第12話 竜騎士と魔法使い ※ ①

 リウがコラディルに渡した魔石を使い、結界が張られている屋敷へ第二王子と共にやってきた。

 第二王子はコラディルの相棒であった竜・ショアを死に至らしめた。

 なおかつ死に際にショアが呪いを向けた人物であり、リウが第二王子を庇ったため代わりに呪いを受けた過去がある。

 その際、父である国王は息子を呪いから庇った褒章にと、リウを竜騎士団の副団長へ押し上げてくれた。

 しかし、叙勲の際に第二王子が恨みがましい目を向けてきたことから、傍若無人なふるまいを窘められたのだろうことは想像に易い。

 第二王子に敵意を向けられる理由としては十分とは言い難いものの、逆恨みならばそこまでだ。

 メメルは窓の外を警戒したままジャケットの内側を探ると、中から短剣といくつかの魔石を取り出した。

「魔法使い相手じゃメメルも分が悪いとです。リウ様はさっさと逃げて」

 まさかリウを庇って、一人であの人数と戦うつもりなのか。

「ま、待ってくれメメル。そもそもただ話をしに来ただけかもしれないだろう。戦闘が始まると判断するのは早計だ」

 確かに門を壊して勝手に侵入してきたことは褒められたことではないが、それでも相手は一国の王子だ。

 王族に弓を引くような行為は、竜騎士として許容できることではない。

 だがメメルはリウをギロリと睨むと、大きく舌打ちをする。

「この屋敷の結界は、主様が認めた人間以外は誰も入れません。特に王族なんか入れないようにしてあるんす。その理由は――聞かされてないですよね、そうじゃなきゃ、そんな呑気な対応できねーです」

