第6話 夜会と邂逅

 真っ赤な絨毯が敷かれた式典の間(ま)には、城内で重要な役職に就いている貴族たちの姿もある。だが彼らは静かに顔を見合わせ、リウに好奇の視線を向ける者もあれば眉をひそめる者もあった。

 呪いを身に受けたリウをよく思わない貴族は少なくない。

 たとえそれが第二王子を守るためだったとはいえ、穢れたリウの手に非難の目が注がれる。

 中央にある絨毯の左右には、様々な感情を抱えた人々が参列していた。

「リウ・パッフ。そなたは命をかけて第二王子ミッシャラを守った。その功績を讃え竜騎士団・副団長の任を授ける」

 威厳に溢れる国王の声が、広い室内に響いた。五十歳になろうかというこの国の主は若い頃から争いを好まず、穏やかな賢王として有名である。

 だからこそ第二の身勝手さは、気の強い王妃譲りなのだろうと陰で噂されているほどだ。

「拝命いたします」

 リウの返答に国王は深く頷いた後、壇上へと戻る。

 入れ替わるように宰相が現れ、予定通り記念品の剣と盾を与えられた。

 騎士並びに竜騎士が見守る中、これでリウは竜騎士団副団長となる。

 しかし副団長といっても、竜騎士団は既に三人の副団長がいる。リウが副団長になったところで、竜騎士団の体制が変わるわけでもない。

 これはただの褒章だ。息子の代わりに呪いを受けたリウへの、国王からの詫びのようなものだとここにいる誰もが理解している。

 恭しく膝をつき、頭を垂れるリウの後ろからまばらな拍手が上がった。

 リウは立ち上がり参列者たちに一礼すると、教えられたとおりに赤色の絨毯を歩いて扉へと向かう。

「見ろよあの手。気持ちワル」

 歩きながらリウの耳は、男の小さな声を拾った。

 誰の声だろうか。竜騎士ではない、騎士団の者かもしれない。

「たかだか呪いで出世できるなら、俺がやりたかったぜ」

「見てるだけでこっちまで呪われそうじゃな」

 ヒソヒソと囁く声は小さいはずなのにリウの耳が拾ってしまう。

 リウはうつむきそうになる自分を叱責し、まっすぐに進むべく正面だけを見た。

 誰も彼もが自分を受け入れてくれているわけではないのだ。知っていたはずだろう。

 だが呪いを受ける前の自分は、こんなに弱かっただろうか。他人から向けられる露骨な悪意は、リウの心臓をギュッと縮こまらせるようだ。

 リウは冷たくなる自分の指先を握った。

 呼吸がどんどん浅くなる。

 あと少し、もう少しだ。

 歩け、踏み出せ。

 突き刺さる好奇と侮蔑の視線に萎縮しそうになる自分を鼓舞する。

 だが、途中で涼やかな声が耳に飛び込んだ。

 それはとても小さく、だが力強い。

「おめでとうございます、リウ」

 リウは思わずその声の方向に顔を向けた。

 一瞬だけかち合った視線の先には、紫色の瞳があった。

 ラーゴだ。

 ラーゴも認定魔法使いとして式典から参加してくれたのだ。

 二人の視線がかち合ったのは、時間にしてもほんの一瞬だったかもしれない。

 だがリウにはそれで十分だった。

 リウはすぐに視線を元に戻すと、顎を引き、顔を上げた。

 周囲の陰口はもうリウの耳には入らない。

 力強く床を蹴り、脚を上げて歩く。

 左右から開かれる扉をくぐり、リウは改めて会場内へと向き直る。いくつもの視線がリウを見つめる。しかしもう怖くない。

 深く頭を下げるリウの動きに合わせて、扉はゆっくりと閉められた。

 目の前で完全に扉が閉まると、リウは詰めていた息を吐く。

 気を抜けばズルズルと壁にもたれてしまいそうになるほどドッと疲れが襲う。

 ラーゴがあそこにいなければ、どうなっていただろうか。

 リウにとって彼の存在は日に日に大きくなっていることを痛感した。

 

 叙勲式後のパーティー会場は、城内で最も大きいホールだ。

 天井は鮮やかな絵画に彩られ、巨大なクリスタルシャンデリアが大輪の花のように輝く。周囲には華やかな意匠が施された小さなシャンデリアがいくつもあり、芸術や音楽といったそれぞれのテーマ性を持って見る人の目を楽しませている。

