第2話「幼馴染は変化する」

 ヤッてしまった。

 幼馴染と一線を超えた翌日の朝を、俺はこの上なく憂鬱な気持ちで迎えた。

 これほど憂鬱な気分になったのは花音で夢精した時以来だろうか。

 尋常ではないほどに、気まずい。



「優、さっさと食べないと遅刻するよ!」

「ああ、わかってるよ」



 似鳥家の家族構成は俺と母の二人だけだ。

 父を早くになくし、兄弟はいない。

 朝早く家を出て、夜遅くまで働いて帰ってくる。

 そんな生活様式が幸いして、昨日の秘め事は家族には知られていない。



「あいったあ」



 椅子に座ると、痛みが走り、顔が引きつるのがわかった。

 入念にほぐしたしローションも使ったのだが、流石に痛みはまだ残っている。



「あんた……」

「な、なんだよ」

「痔にでもなった?」

「違う!多分……」

「はあ?」



 煮え切らない返事に母は首をかしげた。

 無理もないと思うが許して欲しい。

 俺だって、これが痔ではないという確証は持てないのだ。

 あんまりひどくなるようだったら病院に行こう。



「じゃあ、私は仕事だから、洗い物頼むわよ!行ってきます!」

「ああ、行ってらっしゃい」




 四十を超えたとは思えないきびきびした速度で部屋を出ていった。

 我が母とは思えないくらいせわしない人だ。



「はあ、もうこのまま今日は引きこもろうかな」



 ため息をつきながら、俺は二人分の食器を洗い始めた。

 油汚れと同じくらいには、昨日の記憶も流れてくれたらいいのになと思わずにはいられなかった。



 ◇



「結局、家を出てしまった……」



 朝八時。

 正直に言えば学校に行きたくないし、家から出たくもない。

 何より、嫌なのは事実を確認することだった。

 あれだけのことをしておいて、おそらく花音は何も意識していない

 それを確認するのが、怖かったし辛かった。

 毎日一緒に登校しているし、学校でも同じクラスだから嫌でも顔を合わせる。

 一方的に意識しているのは俺だけであるという、再三認識してきた事実をまた確認させられるのが嫌で嫌でたまらなかった。

 しかし、学校を休むと親に心配をかけてしまう。

 なので、仕方なしに家を出て、門をくぐり。

 


「「はあ……」」

「「ん?」」



 ため息が、俺の左側から聞こえてきた。

 聞き覚えのある声と息遣いだなと思いながら隣を見ると。

 隣の家の門をくぐって出ようとした花音と、鉢合わせたところだった。

 いつもこうして待ち合わせるでもなく自然と一緒に登校しているのだから当然の話ではある。



「ああ花音か、おはよう」

「…………」



 とっさに、冷静さを取り繕い、俺は花音に声をかけた。

 会うまでは憂鬱だったが、実際に顔を合わせてみればそれほどでもないな。

 恋心を彼女の前で押し隠すようになって何年もたつのだから、当然と言えば当然だろうか。




「花音?」

「…………」



 返事がない。

 いつもなら、挨拶を返したりボディタッチをしてきてこちらがどぎまぎするのが常だというのに。

 こちらを見たまま、動き出す様子もなく硬直している。




「花音?」

「え、あ」



 いや違う。

 表情も体勢も全く変わらないが――変わらないまま少しずつ顔色だけが赤くなっていく。

 俺の方を大きな瞳で見つめたまま。



「花音?お前大丈夫か?熱でもあるんじゃ」

「な、何でもないよ!!」



 顔を真っ赤にしたまま、ようやっと花音は口を開いた。

 いやなんでもないようには見えないのだが。



「いや顔赤いし、熱あるんじゃないか?」



 一歩、花音に近づいて熱を測ろうとする。



「ひゃっ」



 しかし、花音の額に触れようとした手は空を切る。

 花音が、俺から二歩後ろに下がって離れたからだ。



「あ、あの、ボク本当になにもないから!大丈夫だから!」

「え、ちょっと」

「ボク、先に学校に行ってくるね!」

「待っ」



 花音は鞄を抱えたまま走り出した。

 一度転びかけて、なおも止まらず走り続ける。

 止める間もなく、茫然と見送るしかなかった。



「なんでだ?」



 何か失礼なことを言っただろうか。

 特に覚えはないんだがな。

 可能性がほかにあるとしたら。



「昨日のことで、俺を意識してる、とか?さすがにないか」



 自分で言っておいてなんだが、その可能性だけはあり得ない。

 そもそも、異性として意識していないからあんな頼みごとができたわけで。

 


「そうだったら、どれだけ楽か」



 自嘲するように、一人ごちて。



「やばい、遅刻する!」



 俺も学校への道を急いだ。


 

 

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