第3話 黒曜機構

「……柘榴?」



 夜空は確認するように呟いた。

 目の前の少女の見た目が、夜空自身の記憶する柘榴の姿とは少し違っていたからだ。その記憶が正しければ『橘柘榴たちばな ざくろ』という少女の髪型はショートカットにしていたはずだ。

 現代において髪型を変えることはそう珍しくないが、疑問を抱いたのは結花も同じことだった。



「あ、久しぶりです柘榴先輩! イメチェンですか?」


「ん、そーそー。そんな感じ」



 元気よく問いかけると、柘榴は結花の頭を雑に撫でながら笑みを浮かべる。



「にしても、活動頑張ってるみたいじゃん。ニュースで見たぞ」



 撫でる手が強くなる。

 今や街で囁かれる話題は、その殆どが魔法少女『アウロラ』に関するものが占めていた。

 曰く――IASAで秘匿されていた最強の魔法少女である。

 曰く――その正体は‪魔法少女養成校の卒業生である。


 情報の真偽はともかく、柘榴は嬉しかった。

 柘榴にとっての結花は自らの後輩にして、数少ない友人のひとりでもある。

 多くの模擬戦を共にした人物が脚光を浴びているのは、存外にも鼻が高かったのだ。



「そんな、柘榴先輩だって――」


「あたしは別だ。前線で戦ってるわけじゃねぇし、オマエほどの熱意があるんじゃない」



 柘榴は、治癒という固有魔法を極めた特異な存在だ。

 その能力を政府に買われた為に活動しているに過ぎず、進んで人を助けたいわけではない。

 国内を飛び回っているのだって、その目的の大半はただの金稼ぎである。



「息抜きに来たんだろ? コインやるよ」


「え、でもそれってルール違反じゃ……」


「なぁに、バレなきゃ問題にゃならねぇよ。だし、渡すのは三枚。スロットたったの一回分だ」



 柘榴はニヤリと口角を上げる。

 その挑発的な視線は、まるで「増やして見せろ」とでも告げているかのようだった。


 ふたりは受け取ったコインを手に、近場のスロット台の前に腰を下ろした。



「やり方は簡単だ。まずはコインを三枚入れる。んで、ボタンを押してリールを止める。横か斜めで三列揃えば当たり――ま、言って聞かせるよりやって見せた方が早ぇだろ」



 柘榴が手本を示す。

 赤や金、青の光が激しく回転し、テンポの良い電子音が耳に響く。

 いとも容易く三列を揃え、音と光がポップに弾けた。



「ざっとこんな感じだな。やってみろ」



 まず夜空がコインを入れ、リズム良く停止ボタンを押す。

 魔力によって補強された夜空の動体視力がタイミングを見極め、簡単にジャックポットを揃えた。


 結花の方は、少々苦戦している。変身後でなければ魔力を自在に練るのは勿論、視認することも困難を極めるからだ。

 夜空のように日常で扱う者は稀も稀。最早国内で唯一と言っても過言ではない。

 試行錯誤し、手元を何度も調整しながらようやく一列が揃った。



「……変身前の魔力操作訓練として使えるね」


「なんか違う楽しみ方見出してるし……!」



 結花が悔しげに呟く。

 暫く三人は、互いの声援や電子音に包まれながら遊び続けた。

 コインを何度も入れ替え、当たりの感触に小さな笑い声が重なる。


 結花が「お花摘みに行ってきます」と一言告げ席を外すと、この場には柘榴と夜空のふたりだけが残った。

 途端、柘榴の表情が真剣なものに変化する。



「……騒がしい場所って、良いよなぁ」



 柘榴が小声で夜空に囁く。

 密談は、必ずしも人目のない場所で行うものではない。寧ろ静まり返った場所よりも、こうした雑音の中の方が適している場合もある。

 木を隠すなら森の中……そういう感覚に近い。


 夜空がタンッ――とボタンを押し、軽やかな電子音が流れる。



「……初めからそのつもりで?」


「んにゃ、ただの偶然。でも都合良いだろ、こーゆー内緒話にゃ特にな」



 柘榴は少し視線を落とし、声のトーンを抑えた。



「……『黒曜機構こくようきこう』は知ってるな?」



 夜空の目が細まり、眉間に皺が寄る。


 魔力、魔法の研究を日夜行う政府非公認の組織。それが『黒曜機構』の実態だ。

 しかし、その本拠地は六年前に壊滅しているはずだ。

 柘榴の口からそんな組織の名が出たことに、夜空は違和感を覚える。



「知ってる……けど、詳しいことまでは何も。なんで今になって?」


「その亡霊が動いてるらしい。昔は魔法少女の研究――人体実験みたいなことやらかしてたらしいが、今度はその対象を穢れにシフトチェンジしてるっつー話だ」


「人体実験? そんなの、記録には……」


「公に出せねぇことも多々あんだろ。あんま大きな声じゃ言えねぇが、あの炎災にも、もしかすると絡んでたかもしれねぇ」



