生まれ変わりの騎士は今世でも王女を護る

daichi

前編

 とある城の一角、石の回廊を進む二人があった。


 一人は男で、二〇歳半ば辺りの若者である。やや長めに伸びた黒い髪と黒い瞳をしていた。胸には革で出来た防具を当てており、鞘に収まった短剣を左腰に携えている。男の右手には、既に抜き身となった長剣が握られていた。

 彼は焦りを表情に浮かべ、ただ真っ直ぐに前を見据えながら走っていた。

 また、彼は『もう一人』を左の腕で抱えていた。

 彼が抱えているのは幼女であった。まだ五歳になるかならないか程度の年齢である。金色のその髪が空気の流れに合わせてはためいていた。

 彼女は、自らを抱える男の胸に、しがみつくような形で顔をうずめている。嗚咽を漏らしながら、時折体をぶるりと震わせていた。


 そして今、彼らが進む先……T字路に分岐する突き当りの曲がり角から複数の人影が現れる。幼女を抱える男のような軽装ではない。全身を金属製の鎧で固めた兵士たちであった。

 幼女を抱えた男と角から現れた兵士たち……彼らは、互いに姿を認識するや否や駆けていた足を止めた。


「サントラルクの騎士だ! 王女もいるぞ!」


 兵士たちの内、先頭に立っていた者がそう口火を切った。彼の言葉に呼応するように、後続の兵士たちが更に姿を現す。視界の範囲内にいるのは合計六名だ。


 一方、幼女を抱えていた男は、先頭の兵士が声を上げ始めた段階で既に疾走を開始していた。男は逃げるのではなく、兵士たちのいる方向へと向かう。

 子供とは言え人ひとりを抱えているとは思えないほどの速度だった。そして、その足取りには、多人数を相手にすることへの恐れなど全く見られない。


「オオオォ——‼」


 男の気迫に気圧されたのか、先頭にいた兵士が半歩ほど後ずさる。

 接敵まで四メートル強というところで、男は左足を前に踏み出した。体は半身に、右手で握った剣を頭の横に、刀身は水平に、剣先は相手へ向く……そういう構えだった。

 そして男は剣を突く。

 右足の踏み込み、真っ直ぐ前に突き出された右腕、1メートルにも及ぶロングソードの刃渡り……そういった要素が、3メートルはあった間合いを一息に潰す。

 剣先は、先頭の兵士の頭部真ん中へと刺さった。いや、刺さったというよりも陥没させたと言うべきか。剣に似つかわしくない破裂音を立てながら兵士だったものは勢いよく後方へと倒れた。


「……」


 目の前で見せられた光景に兵士たちの動きが硬直する。

 その静寂の中、男は、踏み出した右足を引き、剣先を天井に向ける様に持ち上げ、頭の横で構え直す。


「囲め! 王女ごとでいい!」


 誰かが、高い声で叫んだ。

 動きを止めていた兵士たちが動き出す。

 彼らが居るこの廊下は幅二メートル程、三人横に並んで戦うには少々狭い。兵士たちの内、前にいた二人が左右に分かれた前に進んだ。

 幼女を抱えている男から見て右側の兵士は、上段の構えからの振り下ろしを……左側の兵士は男のやや側面に回り込んだ上で、外から内に向けて剣を切り払う姿勢を見せている。


 男はそれらの動きを観察した上で動き出す。

 右斜め前に踏み込み、右の兵士の正面に位置取る。そして、右の兵士が今まさに振り下ろそうとした剣の側面に当てる様にして剣を斜めに振り下ろし自身の左側へと受け流していく。

 その際、剣先を完全に振り下ろさず、、刀身の根元の部分で相手の剣を左へと誘導していく。

 そうして、左の兵士が繰り出してくる横薙ぎも含めて一本の剣で受け止めた。


 敵二人の剣を同時に絡めとった所で、男が攻勢に転じる。

 剣先を前に残したままの、つまり敵の方に向いたままの剣を右側の兵士へと突き出す。剣は兵士の喉を穿った。

 男は、敵の体から剣を引き抜かず、

 左腰に吊った短剣に手を沿えながら左側の兵士へと近づき、その胴と腰の間あたりにある甲冑の隙間へと短剣の刃を通す。男は短剣を放り捨てた。

 男は、


 男は、剣を引き抜くと同時に、その兵士の体を蹴り飛ばし、後方の兵士に受け止めさせた。

 金属の甲冑により百キログラムを越えるその体を受け止めた兵士は、尻もちをつき、それから仰向けに倒れた。自身の装備の重量もあってすぐには立てない。この場においては死に体になったも同然である。