「なっ……」

 挑発的なメメルの言葉に、リウもカッとなる。

 だがメメルはリウがなにか言うよりも先に、胸元にズイと人差し指を突きつけた。

「なにも知らないお姫サマなんですよ。いや、知る気がないんですかねえ? こんな腰抜け野郎なら、やっぱりメメルの方がラーゴ様にふさわしいんじゃないですか」

「そんな、こと」

 強い目力でリウを睨みつけるメメルに、一瞬気圧される。

 知る気がないと言われ、そんなことはないと反論したかった。

 だが反論できなかったのだ。

 実際リウは気持ち一つラーゴに伝えることができずに、ただ与えられる愛情を貪るだけになっている。自分から動かず、ラーゴの気持ちに乗っかるだけ。

 そんなリウが、主のためならば気に入らない自分をも守ろうとするメメルに反論などできるわけがない。

 口ごもるリウに、メメルは大きなため息をつく。

「でも、メメルじゃ駄目なんですよ。アンタじゃないと、駄目なんです。だからメメルはアンタを守ります。勘違いしないでくださいね、ラーゴ様のためです」

「メメル」

「さっさと布団の中にでも隠れといてください。アンタになにかあったら、ラーゴ様が悲しむ」

 窓の外を警戒しつつ、メメルはそんなことを言う。

 だが女性に守られて身を隠すような、そんな人間でいられるわけがない。

 なにかあれば自分も応戦する、そう告げようとした瞬間、屋敷の外から大きな声が響く。

「おい! 出てこい! アイツが不在なのは分かってるんだ!」

 尊大な声は第二王子のものだ。言葉はまっすぐ室内に響き、メメルは再び舌打ちをしている。

「主様の不在を狙って来たクズだ」

 さすがのリウも、メメルの不敬を窘める気にならなかった。

 息を大きく吸い、それからゆっくりと吐く。

 今、呪いによる痛みはない。

 身体を動かせば分からないが、しばらく大丈夫だろう。

 ラーゴが戻ってくるまであと数時間ある。その間、複数の騎士と魔法使いを相手にメメルを守り切る自信は、ない。

「やはり狙いは俺だろう。王子としての面子を潰されたことに腹を立てているんだ。俺が行く」

「ちょ……っ」

 メメルの制止を聞かず、リウは扉へと向かった。そのまま廊下を抜け階段を降り、ホールから門扉へと繋がる正面扉を開け放つ。

 目の前に立っていたのは腕を組んだ姿勢の第二王子と、気まずそうな女性魔法使い、それから腰の鞘に手をかける騎士たち。

 それから――リウの元同僚であったコラディルだ。

 コラディルは一行の一番後ろで俯いたまま、リウと目を合わせようともしない。よく見ればその両腕は後ろ手に拘束されて、その手首には光る輪がかけられている。魔法だろう。

 それでもリウは王子へ近づきひざを折ると、騎士の礼を取る。

 招かざる客だろうが、この国の王族であり有力な王太子候補だ。

 この屋敷の持ち主であり今後も活躍を続けるだろうラーゴに、リウのふるまい一つで良くない噂を付けるわけにはいかない。

「……ミッシャラ王子。突然の来訪ですがあいにくラーゴは不在です。なにか約束をされていたのでしょうか」

「ふん、平民の分際でなれなれしい。アイツの婚約者になったんだと? 一体どこまで馬鹿にするつもりだ」

「俺がラーゴの婚約者になったことが、なぜミッシャラ王子の不興を買う理由になるんですか」

「うるさい、うるさい! よくも騙してくれたな! 一生隠居していたらよかったんだ! お前たちが表舞台に出てきたせいで、ボクの人生は滅茶苦茶だ!」

 ここに押しかけて来た理由を聞き出そうにも、ミッシャラ第二王子は興奮状態で要領を得ない。

 騎士たちは微動だにしないものの、癇癪を起こしたような第二王子のふるまいに戸惑っている様子が伝わってくる。

「王子、落ち着いてください、落ち着いて――」

 立ち上がったリウの喉元に剣先が付きつけられた。

 反射する光の先には、目をギラつかせる王子の顔がある。

「だがそれも全て終わりだ。お前の同僚がこちらに魔石を流してくれたおかげで、こうして殺せる機会ができたのだからな」

 王子の目は本気だ。

 本気でリウを殺すつもりなのだ。

 視線を向けると、コラディルは両手を拘束されたままガタガタと震えている。

「すまねえ、すまねえリウ……! 俺がこの魔石を持ってるって話を貴族に漏らしちまったせいだ! そのせいで反竜派に妻と娘たちが捕まっちまって、俺は……ッ」

 悲壮感の混じるコラディルの叫びで、リウは全てを理解してしまった。

 相棒であるショアを亡くしコラディルは竜騎士ではなくただの平民となった。彼の妻は元々名家の娘で、平民となったコラディルには任せられないと実家へ帰ってしまったのだ。

 どうしたら妻子を呼び戻せるか、コラディルは躍起になっていた。

(そうか、魔法使いから解呪の話を聞いたと言ってたが、反竜派の貴族を頼ったのか)

 家族を取り戻すために、コラディルも必死だったのだろう。

 コラディルはリウの渡した魔石の価値を知り、売れるかもしくは交渉できるかと藁にも縋る思いでどこかの貴族を頼ってしまったのだろう。

 認定魔法使いの結界を突破できる魔石を持っている者がいる――その情報は巡り巡って、第二王子派の耳に入ったということだ。

 そしてコラディルに爵位など与えられるはずもなく、妻子まで盾にされ今この場に引きずり出されている。

「コラディル……お前」

 コラディルに渡した魔石を、まさかこんな形で悪用されるとは思わなかった。だがコラディルに対する怒りよりも、コラディル自身の執着を利用した王子への強い怒りが湧いた。

 正常な判断ができなくなるほど妻子を愛していたのだと思えば、一方的に責めることもできない。その上その家族を人質に取られては、従うしかあるまい。

 あらゆる手を回してラーゴ邸に入り込んだことはさすが王族と言えるものの、そこまでリウに恨みを抱く理由は分からないままだ。

「竜も竜騎士も、第一王子もみんな、いなくなっちゃえばいいんだ……!」

 第二王子の振りかざした剣が、酷くゆっくりと見えた。

「すまねぇ、リウ……ッ、すまねえ」

 震えながら謝罪を口にするコラディルの声を聞きながら、リウはこのまま殺されることを覚悟した。

 竜騎士として多少の剣術は学んでいるが、あくまで竜騎士は騎乗が主な仕事だ。本職である騎士たちに囲まれ、さらには魔法使いまでいる状況は絶体絶命といえよう。

 なにより王族が向けた刃を振り落としてしまえば、すぐにでも反逆罪だと投獄されるだろう。そうすればその責任はラーゴや竜騎士団にも及んでしまう。

 ただでさえ第二王子は反竜派だと名高いのだ。

 大切な竜たちを、リウを見出してくれたガジャラを、自分のせいで窮地に立たせるわけにはいかない。

 それだけ王族の血は尊く、貴族と平民でさえ身分差があるのだ。

 竜騎士であろうとも、呪われた平民一人を切り捨てたところで王子にはなんの咎もないだろう。

(ラーゴは、違ったな)

