【連載版】 天然聖女は元勇者の呪いを解くため、魔物に狙われ続けることを選びました

オオオカ エピ

第1話 治癒魔法が使えない【1日目】

 「姫。もう、ここへ、一人では来ないでください」


 美しい顔を苦渋に歪ませて、その神官は厳しい口調で言い放った。


「お立場をご理解ください。あなたは、聖女で王の婚約者なのです」

「アランさま、聖女は神職ではありませんが、女神とは方向性を同じくするもの。神職の皆様とは、一緒にお仕事をすることもございましょう。女神教の総本山たるこちらの大神殿のことを、もっと知りたいと思うのはおかしいことでしょうか?」


 レニーは食い下がった。


 しかし、『聖女』という肩書を言い訳に、レニーが神殿を訪れている理由を、目の前の神官は察しているのだろう。


 レニーことエレーナ・バイオレットは、とある小国の王と使用人との間に生まれた末子だった。

 『聖女』の資質が発現した為に、急遽、姫という肩書を得た。


 そして、この国——ルミナス王国には、王の婚約者という外交手段の道具として、送られてきたに過ぎない。


 王のことは素晴らしい人物だと認識していたが、レニーの心は初めて会った時からこの神官——アラン・ゲレルに向いてしまった。


 すっと通った鼻梁、長い睫毛。薄鈍色の髪に縁取られた麗しい顔にも勿論、目がいく。

 何よりも、初めての国で心細いレニーに不器用に微笑んで、和ませようとした気遣い。淡紫色タンザナイトの瞳に宿る孤独。


 些細な数々なことに、心を鷲掴みにされるのに時間はかからなかった。


 レニーの視線に含む想いに気づいているだろう、アランを困らせている自覚もある。


 痛みに堪えるようにアランは淡紫色タンザナイトの目を反らした。


「せめて、三年前にいらっしゃってくだされば⋯⋯」

「どういうことですか?」


 レニーは首を傾げた。


「いえ、なんでもありません」


 何かを振り切るように、視線を上げたアランは、レニーの背後を見詰めて顔を強張らせた。


 レニーも急に、背後にいいようもない悪寒を覚える。


「あぶない!」


 振り返るよりも前に、アランに位置を入れ替えられ、突き飛ばされた。

 魔物がそこに現れたことを、レニーは認知する。


 大きな蜘蛛の硬質な黒い爪がアランの肩を抉っていた。


「アランさま!!」

「大丈夫、かすり傷です」

 

 蒼白になるレニーを背中に庇うと、アランは魔法の詠唱を始めた。


 瞬き一つせず、魔物からは決して目を離さない。

 

 アランの指先から放たれた白い魔力の光が、ものすごい速さで交差し、糸のように複雑に絡み合い形を成していった。


 (なんて綺麗な魔法)


 レニーはこんな状況でも、感嘆した。

 

 その短い時間に、アランはいくつもの『防御』魔法を紡いでいた。


 二人の周りを囲む『防御』結界。

 アランが自身の身体にかけた『防御』魔法各三種—物理防御、魔法防御、侵食防御。


 自分の魔力で守られたものから、自身が弾かれるのを魔法。

 痛覚の伝達を魔法。 


 アランは足にも魔法をかけた。


 滑るのを魔法。

 落下を魔法。


 アランは重苦しい神官服を脱ぎ捨てた。

 肩の傷の血は止まっているようだった。


 身軽な白のチュニックにズボンだけの姿だが、神官にはそぐわないものが一つ。


 彼は剣を帯びていた。

 白い鞘を払うと、アランは剣にも魔法をかけた。


 自分への攻撃を魔法。

 敵への攻撃が防がれるのを魔法。

 剣が自分の手から離れ落ちるのを魔法。


 最後に、かけた全ての『防御』魔法が破られるのを魔法を上掛けする。


 準備を終えたアランは、間をおかずに魔物に向かって走り出した。


 落下を魔法の効果でアランは、階段を登るように足場のない空中を駆け上がっていく。

 

 アラクネという、上部が女体で下部が蜘蛛の魔物がいるが、これはどうみても壮年の男性にしか見えない人のような上部を持っていた。


   

 アランは躊躇なく魔物に肉薄し、軽やかに一閃を放った。

 ケーキを切る様な手軽さで、毛むくじゃらの黒い足が一本飛ぶ。

 傷口からは、紫黒色の瘴気が吹き出し、魔物が吠えた。


 瘴気は空気中に散漫するが、『侵食防御』の効果でレニーのところには届かない。


 「神官なのに、物理攻撃?」


 思わずレニーは呟いた。

 アランの、猫のようにしなやかな身体の動きに、目が奪われる。


 美しい太刀筋だった。

 舞う様に軽やかに躱し、いなし、二本目の脚を抉る。

 

