僕と悪魔とキスシーン
進学校ながら部活動も盛んな文月学園の放課後は、テスト期間を除いていつも賑わっている。かくいう演劇部も、きたるべき公演に備えて放課後の練習に取り組んでいた。
「木下〜お前の演技は悪くはないんだよ。悪くはな。でもなーんか抗えない魅力というか……、生々しさが足りないんだよ」
そう台本を丸め自分の肩を叩きながら、秀吉に指摘するうっすら髭の生えた中年の教師は演劇部の顧問である。
「生々しさ……というと?」
「なんだろうな〜。今のお前の演技はまだ青いんだよ。清純な理想の存在って感じでな。それはそれで悪くはない。ただ、今回の役で求められるのは、人を惹きつける魔性の色気と生々しさだ。それが感じられない」
「むう……。そのような色気をワシが今持っているわけではないし、一朝一夕で身につけられるのじゃろうか」
「いーや、お前は演じきるだけの色気がある。まだ引き出せていないだけだ。だからこの役はお前しかいないと思って選んだ。けど、今のままだといまいち凡庸なまま終わっちまう」
「どうすればよくなるのじゃろうか……」
「今回は男を惑わし魅了し下僕にする悪魔、いわばサキュバスをモチーフにした役だ。だが今のお前にはまだ色気が足りない。んー、そうだな。お前、好きなやつはいるか?」
「へっ⁉ い、いないのじゃが……」
一瞬、明久の笑顔が頭をよぎったことは置いておき、秀吉は答えた。
「はは〜ん。その様子だと……。まあともかく。お前、性別関係なくモテるだろう?その中から誰かを喰っちまえよ」
「く、喰う……とは?」
「そのまんまの意味だよ。身体も喰って、心も喰らう。まさに今回の役にピッタリだろ?」
(身体は動かすためにあるのであって、食べるためではないと思うのじゃが……心を喰らうとは、心臓を食べるということじゃろうか?)
「むう……いまいち分からぬが……」
「まあお前ならできるさ。次の練習、楽しみにしてるぞ」
そして、顧問は今日は解散だーと言い放ち放課後の部活は終わった。
(まったく……喰うとはどういう意味なのじゃろうか……。あの顧問の言うことはいまいち分からぬ)
ぼんやり言われたことについて考えながら帰途につくべく空き教室を通りかかると、
「あれ、秀吉どうしたの? 部活帰り?」
と、空き教室の掃除用具入れから声がかかった。
「うむ。明久は……なぜそんなところにおるのじゃ?」
「ちょっとね……。多分もう撒いたから平気だと思うんだけど」
そう言って、掃除用具入れからひょっこりと出てくる明久。
大方、女子との接触がFFF団に見つかり追いかけられていたというところだろう。もはや日常茶飯事である。
「お主も苦労するのう」
そう言いながら秀吉が教室に入り、二人で後ろの入口付近の壁に寄りかかる。
「まったくだよ。なんで無実なのに毎回罪を着せられるんだろう?今朝もね……」
話し出す明久をよそに、秀吉はさっき部活で言われたことについて再び考える。
(身体を喰う……とはやっぱり他人の身体の一部に口をつけるということじゃろうな。それで本当に演技がよくなるのじゃろうか? ……分からぬのう)
「おーい、秀吉。聞いてる?」
「ああ、すまぬ。意識が飛んでいた」
「もー。でも、秀吉がぼーっとするなんて珍しいね。部活でなんかあったの?」
「まあそんなところじゃな……」
「僕でよかったら、話聞くよ? 話せることだったらで大丈夫だけど」
(確かに意味不明じゃったし、人に聞いてみるのもいいかもしれん)
「じ、実は……、さっき顧問に『男でも女でもいいからとにかく喰ってこい』って言われたのじゃ」
「何それ⁉ 全然意味が分からないよ?」
――事情説明中――
「あのね、秀吉。それは、その……エッチなことをすることをそう表現するんだよ」
「何を言っておるのじゃ。確かに顧問は変わった人間じゃが、そんな酔狂なことを言うわけなかろう」
「調べてみなよ……って秀吉は携帯を持ってないんだ。どうしようかな……」
如月アイランドで水没させて以来、秀吉は携帯を持たないままで生活している。……まあ彼が現代で携帯を持ったら連絡がひっきりなしで鳴るだろうから、持たないで正解とも言えるだろう。
「うむ……ああ、そういえばそのような類の本なら、姉上が間違ってはワシのカバンに入れたのがあるぞ」