 リウは目を瞑り、訪れるだろう痛みを覚悟する。

 だが第二王子の刃は、リウの首筋でピタリと止まる。いや、止められた。

「なんだ、これは……! 魔法か!? くそ、あの男……!」

 力で押し切ろうとする第二王子の剣は、リウの首筋ギリギリの部分で全く動かない。

 普通であればこれだけ剣に力を込められていれば、とっくにリウの首は胴から離れていただろう。

 目を凝らせば薄い膜のようなものが、わずかにリウの身体を覆っている。

「ラーゴ……」

 たとえこの場にいなくとも、ラーゴはリウを守ってくれているのだ。

 そうだ。

 リウは一人ではない。

 少なくとも自分を信じ、共にいたいと願うラーゴがいる。

 第二王子の意のままに剣を受け入れ、なにも知らないまま死ぬことをラーゴが望むだろうか。仲間の竜騎士や、なによりガジャラがそんな自分を許すだろうか。

(俺は、生きる。生きてやると決めたはずだ)

 曇っていたリウの視界から、さあっと霧が晴れるような心地がした。

 だがリウに刃を通せなかった王子は、イライラとした様子で剣を地面に叩きつける。

「おい、魔法使い! さっさとこいつの結界を解除しろ! アイツが戻ってくる前に殺してしまえ! 王位簒奪を目論む逆賊に、目に物を見せてやる……」

 オロオロしながらも命じられた女性魔法使いは、リウに向かって両手を向ける。攻撃を仕掛けてくるつもりだ。

 受け流すか回避するか、もはやリウには受け入れるという選択肢が消えていた。

「リウ様! ラーゴ様がお帰りです!」

 屋敷の扉から大声で叫ぶのはメメルだった。

 そう認識するよりも先に、突然地面から竜巻のような風に舞い上がる。立ち上がる砂埃に誰もが思わず目を閉じた。そしてなんとか目を開けた次の瞬間、目の前に黒いマントを翻す背の高い男が立っていた。

 美しい横顔に乱れた黒髪がなびく。

「ラーゴ――」

「リウを傷つけようとしましたね?」

 どこまでお見通しなのだろう。ラーゴはまるで一部始終を見ていたかのように、ただ真っ直ぐに第二王子を見据えた。

 ラーゴの背後からは立ち上がる怒りの炎が見えるようだ。

「ひ……っ」

 向けられた怒気に第二王子はよろめくものの、膝を震わせながらもその場を動かなかった。背後に控える騎士たちはなぜかラーゴに向かって跪く。

「ねえ。どうしてリウを狙ったんですか? 本当の狙いは僕でしょう?」

「え……?」

 ラーゴ不在を狙って押しかけて来た第二王子の狙いが、認定魔法使いであるラーゴなのだという。それこそ第二王子が狙う意味がないだろうと思う。

 しかし第二王子は怒りを露わに毛を逆立てていた。

「ああ、そうだ。だがお前は魔法使いで、国内でお前を八つ裂きにできる人間などいないほどの力を持っているからな! 平民の婚約者を殺して溜飲を下げるくらい許されるだろ! ついでに気でも狂って暴れてくれれば、お前の王位継承権は確実になくなる!」

 表情を変えることなく黙って話を聞くラーゴをどう思ったのか、第二王子はここぞとばかりに喚き続けた。

「そもそもお前があの出来損ないの第一王子だったなんて! 身分を偽り人心を誑かし、今更ボクから王太子の座を奪おうだなんて厚かましいにもほどがある! 僕こそが、誰より次期国王にふさわしいのに!」

 唾をまき散らしながらがなりたてる第二王子の言葉に、リウは驚いてラーゴを見つめた。

 ラーゴは一瞬リウを見て、その目元を少しだけ和らげる。

 だがそれも瞬きするほどの出来事だ。

 すぐにラーゴは暴れる第二王子へ視線を戻した。

「僕は王位に興味はないと陛下にも伝えてあります。そもそも母を殺されたあの日から、二度と王族として生きるつもりはなく、ゴッドランドの助けを得て魔法使いとして暮らしていただけです。僕が第一王子だと周知された今でもそれは同じです」

