第6話 見誤った……ッ!

 一瞬強く光って形になるのかと思ったら、まるで風船から空気が抜けていったように、集まっていた力は消えていった。


 手応えがあっただけにショックだ。だが俺以上に、ウサギの動揺の方が大きかったようだ。

 疲労困憊だったウサギはどこに行ったのか、ガバリと起き上がると俺を睨み付けてきた。


「もう一度やってみろ! この状況でできないわけがない!」

「あっ、ああっ! ――すまん。やっぱりできない」

「ありえん! それだけの力を持っているのにか!? <役者>で使えないはずが――ぐっ!?」


 ウサギが俺に詰め寄っている間に、兵隊たちは素早く動いていた。

 俺たちに追いついたかと思えば、あっという間に包囲する。まさしく袋の鼠だ。完全に囲まれ、どこにも逃げ場がない。


 絶望的な状況に、俺とウサギの顔は青ざめた。

 どうすればいい? こんなの、どうしようも……。


「み、見誤った。これだけの力を感じる男だ。あえて絶体絶命の状況に追い込めば嫌でも戦う力に目覚めるはずなのに。この私としたことが、戦力増加の欲が裏目に出るとは。演技などせず逃げるべきだった……ッ!」

「演技って言ったかお前!? まさか本当は逃げられたのか!?」


 ふざけんじゃねぇぞ! 殺されようとしてたのに、どこにそんな余裕があるんだよ!?


「お前マジでバカだろ!? まずは逃げることが先だ! 何かやりたいなら安全な場所でいくらでも練習すればいいだろ!? 練習でやってもないことが本番でできるわけないだろうが!」

「生存本能が刺激される状況こそ、力を最も発現させやすい瞬間なのだ! 普通なら誰でも使えるようになっている! そんな理想的な状況でも使えない貴様の無能さまではさすがに見抜けんわ!」


 自分のミスを押し付けて無能呼ばわりかよ。クソすぎる。

 やっぱりコイツについてくるべきじゃなかった……!


「囲まれているというのに、仲間割れとは余裕だな」


 囲んでいる兵隊の中から、一回り体格の大きい兵士が出てきた。

 鎧には10の数字とハートが刻まれている。数字がデカいと偉い立場なのか? 分かりやすいが、やっぱりアホっぽいな。


 とはいえ、その雰囲気は剣呑だ。遊びは一切ない。


「紳士のウサギよ。女王の信を受けながら、レジスタンス幹部として活動した罪は重い。たとえお前が元召使いだったとしても、許されることではない」

「ふん。許されようとは思っていない。私は私の正義に従って動いただけだ。民を蔑ろにする今の女王に仕えようとは思わん。主が間違っているのなら、諫めることも臣下の務めだ」


「召使いごときが考える事ではないな。貴様は何も考えず、女王の心が安らぐ暮らしを守ればそれでよかった。なのに主に諫言とは、分不相応にも程がある。あまつさえレジスタンスによる暴力を使った反乱など、恥を知れ」

「言葉が届かぬなら、力で言い聞かせる他あるまいよ。私は民に目を向けず、ただ受け身で動くお前とは違うのだ」


 殺気混じりの兵隊に、ウサギは一歩も引いていない。敵がその気になれば今すぐにでも殺されるだろうに、むしろウサギの方が大きく見えるくらいだった。


 ここまでのウサギからは想像もできない姿だ。民を守るという正義。その信念が、ウサギに勇気を与えているのだろう。ここで殺されてもいい。その覚悟でウサギは動いている。


 しかし、ウサギは長い息を吐くと、落ち着いた声で言う。


「とはいえ、さすがの私もここまで追い込まれておきながら、見苦しく足掻こうとは思わん。さぁ、連れていけ。お前に何を言っても無駄だしな。言いたいことは直接女王に伝えるとする」

「いや、その必要はない。貴様はここで殺す」

「えっ」


 スンッ、とウサギの勢いが削がれた気がした。

 一瞬前までの覇気はどこに行ったのか。おどおどとした態度で聞き返していた。


「えっと……こ、降参するのだぞ?」

「ああ」


「それなのに、殺すの?」

「ああ。殺す」


「……そ、それを女王が許すと思っているのか!? 未だレジスタンスの実態は掴み切れていない! 指名手配されているとはいえ、可能なら捕縛しろと命令が下っているはず! 貴様の勝手な判断でそのような真似が許されていると――」

「“私の召使いでありながら裏切った罪は万死に値する。もはや命乞いの言葉すら聞く価値がない。ウサギは見つけたら即刻首を刎ねよ”――女王様のお言葉だ」


「あっ、あのヒステリックババア……ッ! ガチすぎんだろ……ッ!」


 先程までの勇ましさはどこへ行ったのか。ウサギは青い顔でカタカタと震え始めた。

 こいつ、マジでだせぇな……。


「それにレジスタンスの情報ならそっちの子供に聞けばいい。貴様である必要はない」

「え? お、俺!? いや、俺はコイツとさっき会ったばかりで、レジスタンスなんかじゃなくて!!」

「レジスタンスは皆そう言うのだ。安心しろ。城の拷問官の手にかかれば、忘れていた記憶も思い出す」


 ご、拷問? まさか本気で? 