 柘榴は言葉を続けようとしたが、その視界の端にはこちらに向かって歩く結花の姿が映った。咄嗟に誤魔化すように、柘榴は咳払いをする。



「んんっ……ところで、昔みてぇに『柘榴おねーちゃん』って呼んでくれねぇの?」


「……子供の頃の話じゃん。いつの話してるのさ」


「え! ふたりって姉弟なんですか!?」



 結花が目を丸くし、驚きの声を上げる。



「大体あってんな」


「言ってなかったっけ。一時期……多分、半年にも満たないくらいかな? おばさんと柘榴に面倒見て貰ってた時期があったんだよ」


「へぇ、詳しく知りたいです」



 結花が身を乗り出し、興味津々に詳細を尋ねる。



「ここでするような話じゃないし、なんの面白味もないから気が向いたらね。……第一、昔のこと過ぎて殆ど覚えてないんだ」


「あたしが十二の時だったな。可愛かったぞ〜、あの頃のコイツは。今やすっかり無愛想になっちまって……」


「いい加減な情報を触れ回るのやめて。……あ、負けた」



 夜空の指先に力がこもる。

 リールが甲高い音を立てて止まり、激しい光は鳴りを潜めた。

 代わりに“LOSE”の文字が点滅する。



「……帰ろっか」



 夜空が軽く息を吐いて立ち上がる。

 柘榴は何かを言いたげに言葉を詰まらせたたが、その言葉は音にならなかった。






 モールの照明が一つ、また一つと落ちていく。

 閉館アナウンスが遠くで流れ、店内の人影は最早ひとつも無かった。

 夜空と結花、それから柘榴の三人は、商品や景品の入った大きめな紙袋を携えながら出口へと向かう。


 笑い合う声が止んだのは、自動ドアを潜った直後だった。

 突然足元がぐらりと揺れ、結花は尻餅をつく。



「痛た……地震?」


「にしては揺れ方がおかしい。まるでこの建物だけ揺れたような感じだったが――夜空?」



 柘榴が問いかけて尚、夜空は反応を示さなかった。



「……魔力が澱んでる」


「スパン短ぇな……普通はもっと――いや、普通じゃねぇのか」



 柘榴が低く呟いた瞬間だった。自動ドアが中途半端に開いたまま、金属同士が軋んだような音を立てて止まる。

 外の空気がどろりと流れ込み、酸化した鉄のような匂い――穢れの気配に、思わず顔を顰める。



「外……じゃねぇよな。振動の発生源は下からだった。地下駐車場か?」


「結花はまだ残ってる人の捜索、避難誘導を。僕と柘榴が様子を見てくる。……最悪、この建物ごと巻き込むかもしれない」


「ま、待ってください、先輩! 上階で怪我をしている人がいるかもしれませんし、私が下の階に行った方が良いんじゃ……!?」



 夜空の指示に、結花は言葉を詰まらせる。

 その声色には恐怖こそ無かったが、焦りと迷いが滲んでいた。

 結花にとって今回の出来事は、人生上初となる突発的な穢れの出現。それも完全に予想外のタイミングでのものだった。


 夜空は一拍間を置き、やがて口を開いた。



「違う。この場合最も危険な場所は地下だ。上の階は避難路さえ確保すれば、後からどうとでもなる」



 そう短く、簡潔に伝える。

 結花は唇を噛み、悔しそうに俯いたが、すぐに顔を上げた。



「……そういうことなら、分かりました。上は任せてください!」



 止まったエスカレーターを駆け上がり、結花の背中が闇に溶けていく。

 残された二人は目を合わせ、無言で頷き合った。


 柘榴が袖をまくり、夜空が全速力でフロアを駆ける。

 返信せずとも、その身体能力は凄まじいものだ。車すら凌駕する速度で非常階段へ続く扉を蹴り開け、地下へと続く螺旋階段を飛び降りる。

 暗闇の奥から、生暖かい湿気と、何かが蠢く気配が滲み出していた。






 その穢れに、特別な号は無かった。

 存在が不完全なまま現れてしまった。故に具体を持たず、その性質は液状生命に近かった。


 穢れとは、人が、草木が、虫が……生命と呼ばれる括りが何かへ抱くの集合体である。

 炎災の後、人々は被害が広がった言い訳を探した。家族を救えなかった言い訳を探した。

 黒曜機構という名はまさしくその受け皿であり、人々が世界に押し付けた責任と恐怖の残滓だった。






 地下駐車場の空気は、湿ったコンクリートに生臭いカビのような臭いが混ざり、普段と異なる重苦しい気配が漂っていた。

 黒くどろりとした液体が金属光沢を放ち、意思を持っているかのように脈打つ。


 非常階段へと繋がる金属のドアが蹴り破られ、既に変身を終えた夜空が勢いよく入って来た。

 勝負は一瞬で終わらせる。言葉を介さない無言の気迫に、その穢れはたじろいたような反応を見せた。


 夜空は即座に腕を構える。

 生存者への注意は払った。幸いにも怪我人は少ないらしい。