 ここではリウも参加者の一員として、パーティーを楽しむこととなっていた。

 竜騎士としてならいざ知らず、格式高いパーティーへの参加は慣れていない。事前に注目されるような紹介は遠慮したいと伝えたおかげで、ひっそりと参加させてもらっている。

 大々的にリウの功績を讃えるスピーチが用意されていたと聞いた時には、間一髪だったと胸を撫でおろしたものだ。

 リウは入り口で渡されたグラスにチビチビと口をつけながら、主催者である国王夫妻の入場を待っている。

 先ほどの式典で着ていた制服から一転、リウは柔らかな水色を基調としたジャケットを身に纏っていた。

 ジャケットの生地はハリがあり艶やかだというのに、驚くほどしなやかで柔らかい。よく見れば布地は細かな花模様が織られていて、その上にさらに繊細な刺繍が施されているという凝った一品だ。

 レースで飾られる胸元のタイピンは大きな紫色のカボションで、半円のつるりとしたその石はどこかラーゴの瞳を思わせる。

 リウはお世辞にも華やかな外見ではない。

 だが実直で穏やかな性格が顔立ちと立ち姿に現れていて、ラーゴの用意した服はリウの魅力を上手く引き出していた。

「よく似合っていますよ、リウ」

「あり、がとう」

 リウの隣に立つラーゴは、実に満足そうな顔をしてリウを褒める。

 お世辞だろう言葉にも、なぜかリウの胸は浮き足立つ。

 叙勲式で感じた息苦しさは、今はすっかり消え失せている。

 ラーゴもリウ同様、普段のマント姿から一転、華やかな盛装だ。

 正体を知らなければ誰もが、ラーゴを美しい貴族子息だと思うだろう。ただ美しいだけではなく、不思議とそう思わせるだけの雰囲気と立ち振る舞いがある。

 品のある所作は、誰も魔法使いだとは思わないだろう。

 ラーゴを伴ってパーティー会場に入った瞬間は、周囲が大きくざわついたほどだ。

 同性同士でパーティーに伴うということは、既に婚約関係にある場合に限られる。

 つまりリウがラーゴのパートナーであることがこの時点で知られたわけだが、それでもこの罪作りな男は、先ほどから多くの令嬢から秋波を送られている。

 ラーゴの着ている濃紺のジャケットと同色のズボンは、細かい小物こそ違うもののどう見てもリウとお揃いだと一見して分かる。

 黒髪がかかる首の詰まったシンプルな襟元には、金色のカメオが輝いていた。

 真っ白な竜が浮き出るそのカメオは、一見愛国心に溢れる人物のようにも見える。

 だがリウにはそれがどこか、竜騎士である自分を指し示されているような気分になって落ち着かない。

 正解をラーゴに問うわけにもいかず、リウはラーゴをまっすぐに見られないでいた。

 突然、会場内にラッパの大きな音が響いた。

 会場内にいた者は全員慣れた様子で、音の鳴る扉に身体ごと向ける。

「国王陛下、王妃陛下、第二王子殿下、側妃殿下、王女殿下のご入場です!」

 力強い言葉と同時に、開いた扉から先ほどリウを副団長に任命した国王一家が現れる。

 柔和な顔立ちの国王隣で、妻である王妃はツンと澄ました表情だ。真っ赤な口紅が印象的な美しい人だが王妃の実家を含め、あまりよい噂は聞かない。

 そしてその後ろに続くのは、リウの目の前で竜・ショアを殺した第二王子ミッシャラだ。

 顎を上げて機嫌よく歩いていたが、リウの姿を見つけると「フン」と鼻を鳴らし不機嫌そうに顔を背けた。

 恐らくリウの呪いの件で、父である国王に大分絞られたのだろう。

 肩で歩く王妃母子の後ろをしずしずと歩く若い女性は、隣国の末姫であり嫁いできたばかりの側妃だ。穏やかな彼女の腕の中には、ピンクのドレスを身に纏った幼い王女の姿がある。