 何も知らないのに、何を話せって言うんだ。だけど俺の話なんか絶対に信じてくれない。嘘を吐いていると思われて、それこそ死ぬまで……!


「待ってください! この子供は本当に何も知らないんです! 逆に私はレジスタンスの全てを知っています! コイツを生かすくらいなら、私を生かした方がよっぽど国の為になるかと! そうだ、こいつの首を私と偽って女王に差し出しましょう! 女王にはそれで納得してもらって、私から情報を吸い取るのはどうでしょう!? その方が国の為になるかと!」

「はぁ!? ウサギ、お前マジで……!」

「種族が違いすぎる。さすがの女王でも騙せないだろう」


 そういう問題じゃねぇよ。天然かこの隊長。しかも今さらっと女王をバカにしてなかったか?

 自ら罪を裁こうというのだろう。スラリと腰から剣を抜くと、隊長は剣を構えた。


「最後の情けだ。女王には潔く罪を受け入れたと伝えておいてやる。大人しく裁きを受けるがいい」

「わー!! 待って待って待って!! 国の利益を考えよう!? 盲目的に従うことだけが正しいことではないはずだよ!」 

「悪いな。私はただ言われるがままに動くだけの事しかできんのだ」


 あっ。これちょっと根に持ってるな。


 自分の言葉が仇となり、ウサギはパニックになって周囲を見回す。当然、どこにも逃げ場はない。潔さの欠片もないが、ここまで生き汚いのは逆に凄い。

 

 とはいえ、冷静になっている場合じゃない。俺はこの場では生き残れるとはいえ、このままだと城に連れてかれて殺される。

 それならまだ今足掻いた方がいい。だけど、ウサギにもどうしようもないのに、俺に何が――


 絶体絶命の状況で必死になって考えている時、激しく不審な挙動を繰り返していたウサギがピタリと動きを止めた。


 とうとう死を悟り諦めたのか? そう思ったが、違う。

 ウサギはチョッキを整えると、慇懃無礼な態度を取り戻した。

 

「――ふふっ。10の隊長よ。よくぞ私をここまで追いつめた。褒めてやろう。だが、少しばかり悠長に過ぎたな。とっとと首を落とさないからこうなるのだ」

「何を言っている? 今まさにそうするところだが?」

「いや、もう無理だよ」


 そう言って、ウサギは不敵に笑った。

 明らかにそぐわない態度に、剣を構える隊長も怪訝な表情になる。


 ――ドドドド。


「まったく。待ち合わせの場所を間違えたり、時間を間違えたり。いくら言っても直らない困った娘だが、今ほどそれに感謝した時はないな」


 ――ドドドドドド。


「誠。女王の圧政で民が苦しめられ、反抗すればこうして兵たちによって蹂躙される。ゆえに人々は従うしかなかった。しかし、誰一人として諦めてはいない。何故なら私たちには――が居るからだ!」


 ――ドドドドドドドド!


 それは、足音だった。

 まるでドラムで連打するような音。まだ遠くにある森の方から、その足音がどんどん大きくなり、土ぼこりが大きく上がっている。


「隊長! アイツです! ど、どうしますか!?」

「チッ、ウサギめ。全て時間稼ぎだったか。怯むな! むしろ仕留める好機と思え! アイツさえ殺せばレジスタンスは終わりだ!」


 近づいてきているその人物を目にしたのか、兵隊たちは慌ただしく動き始めた。

 俺たちの包囲を薄くしてまで、向かってくる何者かに備えて隊列を整え始める。そこまでするほど恐れている相手らしい。


「――ウサギさーん!」


 その声は、想像とは違って可愛らしい声だった。

 子供? しかもこの声、まさか女の子か?

 こんな危ない所へ近づけるのはまずい。ウサギに言って、来ないように伝えないと。

 

 危険に巻き込もうとしていることに焦る俺だったが、ドンッ、と力強く地面を蹴る音と共に、その人物は兵隊たちの頭を跳び越えてこちらに降りてきた。


「あっ――」


 落ちてくる少女の姿を見て、俺は声を失った。


 輝く金髪。幼く愛らしい顔つき。華奢な手足。まるで小さな天使のような美少女に、思わず見とれる。

 しかし、なにより印象的だったのは、その格好だ。

 どこか古臭いデザインの、水色のドレスに白いエプロン。そして黒いカチューシャ。


 その姿を見た時、これまでの全てが繋がった。


 チョッキを着た白いウサギ。ハートの国。トランプの兵隊。そしてあの少女。

 ここまで揃えば、俺でも答えは導き出せる。


「不思議の国の――アリス」


 呆然と呟く俺の前に、スタッと着地して、その少女は楽しげな調子で言った。


「迎えに来たわよウサギさん! さぁ! 一緒にアジトに行きましょう!」


 妹の病、アリス症候群の由来となった少女が、そこにいた。


 

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