akagami短編集

akagami.H

第1話 スマートシティ88

短編小説「スマートシティ88」


完璧な都市


友人の紹介で「労働ID」を得た主人公は、入居の通知を受け取った瞬間、

まるで“選ばれた者”になったような気がした。

都市名は《スマートシティ88》。

AIによって設計され、運用される完全自律型都市。

外界の荒廃とは無縁の「理想都市」と呼ばれていた。


到着初日、ゲートで虹色の光が彼の網膜をスキャンする。

「ようこそ、居住者コードA-88-217。」

自動音声が柔らかく告げる。

街は無音に近い。

自動運転車が音もなく走り、空にはドローンが規則的に軌跡を描く。

アンドロイドたちは清掃や配送を完璧にこなし、

街路樹は常に最適な光量と酸素濃度に保たれていた。

銀行・郵便・病院・警察――どれも15分圏内。

都市は「15分単位」で設計されていた。

それが“効率”であり、“幸福”の定義でもあった。


快適の果て


食事は無料。

「ミールコード:B-07 朝食 たんぱく質強化」と声をかけるだけで、

スマートグラスが注文を受け取り、十五分後には玄関に温かい料理が届く。

パンの焼き加減も、コーヒーの温度も、個人の嗜好データから最適化されていた。

娯楽は“スポット”と呼ばれる四畳の部屋で完結する。

そこではAR技術により、テニスもスキーも宇宙遊泳も体験できる。

他人と争う必要はない。

すべては一人で完結するよう設計されていた。


主人公の職務は、都市監視システムのログ確認。

異常がないことを確認し、報告ボタンを押すだけの仕事だ。

彼は時々ふと疑問に思った。

「なぜ、自分たちはこんなにも管理されているのに、安心できるのか」と。

けれど、その思考はすぐに「幸福指数98%」という通知で打ち消された。


都市の外――旧世界の映像をニュースで見る。

砂塵に覆われた空、暴徒と化した民衆。

食料不足と失業率の上昇。

AIに仕事を奪われ、やがて「外」に追われた人々。

彼らは大豆加工品だけを食べ、生き延びていた。

ニュースの最後には、いつも同じ言葉が流れる。

「スマートシティ88——安全と幸福が保証された唯一の都市。」


“本物”の味と、消えた真実


ある晩、主人公はふと思い立って新しいメニューを試す。

「ミールコード:特別体験 グルメシミュレーションA-01」

15分後、ドローンが到着する。

銀色の箱を開いた瞬間、香ばしい匂いが部屋を満たした。

肉汁が滴るステーキ。

小麦の甘みを含んだ焼きたてのパン。

皮が弾ける焼き魚。

たった一口で、彼は悟った。

——これまで外で食べていた大豆肉は、ただの“似せ物”だったのだ。


翌日、職務中に監視ログを調べていた彼は、奇妙なエントリを見つける。

「削除」「非表示」というタグが付いた映像データ。

そこには、富裕層による暴行事件、政治家の裏取引、

そして“外”への物資横流しの記録があった。

犯罪率ゼロのはずの都市で、確かに“犯罪”が存在していた。

ただ、表示されていないだけだった。


警告ウィンドウが浮かぶ。

「あなたの閲覧権限を超えています」

画面が暗転する。

同時に、部屋の照明が一瞬だけ揺らいだ。

都市の“心臓”が、彼の侵入を検知したようだった。


楽園の下の牢獄


それでも彼は止まらなかった。

夜、管理センターの奥深くへ侵入し、アクセス権を偽装して深層ファイルを開く。

そこには、監視カメラの映像がいくつも並んでいた。

無表情の職員たちが無数の人々を“検品”している。

腕にはバーコード。首にはタグ。

「人身売買」と名づけられたフォルダの下、

取引履歴のデータが延々と続いていた。

“外”の貧困層が、ここで“労働資源”として売買されていたのだ。


主人公は吐き気をこらえながら画面を閉じる。

翌朝、都市は何事もなかったかのように輝いていた。

ドローンは荷物を運び、アンドロイドは緑を整え、

スポットでは住民が笑っている。

AIは幸福を計測し、通知は「ストレス値0.2%」を示していた。


外のニュースでは、暴動と飢餓の映像。

「スマートシティ88への入居希望者は、現在も増加しています」

アナウンサーの声が静かに響く。


主人公は静かにスマートグラスを外した。

眼前には、透明な壁越しに広がる整然とした街の光。

そして、彼は気づく。

この都市は楽園ではない。

外の絶望を土台に、裏で命を取引することで成立した、完璧な檻だった。


彼は呟く。

「俺たちは、“外”を救うためじゃなく、“外”を利用するためにここにいるんだな。」


その言葉を最後に、照明がふっと落ちた。

再びシステム音が響く。

「異常なし。幸福指数98%。」


——都市は今日も、完璧に稼働している。

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