 一家はホール内の定位置へと到着すると、侍従に渡されたグラスを持ち高々と掲げた。

「皆、楽しんでいってくれ。乾杯!」

 言葉少ない口上に、周囲は和やかな歓談ムードへと変わった。

 楽団の奏でる音楽は、浮き足立つような華やかなものへと変化する。

「俺もなにか食べてこようかな。ラーゴはなにが好きなんだ? 取ってこようか」

「駄目です。言ったでしょう、貴方の食べるものは全て僕が作りたいと」

「……なるほど、そうか」

 確かにラーゴと出会ってここ数週間、食べていたものは全てラーゴの手作りばかりだ。

 すっかりそれも当たり前になってしまっていたが、まさか屋敷の外で際も有効な約束だとは思わず肩を落とす。ご馳走を前に待てをされている犬の気分だ。

「美味しそうな肉だな……。あの塔のように盛り付けられた野菜はなんだろう」

 リウが食事テーブルを眺めながら呟く。

 なにせ早朝に軽い食事をとって以降、何も食べていないのだ。

 少々のアルコールが腹に収まったところで、竜騎士として鍛えられた身体は燃費が良すぎてなんの足しにもならない。

「あのゼリー寄せ、見たことない具が入ってるみたいだ。綺麗な盛り付けだなあ」

 あまりに腹が減りすぎたリウの視線は、食事の置かれたテーブルから離すことができないでいた。大皿から次々に取り分けられ消えていく料理を、思わず目で追ってしまう。

 グウウとリウの腹が鳴り、ラーゴは苦笑した。

「リウ、なにひとつ食べるなと言ってるわけじゃありません。別室に食事を用意しています。よかったらそれを食べませんか」

「いいのか……!」

「ええ。最初から、パーティーが終わったら食べられるようにと持ってきていたものです。先に言っておけばよかったですね。貴方にひもじい思いをさせたいわけではないのです」

