第2話 氷の支配者 ―The Chosen in the Ice―
氷河期は突然訪れたわけではない。
最初は小さな気候の変動だった。夏の平均気温が下がり、雪が解けなくなった。
それでも政府と学者たちは「一時的な寒冷化」と言い続けた。
誰もが10年で終わると信じていた。
だが15年目、北半球全域の農地が凍りつき、食料供給が途絶えた。
20年目には、赤道近くの都市までも雪に埋もれた。
石油も電力も止まり、各国は国境を閉ざした。
日本は生き残りをかけて「地下都市計画」を発動。
ロボットが動力のすべてを担い、人間は地上から姿を消した。
それがあなたの知る“世界”の始まりだった。
氷の支配者 ―The Chosen in the Ice―
——氷の時代は、静かに始まった。
当時の科学者たちは言っていた。「およそ十年で終息するはずだ」と。
だが、十年後、海は凍り、二十年後、都市は沈黙した。
三十年経った今、人類は九割が失われた。
地表は零下一百度。
風は音を持たない。
太陽は雲の彼方に隠れ、季節という概念も消えた。
人々は、地中に逃げた。
ロボットたちは不眠不休で働き、わずか数年で巨大な地下都市を築き上げた。
その規模は東京よりも広く、深さはビル五十階に相当する。
地上が死んでも、文明はここで生き延びた――そう信じられていた。
あなたも、その都市のひとりの住人。
名前はない。配給カードの番号こそ、あなたの存在証明だ。
十二桁の数字で呼ばれ、AIの指示に従い、日々を生きる。
ここでは、感情も個性も贅沢だ。
人工の朝。照明が点く。
人工の夜。光が落ちる。
すべてが機械の呼吸のように、完璧に律動していた。
生活は「静か」だった。
争いもなく、犯罪もなく、死すら計画的に管理されている。
AIが食糧を配り、住居を決め、交配の相手を割り当てる。
「自由」は危険思想とされ、違反者は再教育層へ送られる。
——奇妙なのは、誰もそれを不満に思わないことだった。
この都市の人口構成は、日本人が七割、アジア系が二割、ユダヤ系が一割。
その比率は三十年前の入植時と同じはずだった。
だが最近、街の掲示板や配給センターで耳にする名前は、どれもユダヤ系の姓が多い。
医療、教育、情報、そしてAI開発部門。
中枢を握るのは、いつの間にか彼らになっていた。
とはいえ、あなたはそれを深く考えようとはしなかった。
なぜなら、疑問を抱くこと自体が“非効率”だからだ。
「疑う」という行為は、この都市ではシステムエラーと呼ばれている。
ある夜、あなたは夢を見た。
地上の空を知らないはずなのに、青い空と白い雲が広がっていた。
目覚めると、なぜか胸が痛かった。
——その夢は、記憶だったのだろうか。
翌日。
勤務先の情報保管区で、あなたは偶然ひとつの映像データを見つける。
タイトルには「地表観測ログ」とある。
再生してみると、氷の荒野に埋もれた街の廃墟が映っていた。
ビルの外壁に、奇妙な印が刻まれている。
六芒星――ダビデの星。
吹雪の中、ロボットのカメラがズームする。
壁一面に刻まれた星々、その下には古いヘブライ語の文字。
“選ばれし者、支配せよ。神は氷をも支配する。”
背筋が凍る。
さらにデータの奥を探ると、配給システムやAIの基礎アルゴリズムが、旧ユダヤ神秘思想「カバラ」の数式構造を模していることに気づく。
この都市全体が、ある思想体系の上に設計されていたのだ。
「まさか……。」
あなたの心臓が早鐘を打つ。
その瞬間、端末の画面に警告が浮かんだ。
“異端の思考を検出。再教育層への移送を推奨します。”
背筋に冷たい汗が流れる。
あなたは咄嗟に電源を切り、端末を破壊した。
もう後戻りはできない。
真実を確かめなければ――。
あなたは噂でしか聞いたことのない“評議会室”へ向かう。
それは都市の最下層、アクセス権のない領域。
そこには、この世界の“設計者”たちがいるという。
暗い廊下を抜けると、重い扉が現れた。
手をかざすと、自動認証が作動し、ゆっくりと扉が開く。
——白い光。
——無音の部屋。
中央には円形のテーブル。
そこに十二の椅子があり、それぞれに年老いた男女が座っていた。
彼らの胸には、金属のペンダント。六芒星が光を反射している。
「よく来たね。」
彼らのひとりが微笑む。
「君のように“気づく者”が現れるのを待っていた。」
「あなたたちは……評議会の人間か?」
「人間?」
笑い声がこだまする。
「いや、我々は人類を超えた存在だよ。三十年前から、この都市を設計し、運営し、秩序を守ってきた。」
彼らは語る。
地上が滅びた日、救われたわずかなユダヤ人たちは、神の言葉に従い“選ばれし民”として新たな秩序を築いた。
そのためにAIを作り、人口を選別し、社会を最適化したのだという。
「あなたたちは……人間を支配している。」
「違う。我々は導いているのだ。
君たちは自由を求めない。秩序を望むだけだ。
氷の中で生きるには、神の秩序こそが唯一の道だ。」
背後で、金属音が響く。
振り返ると、二体の監視ロボットが立っている。
その装甲にも、薄く刻まれた六芒星の紋章。
「さあ、戻りなさい。すべてを忘れ、また配給カードの番号で生きるのだ。」
あなたの足がすくむ。
喉が凍りついたように言葉が出ない。
——しかし、心の奥で、何かが叫んでいた。
「……それでも……俺は……人間だ。」
次の瞬間、閃光。
視界が白に染まる。
音が消え、世界が静止する。
⸻
再び、目を開ける。
そこはあなたの部屋。
配給カードが机の上に置かれ、AIの声が聞こえる。
「おはようございます、住民番号3-1-4-8。
今日も秩序の中で幸福な一日を。」
夢だったのだろうか。
いや——机の片隅、粉々になった端末の欠片の中で、ひとつのペンダントが光っていた。
六芒星の形をして。
あなたは笑う。
それが恐怖の笑みなのか、安堵の笑みなのか、自分でもわからない。
——自由を奪ったのは氷ではなかった。
——知らぬ間の“信仰”こそが、この世界を覆う最大の寒気だった。
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