第7話 ワンダーアリス

「あら? そっちのお兄さんは誰かしら?」

「あっ……いや、俺は……」


 アリスらしき少女にあどけない瞳を向けられ、俺は狼狽えた。

 軽々と兵隊たちを飛び越える身体能力に驚いたのもそうだが、結衣の病名の元となった存在と考えると、複雑な気持ちになる。


 そんな俺を見て、ウサギは俺の代わりに答えた。


「こいつは誠。私たちの新たな仲間だ。アリス、君と同じ外から来た<役者キャスト>だ」

「あら、そうなのね! よろしくね、お兄さん!」


「あ、ああっ。よろしく」

「新しい友達ができて嬉しいわ! それも私たちより大きなお兄さんなんて、頼りになる……なる――男の人だわ!?」

「うむ。その通りだ」


 こくりとウサギは頷いた。

 アリスは頬に両手を添えて大袈裟に驚いている。


「まぁ、どうしましょう! まさか男の人がやってくるなんて! これは皆も驚く――危ないわ」


 アリスが、虫でも払うように腕を振る。すると、パシッと軽い音を立てて矢が落ちた。

 え? 矢? もしかして打ち落とした? 素手で?


「――撃てっ!」


 混乱して固まっていると、10の隊長のいる一方向から一斉に矢が放たれた。

 逃げ場がない状況に、普通は怯え戸惑うしかないだろう。しかし、アリスは何でもないような振る舞いだ。


 パシ、パシッと、先に飛んできて当たりそうな数本を素手で叩き落とし、間に合わぬと見たのか、スカートを摘むと俺たちを隠すように広げ、その場で回った。

 はためいたスカートに巻き込まれて、何本もの矢が落とされる。撃つのを止めたのを見て、アリスは怒ったように言った。


「もうっ、危ないわ! 今お話し中なのよ!」

「隊長! 効きません!」

「弓では埒があかんか……」


 隊長が苦虫を噛むような顔をする。

 しかし、すぐに表情を切り替えた。


「だが、足手まといがいる今が好機だ。全兵、一斉に――」

「アリス。まずは逃げ道を作ろうか。森の方向に穴をあけてくれ」

「分かったわ!」


 隊長の命令が飛ぶより早く、ウサギが指示を出す。それに迷わずアリスは応え、囲んでいる兵隊に自ら突っ込んだ。


「おいウサギ! さすがにまずいだろ!」

「大丈夫だ。彼女に任せておけ」


 小さな少女が、武器を持った兵隊に突っ込んでいく。

 そんな危ない光景に俺はウサギに文句を言うが、ウサギは全く心配しておらず、むしろ朗らかに笑っていた。


 そうしている間に、アリスと兵隊が接触しようとしていた。


 ――ドカァアアアン!


 その音と光景に、俺は目を疑った。

 アリスに当たった兵隊達は、その瞬間激しく吹き飛んだ。


「はぁ? いや、何だあの力……」

「驚くのは後だ! あそこから逃げ出すぞ!」


 ウサギの指示に従い、包囲から抜け出す。そのままアリスとすれ違いざまに、ウサギは新たに指示を出す。


「アリス! 私たちが逃げ切るまで少し遊んでやれ!」

「はーいっ!」


 何とも緊迫感のない声でアリスは応えると、そのまま次の兵隊に突っ込んでいく。

 ほ、放っておいて良いのか? いや、でも俺にできることはないしな……。


 罪悪感を覚えつつ走り続ける。弓矢が届かない距離を稼いだ頃、ウサギは止まって振り返った。


「危なかったな。だがもう大丈夫だ。あとはアリスに任せよう」

「ほ、本当に大丈夫なのかよ? 一人で戦わせるなんて」

「心配するのも分からんでもないが、あれを見て危ないと思うか?」


 言われ、俺は改めてアリスに目を戻した。

 そこでは、縦横無尽の活躍をしているアリスの姿があった。


「あはははは! いっくわよー!」


 まるで遊んでいるかのように楽しそうな表情で、アリスは兵隊たちの中を暴れまわっていた。あっちにいたかと思えばこっち。こっちかと思えばあっち。一瞬で長い距離を移動して、兵隊に飛び掛かる。


「私はアリス、世界の主役♪

  皆が望んだ、期待のヒーロー♪

 邪魔する人は、蹴っ飛ばす♪

  遠くの果てまで、ぶっ飛ばす♪」


 場違いなほど楽しそうに歌いながら、アリスは暴れまわった。


 手足を振るえば確実に一人は沈み、体当たりを喰らわして数人を吹っ飛ばす。とても華奢な少女ができるようなことではなかった。


「何だあの身体能力……人間とは思えない……」

「当然だ。アリスなのだから」


 ふふん、とウサギは自慢げに鼻を鳴らした。

 いや、答えになってないが。


「不思議の国のアリスにおいて、アリスは穴に落ちて夢の世界に辿り着いた。その時、地球の裏側まで深さがある穴から落ちて、無傷で済んでいる。こと身体能力において、アリスを超えるキャラクターはそうそういない」

「それはもう身体能力とかじゃないんじゃないか?」


 それは世界観というか、何というか……。

 しかし、その事実を身体能力に当てはめたなら、あれだけの強さも納得できるか。


「さらにアリスはこの世界における<主役>。ただ<主役>であるだけで、世界は彼女を輝かせようと力を与える。ただでさえ強いアリスが、世界からのバックアップが受ければどうなるか、説明するまでもあるまい」

「その結果があれか」


 キャラクター補正とか、世界観補正みたいなものか。ただでさえ強い奴がさらに援護を受けるなら、そりゃ手がつけられない強さになるのも当然か。


 実際に今も、適当に手足を振るだけで兵隊達が……ん?


