第11話 救出

 事が大きく動いたのは、翌日のことだった。


「リナルド、今日は心ここにあらずですね

 その程度の書類、まだ終わりませんか?」

「……申し訳ありません」


 朝起きて、すぐにでもライラの捜索に参加したかったが、レイから男爵家に動きを気取られないように生活を変えるなという指示が出された。

 仕方なく指示に従うが、気持ちは焦りでいっぱいだ。

 エネアの執務室で今日はエネアも不在のため、いつもと変わらずスザンヌに嫌がらせを受けているが、まったく耳に入らない。


 その時、慌ただしい足音が廊下から聞こえ、執務室の扉が音を立てて開かれる。


「リナルド! 動きがあった!

 お前も来い!!」

「っ! はい!」


「レイ殿下?!

 リナルド! あなたどこへ行くつもり?!」

「スザンヌさん、申し訳ありません!

 本日はお休みをいただきます!」


 スザンヌへ叫びながら、レイの背中を追って屋敷を駆ける。


「殿下! 動きってなんですか?!

 何が起こったんです?!」

「話は着いてからだ

 お前が話していた娼館へ向かうぞ」






 町の外れに位置する娼館の前は、騒然としている。

 警備兵が建物を取り囲み、何人もの人が建物の中から毛布を被されて警備兵や看護師達に付き添われてゆっくりと出てくる。


「……これは、」

「……先を越された」


 レイが悔しそうに歯を食いしばると、その視線の先に馬に乗った青年を見つける。


「エネア様?!」


 俺の声に反応して、エネアはこちらを振り向いた。


「リナルド!

 どうしたんだ、こんな所で……」


 俺に気づいたエネアは、馬から降りこちらへ駆け寄ってくる。


「エネア様こそ……なぜここに、

 っ!」


 エネアが目の前に来た瞬間に、後ろからぐい、と肩を掴まれレイの胸元に引き寄せられる。

 エネアは俺の頭上にあるであろう、レイを睨み上げた。


「レイ殿下……、私の使用人を勝手に連れ出すのはお止めいただきたい」


 こんなエネアの声は初めて聞く。

 だが、レイの手は俺の肩に載せられたままだ。


「エネア殿、朝から警備兵を率いて娼館の強制捜査とは何事かな?

 王族である私に、何か報告すべきことはないか?」


 頭上にあるレイの表情は見えない。だが、声音だけで、有無を言わさぬ圧力を掛けていることはわかる。

 目の前のエネアの顔色が変わる。


「……確たる証拠を掴みました。

 父が……、フェデラー男爵が人身売買を行っていました」

「!」


 まさか……、エネアが男爵の罪を暴いたのか。

 思わず、背後に立つレイの顔を仰ぎ見る。レイは感情の読めない顔でエネアを見つめている。


「私は、父に罪を償ってもらいます

 娼館に、父や共謀者も、そして商品であったものたちもみんないるはずです」


 エネアは美しい顔を苦渋に歪ませ、声を絞り出した。

 その時、娼館の扉から知った顔の女性が、看護師に付き添われて出てくる。


「っ!! ライラ!!」


 叫びながら駆け出した。


「……っ

 リナ?」

「ライラ! ライラ大丈夫か?

 怪我はない?」


 毛布に包まれたライラは、この寒空の下、下着姿にされている。唇は真っ青で、体温が下がってしまっているようだ。


「リナ……、リナ……っ!

