第10話 事件
そんなこと、考えたこともない。全く予想がつかないまま、返答する。
「え……10人くらいですか?」
この男爵家は田舎の割に町を形成し、商業が盛んだ。周辺の小さな村も含めて、領民は2,000人弱。
それほど多くの人間が姿を消すわけがないだろう……
「253人だ」
「……え?」
「253人がこの1年で消えた
これは王国内でも類を見ない数だ」
「まさか! フェデラー男爵家の領民は2,000人ほどですよ?!
いくらなんでも一割の人間が消えたら……」
「この地は商業が発展している
消えているのは領民だけじゃないんだ
周辺の領地から商いに来るもの、買い物に足を運ぶもの、移り住もうとしているもの、そういったものたちも消えている」
「……っ」
まさか……、この領地でそんなことが起こっているなんて。町へ出るのは酒場や薬屋など限られた場所だけだったから、俺の耳には入っていなかっただけかもしれない。
一体、ここで何が起こっているんだ。
「一体何のためにそれほどの人間が消えているんですか?」
「……姿を消しているのはいずれも若い女やΩだ
おそらく、売買されているのだろう」
血の気が引き、指先が震えるのを感じる。
その昔、奴隷制度が残っていた時代、Ωはただ商品として扱われていた。王国法が奴隷制度を廃止し、人身売買を禁じたあと、もうそんなことは起こらないのだろうと、そう思っていたのに……
「ライラは、若い女性でその上Ωなんです……っ」
「ああ
今ルディウスが人身売買が定期的に行われる会場を調べている
その近くに、連れ去った人々を閉じ込めておく場所があるはずだ」
ルディウス……、そういえば初めて挨拶をした頃から見かけない。
あのとき確か、話していたのは……
『変わったことと言えば、ここ1年ほど、トマス様が夜に帰ってこないことが増えました。
使用人たちはトマス様に愛人でもできたんだろうと噂しています。』
まさか……
「レイ殿下……、まさか……この人身売買にトマス様が関わっているのですか?」
レイは片眉を上げ、少しだけ目を
「勘がいいな
十中八九、間違いないと睨んでいる」
なんてことだ……この1年、トマスは夜な夜な遊び歩いているようだと噂されていた。それが、まさか人身売買を
「……フェデラー家はお取り潰しでしょうか」
「……今は明言できないな
エネアが関わっていれば、取り潰しになるだろう」
「!
エネア兄様が関わってるわけないだろ?!
あんな優しい人が、こんな恐ろしいことをするはずない!」
思わず、大きな声を出してしまった。受け止めたレイは、緋色の瞳を大きく開いている。
「エネア、兄様?
お前とエネアはどういう関係だ?」
「……っ、今はそんなことどうだっていいだろ
早く、ライラを見つけ出さなきゃ」
ベッドから立ち上がり、地下道の入り口へと向かおうとする。
「リナルド、まぁ落ち着け、そろそろルディウスからの定期報告の時間だ」
レイが胸元から懐中時計を取り出し、そう呟くと……
「レイ様、お待たせいたしました」
階段から音もなくルディウスが現れた。
「?! ルディウス様?!
い、一体どこから?!」
「ルディウスは隠密行動が得意なんだ」
なぜかレイが得意げに説明する。
「……レイ様、ご報告は場所を移しますか?」
ルディウスがこちらを警戒する視線が痛い。
今日はルディウスの感情がよく表に出る日らしい。エントランスで受けた第一印象と同じだ。日によって浮き沈みの激しい性格なんだろうか。
「いや、ここでリナルドと共に聞く。
安心しろ、リナルドには誓約書を書かせた」
「……は?」
ルディウスの目が極限まで広げられる。そのまま、驚いた表情を隠しもせず、レイと俺の顔を見比べている。
「……かしこまりました
では、ご報告を──」
……あの誓約書にサインする人間はそれほど少ないのだろうか。
まだ動揺が残った顔のまま、ルディウスは報告を始めた。
人身売買の市が定期的に開かれるのは、町にある教会ということ。夜のミサという名目で、特定の招待状を持つ人間だけが参加できるということ。
教会は、行き場をなくしたΩや女が最後に頼る場所だ。トマス達にとっては都合が良かったのだろう。そうして集まった人間を、売りに出したのだ。
「なんてことを……──」
血の気が失せ、震える身体をどうにか止めようと、自分自身を抱きしめる。
253人……彼らは一体どこへ売られたのか……、まだ領内に残っている人間は? 救い出すことは可能なのか?
ライラは……っ
「リナルド
落ち着け」
いつの間にか、レイが俺の肩に手を置き、目の前に移動している。赤く力強い目が、「大丈夫だ」と語りかけてくれる。
「……っ、はい」
なんとか声を絞り出し、頷いた。
「ただ、取引の会場はわかりましたが、拐われた人々が捕らえられている場所まではわかっていません」
「そこを押さえられれば一番なんだがな」
「……この1年でそれだけの人間がいなくなっているってことは、捕らえて置く場所もそれなりの広さが必要ですよね?」
「あぁ……、」
レイは考え込む俺を見つめているようだ。視線を感じながらも、町の立地を思い出す。
教会は町の最北端に位置する。そこからそれほど距離がなく、人の目に触れない一定の空間を確保できる場所……
「……娼館……、教会の南東に高級娼館があるんです
昔は栄えていましたが、最近は客足が遠のき、働いている娼婦もほとんどいないと聞きました
中の部屋が相当数余っているはずです!」
うちの酒場に嫌がらせに来ていたテレサの店だ。
元々、娼婦を監禁するような部屋もあったと聞く。そこなら攫ってきた人々を閉じ込められるのではないか……?
「レイ様」
「ああ、ルディウス、調べてくれ」
ルディウスは静かに頷くと、音もなく階段を上って行った。
「レイ殿下……俺たちは、」
レイを見上げながら問うと、レイは静かに俺の頬に手を当てる。
レイの親指が、俺の目元を擦る。
「……
お前の美しい顔が台無しだ
夜明けまでもう時間がない
少しでも横になって身体を休めておけ」
「っ、でも」
「リナルド、ライラ救出の際はお前にも必ず声をかける
安心して休め」
これまでにない穏やかな口調に、俺は頷くほかない。
屋敷に戻るというレイに深く頭を下げ、その背中を見送った。
どさり、とベッドに身を沈める。
身体が鉛のように重い。まるで悪夢のように多くのことが起こりすぎた。
目をつむると、ライラの笑顔が浮かぶ。
俺が酒場で皿洗いの仕事をしている時、ライラは既にキャストとしてフロアに出ていた。
最初からトップだったわけじゃない。
客にひどいことを言われた時、客にひどい扱いを受けた時、自分の仕事に納得がいかなかった時。ライラは店の隅にある皿洗い場、俺の足元で声を殺して泣いていた。
なんの弱音も吐かず、目には闘志を燃やして。
早くに両親を亡くし、弟を一人で育ててきたライラは強かった。彼女が涙を流すのはバックヤードだけだ。フロアに出れば、いつもランプに柔らかく照らされ、華やかな笑顔を浮かべていた。
彼女を、傷つける奴は許さない。
どうして、真っ直ぐに生きている人間が搾取されなきゃいけないんだ。
男爵が捕まったら、エネアはどうなるのだろうか。人間の悪意が凝縮されたようなこの屋敷の中で、唯一俺を守ってくれていた人。
彼には、幸せになって欲しい。
どうか、優しい人たちが幸せになりますように……
そう願いながら、いつの間にか意識は泥沼のような暗闇に沈んでいった。
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