 倒れた兵士を飛び越え、更に奥へと男は身を投じた。

 着地と同時に、男は右足を前に出し、剣を握る右手を左腰に引きつける構えを取る。

 その時点で男が認識していた敵は、正面と左側にいる二名……そして右側、曲がり角の先に新たに見えたもう一名である。

 正面の兵士へ向けて男は突きを繰り出す。下から跳ね上がった剣先が、敵の掲げた剣を弾き、眉間を突き刺す。


 男は、剣を十数センチだけ手前に引き戻すと、右側の兵士への横薙ぎに動きを派生させた。


「むっ……」


 剣を通して伝わる振動。次に男は、自身の剣が止められたことを目視で把握した。

 無理のある動きだったかのか……それとも、敵の練度が想定よりも高かったのか……あるいは、複数の要因が絡んだのか。

 ともかく、男の動きが一時止まった。

 そして、先ほど横薙ぎに移行するにあたって男の体は右側へと向いていた。つまり、左側の兵士へと無防備な背中を向ける状態となっていたのである。


(後ろからなら……!)


 左側の……いや、既に男の後側に位置する兵士が腰だめに剣を握った。体重を乗せるように突きを放つ。

 だが、男は、正面の兵士に視線を向けたまま、右足を引いて半身でそれを避けた。


「が、ぁ……っ!?」


 男は依然、視線を前方に固定したまま、剣の柄の方で後方の兵士の鼻柱を殴った。兵士の頭が弾けたように後方に傾き、仰向けに倒れる。


 一方で、男の正面に位置していた兵士は、一度は男の剣を受け止めただけはあってか、男が後方の兵士を殴った時に晒した僅かな隙を狙って剣を横振りにする。

 そして――


「……えっ?」


 その兵士は気づいていなかった。男が後方の兵士を柄で殴ったその時の体勢について、剣が右肩よりやや後ろに引き絞られていることに、剣が水平に構えられている事に、そしてその切っ先が自身へと向けられていることに。……つまるところ、突きの構えは既に整っていたのである。

 兵士が男に剣を当てるよりも早く、彼の喉には男の剣が突き刺さっていた。

 剣を引き戻し、軽く振って血を落とす。男の周囲にはもう敵の姿は無かった。


(7人……小隊規模か?)