 そんなに飢えたような顔をしていただろうか。

 涎でも出ていただろうかと、リウは自分の口元を手の甲で拭った。

 その手には、ラーゴが用意してくれた柔らかい革手袋が嵌まっている。

 呪いのせいでリウの手足の末端は、まるで染みで汚れたように赤黒く目立つ。先日の街歩きで陰口を叩かれ意気消沈したリウのために、ラーゴがひっそりと用意してくれたのだ。

 騎士の正装では規則により着用できなかったが、会場内では好みで使用できる。

 革手袋を嵌めた手にラーゴが触れ、当然のように手を引かれた。

「では行きましょうか」

「う。そう、だな?」

 エスコートされる側というのはどうにも慣れない。

 だがエスコートをする側の経験もさほどない。運よく竜騎士として働いたこの十年間は、本当に竜にばかりかまけて生きていたのだ。

 会場の扉をくぐり抜け、高い天井が続く廊下を歩きながらラーゴは小声でリウに問う。

「痛みは大丈夫ですか?」

「ああ。今のところは。ありがとうな」

 起きて一度、そしてパーティーが始まる前に一度口づけをしている。

 ラーゴのタイミングがいいのか、最近は痛みを感じることすらなくなっていた。呪われた手足さえ見なければ、以前と変わらない生活ができそうだと錯覚するほどである。

 以前のことを振り返れば、痛みが強い場合は立っていることすらままならないのだ。

 そのため今平気で腹を鳴らしているのだから、リウの状態は安定している。それはラーゴなら理解しているはずだというのに、どうして今更確認をするのか。

「なにか心配でもあるのか?」

 ただの人間には分からない、魔法使いだからこそ感じる不調があるのだろうか。

 ラーゴはリウを見ることなく、小さく呟いた。

「いえ。ただ今日の貴方があまりに綺麗だから、別室でキスしたくなっただけです」

 明け透けに語られる言葉に、一瞬でリウの顔は赤く染まる。

 ラーゴとの口づけは、痛みを緩和することが主目的だ。

 当初あった気まずさも今はすっかりなくなり、共に眠り唇を許しているせいで二人の距離は以前に増して親密なものとなっていた。

 それはリウも自覚している。

 その上当初からラーゴは嘘か本当かリウに対して「一目惚れした」と言っている。

 多少の好意は理解し、大袈裟に告げられる好意はお世辞だろうと受け流している。

 しかし折に触れてこうやって真向から気持ちを向けられると、まるで本当に恋されているように錯覚してしまう。

 他人からの好意に慣れていないリウは、動揺してしまう自分の感情をどう処理するのが正解なのかまだ分からないままだ。

 出会ってからの期間はまだ短いものの、ラーゴに対して友人のような親しみを感じている。

 認定魔法使いであるラーゴは貴族相当の地位がありながら驕ることはなく、思いやりがあり人当たりがよく、メイドにすら気遣いができる。

 外見はもちろんだが声も良い。甘さを含む低音は常に落ち着いていているが、時折どこか焦がれたような、掠れた声でリウの名を呼ぶのだ。

 冷静なようで情熱が乗ったその声が、リウは好きだった。

 だがリウがラーゴへ感じている好意は、恋愛感情ではないと思っている。

 そもそもリウは、自分はラーゴの好意を利用しているという自覚があるのだ。

 減るものでもない口づけなど、好きなだけさせればいいと思う反面、その一線を越えてはまずいとも思っていた。

 なにがどうまずいのか、どうしてそう思うのか、リウにも分からない。

 まだリウはそこまで自分の気持ちを掘り下げてはいないのだ。

 掘り下げてはいけない気がしていた。

 返事ができないまま黙ってしまったリウの背に、ラーゴの肩が触れた。

「冗談ですよ」

 こうやってリウに負担をかけまいと冗談めかすのだから、本当に優しい男だと思う。

 気づけば来客用の休憩室へ案内されていた。部屋の前に立つメイドはラーゴを見ると、頭を下げて恭しく扉を開けた。

 中に広がる室内は貴族にとってはさほど広くないかもしれない。竜騎士宿舎のリウの部屋ならば三つは入る広さだ。

 部屋の中央には猫足のローテーブルが置かれ、パーティーに疲れた人間が休むためのゆったりとした長椅子が二つ、一人掛けの椅子が三つ置かれていた。

 大きな窓の外はまだ明るく、眩しい日差しを遮るためにレースカーテンが引かれている。

 置き時計が指し示す時間は既に夕方を回っていて、そろそろ日も陰る頃合いだろう。

 どこに座るのが正しいのかリウが一瞬躊躇っていると、扉をノックする音が響いた。

「リウは奥に座ってください。預けていた食事を用意してくれたんでしょう」

 指示された場所に腰をおろすと、入室したメイドがローテーブルの上に次々と食器を並べていく。温めてくれたのだろうか、スープもパイもふんわりと湯気を立てている。

 メイドは余計なことを口にせず、最後に一礼して去っていった。

 二人きり鳴った途端、ラーゴはテーブルの上にある大皿からあれこれよそう。

「これは自信作です。きっとリウが好きな味だと思いますよ。いっぱい食べてくださいね」

 皿のほとんどが、リウの前に寄せられる。

「いやそれはいいんだが……ラーゴは食べないのか?」

 そう問いかけた瞬間、一瞬奇妙な間が空いた。

「僕は、お腹いっぱいなので」

「……お前、いつも俺にばかり食べさせて、自分は食べてないんじゃないか?」

 リウを眺めるのが楽しいからと、食事の場には可能な限りラーゴは同席したがる。作った本人としては反応が気になるものだと理解しているが、同じテーブルについてもラーゴは滅多に食事を口にしない。

 食べても僅かなフルーツだけ、パンを少し、スープを二口といった量だ。

 体力勝負の騎士ではないが、いくら細く見えてもラーゴは成人男性なのだ。あまりに少なすぎる食事では、いつ倒れてもおかしくない。

 しかしリウの心配をよそにラーゴは肩を竦める。

「屋敷を離れてる時はちゃんと食べていますよ。ラーゴと一緒だと胸が一杯になっちゃうんですよね」

 冗談めかして誤魔化されているような気もするが、食べているというのならリウが言及するのもおかしい。

 本当に放っておいて大丈夫なのだろうかと、生来の世話焼きな性格が顔を出しかけた瞬間、リウの腹がグウウと大きく鳴り響いた。

「ほらほら、たくさん食べてください。今日はリウの特別な日なので、腕によりをかけたんですよ。この鹿肉のパイ包みも力作なんです」

「じゃあ遠慮なくいただくよ。ありがとう」

 空気を読まない自分の腹時計を押さえながら、リウは置かれたフォークを手に取った。

 ホロホロに煮込まれた肉は、フォークを軽く当てるだけで一瞬で切れてしまう。一緒に煮込まれた野菜も隣に添えられて、トマト仕立てのスープをよく吸っている。

 それを口元に運ぶと、ふわっと濃厚なスープの匂いがした。口の中に入れれば噛みきる前に肉の繊維がハラリとほどける。柔らかすぎて勝手に喉に吸い込まれてしまって、最後は肉の旨味だけが残った。

