第08話「王家の依頼と忍び寄る影」
ドワーフの熟練職人ボルガンが仲間に加わったことで、『恵みの工房』の生産力と技術力は飛躍的に向上した。譲が呪いを解いた素材の特性を見抜き、ボルガンがその素材を最高の状態に鍛え上げ、ルナが天性のセンスで最終的な仕上げと装飾を施す。三人の連携は完璧で、彼らの手から生み出される武具は、もはや芸術品の域に達していた。
その評判は、辺境の町ダリアを越え、瞬く間に王都にまで届いていた。そして、ついに工房に、王家の紋章が入った一通の封蝋付き書状が届けられた。
「師匠、これ……王家からです!」
ルナが、少し緊張した面持ちで手紙を譲に渡す。譲も、まさか王家から直接連絡が来るとは思わず、驚きを隠せない。
手紙の差出人は、この国の王女、セレスティーナ殿下。内容は、近衛騎士団が使用する剣と鎧を、一式『恵みの工房』に発注したいというものだった。それは、一介の工房にとっては破格の、そしてこの上ない名誉な依頼だった。
「どうする、ユズル。王家の依頼となれば、失敗は許されんぞ」
ボルガンが、いつになく真剣な表情で言う。
譲は少し考えた後、決意を固めた。
「やらない理由はありません。これは、俺たちの工房の実力を国に認めさせる、絶好の機会です」
サラリーマン時代に培った、大きなビジネスチャンスを逃さない嗅覚が、彼にそう告げていた。リスクは大きい。しかし、リターンはそれ以上に大きい。
依頼を引き受けた譲たちは、王都から送られてきた最高級の素材を前に、すぐさま製作に取り掛かった。ボルガンが騎士団員一人ひとりの体格に合わせた鎧を打ち、ルナがその表面に精緻な彫刻を施していく。譲は、【呪物鑑定】スキルを応用し、素材に混入したごく微量の不純物(呪いの元となりうる要素)までも見つけ出し、完全に取り除くという離れ業をやってのけた。
彼らの仕事は完璧だった。数週間後、完成した百組の剣と鎧が王都に納品されると、その出来栄えは王や大臣たちを驚嘆させた。
「なんと美しい……。そして、軽いのに、驚くほど頑丈だ!」
近衛騎士団長が、実際に鎧を身につけて感嘆の声を上げる。剣を振れば、まるで体の一部であるかのようにしっくりと手に馴染んだ。
この一件により、『恵みの工房』の名声は不動のものとなった。国中の貴族や富豪から注文が殺到し、工房はかつてないほどの活況を呈する。譲は、前世の知識を活かして生産管理システムを導入し、増え続ける注文を効率的にさばいていった。
豊かになった生活。信頼できる仲間たち。そして、自分たちの仕事が人々の役に立っているという実感。譲は、異世界に来て初めて、心の底からの幸福を感じていた。
しかし、光が強くなれば、影もまた濃くなる。
『恵みの工房』の成功は、ある者たちの耳にも届いていた。それは、心身ともに呪いに蝕まれ、かつての輝きを失いつつある勇者レオード一行だった。
彼らは、魔王軍の幹部との戦いで、またしても惨敗を喫していた。レオードの魔剣は、もはや彼の生命力を食い尽くす寸前で、以前のような力は発揮できない。仲間たちも、それぞれの呪いの副作用でボロボロだった。
「なぜだ……!なぜ、勝てない!」
帰還した城で、レオードは荒れ狂っていた。彼のプライドは、度重なる敗北によってズタズタに引き裂かれていた。
そんな時、大臣の一人が口にした。
「そういえば、近頃『恵みの工房』という工房の武具が、素晴らしい評判ですな。なんでも、装備した者の力を最大限に引き出すとか。勇者様も、一度試されてみては?」
「めぐみの……こうぼう?」
聞き覚えのない名前に、レオードは眉をひそめる。しかし、藁にもすがる思いだった彼は、その工房について調べるよう命じた。
数日後、調査結果がもたらされる。工房の主の名は、アイカワ・ユズル。辺境の地で、獣人の弟子と共に工房を営んでいる、と。
「ユズル……だと?」
その名を聞いた瞬間、レオードの脳裏に、かつて自分たちが追放した、陰気な荷物持ちの顔が浮かんだ。
「まさか……あの役立たずの男が?」
レオードは、信じられなかった。あの無能な男が、国中を騒がせるほどの職人になったというのか。
「すぐにその工房の武具を手に入れてこい!」
レオードは、部下に命じて『恵みの工房』の剣を一本、高値で買い取らせた。
手元に届いた剣は、確かに見事な出来栄えだった。だが、レオードが手にしても、特別な力は感じられない。
「なんだ、これは。ただのよくできた剣じゃないか!」
彼は、工房の評判が過大評価されたものだと断じ、剣を床に叩きつけた。
だが、パーティーの一員であるエルフの魔術師だけは、その剣に宿る微かな魔力の流れに気づいていた。彼女の精神は『狂気の宝玉』の呪いによって蝕まれつつあったが、魔力に対する感受性だけは、まだ失われていなかった。
「待ってください、レオード様。この剣……何か、おかしい。不純な力が一切感じられない。まるで、清められた聖具のようです」
「だからどうした!俺たちに必要なのは、こんな綺麗なだけの剣ではない!もっと圧倒的な力だ!」
レオードは聞く耳を持たない。
しかし、この一件は、彼らの心に小さな、しかし無視できない疑念の種を蒔いた。
『なぜ、あの男が成功している?』
『俺たちが、何かを見誤っていたとでもいうのか?』
猜疑心は、呪いによって増幅され、彼らの精神をさらに蝕んでいく。
その頃、譲たちの工房にも、不穏な影が忍び寄っていた。『恵みの工房』の成功を妬む、同業の工房からの嫌がらせが始まったのだ。店の前にゴミを撒かれたり、根も葉もない噂を流されたり。
「師匠、ひどいです……」
ルナが、悲しそうに店の前の落書きを見つめている。
「気にするな、ルナ。こういうのは、俺たちの仕事が認められている証拠だ」
譲は冷静だった。前世の会社員時代、競合他社からの妨害工作など日常茶飯事だった。彼は動じることなく、衛兵に見回りを強化してもらうよう依頼し、淡々と仕事を続けた。
だが、その影は、単なる同業者の嫉妬だけではなかった。王都の暗部で、何者かが『恵みの工房』の技術を狙って動き始めていた。
ある夜、工房に忍び込もうとした賊を、ボルガンが持ち前の怪力で取り押さえるという事件が起きた。賊は、工房の設計図や、特殊な加工技術の秘密を盗み出そうとしていたのだ。
「ただの物盗りじゃねえな。こいつら、裏で誰かに雇われている」
ボルガンが吐き捨てる。
譲は、自分たちの置かれている状況が、もはや辺境の一工房という枠を越えてしまったことを痛感していた。王家との取引、同業者の妬み、そして技術を狙う謎の組織。成功には、それ相応の代償が伴う。
彼は、大切な弟子と仲間を守るため、工房の警備体制を本格的に見直す必要があると決意した。平穏な職人生活は、終わりを告げようとしていた。譲は、再びサラリーマン時代に培ったリスク管理能力と問題解決能力を、フル回転させなければならない局面に立たされていた。
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