「なぁ、気のせいか? あの子、どんどん強くなってないか?」


 最初から強いと思っていたが、やはりおかしい。

 ただでさえ目で追うのが難しかったアリスの速度が、より速く。

 兵隊達の吹き飛ばされる距離が、どんどん大きくなっている気がする。


 俺の疑問に、ウサギは面白そうに笑った。


「ほう。なかなか鋭いではないか。時に貴様はアリスがどのように見える?」

「どのようにって……普通に可愛い子じゃないか? あの強さには驚くけど」

「ふっ。ロリコン」

「ちげぇよ!!」


 それだけは断じてちがう!

 あくまで一般論だ!


 俺の怒りが見えていないかのように、ウサギは続けた。


「不思議の国で、アリスは食べ物や飲み物を口にして、その身体が大きくなったり小さくなったりを繰り返す。そのせいで自分が何者なのかが分からなくなり、狂いかける描写がある。自分で自分が分からなくなる。それは逆説的に、己の姿が他人の評価で定まることになる。アリスの力はそれを顕在化したものだ」


 暴れまわるアリスを眺めながら、ふっ、とウサギは不敵な笑みを浮かべた。


「【私の姿は貴方しだいワンダーフォーム】。敵がアリスを恐れれば恐れるほど、アリスの力はどんどん高まっていく。弱い奴ほどそれは顕著だろう。つまり――究極の弱い者イジメだ! 一番強い存在が格下殺しの能力を持っているのだから、敵にとっては理不尽極まりない! 今の奴らの目には、アリスがどんな姿で映っているのだろうなぁ!」


 ふはははは! と、ウサギは邪悪に高笑いを上げた。

 どう見てもお前が敵役だぞ。しかも弱い者イジメって……まぁ能力の性質を考えればそう言えなくはないけど。


 だけど、そうか。一応味方で、こうして外から見ている俺には可愛らしい少女でも。

 対峙している兵隊には、本物の化け物でしかないのか。


「く、熊がっ!? 来るな!」「畜生! なんでこんなところに獅子が!」「わぁああ!

 犬!? 来るなぁ!」「俺からこれ以上何を奪うつもりだ!? 悪女め!」「ゴキブリがぁああああ!?」「蛇!? 蛇はやだっ!」「怖い! ケーキが怖いっ!」「違うんですっ! ちゃんと返せるはずだったんです! お願いだから、妻と娘には――」


 一部、明らかにおかしくないか? やっぱりこいつら、正気を失っているんじゃ……。

 兵隊たちの叫びに肩の力が抜ける。そうしている間に、いつの間にか10の隊長を残し、兵隊たちは全滅していた。


「貴方も私と遊ぶ? それとも帰ってくれるのかしら?」

「――舐めるなよ! アリスッ!!」


 隊長は剣を構え、自らアリスに突撃した。迎え撃つように、アリスも前に出る。


「やるのねっ! それじゃあ、いくわよー!」

「ッッッ!! くっ、おぉおおおおおお!!」

「――ああ。それでは駄目だな」


 雄叫びを上げて前進する隊長。

 アリスを相手に前に出るだけでも凄い。そう思っていたが、ウサギは冷静な口調で言った。


「迎え撃とうとする胆力は見事。だが、アリスを相手に一瞬でも芋を引いたら終わりだ。そら、貴様にとっての恐怖が具現するぞ」


 ウサギの言葉の終わりに、途端に隊長の動きが鈍くなった。顔が引き攣り、何かを恐れているかのようにアリスを見ている。そしてそんな隊長に、アリスは拳を振りかぶっていた。


「あっ……やめっ……待っ……ま――ママー!!」


 今、もしかしてママって言った? 


「えーいっ!」


 そんな可愛らしい声と共に、アリスの拳が隊長の胴体に突き刺さる。鎧の中央に拳がめり込み、くの字に折れたかと思うと、隊長は砲弾のように吹き飛ばされ、そのまま気を失った。


 ボロボロになって倒れ伏している兵隊たち。それを作り出し、静かに佇んでいる少女。

 異様な光景に何も言えなくなっている俺に、ウサギは言う。


「見たか誠? 圧倒的な身体能力。<主役>としての世界からの補正。そして【私の姿は貴方しだい】。この世界において、真っ向勝負で彼女に勝てる者は一人もいない」

「ああ、見たよ。十分に」


 今でも信じられない気持ちだが、こうして見た以上、納得するしかない。

『不思議の国のアリス』の主人公。この世界において最強の少女。


「終わったわ! さぁ、皆の所へ行きましょう!」


 この世界の希望たる少女は、大立ち回りを演じたと思えないほど、無邪気な笑顔を見せた。

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