第03話「幸運を喰らう呪い」

 木の陰から少女の様子をうかがっていた譲の脳内に、【呪物鑑定】の結果が浮かび上がる。しかし、それはこれまで見てきたようなアイテムの鑑定結果とは明らかに異なっていた。

【呪われた少女:呪い『幸運捕食』。対象に直接触れた者の幸運を永続的に吸収し続ける。吸収された幸運は呪いの維持に使われ、少女自身に恩恵はない。呪いの核は、彼女が身につけている『母の形見の首飾り』。解除条件:呪いの核となっている首飾りを、少女の感謝の涙で濡らす】


『なんだ、この呪いは……』

 譲は思わず息をのんだ。触れた相手の幸運を奪う?しかも永続的に?あまりにも悪質で、救いのない呪いだった。これでは、誰も彼女に触れることはできない。家族も、友人も、恋人も。彼女は永遠に孤独でいることを強いられる。

 そして、解除条件がまた厄介だった。『少女の感謝の涙で濡らす』。つまり、彼女の呪いを解こうとする者が、彼女自身に感謝されなければならないということだ。しかし、どうやって?下手に近づけば、こちらの幸運が根こそぎ吸い取られてしまう。

『リスクが高すぎる』

 前世のサラリーマンとしての自分が、即座に警鐘を鳴らす。関わるべきではない。このまま立ち去るのが最も賢明な判断だ。幸運を失うなど、この先、生き残る上で致命的すぎる。


 だが、譲の足は動かなかった。木の根元で小さくうずくまり、苦しげに肩を震わせる少女の姿が、どうしても脳裏から離れない。女神の言葉が、再び彼の心に響く。

『あなたの使命は、人々の苦しみの原因となる呪いを解き、彼らを助けることです』

 もし、このスキルの本当の使い道が、これまでのようにお金儲けのためではなく、まさに今、目の前で苦しんでいる少女のような人を救うためにあるのだとしたら。

『……見て見ぬふりは、できないな』

 譲は覚悟を決めた。幸運を吸われるリスクはある。しかし、解除条件がある以上、不可能ではないはずだ。彼は慎重に計画を練り始めた。


 まず、彼女に警戒されないように、ゆっくりと姿を現す。

「あの……大丈夫かい?」

 譲が声をかけると、少女はビクッと体を震わせ、怯えた瞳で彼を見上げた。銀色の髪と同じ色のふわふわの耳が、不安げにぴくぴくと動いている。年の頃は十五、六といったところだろうか。着ている服は所々が擦り切れており、長く厳しい生活を送ってきたことがうかがえた。


「だ、誰……?」

「俺はユズル。この森を調べている者だ。君こそ、こんなところでどうしたんだ?」

「……」

 少女は何も答えず、ただ警戒するように譲を睨みつけている。そして、ゆっくりと後ずさった。

「こっちに来ないで!私に触ると、あなたに不幸が起きる!」

 悲痛な叫びだった。彼女は自分の呪いを理解し、他人を遠ざけることで誰かを守ろうとしていたのだ。その健気さが、譲の胸を締め付けた。


「君の呪いのことなら、少しだけ分かるかもしれない。俺は、そういうのを調べるのが得意なんだ」

「……分かる?」

 少女の瞳が、わずかに揺れる。

「ああ。君が苦しんでいるのは、その首飾りが原因じゃないか?」

 譲がそう指摘すると、少女は驚いたように自分の胸元に手をやった。そこには、古びた銀の鎖に通された、小さな青い石のペンダントがあった。

「これは、お母さんの形見で……」

「その形見が、君を苦しめているんだ。君は悪くない」

 譲の言葉に、少女は目を見開いた。彼女の大きな瞳から、ぽろぽろと涙がこぼれ落ちる。

「う、うそ……。私のせいで、みんなが不幸になったんじゃ……なかったの……?」

「ああ。君は被害者だ」

 譲は、彼女がこれまでどれほどの孤独と罪悪感に苛まれてきたのかを察し、心が痛んだ。


 彼は、拠点に持ち帰っていた携帯食料と水筒を取り出し、少女から少し離れた場所にそっと置いた。

「お腹が空いているだろう。まずはこれを食べて」

 少女は戸惑いながらも、よほど空腹だったのか、おずおずと乾パンを口に運び始めた。その姿は、まるで怯えた小動物のようだ。

 譲は彼女が食事を終えるのを待ち、改めて口を開いた。

「俺なら、その呪いを解けるかもしれない」

「……本当?」

「ああ。でも、少しだけ協力してほしいんだ」

 譲は、自分の計画を話した。呪いの核である首飾りを外す必要があること。そして、解除には彼女自身の「感謝の涙」が必要なこと。幸運を吸われるリスクを避けるため、直接彼女に触れることはできない。