朝、姉がうっかり入れてしまった薄い本の存在を思い出した秀吉は、カバンをがさごそと探し出す。
「秀吉のお姉さんそういう趣味あったの⁉ 確かに片鱗は見えていたけど、それでも衝撃的すぎるよ!」
「ほれ、開いてみるのじゃ」
そして、パラリと秀吉が開いたページには
『ユウイチ……俺がお前のこと喰ってやる! 覚悟しろ!』
とシンジが叫び、ユウイチにキスをしているシーンだった。
「……ほらね?」
「嘘じゃ! これではまだ食べるの範疇を出てないではないか!」
そう言ってもう一枚めくると、シンジが無理やりユウイチを押し倒し、くんすほぐれつなあらぬことをしていた。
『シンジ…おまえは一生俺のものだ!!』
「「……………………」」
そっと本を閉じ、気まずい沈黙が流れる。
「どうやら明久の言う通りだったみたいじゃ……。あの顧問め……疑ってすまぬ」
「大丈夫だよ。でもそんなこと他の人に話したら、秀吉が喰われちゃうから本当に気をつけてね」
「ワシが喰われるという前提がおかしい気がするのじゃが……」
「でも、先生も演技のためとはいえ、めちゃくちゃなこと言うね」
「スルーじゃと⁉ まあよいか……。顧問の実力は凄いのじゃが……その分、一般的な感性とはかけ離れてるのじゃろう」
実は昔、第一線で俳優として活躍し時代劇からファンタジーまで、どんな役もこなして世間に名を馳せた顧問。言動も芸術家のそれで、部員からも「やることなすこと何もかもおかしいが、指導だけは超一流で信用できる」と評判だ。どんな小さな指摘であろうと顧問の指導を受けると、雰囲気が変わりより臨場感が出るので不思議である。
(……ん? 顧問の言うことじゃ。本当に明久を喰ってみたら、よりリアルな演技ができるのではなかろうか?……いかんいかん。ワシは何を考えているのじゃ。しかし……)
いつも自分を振り回してくる明久に、いたずらをしてやりたいという嗜虐心がふつふつと湧いてきた。
(せっかくの機会じゃから、たまにはワシがからかってやってもよいのではなかろうか?普段から明久ばかりワシの心を乱してくるのは納得がいっておらんかったし……)
そう思いつき隣り合っていた姿勢から方向を変え、明久に向かい合い顔を覗き込む秀吉。
「そうじゃ。練習という事で、明久を喰ってみてよいかの? ……この脚本、キスシーンもあることじゃし」
「突然何を言いだすの秀吉⁉ 僕、まだ死にたくないよ!」
「ここには異端審問会も来ないじゃろう。なに、……せ、接吻するだけなら軽いお遊びのようなものじゃ」
(冗談とはいえ、ワシはなんて軟派なこと言ってるのじゃろうか……)
自分に似つかわしくない発言に、思わず顔が熱くなってしまう。
「今日の秀吉はどうしちゃったの⁉ そういうのも、アリだと思うけど……」
「どういう意味じゃ⁉」
「秀吉のためなら……一肌脱ぐよ!」
そう言って、今にも迫ってきそうな明久に慌ててさっきの発言を訂正する。
「じょ、冗談じゃから真に受けんでよい!」
「…………そ、そうだよね。最初から分かってたよ…………」
「明らかな気の落ち込みようじゃな…………」
「だって、期待しちゃうじゃん……」
「いつもの仕返しにからかったワシが悪いのじゃが、同性であることを考慮しないお主もお主じゃな……」
「? 秀吉は秀吉だから問題ないよ? あといつもの仕返しって、僕何かしたっけ?」
「そうやっていつもワシの性別を間違えてくることの仕返しじゃ。ワシはちゃんと男なんじゃぞ?」
「あはは。だって秀吉は――」
「だから! ワシは本当に男じゃと言っておるのじゃっ」
思わずムッとして、右腕を壁に着け明久を追い詰める秀吉。
(秀吉がこんなに感情を露にするなんて珍しいなあ。……って、とにかく怒らせちゃったなら謝らなきゃ)
「ご、ごめんね? 秀吉が可愛いからといってちゃんと男扱いしないで」
「可愛いとかいってくるそういうところじゃ! なぜかお主にそういうことを言われると……変な気分になるというか……。とにかく、同性同士で接吻をするなどおかしいことで、お主も嫌じゃろう?」
「秀吉ならいつでも大歓迎だよ!」
(確かに同性同士なら難しい問題かもしれないね……って、やばい! 心の声の方を口に出しちゃった!)