 そんなことを考えながら、そこらに放り捨てていた短剣を拾い上げる。長剣と同じように血を振り落とし、左腰の鞘に納めた。


「——ディノン」


 かけられた声に対して男は、自身が左腕に抱えている幼女を見下ろす。

 幼女は、埋めていた顔を離してこちらを見上げていた。震える声とその表情から不安な気持ちが分かりやすく伝わって来る。


「問題ありません。行きましょうか」


 ディノンと呼ばれた男は、心の中の焦燥感を隠し、つとめて穏やかな声と表情で言った。

 死体を見せぬよう、さりげなく彼女の視界を腕で遮る。

 ディノンは再び走り出した。




「——ここか」


 城の一階、中央付近に存在する一室。人間四人が横並びになっても通り抜けられるサイズの重厚な木製の扉の前でディノンは立ち止まった。

 時間が惜しいとばかりに直ぐに扉の取っ手を掴んで室内に押し入るのだが——


「いたぞ! こっちだ!」

「チッ」


 こちらを指さし声を上げる敵兵の姿にディノンは舌打ちをする。しかし、動きは止めずに室内に入り込む。


「下ろしますね。ミルヴァ様」


 素早く、しかし丁寧に抱えていた幼女を男は床に立たせた。

 そして、壁面に沿って立ててあったデカイ棚を扉の前に倒して封をする。

 ドンドン、と後から来た兵士たちが扉を開けようと叩いた。


「オラァ!」


 ついでと言わんばかりに、部屋の中央に置いてあった長さ4メートル程の大理石の机を持ち上げ、扉の方へと叩きつける。間に挟まれた棚がミシリと軋みを上げた。


『もっと人を呼んで来い!』

『数で押し込め!』


 扉の奥から、そんな声が聞こえてくる。


「ま、数分は持つだろ」


 ディノンはそう言って、この部屋に備え付けられた暖炉の側にまで歩いた。

 暖炉には火が入っておらず、燃焼材となる薪も入っていない。灰汚れもついてない石のブロックがむき出しとなっており、新品同然の状態で暖炉はそこにあった。


「——さて」


 彼は暖炉の中に手を伸ばし、左側手前の下から二番目の石ブロックに手をかけた。その石の一段下にある石には、指が入るくらいの“欠け”が出来ており、そこから上段の石を引き抜けるようになっていた。さしたる抵抗もなく石はスルリと引き抜かれた。

 すると——


 ——カラカラカラカラカラカラ

 ——カチ、カチ……カコン、カチ、カチ……カコン

 ——ギィ……ギィ……ギィ


 歯車の回る音、一定のリズムで叩かれる音、何らかの部品が擦れ合う音……様々な『作動音』が多重奏となって聞こえてくる。

 また、その音に合わせて暖炉の奥面が徐々に下がっていく。

 数十秒もしたところで仕掛けは止まった。

 暖炉の奥に既に石の壁はなく、薄暗い通路が続いている。ただ、それなりの横幅と高さの通路に設定されているらしく、大人のディノンでも少し中腰になるだけで進める様に見えた。

 ……最も、ディノン自身はこれを使う気はなかった。


「ミルヴァ様、こちらへ」


 ディノンは、自身がミルヴァと呼んだ幼女へと手招きをする。

 そうこうしている間にも、扉が叩かれる音は一層に激しさを増していた。斧か何かを持ち出したのか、扉へ与えられる衝撃の音は既に打撃のそれでない。

 ディノンは無礼だと思いながらも、暖炉をくぐるミルヴァを後方から押し出し、なるべく早く隠し通路の方へと移動させた。


「ディノンも、早く!」


 事の切迫性は理解しているのか、ミルヴァは通路側からこちらを覗き込んで手を伸ばす。

 しかし、ディノンは首を横に振った。


「残念ながら、私はここまでです」

「なんで⁉ 早く!」


 ミルヴァの声にディノンは応じない。

 彼は、手にした石のブロックを元の場所へと嵌め直した。そして、先のカラクリが動作する音と共に、通路と暖炉を隔てる石の壁が徐々にせり上がって来る。


「ディノン!」

「通路の先では、ステバンス伯が脱出の準備を進めている筈です。行って下さい!」


 こちらへ戻ってこれないようディノンはミルヴァを後ろに突き飛ばした。

 ゴロリと背中から転がったミルヴァの姿を、彼女を見た最後の記憶としながらディノンは立ち上がる。


 扉の方へ視線をやると、腹の高さ辺りに刺さった斧の刃が扉を貫通して見えていた。敵兵士が中に入って来るのにもうほとんど時間はかからないだろう。予想より早い対応だ。

 ああ、残ってよかった……そうディノンは思う。もし自分までもが王女と一緒に隠し通路に入っていたら、その瞬間を見られて直ぐに後を追われていたかもしれない。しかし、こうして残る事で、通路利用の瞬間を敵に見せずに済むことが出来る。

 そして遂に、上下に分断するように真一文字に扉にきずが刻まれる。


『よし、一気に押し出せ!』


 息を合わせる声と共に扉に衝撃が加えられる。倒した棚と机バリケードに遮られることなく、完全に独立した扉の上部のみが蝶番ごと室内へと弾き出された。


「乗り込め!」

「——乗り込むのはお前たちじゃない、俺だ」


 室内に入り込もうとバリケードに足をかけた兵士の顔に膝蹴りが入った。その体が通路側へと押し戻され、仰向けとなって倒れる。

 そして、膝蹴りと共に室内から通路側へ跳び入ってきたその存在は……勿論ディノンだ。


「防衛戦なんて性に合わないからな。……殲滅してやる」


 左右に囲まれた状態にありながらディノンはそう言ってみせた。

 ディノンは、相手の動きを待たずに動き出す。

 ディノンに狙われた兵士は、身を守るように剣を正眼に構えていた。


「カアァッ!」


 しかし、ディノンはそれに構わず、両手で握った長剣を横に薙ぐ。長剣は、構えていた剣に加えて、兵士の纏っていた鎧・兜ごと相手の首を断った。


 そんなディノンに背後から迫る影が一つ。

 だが、そのような奇襲が今さら彼に通用する筈もない。その兵士は、ディノンに回避行動を取らせることなく、その刃を届かせるよりも先に、振り向きざまに放たれたディノンの剣で腕を断たれた。