 私っ、わたし……

 うわあああ〜」


 ライラは俺を見た瞬間に泣き崩れてしまった。毛布をしっかりとライラに巻きつけて抱き上げてから、看護師が案内してくれる看護スペースまで移動する。

 抱きしめたライラは、ずっと震えている。きっと寒さだけが原因じゃない。


 屋外だが、薪が焚かれ暖かくなった場所へ座り込む。震えるライラは腕に抱えたまま、背中をさすってやる。


「ライラ、ライルは大丈夫だよ

 今は酒場でマダムや他の姉さん方が皆で面倒見てる

 お前を待ってるよ」

「っ、ふ、ぅぐ、

 うん……っ、あ、ありが、と」


 嗚咽を漏らしながら、ライラは懸命に返事を返してくれる。きっとライルのことを、ずっと気にかけていたんだろう。


「リナ……、わたし、もっと上手くやれると、思ってた」

「うん」

「契約書だって、ちゃんと読めた、

 だからサインしなかったのよ」

「うん、偉かったね」

「なのに、いきなり意識失って……、気づいたら身ぐるみ剥がされて牢屋みたいなとこに入れられて……っ!!」


 ライラは思い出してしまったのか、再び泣き出してしまう。


「うっ! ……女だから、油断したっ

 まさか、こんなことするなんて」

「……契約書を用意したのは女だったの?」

「うん、小綺麗な女だった

 カフェに呼び出されて……」


 うん、うん、とライラの話を聞きながら、背中をさすっていると、看護師が再びやってきてライラを医者に見せるというので、彼女を任せた。

 ライラは安心したのか、少し眠そうだ。






「彼女とは話せたか?」

「レイ殿下」


 いつの間にか、隣にレイが立っている。

 ライラが医者に診てもらっているのを遠目で見守りながら、レイの質問に答える。


「ライラは女にカフェに呼び出されて、そこで意識を失ったそうです

 次に気づいたときには、この娼館にいたと」

「……女か……」

「心当たりでもあるんですか?」

「……まぁな」


 隣のレイを見あげるが、含みのある微笑みでこちらを見下ろすだけで、レイからもう情報を得ることはない雰囲気だ。


「はぁ、俺はライラを酒場に連れていきます

 しばらくは一人にならないほうがいいだろうから」

「屋敷の仕事は大丈夫なのか?」

「さぁ……今日は休みますとだけ、伝えたから大丈夫じゃないですか」

「あのスザンヌが許すと思えないがな」


 はは、とレイが笑う。まぁ……確かに、明日の朝はかなりの覚悟を決めなければならないかもしれない。

 それでも、ライラが無事に戻り、酒場の皆に笑顔が戻ると思うと胸がいっぱいになる。


 その時、娼館の出口がにわかに騒がしくなる。


「きーーーーっ!!

 その汚らわしい手を離しなさいよ!

 私を誰だと思ってるの?!」


 出てきたのはテレサだ。両手に手枷をかけられ、左右をがっしりと警備兵に固定されている。それらから逃れようと暴れているが、髪や服が乱れるだけで、一向に警備兵が振りほどかれることはない。

 その騒ぎの後、のっそりと現れたのは憔悴しきった男爵……トマスだ。

 呆然とした様子のトマスは、だがエネアの姿を見つけて、瞳を輝かせた。


「エネア!!」

「……お父様……」


 エネアの表情は見えない。ただ、父親に歩み寄るその背中に、いつもの華やかな空気は感じられない。


「エネア……私は、私は……っ!」

「……お父様、後のことはすべて私にお任せください」


 涙ぐみエネアを見上げるトマスの肩を叩いて、エネアは何かをトマスに伝えて去って行った。トマスは暴れるテレサとは対照的に、大人しく警備兵に連れられて馬車に入っていった。


「……トマスは、これからどうなるのですか」

「警備兵が現行犯で捕らえたんだ

 このまま王都へ送られ、貴族裁判にかけられることになるだろう。」

「……エネア様は……」


 レイが少し思案するように視線を下げ、そして慎重に口を開く。


「……今回の件、エネアが父親の罪を明らかにし、逮捕の手助けまでしたんだ、恐らく今回の事件の罪はトマス個人に問われることとなるだろう

 王国としても可能であれば、男爵家の統治を継続したいからな。

 王国に忠義を示したエネアが後継として認められるはずだ」


 ほ、と息を吐く。

 それを見て、レイは片眉を怪訝けげんそうに上げた。


「……やはりお前らは恋仲なんじゃないのか?

 あの屋敷の薄給で、一介の使用人がそれほどエネアのことを気にするのか?

 使用人に待遇を聞いたが、男爵家とは思えない内容だったな」


 レイの反応を見て、やはり貴族の常識では考えられない状況なのだと実感する。

 それはさておき、


「……薄給どころか、給与なんてもらったことないですよ」

「……は?」

「それに、エネア様は特別なんです

 彼は私の命の恩人なので」

「……じゃあ、何か?

 お前は命を救われた代わりに、あいつに無償で尽くしているというのか?!」


 どうしてレイがそんなに必死な表情になるのか。

 驚きながらも会話を続ける。


「エネア様は私に真っ当な報酬が支払われていると思っているでしょう

 屋敷内の管理を任されているのは奥様です

 俺の待遇を決めているのも彼女だ」


 ふ、と思わず力ない笑みがこぼれる。


「心優しいエネア様に、実の母親にそんな仕打ちをされているなどと、伝えられるはずがない

 この7年間、屋敷にΩがいるという理由で、どんな条件のいい縁談もエネア様は断り続けてきたんです」


 貴族の世界で、家同士の繋がりを結ぶための婚姻がどれほど重要なものか、俺は理解している。

 どんなに男爵家が苦しい時も、エネアは婚姻で家を立て直そうとすることだけはしなかった。

 ただ俺を追い出せば、それだけで男爵家の立て直しは随分簡単になったはずなのに。


「……来月には、俺は成人します

 もうエネア様に心配をかけることなく家を出ることができる

 彼を、もう解放してあげないと」


 今度こそ、レイを見上げて笑みを浮かべる。

 レイは眉間にしわを寄せ、難しい顔をしたままだ。


 遠くの方で、ライラが医者の診察を終えた様子が目に入る。


「じゃあ、俺はライラを送ってきますね

 殿下、ありがとうございました」


 深く頭を下げ、ライラの方へと向かう。

 それきり、レイを振り返ることはしなかった。






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