「…………………」
顔を赤らめてうつむく秀吉。
「ごめん、また怒らせちゃった……?」
(なぜワシはこんな女扱いを受けて嫌なはずなのに……嬉しいのじゃ? 全然分からぬ……。やはり、ワシばっかりこやつに振り回されている気がして悔しいのじゃっ。どうしかしてやり返したいのじゃが……)
思考すること数秒。
(そうじゃ。本当に接吻をしてしまえば流石にこやつも驚くじゃろう! ……って何を考えとるのじゃワシは……)
「おーい。秀吉ー?」
(でも、だ、大歓迎って言ってたし……。いやそれは冗談じゃろうが……あーもう! なんでこんなに悩んでいるのじゃっ。 一回やってみれば、明久も自分の言動を反省するじゃろう! なるようになれじゃ!)
自分らしくない思考に疲れた秀吉はやけになったのか、
「いつも振り回すようなことを言う明久が悪いんじゃからな」
と、自分の唇をそっと明久の唇の上に一瞬だけ優しく重ねた。
「………………ほれ、嫌じゃろう? これに懲りたら、もうワシを女扱いするのは辞めることじゃな」
そう言い捨てたかと思うと、恥ずかしさのあまり教室を飛び出した。
(やってしまった…………。やってしまったのじゃ。自分で撒いた種とはいえ、明日どんな顔で明久に会えばよいのじゃ……)
一方残された明久。
「………………え?」
(What happen? Why?……じゃなくて、今何が起こったの⁉ 秀吉に本当にキスされた!? なんで!? いや、落ち着け明久。これは夢だ……うん、勉強合宿の時みたいな夢オチのはずだよ)
必死に自分にそう言い聞かせ、頬をつねってみる。
(うん、しっかり痛いね。それにしても、秀吉の唇柔らかかったなぁ……)
そして、刹那の間だけ触れた唇の感触を思い起こして幸せな気分になる。
(……って、やっぱり現実なのこれ⁉ 秀吉は嫌じゃろう? って言ってたけど、幸せしか感じない僕はおかしいのかな…………。ううん、秀吉は性別を超越してる存在だからこれはノーカウントだよ)
一瞬、自分に同性愛の気があるか疑うがそんな思いはすぐに消え失せた。そんなことより、
(今のキスは、練習のためだったんだよね……? あと、明日どんな顔して会えばいいの……?)
一人火照る顔を手で押さえうずくまり、来たるべき翌日のことを考えるのに必死だった。
――その頃、演劇部の部室では顧問が一人
「木下にはああ言ったが、あいつ奥手だからできるか分かんねえな〜。相手次第だな」
脚本を見返しながらぼやき、
「それに、あの脚本――
最終的にはサキュバスの方が人間に魅了されちまう話だけどな」
と、つぶやいた。
まあ明日に期待だなと思いながら、脚本を机に投げ廊下に足を向けた。
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