第13話 <観客>



「何者って言われても……」


 何者でもない。結衣は普通の子だ。

 ただの小学生で、優しいけど生意気なところもあって。


 両親や俺にはわがままも言う、俺の妹だ。それ以外には言えない。

 動揺する俺に、ウサギはなんでもない調子で言った。


「ふむ。まぁそこはどうでもいいか」

「どうでもよくねぇだろ。俺の妹だぞ。重要な話だ」

「いや、どうでもいい。そもそも貴様の妹が何者か、確かめる術もないのだ。分からないことに頭を使っても仕方があるまい。それよりもこの世界のことを考えなければ。妹が何者なのかは、貴様が自分で確かめろ」


 ……そう、だよな。

 結衣に何が起きているのか、気にはなるが今悩んでも意味がない。

 俺の妹であることは変わらないし、助けに行って確かめれば良い話だ。


「それよりも、今の話で思いついたことがある。誠、喉は渇いてないか? 腹は減ってないか?」

「なんだ急に」


 この重要な話をしている時に聞くことか?

 それとも、今更もてなそうとしてくれているのか?

 まぁ腹はともかく、あれだけ兵隊達から逃げて、ここまで歩き続けてきたんだ。喉はさすがに渇いて……?


「……ん? そういえば別に渇いてないな?」


 水を飲みたい気分ではあるけど、どうしてもかって言われると……いや、変じゃないかこれ? あんなに走り回っていたんだぞ?


 やはりか――と、ウサギは呟いた。


「<役者キャスト>として呼ばれた者は、この世界に適応して生きていくことになる。当然、腹も減るし喉も渇く。生理現象がなくなることはない。だが、貴様は一切の飲み食いを必要としていない。つまり貴様は<役者>ではない」


 ピシリと俺を指して、ウサギは続けた。


「イレギュラーな手段で夢の世界に入り込んだ貴様は、言うなれば<観客オーディエンス>。観測することは許されるが、劇の一員として動くことはできない。貴様が力を持ちながら戦えないのは、この辺りが理由だろうな」


 なるほど。辻褄は合う気がする。

 少女達しかいないはずの世界にいるんだ。結局、俺は部外者ということだろう。


「その説が正しいとして、やっぱり俺は戦えないってことだよな? 力があっても、ただ見ているしかできないなんて……」


 何のための力だ。使えないものに意味はない。

 結衣を助けるためにも、俺が一番頑張らなくちゃいけないのに。


「いや、そうでもない。観客にだってできることはあるだろう?」

「はぁ? なんだよそれ?」

「応援だよ」


 ウサギはからかうようにニッと笑う。

 まぁ、観客だしな。確かにできるとしたらそれくらいしかないけど。


「応援って……いやまぁ、無意味とは言わないよ。俺も経験があるけど、確かに励みにはなる。だけど、現実的にそれが何の役に立つんだよ?」

「アホ。誰がただの応援といった。その応援で力を使うのだ」


 困惑する俺にウサギは得意げに告げる。


「貴様は力を表に出すことはできる。ただ<役者>として戦う力に変換できないだけだ。しかし<観客>なのだから、応援はできるはず。力を応援という形に変換して使うのならば、ギリギリ干渉が許される――可能性がある」

「可能性かよ」


 男が安全な所から応援するだけ、というだけでも情けないというのに、結局それもお前の想像じゃねぇか。


「できるかどうかも分からんのか……」

「そんなもの、今すぐ試してみればいいだけの話だ。ほれ、試しに今やってみろ。ちょうどあそこに、頑張っている奴がいるだろう?」


 ウサギの指す方向を見る。

 その先は、キッチンで今も料理を作り続けているコックの姿が。


 アイツ、ここに来てからずっと作り続けているな。少しは休まないのか?