 ディノンは側面から来る兵士の横薙ぎを掻い潜り、その体へ体当りした。通路の壁に体を打ちつけた兵士の頭へと剣を突き立て、素早く引き抜く。

 ディノンのそのまま壁を駆け上がった。そして、上半身を捻って振り返りながら、背後から迫っていた兵士を唐竹割りにする。


 幼女を抱えながら戦わなければならない、片手だけで戦わなければならない……そういった制限が取り払われたディノンは、全方位に向けて暴力の嵐を振り撒いた。

 もはや防御も、回避も、奇襲も、全てが意味をなさず。段違いの力と速度で兵士たちは圧倒されていく。最初は勢いのあった波状攻撃も時間の経過で躊躇いへと変わっていく。

 それでもディノンは止まらない。敵の集まる場所へと自らを投じ、再び乱戦を作り出す。

 そして——




「……」

 戦いを始めてから何分経ったか。

 ディノンの足元には血溜まりが出来ていた。血に浸っていない床面は探せどもない。見れば、通路の十数メートルに渡って兵士たちの死体が散乱していた。

 兵士たちの数は尽きることを知らず、最初の頃よりも寧ろ多く集まっていたが、その異様な光景を前に二の足を踏んでいた。

 そんな、死で染められた一種の結界の中でディノンは考える。


(王女は無事、逃げおおせただろうか)


 ディノンが聞く限り、帝国は他国を侵略すれども、民への略奪を行ったという話はない。奪うのではなく、支配・管理する。その過程で必要以上の虐殺は起こらない。ステバンス伯の用意する偽の戸籍で別人となれば、王家の血を因にミルヴァの命が狙われることはないだろう。

 そして、折を見て東のカナリア王国へと亡命する手はずとなっていた。


(最後までついて行けないのは名残惜しいが……まあ、俺みたいなのがいたら怪しまれるかもしれないしな。ちょうど良かったかもしれん)


 護衛対象の行く末を思い、ディノンは静かに目を瞑った。


 ——だが、それもつかの間のこと。そもそもここは戦場である。


「……!」


 普段以上に目を見開いた彼は、飛来してくる物体を剣で斬り払った。

 軽い音を立てて床に落ちたのは、投擲用のナイフである。


「おぉ……これは随分と殺したもんだな」


 場違いにも感嘆の声が上がる。


「斬り殺された帝国の兵達……そしてその死体の中に立つお前……なるほど、相当に腕が立つ。

 となるとお前は、英雄好きだと云うこの国の王が集めていた勇士の一人、といったところか」


 声の主は、何の気負いも感じさせずに死臭漂う領域へと足を踏み入れていた。

 灰のケープをまとった男だった。


「あの……もう直ぐ弓兵も到着しますので、そしたら――」

「馬鹿。そしたら、あの部屋の内側に陣取って防衛戦に入られるだろう。或いは、あれだけの腕があれば逃げられるかもしれん。奴を捕まえて王女の居場所聞き出すには、こちらから仕掛ける必要があるというところだな」


 背後から声をかける兵士に対して、ケープの男はそう返した。


「ほら。これを持っていろ」


 男は、脱いだケープを兵士の方へと放り投げる。露わになったのは、金属の胸当てや肩当て……ディノンとそう変わらない軽装備であった。

 一見して、他の兵士達よりも下の立場に思えるような格好であったが、その佇まいは堂々としている。


「さて……戦う前に一つ聞いておこうか」

「なんだ」ディノンは言った。

「こちら捕虜になるつもりはあるか? 温情を出すにはちょっと殺し過ぎてる気もするが……王女の居場所を吐いてくれれば命くらいは助かるだろう。俺がそのように口利きしてもいい」