「おお……」

 力作だというパイ包みも、サックリと香ばしい仕上がりだった。中に入っているのはスパイスで味付けされた挽き肉だ。小さく作られているため、いくつでも食べられそうだ。

 ラーゴの作る料理は、いつも美味しい。

「おいしいですか?」

 チラリとラーゴを見ると、紫色の瞳は柔らかくリウを見つめている。

 皿を次々と平らげながらリウは、改めてこの男のことをなにも知らないのだと感じた。

 リウの内側にズカズカと入ってくる癖に、ラーゴは内側には踏み入れさせない。

 以前のリウはそれを、周囲への婚約偽装に困らない程度であれば全く構わないと思っていたはずだった。むしろ他人同士、知りすぎるのも考えものだと考えていたのだ。

 それが今は、どうだろう。

 好奇心なのか好意なのか、リウはラーゴとの間にある距離を埋めたくなっている。

 自分が一歩踏み込んでも、いるもスルリと猫のように逃げてしまう。それが最近は少し、もどかしい気持ちになっているのだ。

 打算しかない関係だったはずなのに、だ。

「なあ、ラーゴ」

 綺麗になった皿の上にフォークを重ねながらラーゴの名を呼ぶと、ナプキンで口元を拭われる。まるで拭けと指示したような形になってしまう絶妙なタイミングに、毒気を抜かれた。

「……拭いてほしかったわけじゃないんだが」

「あれ、違いました? デザートがほしいんですか?」

「いやそうじゃない。そうじゃないが――まあいいか」

 一歩踏み込むにはまだ早いのかもしれない。

 ラーゴが自分のことを率先して話さないということは、今は話したくない、話すべきタイミングではないと考えているからだろう。わざわざ無理に白状を迫るようなことでもない。

 またそのうち、適切なタイミングがやってくるだろう。

 改めて納得したことで、リウの頭の中は憑き物が落ちたようにすっきりしていた。

 そうなってくるとラーゴが用意したというデザートが気になってくる。縁の薄かった甘い物も、最近はすっかりリウの生活に馴染んでしまった。

「デザートまであるのか?」

「実はないんです」

 凝った料理や菓子を出される日々のせいで、リウの舌はすっかり贅沢になってしまった。

 残念に思うものの、作って貰っている身では無理も言えない。

「そうか。ないと思うと口寂しいな」

 デザートがないことを残念に思う反面、それなら堂々とパーティー会場のデザートくらい摘まめるだろうかとも考えた。

 会場で見かけた菓子も彩り鮮やかだったことを思い出して、満たされたはずの腹が空く。

 そんなことを考えているリウの頭上に、フッと影が差した。

 自然と見上げると、目と鼻の先にラーゴの端正な顔がある。

 そしてそれはそのままリウの唇へと下りた。

 もはや条件反射のように、リウは当然のように瞼を閉じてそれを受け入れる。

「ん……」

 重なる唇は柔らかく、角度を変えて繰り返し表面をついばまれる。

 いつもの癖で唇を開きかけて、僅かに笑う気配と共に下唇を甘噛みされた。

「デザートの代わりに、これじゃ駄目です?」

「……駄目だろ」

 リウの顔がジワジワと赤く染まる。

 これではまるで、恋人たちの戯れのような口づけだ。

 呪いによる痛みの解消を伴わないそれは、思っていた以上に恥ずかしい。

 普段もっと深くまで受け入れている口内が、どこか物足りなさを訴えているのもなんだか嫌だった。

 赤く染まった頬を擦るリウに、ラーゴは目を細める。

「本当、可愛いですねリウは」

「お前はいつもそういうがな、俺ももういい年したおっさんだぞ」

「でも可愛いんですよ」

 ラーゴは嘘偽りない眼で、まっすぐにそう告げる。

 これ以上必死に否定するのもおかしい気がして、リウは口を結んだ。

 ラーゴが醸し出す甘い雰囲気に耐えられない。

「長居しすぎたな。そろそろ戻るか」

 腰を浮かしかけたリウに、ラーゴは手をかざして動きを制する。

「髪の毛が乱れてます。メイドに直すよう伝えておきますので、綺麗にしてもらってください。僕は先に会場で待っていますので」

「分かった」

 そこまで乱れているような気はしないが、ラーゴが言うのならそうだろう。

 素直に応じて、先に扉を出ていくラーゴを見送った。

 しかし、なぜわざわざ城のメイドに頼むのだろうか。普段のラーゴであれば自分がリウの髪の毛を整えると息巻くようなものだ。リウから少しでも離れたくないと言いそうなものなのに。もちろんそれらも恋をしている演技なのだとラーゴは理解できている。