「なんだと……! じゃあ、なんで父様はボクじゃなく、お前の方が国王に相応しいなんて言ったんだ!」

「貴方が王位継承権を失う理由に僕は関係ないんですよ。有力な王太子候補でありながら貴方はあまりに愚かで、このままでは国が傾きかねない。陛下は貴方を諫める手段として、第一王子の正体を広めてもいいかと僕に頭を下げてきましたよ」

 目の前で繰り広げられる展開を、一体誰が予想しただろうか。

 ラーゴがあの、病弱のため遠方で療養している第一王子だという。

 リウはぽつりと呟いた。

「ラーゴが……王子様?」

「ラウィゴ・セデンス。それが僕の本来の名前です。ラーゴは、かつて母が呼んだ僕の愛称なんです」

 黙っていてすみませんでした。呆気にとられるリウに向かって、ラーゴは困ったような顔で優しく微笑んだ。

「王妃より先に子を産んでしまった僕の母は、常に命を狙われていました。実際に原因不明で母が亡くなった際には父も危機感を覚えたのでしょう。僕は病弱だということにして、療養地にやるふりをして市井に隠した。覚えていますか、リウ。貴方のいた孤児院に、僕も数か月いたんですよ」

「は……、え?」

「その話は、また後でしましょう。僕の初恋の話ですからね」

 爆弾発言を残し、ラーゴは再び第二王子へ向き直った。

「さあ、どうしますか。国王陛下は、貴方と王妃の企みは全てお見通しのようですよ。反竜派の貴族を煽って武力を集めたことも、王位簒奪を目論んでいることも」

「ぐ、ぐぬ……っ!」

「この国を守護する竜は賢く強い。だからといって無条件で王族に懐くわけではないですからね。この国を支配したい人間たちにとって、いつ牙をむくか分からない竜はさぞ脅威だったことでしょう」

 ラーゴの言葉に、リウはハッとする。

 反竜派で有名な第二王子一派だが、なぜあそこまで頑なに竜を嫌うのかリウには分からなかった。

 だが確かに、この国の実権を握りたいと思う王妃にとって、竜や竜騎士は目の上のたんこぶだ。あれこれ理由付けて竜を排除しようとしていたのは、そのためか。

「他国の王女であった側妃が娘とはいえ子を産んで、王妃は焦ったんでしょうね。第二王子である貴方を使って竜を始末し、竜は悪だという印象操作を強めようとした。全くの悪手ですが」

「黙れ! 母上を悪く言うな!」

 第二王子の後ろに控えた騎士たちは、もはや俯いたまま何も言わない。

 なぜ彼らがラーゴを前にして礼を取ったのかは、第二王子の態度が全てを物語っている。リウが知らない間に、ラーゴが第一王子であり、有力な王太子候補だと城中に広まっているのだろう。

 それが恐らく、今回の襲撃事件へと繋がったのだ。

「その上僕の不在時を狙って屋敷に忍び込み、婚約者を殺してまで僕の気力を削ごうなんて……これ以上ない悪手だと思いませんでした、か」

 ラーゴが手のひらを天にかざした瞬間、ズンと地面が揺れた。

「ぐ、うっ!」

 そして第一王子が地面にめり込むようにして這いつくばっている。

 どうやらラーゴが魔法を使ったらしい。

 見えない何かに押しつぶされているものの、第一王子は土を飲み込みながら必死に呼吸を繰り返す。

「ほらほら、さっきまでの威勢はどこにいったんです? もう少し潰しましょうか。ああ、加減を間違えてしまったらすみません。なにぶん僕も市井で育った身の上ですし、ミッシャラのような繊細さは生憎持ち合わせておらず」