「断る」

「そうか……ま、予想通りだな。なら——戦うか」


 男の言葉に、ディノンは剣を構えることで応じる。先程までの荒々しさはなりを失せていた。背筋をシャンと伸ばし、上段の構えを取る。


 そして男も、自身の獲物……腰の両脇に刺さった二刀を引き抜く。細長い三角形の剣身で、刃渡りはディノンの長剣の三分の二と言ったところか。

 男のそれは奇妙な構えであった。左足を前に出し、左腕を前に真っ直ぐ伸ばし、左手に握った剣を垂直に握る。そして、その剣の鍔に触れさせるように右手の剣の先端部分を添えていた。

 二刀流というものを知らないディノンであったが、それでも随分と歪な構えだと感じた。


 そして戦いが始まる。

 ディノンは、前方に踏み込みながら剣を垂直に振り下ろした。

 それに対して男は、左手を前にした構えを崩すことなく横へ避けた。ディノンから見て左側である。

 剣を振り下ろした姿勢のディノンに、男は、右手の剣で突きを繰り出す。その切っ先がディノンの胸部へと迫った。

 しかし、ディノンも同時に動いていた。振り下ろした剣を男に追尾させるように跳ね上げる。狙う先は、突きの為に出された男の右手首だ。


(そこで攻撃を優先するのかよっ)


 男はそう思い、しかし笑う。

 果たして、結果は――


 ――キンッ


 肉を斬るような鈍い音ではなく、金属同士がぶつかり合った高い音が鳴る。

 男の手首は断たれてはいなかった。代わりに、剣を持つ男の腕が弾かれたように上がっていた。


(引き手が速いな……)


 感嘆を覚えつつも、ディノンは攻め手を緩めない。

 男の右側面を通り過ぎるようにして横薙ぎを放つ。今度は屈んで躱されないよう、胴体部分を狙っている。

 腰を中心にコンパクトに振ることで、横幅に限りのある通路でも成立させた胴薙ぎ……横に躱す場所はない。後ろにならば跳んで逃れられるが、それはただの仕切り直しで、ディノンの隙を突くことは出来ない。

 男は前に進んだ。

 加速しきる前の剣の先端弱所を、左手に持つ剣の根元強所で受ける。これなら片手でも受けられる。

 そして、剣の根元から先端へと滑らせる様に、自身が潜り抜けるための隙間をこじ開ける様に、ディノンの剣を上方へと受け流した。

 がら空きとなったディノンの胴へ男は右手の剣を突きこもうとする。

 対してディノンは……回った。


(受け流された剣の勢いを止めず、独楽のように一回転……そして再度の横振り……っ! 迅い! 躱せん!)


 男は、空いた左手の剣でそれを受け止めようとした。しかし、それは先程とは違い遠心力の乗った一撃……分が悪いことは男にも理解できていた。


「——ハァァ!!」

「——オォォ!!」


 両者の雄叫びが重なり……そして決着は付いた。




「——状況が、悪かったな」


 第一声を発したのは、二刀使いの男の方であった。

 ディノンは何も語らず、ただその場に膝をつく。腹部に剣が刺さっており、そこから血が流れ出ていた。


「お前は多くを斬りすぎた。斬りすぎて、そして……剣のほうが耐えられなかった」


 男の言う通り、ディノンが手にしている剣は、剣身の半ばから先が欠けてしまっていた。折れた先の部分は、ここから幾ばくか離れた床面に落ちている。


「相当な名剣だったろうに……その追随すら許さないなんてな。本当に恐ろしい男だ」


 男は称賛をこめて言葉を連ねる。

 だが、それらは既にディノンの耳には入っていない。

 ディノンの意識は虚ろに塗りつぶされつつあった。既に目の焦点は合っておらず、俯いた姿勢で虚空を見つめている。


 ——ディノン、お前になら娘を任せられる。


 そう、誰かが言ったのを思い出す。


(——いや、誰かじゃない。これは、陛下の言葉か……)


 それは、戦場で負けを悟った王がディノンに対してかけた言葉であった。


(すまない陛下トリアス。約束は…守れそう…に…ない)


