風使いと呼ばれた修理師 〜指先に精霊を宿した天才修理師の、のんびり直し旅〜

トンブタ

第1章 旅立ちー指先に精霊を宿す修理師ー

001-1-1 工房と、風を運ぶ精霊

 夜の工房は、今日も静かだった。

 カンテラの火が、壁に吊るした工具の影をゆらりと揺らしている。

 窓の外では小さな風が通り過ぎたのか、薄ガラスをカタカタと鳴らしていた。


(――心地よい夜。こんな日は、道具たちがよく“話しかけてくる”)


 アレックは作業机の上の油ランプを優しく見つめた。

 真鍮しんちゅうの腕が傾き、継ぎ目には細いひびが入っている。

 使い傷んだ体――

 しかし、黒ずんだ跡がどこか人の温もりを感じさせた。


「長いあいだ、頑張ったんだね」


 独り言のように呟く。

 細い指先でそっと継ぎ目をなぞると、冷たい金属の奥に滑らかさを残している。


「また独り言?」


 羽音がひとつ。

 金色の粒がふわりと舞う。

 ミュリエがランプのそばに腰を下ろした。

 街では珍しい、手のひらほどの家付妖精。

 薄緑の瞳が、カンテラの光を受けてかすかに揺れている。


「これ、また貰い物?」


「違うよ、頼まれものさ。街外れの人が持ってきたんだ。古くて誰も直してくれなかったんだって」


 アレックのまつ毛が静かに揺れた。

 澄んだ眼差し。

 妖精に視線を合わせ、笑みを浮かべる。

 ミュリエが見上げた。


「アレックのところには、壊れてるものばっかり集まってくるね」


「壊れてるんじゃなくて、眠ってるだけだよ」


「ふぅん。じゃあ、その油ランプも起こしてあげるの?」


「もちろんさ。寝過ごしてばかりだと、夜が寂しいからね」


 ミュリエが笑い、羽をひとつ鳴らす。

 アレックは苦笑して、工具を手に取った。

 ひびの部分に精油を垂らし、指でなじませる。

 金属が、ほっ、と息を吐くように音を立てると、緑の光が隙間を走る。

 真鍮がゆっくり息を吹き返すように輝いた。


「――ほら」


 火を芯に移す。

 小さな炎が生まれ、ゆっくり呼吸を始めた。

 工房の時間が、ほんの少し遅くなる。


「きれいだね」


「うん。――これで、また灯りが戻った」


「アレックの手って透き通ってるみたい。魔法が使えるの?」


「魔法じゃないよ。指先が覚えてるだけさ」


 ランプの灯りが、宙を漂うほこりの粒を照らす。

 金色の粒子が静かに漂い、影に消えていった。


 静けさが戻る――


 火の音だけが、工房の奥で微かに鳴っている。


 ――明日は神殿の使いが来るらしい。

 組合から「話を聞いてやってくれ」と頼まれていた。

 修理の依頼か、寄付の相談か。どちらにしても、静かな一日に違いない。



 翌朝。

 木の扉を叩く音で目が覚めた。

 まだ朝日が斜めに差し込み、台の上で金属の欠片が光っている。


「失礼します。修理のご相談を」


 扉の向こうに立っていたのは、白い法衣の男だった。

 胸には神殿の印章。背には布包み。

 男はそれを慎重に机の上へ置いた。


祈祷杖きとうづえです。光を失いました」


 包みを解くと、青い宝玉を抱いた杖が現れた。

 けれど、その宝玉の色はすっかり沈んでいる。


「……眠ってるな」


「え?」


「いえ、こっちの話です」


 ミュリエがアレックの肩に降り、ひそやかにささやいた。


「ねぇ、これ……冷たい。息が聞こえない」


「うん。かなり疲れてるかもしれないね」


 男は不安そうな目をしている。

 アレックは杖を手に取り、光を反射させた。

 表面には細いひびがあるが、まだ揺らぐ力が残っている。


「直せますか?」


「――やってみます」


 男は深く頭を下げて去っていった。

 扉の外で、朝の風が音を立てる。


「また厄介なのが来たね」


「そうだね。でも――この杖、ちゃんと話せばきっと目を覚ますんじゃないかな」


「ほんとに、そう思う?」


「うん。今夜、少し話してみるよ」


 ミュリエは目を細め、ランプの炎に手をかざした。

 外では鐘の音が響く。

 一日が始まったばかりだが、工房にはまだ夜の匂いが少しだけ残っていた。



 夜がまた工房に戻ってきた。

 昼の熱気はすっかり消え、外では虫の音が鳴っている。

 窓の外に広がる群青の空を見上げ、アレックは深呼吸をした。


 作業台の中央には、神殿から預かった祈祷杖。

 青い宝玉は沈黙を保ったままだが、

 朝よりもわずかに色を取り戻している気がする。


「――声を聞かせてもらおうか」


 独り言のように呟き、工具を並べる。

 ミュリエは炉の上に腰を下ろし、足をぶらぶらさせながら見ていた。


「ねぇ、これ、本当に直るの?」


「どうだろう。でも、なんとなく大丈夫な気がする」


「ふぅん、なんとなくね。そういうとこ、アレックらしい」


 彼は苦笑して、細いルーペを目に当てた。

 杖の接合部を慎重に外す。錆びた金具、緩んだ継ぎ目。

 長い年月、祈りを支えてきた金属は、疲れた人の肩のようにきしんでいた。


 炉の火を小さく灯す。

 工具が赤く染まり、工房にだいだいの明かりが落ちる。

 アレックは杖の先端の宝玉をそっと取り出した。

 手のひらに乗せると、ほんのり冷たい。


「……やっぱり、息をしてないな」


「眠ってるの?」


「そうだね。だから、起こしてあげよう」


 ミュリエが微笑み、アレックは布で宝玉を包み込む。

 何度も磨くうちに、ほんのわずかに光が揺らいだ。

 夢の中で呼吸しているのような、微かな脈動。


 炉の火がふっと強まる。

 風もないのに、工房の空気がざわめいた。

 カンテラの灯が細く揺れる。


 アレックは、火ばさみに挟んだ宝玉を炉の熱にあてた。

 彼が目を細める。

 緑の光が石の表面を覆う。

 

 ――カチリ。


 小さな音。

 時を刻むような音だ。


 石の内側が澄んだ色を取り戻していく。

 宝玉の奥に淡い光の筋が走り、銀の粒が浮かび上がる。


「――見て、アレック。光が……」


「うん。もう少しで、目を覚ますよ」


 宝玉を杖に戻す。

 カン、と音がして、杖全体が淡く震えた。

 炉の火が細く伸び、小さくかざした杖の周囲で輪を描く。

 ミュリエの羽が光を散らし、金の粒が宙を舞った。


 工房の壁がきらめき、空気が、静寂の音に変わる。

 宝玉の中に、月光のような光が満ちた。


「――おかえり」


 アレックが呟くと、杖がまた微かに震えた。

 ミュリエが息を吐き、胸の前で手を合わせる。


「ねぇ、今、風が吹いたよ。室内なのに」


「きっとパルケだよ」


 風や光の向こうで、たまに顔を出す自然の精霊。


「気まぐれだけど、良い仕事をすると、こうして風を運んでくれるんだ」


「じゃぁ、精霊に愛されてるね」


「どうかな?」


「きっとそうよ」


 夜がさらに深くなる。

 杖の光が静かな青に落ち着いた。

 アレックは炉の火を落とし、ランプを消す。

 闇の中、宝玉だけがほのかに灯っていた。


 それは、夜の底に沈む星のようで、

 どこか、彼の心の奥を静かに照らしていた――。



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