「うあ、あああ! くそ、くそおおっ! 僕が、なんで、お前みたいな人間にいいっ!」

 もはや力の差は歴然としており、まるで子供と大人の争いだ。

「ほら、命を狙ったことをリウに謝罪してください。いや謝罪など生ぬるい。このままカエルのように潰れてみましょうか」

 それからラーゴはふいに視線を後ろの方へやる。

 その瞳が見つめる先には、リウの元同僚であるコラディルがいた。ラーゴに見据えられたコラディルは、怯えた表情でビクリと身体を竦める。

「す、すまねえ! 俺が迂闊だった! けど、お、俺も妻子が捕まってるんだ!」

 膝を震わせながらもコラディルは自分の無罪を主張する。

 当然だろう。

 ラーゴは魔法であれ身分であれ、第二王子よりも秀でていると判明した。逆らうべき相手ではないとコラディルも理解したのだろう。

 だからこその身の潔白を主張している。。

 だがその言い訳は、むしろ火に油を注いでいるのだとは気づかない。

 ラーゴはなにも言わず、懐から短剣を取り出してコラディルの前に放り投げる。

 コラディルの手を拘束していた魔法が、パキンと音を立てて霧散した。

「へ……? な、なんだよ、これ……」

 コラディルは短剣を手に取った。宝石が散らされた鞘に収まる短剣をよくよく眺め、もしや自分に恵んでくれたのかと一瞬期待したのかもしれない。

 だが現実は非情だ。

「自害用です。さあどうぞ。むしろ僕が殺してもいいくらいなんですが、リウの目の前でそんなことをして、少しでも嫌われたくありませんので」

 ラーゴは笑顔で言い放つ。

 その穏やかな表情と底冷えする声音の落差は、周囲を凍り付かせるには十分だ。

「そ、そんな馬鹿な、冗談だろ。な、なあリウ、冗談だよなあ」

「ラーゴ! コラディルだって被害者なんだ! 笑えない冗談は止めろ」

 頬をひくつかせるコラディルを庇って、リウは一歩前に出た。

 だがラーゴは美しい微笑みを浮かべたままだ。

「冗談? 僕はいたって真剣ですよ」

 ラーゴは第二王子を踏み潰しながら、コラディルの前に立った。

「妻子とリウを天秤にかけて、妻子を取ったんですよね? リウなら殺されてもいいと思ったんですよね? コラディルとか言いましたっけ。貴方、魔石の所有者である自分が死んでリウを守るという選択肢はなかったんですか?」

「それ、は」

「ラーゴ……」

 それはあまりに酷な物言いだろう。

 愛する人間と元同僚、どちらを選べと言われたら誰だって前者を選ぶ。

 たまたま選ばれなかったのがリウだっただけだ。責める気にはなれない。

 だがコラディルはボロボロと涙を零す。

「そうだ、そうだよな。俺は結局、自分可愛さにリウを差し出したんだ。殺されてもしょうがねえ人間だ」

 コラディルは渡された短剣の柄を握り締めた。

 スラリとした鞘を外すと、磨かれた刃先がよく見える。

 コラディルの瞳は焦点が合わないまま、ただその刃先を自分へと向けた。

 止めに行こうと身をよじっても、リウの身体はラーゴが抱きしめているせいでピクリとも動かない。

「コラディル……! ラーゴ、俺は気にしてないんだ! 止めてやってくれ!」

「僕は気にしています。僕は貴方に防御魔法をかけていました。だから貴方は今ここにいる。ですがリウ、もしも僕の知らないところで襲われていたら? この男は妻子のために、リウを殺したかもしれない。そうじゃなかったなんて言い切れますか?」

「……っ、それは……」

 ラーゴの魔法があったからこそ、リウは第二王子に殺されずにここにいる。

 それを引き合いに出されてしまえば、死を受け入れかけていたリウには返す言葉もない。

 言葉に詰まってしまったリウの肩を、ラーゴが抱きしめる。

「すみません、貴方を追い詰めたいわけじゃなかったんです。そんな泣きそうな顔をしないでください」

「俺は、コラディルに死んでほしいわけじゃないんだ。コラディルはコラディルで葛藤しただろうし、大事な人間を守りたいって思うのは当然だ。俺は許してる。それじゃ駄目か」