 アランを貫こうとしていた、瘴気を纏う黒い爪が、崩れて形を喪った。


 「あれは、もしかして聖剣?!」


 『防御』魔法の効果で、魔物のどんな攻撃もアランを捉えることは出来なかった。


 アランは淡々と剣をふるい、脚を全て削がれた魔物はバランスを崩して倒れたところを頭を貫かれて塵となり果てた。


 魔物から剣を抜いたアランは軽やかに降り立ったが、レニーの居る結界の中に戻るや、ぐらりと身体が傾いた。


 足をついて一度は耐えるが、ごほっと血を吐いてアランは倒れ込む。


 レニーは、寸前に滑り込んで頭部が地面に落ちるのを防いだ。

 アランの頭を膝の上に乗せて、声をかける。

 

「アランさま。早く、治癒してください」

「私には、『治癒』魔法は、使えない、のです⋯⋯」

「神官なのに?」


 そう。

 神官なのに、アランは魔法では無く剣で攻撃し、魔物を斃した。


 神官になれる者は総じて魔力総量が多く、それぞれに秀でた魔法攻撃手段を一つは有しているものである。


 そして、神官なることを許された者は、女神と契約し、女神の加護を得る。

 女神が神官に与えるのが『治癒』魔法だった。

 逆を言えば、神官で無ければ、一部の例外を除いて『治癒』魔法は使えない。


 『治癒』魔法に付随して『防御』魔法などのフィジカル『強化系』魔法を手にする場合もあるが、あくまでもおまけ扱いの魔法のというのが一般常識だった。


「『防御』魔法は使えるのに?」

「私は、『防御』魔法しか、使えな⋯⋯ぐぶっ」


 アランの口から再度、血が吐き出された。

 瘴気に侵された赤黒い色をしている。

 アランの目が閉じられた。息が荒い。

 

 瘴気が身体を蝕んでいた。


「アランさま。今、わたしが⋯⋯」


 レニーはアランの身体の上に手を掲げ、集中した。


 レニーは聖女である。

 

 一部の例外——つまりは聖女。レニーのことである。

 聖女は女神の加護なしに『治癒』魔法が使える。


「いらくさのおとめよ。聖女がお願い申しあげます。その力を⋯⋯」


 掌から溢れる光りが集約し、アランへと注がれ、バチっと弾かれた。


 「な、んで?」


 レニーはアランの身体の状態を確認した。『防御』魔法が『治癒』魔法を阻害していた。


 血が止まった様に見えた肩の傷も、治した訳では無かった。

 アランが自身の身体にかけた『防御』魔法が、血が流れ出るという状態をいた。


「なんて拡大解釈」


 防御の概念を限界まで広げ、攻撃も治癒までをも拒絶する絶対結界のような効果を生み出している。


 だが、アランは呼吸で入る瘴気を防ぐという魔法をかけていなかった。


 アランは瘴気の可能性を見落としていたのだろうか。

 あるいは、一度にかけられる『防御』魔法に、制限があるのかも知れない。


 口から肺に入った瘴気が、アランの身体に渦巻いてダメージを与え続けている。

 

「アランさま。『防御』魔法を解いてください。治療が出来ません」

「⋯⋯っ」


 アランは薄く目を開くが、反応出来ない。意識が混濁しているようだった。


「どうすれば⋯⋯」


 レニーは考えを巡らせた。


 今、アランは、呼吸によって取り込んだ瘴気に侵されている。

 つまりは、そこには『防御』魔法が及んでいないということだ。


 魔法とは、魔力の総量に左右はされるものの、具現力は想像力に依存すると言っていい。

 

 レニーは治癒の術式を心の中で唱え、その魔力を口の中に溜め込んだ。

 唇を重ね、口から直接魔力を注ぎ入れる。


(これは治療行為。不可抗力)


 送った魔力が行き渡るのを感じた頃、ぴくりとアランの身体が動いた。

 熱を帯びた掌が、レニーの頬に添えられる。


 治療行為だったはずの口づけの感触は一変し、互いを求める想いが唇を通して触れ合った。


「あ⋯⋯」


 惜しむように離した唇から、深い吐息が漏れた。

 

 美しい淡紫色タンザナイトの瞳がレニーを見詰めていた。

 その視線に漂う熱に、頭の奥は真っ白になる。


(わたしはこの人が好きだ)


 レニーは自覚した。


(ずっと、好きだった)


 この国に来て、初めて見かけたときからずっと、目を離せなかった理由をレニーは識る。


「アランさま、わたしは⋯⋯」


 言葉と視線を振り切るように、アランは身体を起こしてレニーに背を向けた。


「申し訳ありません。肩の傷も癒やしていただけませんか?」

「あ、はい」


 アランが身体にかけた『防御』魔法を解除したとたん、滴り落ちる程の血が衣を染め広がった。

 かなり深い。

 

 レニーは必死に傷口を塞いだ。

 痛覚伝達を魔法も一緒に解除されたと思われたが、アランはうめき声ひとつ漏らさない。


 傷は、痕を残すこと無く、塞ぐことができた。


「エレーナ姫。ありがとうございます。お見苦しいものを、申し訳ありませんでした」


 垣間見せた熱は影を潜めていた。

 儀礼的な敬語で彩られた、淡々とした口調に戻っている。


「アランさま?」

「アラン、姫を救ってくれたのか。礼を言う」


 レニーの後ろからかけられた声があった。


 フレール王が来ていた。

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