月光交差点

しまえび

月光交差点

 中学の頃、私は男だった。

 表に出していなかっただけで、私はずっと女の子として生きたかった。でも周りは誰も知らなかったし、私自身も、それを言葉にできなかった。


 そんな私にとって、彼は特別な存在だった。
 一緒にゲームをして、バカみたいなことで笑って、くだらない噂でケンカして――それでも、気づけばまた並んで歩いてる。そんな日々が、私の居場所だった。


 しかし、私たちの関係はある日突然終わりを迎えた。

 きっかけはたわいも無い会話だった。


「月が綺麗ですね、って、昔の告白の言葉なんだってさ」


「なにそれ? 回りくどいね」


「だよな。でもさ、なんかロマンあるだろ?」


「うーん、よくわかんないなぁ」


 そんな流れで、彼が言ったんだ。


「あーあ。マジで、お前が女だったらなぁ……俺、告ってたかもな」


 言葉が、夕焼けの風に溶けていった。

 たぶん、深い意味なんてなかったんだと思う。ただの、ノリ。

 だけど私にとっては、致命傷だった。

 本当は「そうだよ」って言いたかった。
でも私には言えなかった。


 なにも言えなくて、ただ笑って誤魔化した。

 元々受験生だったのもあって、その日を境に彼とは少しずつ話さなくなっていった。


 それから時が流れて、私は変わった。

 いや――変わってしまった、と言うべきかもしれない。


 原因は、いまだによくわからない。

 突然の高熱、身体の異変、目覚めたら、声が、肌が、形が、別人になっていた。

 病院にも行った。検査もした。でも「何も異常はありませんね」と言われて、母と目を見合わせた。

 世の中には説明できないことがある。

 私の身体に起きたそれは、きっと、そういう類の例外だったのだと思う。


 ただ、奇跡のように与えられたこの身体を、私は拒まなかった。

 もともと、なりたかった私の姿だった。

 あの時「そうだよ」って言えなかった自分が、ようやく今、ここにいる。

 そう思ったら、涙が止まらなかった。


 名前を変えた。家も引っ越した。男だった私のことも、全部まっさらになった。

 今の私は、誰から見ても女の子だ。

 でもひとつだけ、変えられなかったものがある。


 あのとき、彼を好きだった気持ち。


 それだけは、どれだけ遠ざけても残っていた。



 * * *



 再会は、大学の合コンだった。

 断りきれなくて、友達に無理やり連れていかれた飲み会。

 
まさか、そこで彼と会うなんて思わなかった。

 彼には気づかれなかった。無理もない。私は声も、顔も、名前も違うんだから。


 話していくうちに、あの頃の彼と同じだって、すぐに分かった。

 
笑い方とか、ちょっとした癖とか。やっぱり、好きだなって思ってしまった。

 ずるいよね。私は知ってるのに、彼は知らない。

 
でも、それでも一緒にいられる時間が嬉しかった。


 帰り道、ふたりで並んで歩いた。

 酔いはとっくに醒めていて、でも心だけがぽうっと熱かった。


 昔と同じように、少し前を歩いては気づいて振り返る彼に、私はあの頃の記憶が重なって――気づいたら、言葉が出ていた。


「……月が綺麗ですね」


 彼が、ゆっくりと私を見る。

 その表情に、驚きの色が混ざる。


「……え?」


 もう、止まれなかった。


「名前、教えてもいいですか? 本当の、私の名前を」


 夜の風が、過去をなぞるように吹いた。
 

 彼は笑わなかった。ただ、静かに頷いた。


「じゃあ、俺も……もう一回、名乗るよ」


 あの頃とは違うふたり。


 でも、今なら――この距離を、きっと超えられる気がした。

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月光交差点 しまえび @shimaebi2664

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