 ぽつぽつと感じる生命の鼓動を巻き込まないように魔力を解放し、煌めく弾幕を生成する。



「借りるよ……【光弾・乱シャイン・バレット】」



 薄暗かった空間に、激しい光が瞬いた。

 空間を埋め尽くすその嵐は数十秒続き、穢れの肉体は塵になったかのように思えた。


 夜空は小さく息を吐く。

 その直後、柘榴が駆け込む。



「ありゃ、もう終わってんのか」


「怪我人が増える前に終わらせるのが最善でしょ。……それに、まだ気は抜けない」



 穢れが動き、欠けた部分から再生しようとする。その形状はどこか生物的で、べちゃりとスライムを潰したような耳障りな音を立てる。


 柘榴が息を飲む。



「うぇっ、気持ち悪」


「思ったよりも体積がある……いや、耐えたのか」



 ともすれば長丁場になるだろう。面倒だ。

 夜空はふと考える。



――敵は液状だ。普通に考えてそこまでの硬度は無い。ダイラタンシー的な性質があるのか……?



 ならば答えは簡単だ。

 敵がこちらの攻撃に合わせて硬度を上げるのなら、それ以上の威力で捩じ伏せてしまえば良い。


 右腕をだらんと脱力し、から魔力を集中して流す。



「ふぅ……よし」



 気付けば、その手には一振の剣――のように薄く練った魔力な握られていた。

 仄暗い空間が、わずかに青白く灯る。

 バリバリッ――と稲妻が走る音を立て、やがてそれは形状を安定させた。


 魔力の大剣。

 夜空は自らの身長よりも大きな塊を全力で振るう。

 閃光が地下駐車場を照らし、放たれた光の刃は穢れを真っ二つに切断した。


 粉塵と砂埃が舞い上がり、わずかに焦げた匂いが立ち込める。

 液体は二つに分断され、それ以上の反応は見せなかった。



「けっ、今回も出る幕無しかよ」


「柘榴はこれからが出番でしょ」


「そらそーだけどさ。観客は観客なりにヒリつく勝負を求めてんだよ」



 重苦しい地下の空気が、ようやく落ち着きを取り戻す。金属の床に残る足音と、微かに漂う鉄錆の匂いだけが、戦闘の痕跡を物語っていた。






 結果的に、この事件で怪我人は出なかった。地上の結花も、少し時間を置けば合流するだろう。


 崩れたコンクリート片の隙間から白煙が上がる。蛍光灯の半分は割れ、地下駐車場は半ば暗闇と化していた。


 状況が落ち着いたのを確認した夜空は肩を落とし、深く吐き出すように息を吐いた。

 視線を横にやると、柘榴が瓦礫の上に腰を下ろし、額の汗を拭っている。

 戦闘直後とは思えないほどの落ち着きだったが、その眼差しは鋭く、思考の奥で何かを組み立てているようだった。



「……までも、これでハッキリしたろ」


「何が……って、ああ」



 夜空はすぐに察した。あの異様な再生速度、不透明な恐怖の根源。

 自然発生とは程遠い挙動だった。



「そ。明らかに発生周期が短くなってる。さっきも言ったことだが、奴らは穢れの実験、研究を行ってんだ」



 柘榴の声には確信があった。指先で焦げた床をなぞりながら、淡々と続ける。



「近年の穢れの発生件数の増加に、ほぼ間違いなく関わってる」



 夜空は小さく頷いた。

 黒曜機構。十年前に壊滅したはずのその名が、ここにきて再び現実味を帯びている。

 今回の穢れ。それは人の恐怖から生まれる自然発生的な存在とは明らかに異質だった。


 

「今後、小中規模の穢れが連続して発生する可能性がある……」


 

 夜空は額に手を当て、空を仰ぐように言葉を漏らす。



「……しんど」



 そんな夜空を、柘榴は鼻で笑う。



「くはっ、気持ちは分かるがな。調べによると、西より東の方が最近の発生件数は多い。隠れ家があったりしてな。……申請さえすりゃ、あたしもまたこっちに住めるか?」



 半ば冗談めかした口調だったが、夜空は黙って頷く。



「その前に報告しなきゃだね」



 夜空は小さく息を整え、ポケットから通信端末を取り出す。



「ずっとソレ持ち歩いてんのか?」


「仕方ないでしょ、仕事なんだし。えーと内容は……東都全二十三区で警戒態勢を取る必要――」



 伝える言葉を纏めるよりも早く、視界がぐらりと揺れた。緊張の糸が切れた反動か、身体が一瞬ふらつく。



「……うぷ」



 柘榴がすぐに支える。大げさなほど優しく、背中をを撫でた。



「はいはいよしよし」



 黄緑の光が、夜空を優しく包み込む。


 夜空は苦笑を漏らしながらも、背に感じる手に安心に近い感覚を覚える。

 夏の始まりとはいえ、夜になれば空気は冷たい。が、そこには確かな温かさがあった。

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