第9話 ナオキも倒し続けるにゃん

「まさか君のデビュー相手が私になるとはね」 

 高校3年生となり、四段プロデビューしたボクのデビュー戦は竜聖戦6組1回戦、相手は唐牛かろうじ英心七段。ボクを名瀬先生に紹介してくれた人だ。正直、奨励会二段の時に初めて、唐牛先生がプロだったのだと知った。「あいつそんなに強かったのにゃ!?」とポニャンザがあんぐりしていたが、珍しく同意見だった。初めて会った当時、密かにミノタウロス呼びしていたのが懐かしい。


 唐牛先生のことはざっくり調べた。三重県出身47歳、順位戦最高B級2組、竜聖戦最高3組。タイトル戦出場歴がなく、一般棋戦優勝もなし。その実績なら、はっきり言えばポニャンザの相手にならないだろうと踏んでいた。

「にゃにゃにゃ。ここからにゃーの100連勝伝説が始まるのにゃん」

「調子に乗るなバカ猫」

 将棋盤を前にして、小声で下らない会話をひっそりとする。

「あの時はまさか、こんなに早くプロ入りする逸材だとは思わなかった。名瀬先生の教育の賜物かな」

「ええ。あの時は本当にありがとうございました」

 他愛のない話を対局前に軽くする。全く緊張していないわけではなかったが、少し気持ちが軽くなったような気がする。

 というのも、奨励会全勝という空前絶後の成績を引っさげてプロ入りしたボクをマスコミが放っておくはずもなく、将棋会館には多数のメディアが押し寄せた。デビュー戦がこれだけの騒ぎになるのは、藤倉名人の時以来らしい。



「3八金にゃん!」

「5五步にゃん!」

 いつもより気持ち気合いのこもった声でポニャンザが指示をする。ボクはそれにしっかり応える。

 この日、ボクは戦況以上に気配りしていることがあつまた。持ち時間である。ポニャンザは5分もあれば、彼女の中の最適解を導き出すことができる。逆に言えば、5分以上はどれだけ時間が経ってもそれ以上の答えを出すことができないのだ。

 竜王戦は持ち時間が5時間もある。序盤ではさして時間を使わないので、かなりの長期戦にならない限り、どうしたって時間が余る。対局中、昼寝でもしようかとも思ったが、新人がそれをやるのも憚られたのでやめにした。というわけで、ポニャンザが手を示した後、ボクは自分ならどう指すかのんびりと考えてみることにした。ポニャンザとは違う、増渕直樹の1手を。



「……負けました」

「ありがとうございました」

 唐牛先生との対局は危なげなく勝利した。多くのマスコミが対局室に押し寄せ、カメラのシャッター音がやかましく響く。

「『そうですね』って言われたらどうしようかと思ったよ」

「懐かしいですね。もう言いませんよ」

 まだ初対面の時のエピソードを覚えていたのか、とどきっとする。そして、唐牛先生と感想戦をして対局を振り返る。奨励会に入って程なくして、ボクはポニャンザなしでも棋譜を初手から並べられるようになった。

「うん、君は強い。相変わらず名瀬先生そっくりな棋風だ。参ったよ」

「ありがとうございます」

「うん。ただ……君は果たして強くなっているのかな。変なことを言ってすまないが」

「いえ……」

 唐牛先生がポニャンザの核心を突き、ボクが言葉を詰まらせたところで感想戦も終わり、インタビューが始まった。「ナオキ、中指を立てて『全員ぶちのめしてやるから待ってるんだな』って宣言するにゃん!」とアホが囁いてきたが、そんなこと言ったら大炎上だろと思い無視する。

 ボクはできれば藤倉名人みたいな聖人になりたいのだ。というわけで「実力からすると僥倖としかいいようがありません」など、名人の発言をもろパクリしてインタビューを終えた。後日、名瀬先生からは「ハハッ。あまりに固すぎて面白くないインタビューだなぁ」と指摘された。