 ラーゴは溜め息をつくと、指をツイと動かす。

 途端にコラディルの持っていた短剣は姿を消した。

 まだ目の焦点が合わないコラディルだが、消えた短剣を探して自分の手元を探っている。そのうち短剣が消えたことに気付くだろう。

 とりあえずコラディルは命の危機を回避できたようで安堵する。

「短剣は魔法作った模造品です。本当に自害してもらうつもりはありませんでしたよ。少なくとも、貴方の目の前ではね」

 恐ろしいことを告げる美声が、まるで歌のようにリウの耳元をくすぐった。

「でも貴方が許可してくれるなら、すぐにでも僕が殺します。貴方の気持ちを少しでも陰らせるなら、それだけで命を奪って償わせるべきです」

「いや……さすがにそれは、駄目だろ」

「そうでしょうか?」

 ラーゴはリウを抱きしめたまま、ずっと微笑みを絶やさない。

 だが立ち上がる怒りはまるで陽炎のように、ラーゴの背後でゆらりと揺れる。

 ふつふつと湧きたつ彼の怒りが、熱となって立ち上がるかのようだ。

「僕は怒ってるんですよ。僕はただ、愛するリウと共に暮らしたいだけなのに。この世界はあまりに邪魔が多すぎませんか。一人ずつこうやって潰してもらちが明かない」

「ぐあああああっ!」

 リウが手のひらを宙でクルリと動かすと、地面に縫い付けられた第二王子の身体からボキンと骨が折れる音がした。それだけに留まらずまだ軋む音が聞こえてくる。

 このままではまずい。

 リウはとっさにラーゴを呼ぶ。

「やめろ! ラーゴ!」

 だがその声はラーゴの耳には届かない。

 口元に浮かべた笑みはそのままなのに、すぐ側で叫ぶリウを見ようともしない。

 第二王子の身体がゆっくりと、だが確実に押しつぶされていく。このままではまっ平になりかねない。

「だから……やめろって! ラーゴ!」

 思わずリウはラーゴの胸ぐらを掴み、その頬を平手打ちした。

 ラーゴの瞳が二度三度ゆっくり瞬く。それから光を取り戻したかのような顔をしてリウを見た。

 まるで悪戯を咎められてふてくされた子供のような表情だ。

「いたいです」

「殴ったからな」

「リウが殴りました」

「悪かった」

「殴りました」

「悪かったって。だけど俺のためって言い訳して暴走するお前は、嫌いだぞ」

 叩いてしまった頬を擦ってやる。少し赤くなって、熱っぽくなっている。

 ラーゴはしなやかな動物のように、リウの首元に頭を摺り寄せた。

 その大きな背中をぽんぽんと叩き、リウは柔らかく抱きしめてやる。

「分かってる。俺のためなんだろ? 分かってるから、闇雲に周りを傷つけるんじゃない」

「でも、リウが傷つけられました。リウが心を砕いていた同僚にまで裏切られて、第二王子はリウを殺そうとしました。そんなの、死んで償って当然じゃないですか」

「じゃあお前が俺を裏切ったら、死んで詫びるのか?」

「僕がリウを裏切るって前提があり得ない話ですが、万が一そうなった時には喜んでこの首を差し出しますよ」

 断言するあんまりな返答にリウは、苦笑する。

 ラーゴの頭を抱き抱え、その滑らかな髪の毛を撫でた。

「死んで償うって考え、俺は嫌いだ。それに誰かにとって悪でも、別の誰かにとっては大切な存在なんだ。ラーゴだってそうだ。分かるか?」

 ラーゴは頭がいい。

 こんな風にかみ砕いた言い方をせずとも、十分伝わっているだろう。

 だがラーゴは頭で理解できようとも、心が拒絶しているのだ。白か黒か。敵か味方か。リウのためだとは分かっているが、だからといって死んで償えという発想は極端過ぎる。

 思いのほかリウを大切に思ってくれているというのは伝わるものの、どうしたものかと苦笑いするしかない。

「俺のために手を汚さなくていい。この手は俺を救ってくれた、優しい手だ」

「リウ……」

「好きだよ。俺は。お前の手も、お前自身も。だからもう、俺のために誰かを傷つけなくていい。お前も傷つかなくていいんだ」

 深く握り締めていたせいだろう、爪痕が残るラーゴの手のひらにリウは口付けた。

 どれだけリウのために怒りを抑えていたのか。

 怖いと思いながらも、その気持ちを嬉しくも思う。

「っは、う! ゲホゲホ!」