 意識が沈んでいく。

 それに抗う気力すらなく、ディノンは瞼を閉じる。

 あっと言う間に、彼の自我と言えるものはこの世から消え失せた。


 ——王国歴134年。ここに、一人の騎士が命を散らせる。



 * * *



「—————。—————。」


 声が、聞こえる。

 水面越しの、窓越しのようなぼやけた音であった。しかし、それは確かに自分へ向けられているものだと“彼”は確信した。

 外部からの刺激を受けて、急速に意識が浮上していく。


「お……子だ。マリ…………よ」


 耳に入る声が徐々に鮮明さを帯びていく。

 音以外にも、視界をぼんやりと包む光を感じる。温かみを感じる日の色をしていた。


「……大丈夫か? 泣かないぞ、この子」


 瞼を開くと、不安そうな顔をして覗き込む顔があった。

 黒目黒髪で二十代半ばに見える若い男性だった。頬が少しこけており、骨格の凹凸が分かりやすい顔をしている。


「そうね……。呼吸はちゃんとしているみたいだけど……確かに心配だわ」


 一人は女性で、金髪を肩まで垂らした美しい女性だった。大分疲弊しているのか汗だくで、髪や肌着がぺったりと張り付いている。

 彼女はこちらの頭を手のひらで撫でた。


 ——どうやら、自分は彼女に抱きかかえられているらしい。


 そう言った状況理解が出来る程度には“彼”の意識は覚醒していた。同時に、この状況に対する明らかな矛盾にも思い至る。


(なんで、俺……)


 体を起き上がらせようとするが、上手くいかない。軽く体を捩る程度の動作に留まってしまう。そもそも、体を動かす感覚からして全く別物であった。

 それを見た男性は、心配そうな表情を安堵へと緩ませた。


「元気に動いているみたいだし……大丈夫そう?ではあるな。

 ——ネーヴァもこちらに」


 男性が部屋の奥へ向かって手招きの動作をする。

 そして、一歩歩くごとに間を取りながら、時間をかけて慎重にこちらへ歩み寄って来る足音が聞こえてくる。

 その足音の主は、“彼”の視界の端から背伸びするようにしてこちらへと顔をのぞかせた。


(————は?)


 ただでさえこの状況に対して困惑を示していた“彼”が、さらなる驚きによって思考を硬直させてしまったのも無理はないだろう。

 なぜなら、新たに“彼”に顔を見せた人物——男性からネーヴァと呼ばれていた少女——の容姿には見覚えがあったからだ。彼女は、“彼”が主筋として仕えていたサントラルク王家……そこに連なる一人である王女ミルヴァにそっくりな顔をしていた。


(いやいやいやいや——)


 “彼”にとってはますます混沌としたこの状況になって、突発的に声を上げようとしたのだが——


「あ、あう……」


 口から出たのは言語ですらない間の抜けた声である。

 己の体が思い通りに動かない事に“彼”はもどかしさを感じる。

 だが、そんな“彼”の心情を、周囲にいる者達が理解する訳もない。彼らは彼らで喜びの感情を表にして言葉を交わし合う。


「いや、一旦はどうなることかと思ったが、問題がなくて何よりだよ。ただまあ、ちょっと落ち着き過ぎているのが気になるがな」


 男性からして見れば、困惑に喘ぐ“彼”の仕草もさほどのものではないらしい。


「どう…かしらね。こう見えて…活発だったり…して」


 そう言った女性の体がぐらりと傾く。男は女の肩を抱いて支えてやった。


「お前もよく頑張ってくれた、マリーサ。少し休んでいるといい」


 男は、妻の腕から”彼”を受け取ると、彼女を寝台で横にしてやる。

 男はしゃがみ込んで、ネーヴァと呼んだ少女の視線に自らのそれを合わせた。


「ではネーヴァ。前からお願いしていた件……頼んでもいいかな」

「この子の名付けのこと……?」

「ああ。君は、私たちの大事な家族だ……たとえ血のつながりがなくともね。だからこそ、それ以上に沢山の繋がりを作ってあげたいとも思う。私たちの子に君が名前を付けてくれるのなら、それは君とこの子を結ぶ大きな繋がりとなる」

「繋がり……」


 ネーヴァは、男が抱きかかえている”彼”の頬へと手を添わせた。


「この子が、私の弟に——」

「頼めるかな?」


 ネーヴァは男に視線を戻し、コクリと頷いた。


「——ディノン。この子の名前はディノンにします」


 こうしてディノン……ディノン=ステバンスは、前世の頃と全く同じ名前を背負ってこの世に生まれ直したのである。

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