3候補の手を提示してくれてはいるが、人間感覚ではどれもしっくりこないものであった。盤上に駒が入り乱れすぎて、よく言えば乱戦、悪く言えば泥仕合と化しており、明瞭な好手がプロの目でも判別できないのであった。それでも先ほどから名人、増渕ともに疑問手、悪手はほとんど指していない。この将棋の形勢を、均衡させたままでいられるのは地球上ではこの2人だけかもしれない、名瀬はそう考えていた。
「ハハッ。本当にわが弟子は恐ろしいな」
異次元の対局を前に、名瀬はバナナをもぐもぐ食べながら脱帽していた。
ところが、その対局についてこれる人物がもう1人いた。というより、突然ついてこれるようになった。それも、対局室に。……ポニャンザだ。
にゃにゃ?なんにゃ!いい手が次々に見えるようになったのにゃん!!
急に己の棋力がアップデートされたのを実感したポニャンザは、テンパりながらも盤面を注視した。今までは1手先の最善手さえ過ちがあったのが、もう最善手を指し続けた場合の終局図まで見える。どうゆうことにゃん!?と状況を理解できずにいたが、一息ついてひとまずは静観することにした。
この一局はナオキのものにゃん。にゃーが水を差すわけにはいかないのにゃん。
ポニャンザは黙って正座し、次の最善手を頭に思い浮かべた。
ナオキ、3四金にゃん。それ以外は負けだにゃん。
1四玉は無難な手に見えるが攻め合いの末に敗けそう、3四銀引は最終的に銀を渡したことでぴったり詰まされそうだ……ならば……
ボクは持ち駒の金を3四に打った。1分将棋だと確信が持てないままに手を進めなければならないのだが、自然とこれが最善手に見えた。……3六步、3五飛、ボクは名人の猛攻を凌ぎつつ王将にプレッシャーをかけ続けた。対局後に知ったが、ポニャンザも以後全く同じ手を推奨していたらしい。名人から発せられる圧力に、既に精神が限界に差し掛かっていたが、ボクはこの一局にのみ意識を傾けて駒を動かし続けた。
増渕が放った398手目1五玉。玉将を逃した無難な1手を反映させたうえ、AIは互角の判断を示していた。それは控え室で検討を重ねる棋士達も概ね同意見だった。形勢は互角と見るか、不明と見るかのいずれかだ。
だが、名人、増渕、そしてポニャンザには行く末が見えていた。確かに互角の将棋だが、様々な手を考え尽くした結果…………わずかに名人が悪い、と。それは歩兵1枚でも手駒にあれば逆転できるほどの僅差であった。名人は何かを察したかのような顔をし、茶を一口口に含んだ。
「ありません」
名人が疲労困憊の身体を下げて投了した。
「ここで投了!?」と動揺したマスコミ達がぞろぞろと対局室に入ってきた。名人、そして増渕にカメラが次々と向けられる。
「ここで名人が投了するなんて……。優勢だった局面を振り出しに戻されて戦意喪失したか」
「まだまだ戦えたろうに。俺には形勢がさっぱりわからない」
控え室もまた、棋士達の動揺が目に見えるような有様であり、あちこちで局面の検討が行われていた。だが、どれだけ考えたところで明確な答えを出せる者は一人もいなかった。対局後のインタビューでも名人、増渕ともに終局図以降の展望を明言しなかったので、以降何十年にも渡って誰にも名人投了の意図を断言することができなかったという。
だが、局面を認識できないながらに名人の意図をひっそり察したのが名瀬だった。
「名人がこれだけ周到に手を進めながら勝つことができなかったとは。増渕のあの戦い方は言うなれば……僕の負けない将棋と名人の人間潰しの将棋のハイブリッドと言ったところかな。ハハッ、僕も負けてられないな」
バナナの皮をゴミ箱に放り、ソフトで研究をすべく名瀬は増渕に声をかけることなく帰路についた。
そして戦況を静かに見続けたポニャンザは寂寥感を覚えていた。
ナオキ、おめでとうにゃん。本当に本当に、強くなったのにゃん。ありがとうにゃん。ナオキのおかげでにゃーも強くなれたのにゃん……。
無言でポニャンザはインタビューを受ける増渕をじっと見続けていた。
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