episode3 ─美月 side─


仕事が終わって開かれた車の後部座席に乗り込むと「お疲れ様です」といつものように声をかけられる。



運転をしてくれるその男の名前はあおい


二階堂組の立場で言えば、私の側近。


クラブでは私専用の運転手兼、ボーイ。


私専用のボーイなんて表面だけで本当は何かあった時の護衛。



幼少期から一緒に育った蒼は私が最も信頼してる人の中の一人。



だから少し私の態度が違うとか、体調不良とかには気づくのが早い。



「なにかありました?」



私よりも2つ年上の蒼だけど、組長の娘である私は立場が産まれたその時から上。


一緒に育ったとはいえ、上下関係はしっかり教育されている。



「ちょっと疲れただけ」


「しっかり休んでくださいね」


「それは蒼もね。本家にも行ってるんでしょ?」


「行ってますけど、離れの庭の手入れと稽古くらいですよ」



私がたまに顔を出す本家には、母屋と離れがある。


離れは私が帰ると寝泊まりする場所。


子供の頃は兄も一緒に住んでいたけど、若頭に就任されてからは母屋で生活している。


だから離れは私一人しか今は入ることがない。


離れにある立派な日本庭園は今は蒼が管理してくれてるみたい。



「年末は本家に戻られるんですよね?」


「戻るよ。久々にみんなに会いたいからね」


「では明日、組長に伝えておきますね」



いつものように会話をしていれば、私の住むタワーマンションに着いていた。



「ではゆっくり休んでください」


「ありがと。蒼もちゃんと休みの日は休んで」



働き者の蒼は休みの日も身体がなまらないようにと本家で稽古をしていることが多い。


そんな蒼が運転する車から出て、マンションのエントランスに入ってエレベーターに向かう。



蒼も過保護だからセキュリティが万全なエントランスに入るまでは車を出さない。



車が走り去る音が聞こえて、エレベーターのボタンを押すと頭の中であの言葉がリピートされる。



“昨日会った公園で待ってる”


“来るまで待つ”




