第4話 残業と、まさかの急接近



 ある日の残業中のことだ。

 営業部のフロアには、俺と幸の二人だけ。

 定時で帰るのがモットーの俺だが、この日はどうしても終わらせなきゃいけない資料があって、仕方なく残ってたんだ。

 俺が黙々とPCに向かっていると、背後から幸の声がした。


「主任、まだお仕事されてるんですか?」


 振り返ると、幸がコーヒーカップを二つ持って立っていた。

 その手には、湯気が立ち上るマグカップ。


「ああ、ちょっと片付けなきゃいけないのがあってな」


「よかったら、どうぞ。私が淹れました」


 差し出されたコーヒーは、ふわりと甘い香りがした。

 俺は普段、ブラックしか飲まないんだが、幸が淹れてくれたとなると話は別だ。


「……悪いな」


 マグカップを受け取ると、幸は俺のデスクの斜め向かいの椅子に座った。

 二人きりのオフィスは、昼間とは違う、妙な静けさに包まれてる。

 PCのタイピング音と、コーヒーを啜る音だけが響く。


「主任って、いつもそんなに遅くまで残業してるんですか?」


 幸が、ふいに尋ねてきた。


「いや、俺は基本、定時で帰る主義だからな。めったにこんな時間までは残らねぇ」


「へぇ……そうなんですか。てっきり、主任は仕事人間なのかと」


「……見えるか?」


「はい! すごく真面目ですし、仕事も完璧にこなされてますし!」


 幸の言葉に、俺は少し照れた。

 完璧だなんて、そんな大袈裟な。

 俺はただ、俺の邪魔が入らないよう、サッと仕事を終わらせてるだけだ。


「そうでもねぇよ」


 言葉とは裏腹に、俺の口元は少し緩んでたかもしれない。

 自分で言うのもなんだが、俺は普段、あまり他人から褒められることがない。

 特に、仕事ぶりに関してなんて。

 だから、幸の素直な言葉が、妙に心に響くんだ。


「そういえば、主任って、趣味とかあるんですか?」


 幸が、身を乗り出すように尋ねてきた。

 しまった、これは危険な質問だ。

 俺の趣味は、隠れ厨二病にとっての一級機密情報だぞ。


「いや、別に……」


「えー、何かあるでしょう?ほら、主任って、なんかこう……神秘的なオーラがあるじゃないですか!」


 し、神秘的!?俺が!?

 なんとなく埃っぽいスーツ着て、冴えない顔でPCいじってるおっさん(29歳)に、神秘的なオーラがあるわけねーだろ!

 幸は、俺のポーカーフェイスの奥底に秘められた、厨二病の炎を感じ取ってるのか!?


「……ゲームとか、漫画とか、そういうのは好きだけどな」


 少しだけ正直に答えた。

 まさかラノベも大好きで、異世界転生を夢見てるなんて、口が裂けても言えるわけない。


「えっ、そうなんですか!? 私もゲーム好きですよ! 最近だと〇〇とか、〇〇とかやってます!」


 幸の目が、キラキラと輝き出した。

 まさか、幸もゲーム好きだったとは!

 これは共通の趣味フラグじゃないのか!?

 やばい、俺の防御壁が、またしても崩壊の危機に瀕している!

 

 そこから、俺たちは延々とゲームや漫画の話で盛り上がった。

 幸は意外にも多趣味で、俺が知らなかった作品にも詳しかった。

 会話が弾むにつれて、俺の口数も普段より増えていった。

 まるで、何年も前から知ってる友達みたいに。

 気がつけば、時計の針は深夜を指していた。


「あ、すみません!私、こんな時間まで主任を足止めしちゃって!」


 幸が、はっとしたように時計を見て、慌てた。


「いや、俺も別に構わねぇから。おかげで、気分転換になった」


 本当にそう思ってた。

 普段の残業は苦痛でしかないのに、幸と話していると、あっという間に時間が過ぎた。


「あの、主任。よかったら、今度、会社帰りとかに、一緒にゲームの話しませんか?私、主任と話すの、すごく楽しいです!」


 幸が、顔を少し赤らめて、上目遣いで言ってきた。

 な、なんだと……!?

 これって、お誘い!?