 人目がないから演技をする必要がないのだろうかと考え、ただそう決めつけるには日常のラーゴを知っているからこそ違和感がある。

 違和感の残るラーゴの行動に首を傾げつつメイドの入室を待っていると、すっかり赤く染まった窓の外からコツンと音がした。

 窓ガラスになにかがぶつかった音だ。

 小さなその音が何度も続く。さすがにリウが訝しんで様子を見に行くと、窓の向こうにいたのは思いがけない人物だった。

 室内をキョロキョロと見渡し、周囲に誰もいないことを確認したリウは慌てて窓を開けた。

「よっ、リウ」

「コラディル! どうした、どうしてお前が王城に!」

 夕日に染まる中に立っている背の高い男は、リウの元同僚でつい先月まで竜騎士だった男コラディルだった。

 第二王子に殺された竜・ショアの相棒として活躍した人物で、今は愛妻と愛娘たちと共に平民として暮らしているはずである。

 それがどうして、竜騎士の制服を身に纏ってこの部屋の窓の外に立っているのか。

「コラディル、退団したお前が竜騎士の制服を着るのは規定違反だろう? 一体誰から借りたんだ。バレたらただじゃすまないぞ」

 リウが慌てるのには理由がある。

 竜騎士に限らず騎士団の制服自体、紛失や盗難に敏感なのだ。

 悪用された過去があるため、誰もが厳重に保管している。

 その上竜騎士団に限っては、制服を無くした場合は自費で全員分の制服を誂えなおさなければいけないという規則があるため、退団時には全て返却させているはずだった。

 リウの心配をよそに、コラディルは無精ひげを擦り眉を下げて笑う。

「いやあ、賭けに負けた先輩にチョイと融通を利かせて貰って、さぁ」

「なにをやってるんだお前たちは……」

 窓の桟に手をかけ、リウは脱力する。

 賭け事をするのもどうかと思うが、それで制服を貸し借りするなどもってのほかだ。

 だが久しぶりにコラディルの様子を見られて嬉しい気持ちもある。とりあえずリウはそれ以上言及することは一旦やめた。

「ショアの墓参りに来たのか」

 コラディルの相棒であった竜・ショアの墓は城の敷地内にある。

 そのため退団した平民となったコラディルは、墓参りしたくてもできなくなるのだ。

 こんな馬鹿な真似をするほどショアを愛していたのかと思うと感慨深い物がある。

 だがコラディルは首を横に振った。

「もちろんショアの墓参りは済ませたさ。だが俺はリウ、お前に会いたくて来たんだ」

 そう言ってくれるのは嬉しいが、わざわざ危ない橋を渡ってまで会いに来るようなものだろうかとリウは首を傾げた。

「叙勲を祝おうと来てくれたのか?」

 危険を冒して忍び込み、わざわざ城でリウに会いに来る理由はそれしか思い浮かばない。

「馬鹿、違うって。お前いま、自分がどこに住んでるか分かっててンのか?」

「どこって……ラーゴの屋敷だが」

 世話になっていると言いかけて、周囲を欺くための婚約設定を思い出し言葉を変えた。

 コラディルはハアと大きなため息をつく。

 リウを見つめたまま腕を組み、指先で自分の腕をコツコツと叩いた。

「ラーゴ・ラディーンだろ。若き天才、認定魔法使いの。婚約したんだって?」

「ん、まあ……そうなる」

 元同僚に改めて言われる気恥ずかしさと、どこか嬉しさが湧いた。

 コラディルは再びため息をつき、顔をしかめる。

「竜バカのお前のことだ。呪いの痛みを、魔法でどうこうして貰ってるんだろ」

「な、なんでそれを?」

 まさか既にそんな話が流布しているのだろうか。

 リウが思わず窓際から身を乗り出すと、その額をコラディルの指がピンと弾いた。 

「いてっ」

「易々とかけた鎌に引っ掛かるんじゃねえよ。やっぱりそうか。薬でも十分に散らせなかった痛みが、まるでなかったみたいな顔をしてるからな。そうだろうと思ったぜ」

「なっ……」

「言っておくが、お前の普段の行動を知ってるやつなら違和感に気づくからな。竜しか目に入ってなかった人間が、いきなり男――それも稀有な認定魔法使いと結婚するなんて話を耳にして、どんだけ驚いたか」