季節は冬。


12月の夜中は信じられないほど寒い。



きっともう帰ってるかもしれない。



私はエントランスを出て公園へ足を踏み入れた。




「もう3時ですよ」



いないと思っていた彼は昨日と同じ場所に座って腕を組み、下を向いていた。


そして小さな声で「さみぃだろうが」と文句を言っている。



それでも私が来たことが嬉しかったかのように笑みが零れ、少し勝ち誇ったような顔をされたけどあまり気にはならない。



維月さんの斜め前くらいに立っていると、手が伸びてきて私の右手を掴んできた。


その手は冷えきっていて、冷え性の私の手より遥かに冷たかった。




「私に何の用ですか」


「単純に知りたいだけだ」


「それなら店でも…」


「10分じゃ足りな過ぎるだろうが」



指名が多い分、ひとつの席にいられる時間は10分程しかない。


申し訳ないとは思うけど、来てくれたお客様全員のところに行くにはそれしか方法がない。




「コーヒーでも飲みますか」


「こんな時間にどの店も空いてねぇぞ」


「そうですね」



こんなのはこれっきり。



「マンション、すぐそこなので」


「お前…」


「これは最初で最後です。私にも事情があるので」



女の部屋に入る、なんて想像もしていなかったとは思うけど夜中とはいえ誰かに見られては困る。


お客様とアフターをしなくなったのに維月さんだけ特別なのか、と思われてしまう可能性だってある。



エントランスの奥にあるエレベーターの前に着き、セキュリティを解除して乗り込めば維月さんは後ろから着いてくる。



最上階のボタンを押した時、


「どこぞのお嬢様だよ」


と聞こえたのは聞こえないふり。




最上階に部屋は2つしかない。


どちらも私が使っているけど、片方は殆ど使っていなくて洋服や仕事で使うドレス等を置いている。



普段生活している部屋のロックを解除するには暗証番号と指紋が必要。


セキュリティは万全。



「どうぞ」


来客用のスリッパを出してソファに適当に座ってもらっている間にコーヒーを落とす。



「着替えてくるので待ってて下さい」


「あぁ」



ドレスからいつもの部屋着に着替えてリビングに戻ると、維月さんはただボーッとしていた。



淹れたてのコーヒーをテーブルに出し、



「それで何を聞きたいんですか」


「この部屋に住めるくらい稼いでんのか」


「そうじゃなかったら住んでません」



タワーマンションの最上階。


普通に考えたら簡単に住めるようなところではないのは分かってる。



「どこかの令嬢か」


「まぁそんなところでしょうか」


「美月って名前は源氏名か」


「さぁ、どうでしょう」



答えはYES。


でもそんな簡単に教えたりはしない。


名前で探されたりなんかしたら面倒だし、美月って名前なら日本中にいる。



維月さんは私の返答に納得のいってない表情を浮かべる。



「それで苗字も教えてくれないって訳か」


「そうですね」



向かい合っているソファにそれぞれ座っている私たちはお店と違って表情がよく見えるからどんな事を考えているのか予想しやすい。



「男はいるのか」



いたら部屋にあげるなんてことはしない。


「まさか」と言えば「それもそうだな」と。



「別れた理由は」



そんなこと聞いてどうするんだろう。



「プロポーズを断ったからです」



聞かれたことに答えれば、維月さんはコーヒーを飲む手が止まった。


そして私を見る。



何でプロポーズを断ったのか、相手のことは好きじゃなくなったのか、


そんなことを聞かれたけど、私が一般人と結婚する?


そんなことできるわけない。


私は何より家族が大好き。


父も兄も何より大切な存在だから、疎遠になるなんて有り得ない。


父は私に自由に生きていい、と言うけど私が嫌。


ヤクザなんて理解してくれるような人は少ないだろうし。



「結婚したくなかっただけです」



「それだけの理由か?」



維月さんは鋭い。



まるで“他に理由があったんだろ”と言われているような目つきをする。



「私にとって“生涯を共にする”ことは簡単じゃないんです」


「それはどういう事だ」



正直に話せたら楽なんだと思う。


家が極道で私が組長の娘だから相手の家族はそれを知れば絶対に反対する、と。


いつか嫌になって、家が理由となれば家族が悲しむかもしれない。



そんな事は絶対に嫌。



「話したくないのか」


「はい」



少し間が空いてしまうと察してくれるのはありがたい。


私のことが知りたい、と言うのに教えてあげられることが少ないからか「お前は秘密が多いな」と少しゲンナリしている。



「たまにでいい、普通に会えたりしないのか」


「難しいですね」



それは店ではなく、“外で”という意味だから。



私も気になることがある。



「維月さんはどうしても私なんかに拘るんですか」



まだ出会って2日。


お互いのことなんてほとんど知らない。




少し間が空いた後、真っ直ぐに見つめられ彼はこう言った。





「一目惚れだ」と。





所詮は外見か、と思ったのが正直なところ。



それに勘づいたのか



「でもお前は俺に全く興味を持たない」



視線を外すことなく、



「色目を使わない」



ポツリ、ポツリと



「こっちが好意を示しても興味すら持たない」



言葉を発していく。



「だから益々興味が湧いた」



私はただ聞くことしかできなかった。



「俺の周りは肩書きや容姿を目当てに寄ってくる女しかいない。美月なら俺自身を見てくれると思った」



「そうですか」




維月さんは良い人なんだろうとは思う。


でも気持ちに答えてあげることはできない。



「私は恋人や結婚に興味がありません」


「人の気持ちなんていつ変わるか分からない」


「それもそうですね」



維月さんは間違ったことは言っていない。


でも、それでも、私は自分に好意を持ってくれた人を裏切る行為はしたくない。


プロポーズを断った時、私は独身でいると決めたのだから。



「私、近々お店をやめようと思ってるんです」


だから私の事は諦めてほしい。


「何かやりたいことでもあるのか」


「はい」



私に“秘密”が多いからなのか、もう深くは聞いてこない。



「私が店に出なくなれば会うことはなくなります」


「それは困ったな」


「だからもっといい人を見つけて下さい」



私から言えるのはそれくらい。


一目惚れをしたことが無いから維月さんの気持ちは分からない。


でも、まだ私の性格や中身を知らないってことは完全に好きという訳では無いと思う。


だから忘れるなら早いうちがいい。




その後はどのくらいか分からないけど沈黙が続いた。





先に沈黙を破ったのは維月さんで、




「俺はお前を諦めない」




と、私の目を見て言った。







その目はまるで、獲物を捕える肉食獣のような、そんな目つきだった───…

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