 

 ポニャンザはそこからも公式戦の勝ちを積み重ねたが、その連勝は36で止まった。藤倉名人の作ったデビュー戦からの連勝記録が30だったので、それを更新したのは栄誉あることだ。もちろんその時も沢山のマスコミに囲まれた。

 初黒星を喫した相手は糸山八段。早指しが得意で、順位戦A級のトップ棋士の1人だ。本日の対局が持ち時間10分ということもあり、ポニャンザが最適解を出せない時もあるなかで対局が進み、糸山先生に押し切られてしまった。「くそおおお。あと8秒あればいい手が思いついてたのにゃん」とポニャンザも対局中に悔しがっていた。


「いやぁ。増渕先生の守りが堅くて最後まで頭を悩ませました。何とか勝ててよかったです」

 糸山先生はインタビューでそう口にしていた。なお、準々決勝でポニャンザを倒した糸山先生は準決勝で藤倉名人に敗北していた。つまり、ボクは藤倉名人との公式戦初対局チャンスをあと一歩で逃してしまっていたのだ。


 プロになってからの対局のうち、およそ2割はボクが指すようになった。名瀬研やポニャンザを相手に将棋を磨き続け、いつしかボクの腕はプロ相手でも通用するようになっていた。

 とはいえボクが完全無欠なわけもなく、劣勢になり始めると「このままだと負けるにゃん。ナオキ、悔しいよにゃん、悔しいよにゃん」とクソ猫が挑発してくるのが腹が立つところだ。だが、ボクはそういう時は潔くポニャンザに手を委ねる。ポニャンザの最終目的を果たすには、とにかく勝って一局でも多く名瀬先生と対局する必要があるからだ。だが、ボクが指して強くならないことには名瀬先生の気持ちを変えられないのでそのバランスが難しい。


 

「増渕流は強固ではあるが意外性がない」

「名瀬先生より正確な指し回しだが、正直終盤の恐さに欠ける」

 プロ入りしてしばらくすると、ボクの評価はトップ棋士の間でそう固まっていた。

 プロ入り1〜2年目は勝率1位、新人棋戦優勝、新人王などの栄誉に輝いたボクであるが、まだタイトル戦挑戦は叶っていない。藤倉名人とは、新人棋戦優勝の特典として非公式戦で一局指したきりだ。その時はポニャンザが勝ったが、名人は新手を試すような手捌きだったので全力ではなかったろう。

 ポニャンザは各棋戦で最高ベスト4まで勝ち進むものの、そこから勝つことができなかった。まわりの棋士はポニャンザの対策を企てることはできるが、ポニャンザが育つことは一切ない。「そんな、そんなはずはないのにゃん……」「こんな汗臭そうなやつに負けるはずないのにゃん……」彼女の現実逃避を臭わす発言を最近何度聞いたろうとボクは思った。



 ボクはポニャンザとも毎日のように対局している。母さんがプロ入り祝いに買ってくれた高級将棋盤を使い、ポニャンザが向かいに座って戦うのだ(ポニャンザの駒を動かすのはもちろんボクだが)。プロ入りしてもうすぐ3年目になるが、ボクがポニャンザに勝てたことなどただの一度もなかった。



「ま、負けたにゃん……」

「あ、ありがとうございました」

 心臓の鼓動を激しく感じる。ボクは初めて、平手でポニャンザに勝った。

「にゃーが、アホで弱虫で童貞のナオキに負けるなんて……そんにゃあ……」

 今までで一番ひどい言われような気がするが、それだけ彼女の衝撃が強いものだったのだと推察する。持ち時間は短いからポニャンザにはもっと上限があるのだろうが、とにかく1勝した。ボクは将棋盤の下でガッツポーズした。

 それからポニャンザには2連敗したものの、ボクは4連勝を返した。持ち時間が短い対局に限り、ボクはポニャンザを上回る存在になった。


 

 


 



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