 分かりやすい誘導尋問に引っかかってしまい、その上コラディルの推測はまさに的中だ。そんなに分かりやすいだろかと、リウは自分の顔を両手でグニグニと揉んだ。

 コラディルは困ったように笑みを作る。

「分かってるさ。竜騎士の引退は竜の引退だからな。自分のためだけじゃなく、相棒のためでもあるんだろ? お前は本当、根っからの竜バカだもんなァ」

「コラディル……」

 力ないコラディルの微笑みに、リウは掛ける言葉を失った。

 竜騎士の多くがそうであるように、彼だって竜を大切にしていたのだ。ショアを喪ったコラディルの辛さは、リウが受けた衝撃以上だろう。

「だがな、リウ。相手はあのラーゴ・ラディーンだぞ。お前、分かって婚約してンのか?」

 コラディルがズイと顔を近づけるが、その問いかけはリウにはピンとこない。

 認定魔法使いであること、仕事も人柄も見た目も完璧な凄い人物であること。それからなぜかリウに過剰な好意を持っているフリをしてくれていること。

 踏み込もうとする度にスルリと躱すため、案外知っていることは少ない。

 確かになにも分かっていないなと考えこんでいると、コラディルは口をへの字に曲げる。

「そんなことだろうと思ったぜ。噂に疎すぎるんだお前は。ラーゴ・ラディーンは確かに天才だろうがな、魔法の研究のためならなんでもやるって有名なんだぞ。かなりあくどいこともやってるらしい」

「それはないだろう。ラーゴはいいやつだ」

 リウは間髪入れずに否定する。

 いくら仲の良かった同僚の言葉だろうと、それは違うと否定できた。

「呪いの痛みに苦しむ俺を救うために、わざわざ屋敷に住まわせて世話を焼いてくれてるんだ。ゆくゆくは呪いも解けるように尽力してくれている恩人なんだ。悪く言わないでくれ」

「それだよ、それ」

 感謝の言葉を綴るリウに、コラディルは顔を歪ませ吐き捨てる。

 リウの胸元に指先をズイと押し付ける。

「お前がラーゴ・ラディーンの家にいるって聞いて、会いに行ったが無愛想なメイドから追い返されたんだぞ? リウ様は誰にもお会いしませんって、取り付く島もなかった」

 対応したのは恐らくメメルだろう。

 彼女の対応が目に見えるだけに、それは申し訳なく思うが。

「俺が不在だった時じゃないか?」

「そう思うか? 俺は十回は尋ねたぜ。どうせそれすら耳に入れてないんだろ」

「じゅ……、そうなのか? それは……」

 確かに初めて聞いたことだ。

 そもそもラーゴの屋敷に居候している気持ちでいたため、自分に客人など想像もしていなかった。まさかコラディルがあの屋敷に何度も来てくれていたなんて。

「俺はしつこいからな。手紙も出したぞ。もちろん……ほら、受け取ってねえよなあ、その顔じゃ。この話もどうせ今知ったんだろ」

「すまない」

 さすがに気まずくなってリウの視線が泳ぐ。

 コラディルが訪れていたことも、手紙が届いていたことも、リウはなにも知らなかった。知らされていなかった。

 これだけの回数分拒否したとなれば、メメルが勝手に判断したことだとは考えにくい。

 彼女はラーゴの忠実なメイドであり、指示とあらば目の敵にしているリウ相手でもきっちり職務を全うする人物だ。

 メメルの行動の影にあるのは誰か――それが可能な人間はもちろんたった一人だ。

 立っていたはずの足元がまるでグワンと揺れたように感じる。

「つまり俺が誰とも会わないように、ラーゴが指示していた?」

 気づけば空はすっかり暗くなっていた。

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