 第二王子の咽こむ声に気づき、リウは周囲を見渡す。

 どうやらラーゴの怒りは落ち着いたようで、潰れかけていた第二王子は大きく呼吸をしながら身体を丸まらせていた。

 魔法を解いてくれたようだ。

「ラーゴが第二王子に対してここまでをしたんだ。反竜派の企みについて証拠があるんだろ? あとはそれを持って陛下に判断を委ねよう」

 自分が呪いを受けただけでなく、その背後でまさか国を揺るがす事件が動いていたとは思いもしなかった。

 だがこれで、ようやく全てが終わったのだ。

 リウは細く長い溜め息をつき、肩の力を抜いた。

 だが。

「証拠なんてあろうがなかろうが関係ないですけどね。僕はリウが傷つけられたから排除しようとしただけです」

「……は」

「でもリウが嫌がるならしない。それだけですよ」

 恐ろしいことを、ラーゴはあっさりと言ってのける。

 目を見開くリウだったが、ここまで白黒はっきりしすぎているラーゴに感心する。思わずフッと笑みが零れた。

「怖い男だな、お前は」

「そうです。でも貴方には忠実な男でありたいと思っています」

 辺り構わず牙を剥く狂犬を手懐けてしまったような気分だ。

 しかしこれほど自分を盲愛する狂犬ならば可愛いものだ。

「もう隠し事はないんだろうな? まさか王子様なんて思いもしなかったぞ」

「ありませんよ、多分。子供の頃僕が孤児院にいた話は、リウなら覚えててくれるかもって勝手に信じていただけで、忘れられてたことを全然、気にしてません」

「気にしてるじゃないか。さすがに俺も覚えてな――」

 そう言いかけて、リウははたと思い出した。

 確かにいた。大昔に、可愛らしい見た目とは裏腹に周囲に敵意をむき出しにした猫のような子供が。

 何度か逃げだしたその子供をリウはいつも探しに行ったものだ。

 だがいつからか妙にリウに懐き、それなのに気が付けばどこかに貰われていったと聞かされた子供が、いたのだ。

 そうだ。仕立屋で再会したピピが話題にしていた子供だ。

 ――ほら特にあの子。黒髪の、ラッセとかリッセとかいってたあの子と、どっちがリウ兄ちゃんと手を繋ぐかで、いっつもバチバチに競争してたんだから。

 黒髪はこの国では珍しい。

 なおかつ同じ孤児院にいた黒髪の子供といわれれば、もうあの子しかいない。

 周囲に馴染めずいつも俯いて、だがあるときから妙にリウに懐いていた子がいたのだ。

「ひょっとして……あの子がラーゴか?」

「思い出してくれました? 僕はあの頃から、絶対にリウと結婚すると決めていましたよ。大事に大事に閉じ込められるよう、王子に戻れずとも地位を築こうと魔法を必死で勉強しました。長年リウを見つめ足取りを追い続けて、ようやく屋敷が完成して――」

「ちょ、ちょっと待て、待ってくれ、待て、ラーゴ!」

 嬉しそうに語るラーゴを一旦制止する。

 怒涛のように流れ込む情報は多すぎる上にとんでもない話ばかりだ。

 子供の頃から自分を好きだった?

 自分のために魔法を勉強していた?

 長年リウを見ていたというのは、いつからだ? どこまでなんだ?

 確認したいような、だが確定してしまうことが恐ろしい気持ちもある。

 混乱するリウを抱きしめながら、一方のラーゴはニコニコと上機嫌だ。

「リウ、リウ。もう一生離さないです」

 これほど盲目的な愛情を向けられるような凄い人間ではない。

 それなのにリウの頬が緩んでしまうのだから仕方がない。

 抱きしめる男の体温を感じながら、リウは自分自身に苦笑いする。

「主様! こいつらどうすんですか! もうすぐゴッドランド宰相がやってくるそうですがこのまま引き渡しますかあ? それとももうちょっと殴っておきますか!」

 メメルの声が大空に響く。

 見ればメメルの足元には、縄で拘束され転がる第二王子や騎士の姿があった。ガタガタと震える彼らは、ラーゴの圧倒的な魔法を見せつけられ心神喪失状態だ。

 一方でその横に大人しく座るコラディルは、先ほど違ってどこか覚悟を決めたような表情をしている。妻子を盾に巻き込まれた形になっただけで、元々コラディルも聡明な男だ。たとえゴッドランド宰相に引き渡されようと、悪いことにはならないだろう。