 そこで譲が考えたのは、木の枝の先に針金で作った簡易的なフックを取り付け、それを使って首飾りの留め金を外すという方法だった。サラリーマン時代、クリップを伸ばして落ちた書類を拾った経験が、こんなところで活きるとは。


「いい……?もし、本当に呪いが解けるなら、私……何でもする」

 少女は、か細いながらも、はっきりとした意志のこもった声で答えた。彼女の名前はルナというらしかった。

 準備を整え、譲はルナに向き合う。

「じゃあ、いくよ。少しじっとしていてくれ」

 譲は長い木の枝の先のフックを慎重に操作し、ルナの首の後ろにある留め金に狙いを定める。非常に繊細な作業だ。少しでも手元が狂えば、彼女を傷つけてしまうかもしれない。

 額に汗がにじむ。ルナも、緊張した面持ちでじっと動かずにいる。

 何度か失敗しかけたが、譲は集中力を切らさなかった。そして、カチリ、と小さな音がして、ついに留め金が外れる。首飾りは、するりと彼女の胸元から滑り落ち、地面に転がった。


 瞬間、譲はルナの体から、ふっと何か黒いオーラのようなものが消えていくのを感じた。

「……終わった、のか?」

 譲が尋ねると、ルナは恐る恐る自分の手を見つめている。

「わからない……。でも、なんだか、体が軽くなった、ような……」

 彼女が戸惑っていると、譲は自分の計画の最後の仕上げに取り掛かった。

「ルナ。君はもう呪われてなんかいない。これからは、誰とでも手をつなげるし、誰とでも笑い合える。もう一人で苦しむ必要はないんだ」

 譲は、できるだけ優しい声で語りかけた。

「君がこれから生きていくのに、少しだけ手助けがしたい。俺と一緒に来ないか?俺はこれから、武具工房を開こうと思っているんだ。君さえよければ、そこで一緒に働かないか?」


「工房……?」

「ああ。君に何か才能があるかは分からない。でも、俺が全部教える。一人前の職人になって、自分の力で生きていけるように、俺が必ず君を支えるから」

 それは、譲の本心からの言葉だった。彼女の孤独を終わらせてやりたい。ただ、それだけだった。


 ルナは、じっと譲の目を見ていた。その大きな瞳から、再び大粒の涙が流れ落ちる。しかし、それは先ほどまでの絶望の涙ではなかった。

「……ありがとう……う、うれしい……」

 しゃくりあげながら、彼女は地面に落ちた首飾りを拾い上げた。その涙が、ぽたり、と首飾りの青い石の上に落ちる。

 その瞬間、石がまばゆい光を放った。

【『母の形見の首飾り』の呪いが解除されました】

 脳内に響く声。そして、スキルが新たな情報を表示する。

【幸運のペンダント:効果『幸運付与』。装備者に、ささやかな幸運をもたらす。かつてかけられていた呪いが反転し、祝福に変わったもの】


「やった……!成功だ!」

 譲は思わずガッツポーズをした。

 ルナは、光が収まったペンダントを呆然と見つめていたが、やがて顔を上げ、満面の笑みを浮かべた。それは、譲が初めて見る、彼女の心からの笑顔だった。

「ありがとうございます!えっと……師匠!」

「え、師匠?」

 いきなりの敬称に、譲は戸惑う。

「はい!私、師匠の弟子になります!一生懸命働いて、このご恩を必ず返します!」

 銀色の耳をぴんと立て、ふさふさの尻尾をぶんぶんと振る姿は、喜びを全身で表現しているようだった。

 こうして、相川譲は、図らずも最初の弟子を得ることになった。忌み森での孤独な宝探しは、終わりを告げようとしていた。彼の隣には、もふもふの耳と尻尾を持つ、笑顔がまぶしい少女がいる。二人の工房経営という、新たな冒険が始まろうとしていた。

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