春の足音2
再びゆりかもめに揺られ、お台場海浜公園を訪れた帆花は清々しい風に迎えられた。
眼前の青い海を海上バスが航行し、白いレインボーブリッジが映える空をかもめの群れが飛び交う。展望台から眺めたパノラマが近付き、迫力ある景色に感激した。
右手に広がるビーチは延長約八百メートルの人工砂浜で、春から秋にかけて様々なイベントが催されている。
遊泳禁止だがレクリエーション水域ではマリンスポーツ活動が可能であり、ウインドサーフィンやカヌーを楽しむ人々がぽつぽつと見受けられた。
左手には自由の女神像が建ち、海釣りや磯遊びのために設けられたスペースで家族連れや釣り好きの大人がのんびり過ごしていた。
砂浜から眺めるレインボーブリッジと対岸の高層ビル群の景観はとても美しく、爽快感がある。
「響ちゃん見て、パフォーマーの人がディアボロでジャグリングショーしてるよ! すごいリズミカル」
「ほんとだ。器用だな」
「うん。あ、向こうはランニングしてる人がけっこういるね。こんな景色の中で走るのは気持ちいいだろうなぁ」
自然豊かな園内を散策し、気に入った場所で写真撮影する。臨海副都心内で最大というのも頷ける広大な敷地を歩き回るのは、運動不足を解消するいい機会になった。
じんわり汗をかき、休憩がてらマリンハウスで喉の渇きを潤していると、響也が腕時計を見遣った。
「少し遅くなっちまったが昼食にするか。腹減ってきたろ」
「いい感じにぺこぺこだよ。ここで食べちゃう?」
「それも悪くないが、今日は別な店に行こう。お前が好きそうなデザートビュッフェを予約してあるんだ。ちょうどいい時間になった」
響也に案内されたのは、台場駅直結の高級ホテルだった。
毎年大人気で予約必至のデザートビュッフェは、東京湾のパノラマビューを見晴らせるオールデイダイニングで催されている。
日中は眩い陽光が差し込み、夕暮れ以降は煌く夜景を一望できる絶好のロケーションだ。
店員に従って窓際の席に着くと、ガラス越しに広がる景色に改めて感動した。
「ただいまストロベリーデザートビュッフェを開催中です。今年は“苺×和”がテーマの、お重とお箸でお楽しみ頂ける和のデザートをご用意いたしました。心ゆくまでお楽しみ下さい」
恭しく礼をした店員が去ると、響也に料理を取りに行くよう促された。
周囲は大半が女性客で、響也をひとり残して席を立つのが憚られたが、本人は意に介さない様子で寛いでいる。
躊躇している間にも制限時間が減っていくので、厚意に甘えて料理の並ぶテーブルへ向かった。そして所狭しと並べられた宝石のようなスイーツを目の前にした途端、心が躍る。
おにぎりを模したロールケーキやたこ焼き風シュークリーム、和菓子に見立てた繊細なケーキの数々は、写真映え間違いなしのビジュアルだ。もちろん味も期待できるに違いない。
胃袋が許せば全種類制覇したくなるラインアップで、どれから攻めるか非常に悩ましかった。
「お待たせ響ちゃん、遅くなってごめんね。すぐ戻るつもりだったんだけど、どれも美味しそうでずいぶん迷っちゃった」
「はは、気にするな。お前が気に入るものがたくさんあってよかったよ。これから俺も取りに行くが、戻るのを待たなくていいからな。時間いっぱい存分に味わうといい」
「ありがとう。でも響ちゃんは甘いものあんまり食べないよね? 塩系はサンドイッチやスープがあったけど、種類が多くないから飽きるかも」
「何言ってんだ。お前が喜ぶ顔を見られた時点で十分元は取れてる。むしろお釣りがくるくらいだ。俺は俺でちゃんと楽しんでるから安心してスイーツ三昧しとけ」
安定の
澄ましている時の響也は硬質な色気を纏っており、周りを惹きつけてやまない魅力があるが近寄り難い。
けれど自分にだけ見せてくれる心を許した笑みは温もりがあり、溶けるように甘い。極上のスイーツでさえあっという間に霞んでしまう。
(こんなんじゃ一日持たないよ……!)
自戒を込めつつケーキを口に運ぶと、頰が落ちそうになり言葉にならない歓声が漏れた。
ぱくぱく夢中で食べ進めているうちに響也が戻り、帆花は内に溜め込んでいた感想を捲し立てる。
「このスパイシー苺グラタン、意外な組み合わせだけどすごく合う! ホワイトソースに香辛料の風味がピリッと効いてて、苺の甘酸っぱさを絶妙に引き立ててる。まさに名脇役。
ほうじ茶風味の苺フレジェはカスタードクリームがたっぷり挟まってて美味しい! お茶の香ばしさが鼻に抜けて後口がさっぱりするの。かなりお勧め」
美味しいものに囲まれてテンションが上がり、熱弁をふるってしまった。我に返って恥ずかしくなり、恐る恐る響也の反応を窺う。絶対にからかわれると思ったのに――
「どうした。もう終わりか?」
僅かに首を傾げて。包み込むような優しい眼差しを返し、蜂蜜よりも糖度の高い笑みを浮かべる。
「お前が一生懸命話すのも、美味しそうに食べるのも好きなんだ。もっと見たい」
愛おしそうにこちらを見つめる黒曜石の双眸。一挙手一投足を見逃すまいとする熱心な表情に目を奪われ、体中の水分が蒸発しそうだった。
(いつもと変わらないはずなのに……)
展望室にいた時に感じた微かな違和感が膨らんで心を掠め、途端に落ち着かなくなる。
向けられる眼差しが、発せられる声が、触れる指先が。これまでと異質の甘さを含んでいる気がして、鼓動が逸るのを止められなかった。
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