「……待て、なんでゴッドランド宰相なんだ?」

 湧いた疑問を口にすると、ラーゴは「言ってませんでしたか」とさらりと告げる。

「陛下と共謀して僕を市井に逃がしたのがゴッドランドです。孤児院に一旦避難させ、その上で息のかかった貴族の家に引き取らせて足取りを消したんですよ。その癖、僕が魔法使いとなったら手駒のように扱うんですから、本当に食えない男です」

 あの外面に騙されてはいけませんよと、ラーゴは心底嫌そうに顔を顰める。

 だからラーゴはゴッドランド宰相を呼び捨てにしていたのか。

 少しずつ抱いていた疑問がスルスルと解けていく。

 抱えていたラーゴへの疑惑が消え、残ったのはたった一つの単純な気持ちだけだった。

「どうしましたか、リウ。言葉が足りなかった僕のこと、嫌いになりましたか」

「いやむしろ……好きだなと思ってな」

 一度口にしてしまえば簡単な言葉は、思いのほかラーゴを幸せにするようだ。

 グズグズに蕩け切ったような笑顔を向けられて、リウまでつられて嬉しくなる。

「イチャイチャは! 後にしろっつってんですよお!」

 メメルの怒声を聞きながら、リウとラーゴは二人で顔を見合わせて笑ったのだった。


◆ ◆ ◆


 第二王子の襲撃後、さすがにリウとラーゴの身辺は目に見えて慌ただしくなった。

 反竜派で知られる第二王子が引き起こした事件により、王妃による王位簒奪の目論みが明らかになったのだ。

 結局第二王子は廃嫡の上、王妃共々遥か辺境の地へ流刑に処された。

 王妃の実家や関連する一族諸共厳しい刑罰を課せられた者も多い。

 騒動の中で側妃だけが穏やかな笑みを絶やさなかったと聞く。

 大きくなった腹からは、次の季節に王子が生まれる予定だという。なるほど国王が今回強気な処分に出たのは、そういった背景があるためかと、リウは改めて王族の恐ろしさを痛感した。

 関係者たちへの刑罰については、ラーゴは甘いと不満そうだったが、城で贅沢な暮らしをしていた王族や貴族にとっては厳しい処分だろうとリウは思う。

 芋づる式にラーゴの実母である側妃殺害事件も公にされかけたが、どちらの事件も国家の根底を揺るがしかねないため大々的にせず、関係者には緘口令が敷かれている。

 ただし、幼い頃に命の危機を感じた第一王子であるラウィゴ・セデンス第一王子が、認定魔法使いであるラーゴ・ラディーンであるという事実は一般にも公開されることとなった。

「孤児院に隔離させられた当時は怒りや悲しみでリウを困らせてばかりいましたが、こうやって愛し合えるようになったのですから僕は幸せです」

 ラーゴはそう言って、上機嫌でリウの首筋に唇を落とす。

 湯上がりの肌は二人ともしっとりとしていて、薄手のガウンだけの身体からお互いの体温が直接伝わってくる。

 蝋燭の灯りを消した真っ暗な寝室には、フクロウの鳴き声だけが遠く響く。

「そうか」

 幸せそうに擦り寄るラーゴの背中をリウが抱きしめる。リウの指先から腕にかけてはまだ赤黒く、竜の呪いが色濃く残っていた。

 リウは自分の指をじっと見つめ、それからふとあることに気が付いて身を起こす。

(もしかしたら、この方法は有効かもしれない。どうして気付かなかったのか)

 この仮定が正しければ、多少なりとも呪いを打ち消すことができるかもしれない。少なくとも、ラーゴの負担を軽減できる。

「なあラーゴ、思いついたんだが――あ?」

 浮き足立ちつつラーゴへ顔を向けたリウだが、その状態で再び寝台へひっくり返される。

「その話は、積年の想いを通じ合わせて今すぐにでもあなたを抱きたい欲求よりも優先されるものですか?」

 見上げるリウの視線の先には、拗ねた顔をする男の顔があった。

 そんなものよりは優先すべき話だと思うものの、だがずっと堪えて待っていてくれたラーゴの気持ちを蔑ろにはできない。

 リウは苦笑しつつラーゴの首に腕を回した。

 好いた男が、こんな自分をほしいと言ってくれるのだからいくらでも応えてやりたい。

「お手柔らかに頼む」

「ええ、ええ。この世の天国を約束します!」

 気合い十分のラーゴを微笑ましく見つめていると、唇を緩く食まれた。

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