第6話 メイドの嫉妬と大暴走
夜の屋敷。
静まり返った廊下に、オレンジ色の灯がゆらゆらと柔らかく揺れていて、静けさが支配している。
蓮は階段を上がり、自室に戻ろうとした――その瞬間。
美桜「……遅かったですね。」
静かな声。
振り向くと、廊下の端にメイド服の影。
美桜が立っていた。
「うわっ!?」
蓮は思わずのけぞる。
まるで“静かに怒っている母親”と“上司”と“恋する乙女”を足して3で割ったような表情がそこにあった。
「あ、美桜さん……? えっと、まだ起きてたんだ」
「ええ。待っていました。」
少しだけ笑みを浮かべている。けれど、その瞳の奥は妙に冷たい。
「そんな、無理しなくてもよかったのに。俺、ちょっと出てただけで――」
「“どなた”とですか?」
ピタリ。
空気が止まった。
「え?」
「“どなた”とお出かけだったのですか、と伺いました。」
蓮の返事を待つ前に、背後の電球がチカチカと鳴った。
なんだこのホラー演出。
「えーっと、朝霧さんと……その、演劇部の。」
「……全然、反省していませんね。」
声は静か。だが、確実に温度が2度下がる。
蓮は冷や汗をかいた。
沈黙が落ちる。
廊下の時計の音だけが、やけに大きく響く。
「ちょっ、待って、美桜さん!? 俺、別にデートとかじゃ――」
「じゃあ、なんですか? 偶然出会ってたまたま昼食を共にしたと?」
「その説明で合ってるんだけど!?」
再び沈黙。
美桜は唇を噛みしめる。
「ねぇ、美桜さん?」
「……はい。」
「怒ってる?」
「怒っていません。」
「それ、完全に怒ってる人の返しだよね!?」
一瞬、美桜の唇が震えた。
しかしすぐに表情を戻し、静かに言う。
「私は、ただ……少し、心配だっただけです。」
「心配?」
「はい。蓮様が、どなたかに“取られてしまう”のではないかと。」
「と、取られるって……俺、モノじゃないし!」
「ええ。ですから余計に……怖いのです。」
――怖い。
その一言で、蓮の胸がわずかに痛んだ。
「……わたし、こんな自分、嫌いです。」
その言葉に、蓮の胸がずしんと痛んだ。
感情をどうすればいいか分からない――そんな表情。
美桜は視線を落とし、ぎゅっと胸元を握りしめる。
「もう、ずっと……我慢していました。
主としてではなく、“あなた”として見てしまう自分を。」
蓮は一歩、彼女に近づいた。
廊下の光が二人の影を重ねる。
「美桜さん……」
「……ごめんなさい。言うべきではありませんね。」
そう言って背を向けようとした瞬間――
「待って」
蓮の手が、彼女の手首を掴んでいた。
美桜は小さく息を呑む。
その指先の温度が、驚くほど熱く感じられる。
「俺も、どうすればいいかわかんないよ。」
「……え?」
「美桜さんのこと、怒ってるとか、困ってるとかじゃなくて。
ただ、ちゃんと向き合わなきゃって思ってる。」
一瞬、彼女の瞳が潤む。
けれど、彼女は首を横に振った。
「蓮様は……優しすぎます。だから、いけないんです。」
「いけないって、なにが――」
その瞬間、美桜が蓮の胸に飛び込んできた。
ふいに感じた柔らかな重み。
蓮は一瞬、呼吸を止めた。
「み、美桜さんっ……!?」
「……放っておけません。」
その声は泣きそうで、でも決意に満ちていた。
蓮はどうしていいかわからず、両腕を宙に浮かせたまま固まる。
「い、いや、あの……これは、その……」
「静かに、していてください。」
「え、えぇ!?」
彼女の指が、そっと彼の背に回る。
温かくて、優しい。
けれどどこか切ない。
「……怖いんです。
私が何かを言えば、きっと蓮様は“困る”って。
だから黙っていました。
でも、もう……無理でした。」
気づけば、蓮は彼女の肩を抱いていた。
ほんの一瞬。
でも、それは“恋愛”というより、“人として心配”だった。
それでも、美桜の中で何かのスイッチが――カチンと入った。
数分後。
リビング。
蓮はソファに座り、美桜に正面から説教されていた。
「主が女子生徒と外で食事など、ありえません!」
「えっ!? メイドなのに校則みたいなこと言う!?」
「メイドですから!」
完璧な論理の暴走。
蓮は頭を抱えた。
「そもそも昼食ってだけで何でそんな――」
「“そんな”!? ……そんなって言いました!?」
「はい、言いました! 撤回しますすみません!」
完全に主従逆転である。