 でも、だとしたら応援する相手に相応しいか。


「――頑張れ、コック」


 真剣に、心を込めて呟いたその時だった。


 一気に体が熱を帯びたと思ったら、全身が強く光る。そしてその光は俺から飛び出していったかと思えば、コックに当たりその身体を包み込んだ。

 

 最初は困惑してオロオロとしたコックだったが、その閉じられていた目を小さく瞠ると、急に動きが速く、激しくなった。


「おお~!」

「凄ーい! コック早ーい!」


 手品のように鮮やかに、片手でリズムよく行われる玉子わり。

 腕がぶれて見えなくなるほどの攪拌作業。

 精密機械のように高速で素材を刻む包丁さばき。

 台所の火が天井に届くまで強く立ち上り、その上で踊るようなフライパン捌き。


 まるでショーのような調理作業に、子供たちが湧き立つ。

 そして手を止めたかと思えば、コックはでき上がった物をテーブルに投げた。そしてそれは俺の前にカタンッと静かに着地する。


 美しいイチゴのタルトと、お茶の入ったティーポットにカップ。

 手をつけるのも惜しいと思うほどに、それは芸術品として美しかった。

 特別甘党という訳ではないが、俺もそれなりに甘いものは好きだ。だからこそ、食べてみたいという欲求には抗えなかった。


「飲食の必要はないとはいえ、食べられないという訳ではない。コックの好意だ。有難くいただくといい」

「……食べてもいいかな?」


 コックを見れば、静かに頷いてくれる。あんな現象に巻き込まれて、こんなに凄い料理を作ったというのに、どこまでも静かな奴だ。

 それがなんだかおかしくなって、俺は小さく笑って礼を言った。


「ありがとう。それじゃ――いただきます」


 フォークを入れてみれば、サクリと音を立ててあっさりと切れる。

 その感触が、このタルトが絶品であることを予感させた。

 それに笑みを隠せず、俺はワクワクした気持ちで口に入れ――全て吐きだした。


「――おぼぇえ!? あっ、甘っ……あっま!? い、苺の酸味は……!? ぐっ、お茶……ぐぇ!? にっが!?」


 甘すぎるタルトと苦すぎるお茶に俺は悶絶した。

 見た目が良すぎるから油断した。いやでも、こんな完璧な外見でこのクソみたいな味付けとか、誰が予想できるんだ。


 これだけの料理が作れてこの味付けはおかしいだろ。え、なに? 嫌がらせ?

 もしかして俺、嫌われてんのか?


 疑心暗鬼に陥る俺に、ウサギはしれっと言い放った。


「言い忘れてた。コックの作る料理は全て過剰な味付けになる。それがコックの狂っている部分だ」

「嫌がらせをしていたのはお前か……ッ!」


 このクソウサギ。マジで油断ならねぇな。いい加減ぶん殴ってやろうか?

 殺気を込めて睨み付けるが、しかし、ウサギは不服そうに眉を顰める。


「嫌がらせとは心外な。私達は皆、コックの料理を旨いと感じるのだ。この味が理解できないとは、可哀そうに」

「美味しいよー!」

「絶品だよー!」

「嘘だろ……?」


 パクパクモグモグ食べ続けている子供達を見れば、それが本心からの言葉だとわかる。

 い、いや、こいつらはまだ子供だから……ッ!


「相変わらずコックはすごいわっ! いくらでも食べられちゃうわね!」

「私はもう少し甘くてもいいです!」

「いいえ! このくらいでちょうどいいわ!」

「ニヒヒ、絶品」

「お茶会にコックの菓子はもう外せない」

「その通り。だけどここに一つ隠し味……は、ハチミツ! ハチミツをつけなければ」

「オーホッホッホ! 私のコックは天才でしてよー!」


 マジか。本気なのかこいつら。

 本当にこれが絶品なのか。

 困惑する俺に、パピーだけは同情的な視線を送ってくる。


「分かる。分かるぜ兄ちゃん。まともだと大変だよな……」

「パピー……! お前、もしかしてこれをずっと……?」


 こんな料理を食べさせ続けられて、長い間閉じ込められて。

 一体どれだけの苦しみを味わってきたか。それを思うと涙が出そうだ。


 だというのに、パピーはコックを責めるようなことはしていない。

 仕方ないんだと言わんばかりの、弱々しい笑みを浮かべていた。

 その諦めが、俺は何より悲しかった。


「まともに食べられるものは作ってくれないのか?」

「何を作ってもああなるからな。未加工のものしか無理だ。果物と、あとは――水、かな」

「そうか……すまない。水をもらえないか?」


 俺の要望にコックはすぐに応え、コップ一杯の水を俺に渡してくれる。

 透明な水が、暴虐された舌を洗い流してくれる。

 水が美味いと感じたのは、本当に久しぶりだった。

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