 俺の脳内では、またしても警報が鳴り響く。


『緊急事態発生!恋愛フラグ、最大級の警告!』


「……まあ、気が向いたらな」


 なんとか冷静を装って答えたが、俺の耳は熱かった。

(もちろん気が向く!めちゃくちゃ気が向いてる!今すぐ話したい!)

 って心の中で叫びながら、俺は必死でポーカーフェイスを保った。


 幸は、俺の言葉に、少しだけ残念そうな顔をしたけれど、すぐにまた笑顔に戻った。

 その笑顔に、俺の心臓は再び**「ドクン!」**と鳴り響く。


 これは、もう、本格的にマズいんじゃないのか?

 俺の平穏な魔法使いライフが、まさかのラブコメ展開に巻き込まれていく……?



 秋風が都会のビル群を駆け抜け、俺の心にも一抹の寂しさを運んでくる今日この頃。

 東京・晴海の巨大な展示場じゃ、年に一度の「教育・研究設備EXPO」が開催されてた。


 広大なホールにひしめく企業ブース、飛び交う活気あるBGM、プレゼンターの熱い声。

 まるで巨大な生命体だ。

 社運を賭けた戦場ってやつで、俺ら社員は皆、「契約」の二文字を背負い、熱弁を振るいまくってた。

 

 周りを見渡せば、大手企業のブースはもう、目を疑うレベルだ。

 最新鋭の機器がキラッキラに輝いてて、コンパニオンのお姉さんたちが花を添えてる。

 まるで未来都市にでも迷い込んだ気分だ。

 それに比べて、俺らのブースときたら……うん、まあ、アットホームというか、手作り感満載というか……。


(正直、手作り感が過ぎるだろ!もう少し予算かけろよ、部長!)


「瓶田主任!こちらの電子顕微鏡、A大学の研究室の方が非常に興味をお持ちで!」


 そんな喧騒の中でも、幸の声は一際響き渡る。

 まるで初めての遠足に来た子どもみたいに目を輝かせて、ブース内を駆け回ってた。

 入社半年足らずの新人なのに、その溌溂とした態度と人懐っこい笑顔は、来場者の心を掴むのに十分すぎるほどだ。

 正直、俺は彼女のそのコミュ力に舌を巻いてる。


(俺も見習いたい、なんて一ミリも思わないけど。だって、俺は魔法使いだもん)


 俺はというと、一歩引いた場所から幸の活躍を静かに見守ってた。

 俺の担当は主に法人顧客の接待や、大口案件の最終調整だ。

 幸のように精力的に動き回るタイプじゃない。

 まあ、一言で言えば、陰キャ担当ってやつだな。


 陽キャの輝きは眩しすぎるんで、俺は日陰でひっそり咲くタイプの陰の花なんで。

 展示会初日、幸は早速、いくつもの小さな商談をまとめてきた。

 そのたびに営業部長の甲高い声がブースに響き渡る。


「素晴らしい!」


「さすがだ!」


 ……正直、耳が痛い。

 でも、小さな商社の命運を左右するのは、やはり**「大型案件」**だ。

 誰もがそれを狙って動いてた。

 俺もまた、いくつかの目星をつけてた案件の感触を探ってたが、なかなか決定打には至らない。

 焦りはねぇが、このままじゃ魔法使いになる前に部長の雷が落ちそうだ。


「主任、お疲れ様です!」


 休憩時間、幸がペットボトルのお茶を二本手に、俺のそばにやってきた。

 一本を差し出される。俺は無言でそれを受け取った。


「すごいですね、主任。あんなに難しい顔してた教授が、主任と話したら笑顔になってました!」


 幸は屈託のない笑顔で言った。

 俺が相手にしていたのは、以前から取引のある大学の教授だ。

 新たな研究室の立ち上げに伴う設備投資の相談だったが、予算が厳しく、なかなか話が進まなかったんだ。


「ああ。まあ、世間話の延長だ」


 俺は素っ気なく答えたが、内心では、幸が俺の仕事ぶりをよく見ていることに少し驚いてた。

 まさか、俺の地味な営業トークが、彼女の目にはそんな風に映ってたとは。

 俺のポーカーフェイス、完璧じゃなかったのか?


 いや、俺の地味さ加減が、逆に幸にとっては新鮮だったのか?

 そんなアホな。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る