だが、そんな美桜が、急にしゅんと黙った。
次の瞬間、ぽつりと。
「……わたし、メイド失格ですね。」
蓮は息をのむ。
「そんなことない。美桜はちゃんとやってる。」
「嘘です。主に想いを寄せるなんて……最低です。」
その小さな声は、静かな雨音に紛れた。
窓の外では、しとしとと夜の雨。
「でも……俺、嫌じゃないよ。」
言った瞬間、自分でもびっくりした。
正直、なんでそんなセリフが口から出たのか分からない。
だが、美桜は目をまんまるにした。
「……そ、そんなこと言わないでください……!」
「え? なんで?」
「もう、ブレーキ踏めません!」
「車か!?」
言ったそばから――
美桜が突然、蓮の両肩を掴んだ。
「もう、知りませんっ!」
「ちょ、美桜!? 近い!近い近い近い!!」
彼女の顔が急速接近。
わずかに触れた髪が頬をかすめる。
蓮の頭の中は完全に真っ白だった。
「……主は、私のこと……どう思っているんですか?」
「(考える時間もくれないの!?)」
「お、落ち着いて! まず紅茶でも淹れて――」
「落ち着けません! 紅茶じゃ抑えられません!!」
「お湯、沸かしとく!?」
「そういう問題じゃないです!」
二人の声が夜の屋敷に響く。
雨音より、心拍音のほうが大きい。
最終的に――
二人は、口喧嘩の末、ソファで並んで座ることになった。
沈黙。
その沈黙の中に、なんとなく安心があった。
「……怒ってないですか?」
「いや、怒る理由がないよ。むしろ、怖かったの俺の方。」
「私、そんなに怖かったですか?」 「うん、あの時の迫力、軽くBOSS戦。」
「ボス!?」
「勝てる気しなかった。」
少しの間。
二人は目を見合わせ――そして、ふっと笑った。
雨音がやわらかく変わっていく。
「……すみません。ほんとに暴走しました。」
「うん。でも、たまには暴走してもいいかも。」
「では、次は全力で。」
「いや、制御して!」
笑いながら、蓮はソファの背にもたれる。
美桜も隣に座り、肩を寄せた。
「……主の隣、落ち着きますね。」 「うん、俺も。」
いつの間にか、二人の呼吸がゆっくりと重なっていった。
そのまま、言葉もなく――夜は静かに更けていく。
鳥の声。
柔らかな光。
まぶたをくすぐる太陽のぬくもり。
「……ん、朝か……」
目を開けると――
目の前、わずか数センチの距離に、美桜の寝顔があった。
「……っ!? 近っ!? 近いってレベルじゃない!!」
しかも美桜の手は、しっかり蓮の袖を掴んで離さない。
その姿が、あまりにも穏やかで――可愛い。
「……なんで俺、ドキドキしてんだよ……。」
昨日の記憶がじわじわ蘇る。
夜の騒動、説教、暴走、そして……運動してから寝落ち。
「……ん……蓮さま……」
「寝言が尊い!?」
目を覚ました美桜と、気まずい沈黙。
1秒が10分に感じる。
「……おはようございます、蓮様。」 「お、おう……おはよう。」
美桜は袖を離し、頬を染めて小さく微笑んだ。
「寝取りとかじゃないよな……?」 「……寝取り、とは何の話です?」 「あ、いや、なんでもないです。」
「……ふふ、昨夜はすこし、騒がしくしてしまいましたね。」
「(違う意味で言わないで!?)」
お互いに赤面。
屋敷の空気がほんのり甘くなる。
「……きちんと責任取らないと。美桜、俺と付き合ってくれ。」
「お断りします。」
「早っ!?」
「私のことを“本当に”好きになったら、もう一度告白してください。その時、必ず返します。」
その言葉に、蓮は思わず笑った。
「じゃあ……今度の休日、一緒に遊びに行かない?」
「え?」
「デートじゃなくていい。ただ、ちゃんと話したい。」
「……はい。主命とあらば。」
「いや、そこは“うん”でいいから!」
「ふふっ……癖なんです。」
朝の光が二人を包みこむ。
恋の始まりは、まだ名前もつかないまま――
ただ、静かに息づいていた。
廊下の角から、メイド長の声。
メイド長「……おや、蓮様、朝から顔が赤いですね?」
蓮「な、なんでもないです!」
美桜「(小声)……主の照れ顔、かわいい……♡」
蓮「聞こえてるからぁぁぁっ!」
屋敷に響く、ふたりの声。
それはまるで――恋の始まりの鐘の音のようだった。
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