第16話
〈プレイヤーズ・ハイ〉の店主にしてドラァグクイーンのママ・ストロベリーは、アトランヴィル裏社会きっての情報屋だ。彼女の手にかかって掴めない情報はないと言ってもいい。
ママ・ストロベリーとヴォルフは、互いに上得意先という間柄で、付き合いも長い。得意先というだけではなく、尊敬し合う仲間でもある。
俺はママの個人オフィスに通され、上等な革のソファを勧められた。座ると腰まで沈むほど、クッションが柔らかい。
ママ・ストロベリーは、一旦オフィスの奥の部屋に引っ込んだ。しばらくして、琥珀色の液体と水晶のような大きな氷の入ったグラスを両手に持ち、にこにこしながら戻ってきた。
「見て見て。綺麗な色でしょ? 先週仕入れた〈シャンボワージェ〉よ。アナタのために開けちゃった」
「それはまた、随分と気前がいいな。高かっただろう」
〈シャンボワージェ〉は、高級ブランデーの代名詞とも言える銘柄である。最も安いものでも、三十万クローツは下らないはずだ。
「でも、俺は酒の良し悪しは分からないぞ?」
多少は飲めるしそれなりに好きだが、だからといって、高級品とそうでない酒の味の違いなど区別がつかない。
俺の言葉に、ママ・ストロベリーは口元を綻ばせた。
「いいのよ。いいお酒をいい男と飲めるだけで、アタシは満足なんだから。一杯くらい付き合って」
ママはそう言って向かいのソファに座り、グラスを一つ差し出した。俺はグラスを受け取り、そのまま乾杯する。二つのグラスが触れ合うと、透き通った氷が、からん、と鳴った。
グラスを軽く回してから、〈シャンボワージェ〉を一口含んだ。深い味わいが口の中に広がり、芳醇な香りが鼻を通る。たしかに美味い。が、やはり無粋な俺には、リーズナブルなブランデーとの味の違いは分からなかった。庶民的価格の酒にも、美味いものはある。
グラスの中の琥珀の泉に浮かぶ氷を見て、俺はレジーニを連想した。
怒りと憎しみを拳に纏わせ、猛る烈情に任せて吹雪いた凍てつく心。
今頃どうしているだろう。ちゃんと自宅に帰り着いただろうか。通りすがりのチンピラグループに、八つ当たりなどしていなければいいが。
セリーンを送り届けたあと、何度か電話をかけてみたものの、一度も出てくれなかった。
「それで、最近はどうなの? 新人の監督者っていう初体験は? 訊きたいことがあるっていうことだし、まとめて話してくれる?」
ストロベリーはグラスをテーブルに置き、膝に腕を乗せて身を乗り出す。
俺もまたグラスを置いて、レジーニと奇妙な“師弟関係”を築いた日のことと、つい一時間ほど前に起きた出来事を話した。
ストロベリーは俺の話を、時折頷きながら、黙って聞いていた。話が終わると、グラスを取り上げてブランデーを飲み、
「なるほどね」
淡いため息とともに、そう呟いた。
「事情は分かったわ。バージル、アナタが知りたいのは、その四人組の素姓ね? 誰かのグループに属している可能性だってあるもの」
「ああ。話が早くて助かる」
頷く俺に、ストロベリーは含みのある微笑みを見せた。
「いいわ、調べておいてあげる。昔の
「ま、待て、違う。セリーンは別に……俺と彼女との間には、何もなかったんだ。これは、その、昔の後輩が乱暴されそうになったんだから、気にするのは当たり前だろう」
平静を装ったつもりだが、意に反してどもってしまった。ストロベリーはますます愉快そうに笑う。
「平常心の化身のようなアナタでも、女の子のために動揺を隠せなくなることがあるのね。ちょっと安心したわ」
「安心?」
「そ。アナタも一人の男だってこと。普段は見せないけれど、人間の男らしい部分をちゃんと持ってる。アナタのそういう不器用なトコ、好きよ」
「からかうなよ」
「からかうわよ、面白いもの」
言い切ったストロベリーは、口元に片手を添え、上品に笑った。
それから、ふっと表情を曇らせ、またグラスを置いた。
「それより、レジーニが心配だわね」
「ママは、レジーニを知っているのか?」
情報屋の彼女とはいえ、アトランヴィル中の
「知ってるというか。ねえバージル、数年前ここでバイトしてた、ギター弾きの女の子のこと、覚えてる?」
尋ねられた俺は、ストロベリーに頷いてみせた。もちろん覚えている。
その女の子は、珍しい淡い色味の赤毛の持ち主で、ショーバンドのギターを担当していた。ショータイムでない時は、ウェイトレスとして働き、野うさぎのように店内を駆け巡っていた。
よく働き、よく喋り、何よりもよく笑う子だった。
あの子は向日葵。光を振りまく太陽の子だ。
ミュージシャンになる夢を叶えるために、田舎から出てきたのだったな。今頃はどうしているだろう。
物思いにふけりながら煙草を取り出し、火を点けようとした俺の手は、ストロベリーの一言によって止められた。
「あの子、レジーニと付き合ってたの」
思わずストロベリーを凝視する。グラスの中のブランデーに注がれるドラァグクイーンの瞳は、
あの子がレジーニの恋人。
レジーニは、大切な誰かを、ヴェン・ラッズマイヤーに殺されたのではなかったか。
殺されたのは、あの子なのか。
「婚約してたのよ、あの二人。レジーニはラッズのもとから足抜けして、あの子と生きる道を選ぼうとしてたの。だけど」
語るストロベリーの声色は低く、こすれ合う枯葉のように乾いている。
「その見せしめに、あの子は殺されたの。ラッズと、奴の部下たちに……ひどいことをされて」
それ以上は聞かなくても分かる。俺は身を乗り出し、辛そうに唇を歪めるストロベリーの手を握り、もう喋らなくてもいいと、目で合図した。
ギター弾きの彼女は、ラッズマイヤーとその配下数名から暴行を受け、殺されたのだ。
彼女と言葉を多く交わしたことのない俺でさえ、理不尽で残忍極まりない所業に、今、激しい憤りを感じている。それが恋人であったなら、その怒りと憎しみはいかばかりだろう。
先ほどの出来事、チンピラ相手にレジーニがあれほどまでに荒れ狂ったのは、恋人の悲劇と重ねてしまったからに違いなかった。
「ママ、もう一つ訊きたい」
「なあに?」
「レジーニがどこに住んでるのか教えてくれ」
ストロベリーは俺の目を覗き込んだ。
「行くの?」
「ああ」
「入れてくれないかもよ?」
「かまわない」
こちらから手を差し伸べ続けなければ、彼は本当に、一人でどこかへ行ってしまうだろうから。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます