第5話 盛装と決意
「う、っ、まて、ラーゴ……!」
「待ちません」
リウは涙声になりながら必死に訴えかけるが、ラーゴはそれをピシャリとはね除ける。
それどここかリウの手を押さえ込んでいる彼の手は、離すまいとさらに力がこもった。
「無理だって、もう……っ、うあ」
「大丈夫ですから。擦らないで。僕と呼吸を合わせて、一気にいきますから」
首筋にラーゴの吐息が当たる。
ぐっと力が込められ、我慢出来ずにリウが叫ぶ。
「うわー、痛い! 無理、無理だ! やっぱり俺には料理なんて無理だった!」
「でも半分はタマネギを切れたじゃないですか。凄いことですよ」
包丁を手放し、リウは早々にまな板の前から離れた。
「ラーゴは俺に甘すぎる。あー、目が痛い」
キッチンの水洗い場で、リウは涙が溢れていた目をジャブジャブと流す。
この屋敷で暮らし始めてから一週間、今日のリウは料理に挑戦していた。
リウ自ら包丁を握り、その上からさらにラーゴから支えて貰ったものの結果は玉ねぎに破れた。ラーゴは「リウの食事は全部自分が作る」と宣言した通り、あれからずっと三食全て手料理を用意してくれているのだ。
さすがに甘えっぱなしでは申し訳ないと思ったリウは、今日初めて手伝いを申し出たというわけである。
しかし包丁というものはリウにとって、剣の扱い以上に難しい。
「宿舎では食事が用意されてたし、孤児院でも院長先生が早々に俺を食事当番から外したんだ。多分昔から、料理のセンスがないのかもしれない」
差し出された手拭いで顔を拭く。水で洗い流したことで、ヒリヒリしていた眼球はようやく落ち着きをみせたようだ。
「手伝いをしたいだなんて言って、かえってラーゴの邪魔をしてしまったな」
「とんでもない。リウと一緒に過ごせる時間が増えただけでも、十分嬉しいんですよ」
そう言うと、ラーゴはとっくに切り終わっていたタマネギとベーコンを炒める。
ジュワッという音と、周囲にいい匂いが広がった。
ラーゴはリウに異常に甘い。
その上本当に本気なのか冗談なのか分からないが、リウに対しては本物の婚約者かのように丁寧に接し、周囲に誰もいなくとも愛を囁くのだ。
この屋敷に来てから一週間が経てば、さすがの鈍いリウもラーゴはこれで大丈夫なのだろうかと不安になった。
あまりにラーゴは、リウのために時間を割きすぎているのだ。
まず、寝るときは基本的に一緒だ。
理由はある。寝る直前にも痛みを吸収しておきたいということらしい。さらに夜間にもしも痛みが発生した際にも、隣にいればすぐに対応できるとの合理的な判断だ。
そして、食事だ。
この一週間リウは本当に、ラーゴの作ったものしか口にしていない。ラーゴ曰く「自分の作ったものでリウの身体を作りたい」ということだった。
メイドのメメルはそれを「どの食材がどう呪いに作用するか、魔法の効果をはかりたいだけじゃないですかあ?」と言っていたため、それで納得している。
それにしても手間をかけすぎているため、申し訳なく感じていた。
ならば自分が食事を作ってみてはどうかと思い、まずは手伝いから申し出てみたもののこの体(てい)たらくだ。肩を落としかけるがグッと堪え、リウはフライパンを揺するラーゴの邪魔にならないよう側に近づいた。
「痛みを緩和してもらって、衣食住まで世話になっているんだ。なにか俺ができることはないか? 庭の草むしりでも掃除でも、料理と裁縫以外なら一通りできるぞ」
「それならずっと僕のそばにいてほしいですね」
「またそんな冗談ばかり言って。まったく、このままではただ美味しい食事を食べるだけの毎日で太ってしまう」
ラーゴの作る食事は妙にリウの口に合う。
贅を尽くした食事というわけではないのだが、丁寧に下ごしらえされた料理の数々は、すっかりリウの胃袋を掴んでいた。かつてその辺の店で食べていたものよりもよっぽどリウの好みで、正直毎日の食事が楽しみだったりもする。
今も食欲をそそるような匂いが絶えず鼻孔をくすぐっていた。
以前に比べて隙間のなくなったウエストを、リウは指先で摘まむ。
このままでは仕立てて貰った盛装用の服が着られなくなってしまう。
「この世界に奇跡として存在するリウの体積が増えるのなら、大変喜ばしいことです」
「せっかくラーゴが選んだ服が入らなくなるぞ」
「うーん、それはちょっと悩ましいですね。はい、できました。味見をどうぞ」
突き出されたフォークを、リウは条件反射で口にした。
じっくりと炒めたタマネギとベーコンの脂、それと濃厚な牛乳とチーズが合わさって、口の中でとろりと蕩ける。
「美味いな。ラーゴはなぜこんなに料理が上手なんだ?」
先に用意していた生地を取り出そうとしたラーゴが、一瞬止まる。
「そうですね……作らざるをえない環境にいたから、でしょうか」
含みの感じられる言い方だ。
リウとラーゴとの間に、見えない明確な一線を引かれたような気がした。
これ以上は近づくなと、そう言われている。
「そうか」
リウはそれ以上問いかけることを止めたが、自分の声音は思ったよりも重く響いた。
生地を伸ばしていたラーゴは、持っていた麺棒を置いて慌てて弁明する。
「ああ違いますよ、勘違いしないでください。リウに知られては困ることなんて、なにもありません。ですが僕の過去なんて面白い話でもないので、お耳汚しかと思うんです」
「ラーゴは俺の話をそう感じているのか?」
「まさか。愛するリウの話であれば、聖書の読み上げだろうと夜を徹して拝聴できます」
「……そこまでとはさすがにいかないが、俺だってラーゴの話には興味がある。俺は情けない部分を知られてばかりで、お前のことを何も知らない」
リウの言葉にラーゴは僅かに目を見張る。
それから困ったように曖昧に笑みを作った。
「ありがとうございます。ですが本当に、つまらない話ばかりなんですよ。子供ながらに自分で作らなければ、安全な食事を得られなかっただけなので」
品のいいラーゴだ。出身は詳しく聞かされていないが、恐らく元々貴族階級なのだろう。それなのに子供の頃から自分で食事を用意せざるを得なかった環境に身を置いていた?
リウの頭にはいくつもの疑問符が湧く。
どんな子供時代だったのかと深追いしたくなるが、グッと堪えた。
ラーゴの言い方は柔らかいものの、明らかに一線を引かれている。
心の柔らかい部分にリウが踏み入ることを、この男は望んでいないのだ。
それがリウであっても。いや、リウだからだろうか。
ラーゴはいつも冗談めかしてばかりで、本心を隠す。リウとてこの一週間一緒に生活を共にしてきたのだ。少しはラーゴを理解できているつもりだ。
僅かに寂しく感じるものの、こればかりはまだお互い知り合ったばかりだ。話すにはまだ、相手を知る時間が不足しているのだろう。
リウは諦めて肩をすくめた。
「じゃあ、これはどうだ。認定魔法使いはどんな仕事をするのか、教えてほしい。俺は竜にかまけてばかりで、間近で魔法を見たのもつい最近なんだ」
ガラリと雰囲気を変えたリウの質問に、ラーゴが密かに息を吐いた様子が分かった。
恐らくリウの気遣いを察しているのだろう。
ラーゴは止めていた調理の手を再開させ、台の上で生地を伸ばした。
「そうですね、認定魔法使いと言っても、やっていることは一般の魔法使いと変わりません。体内の魔力を練って魔法を発動させるんです。ただ、魔方陣の研究をするしないは、魔法使いの資質によって変わりますね」
「魔方陣」
以前も聞いたことのある単語だ。
魔法と魔方陣は違うと言われたがリウには理解が及ばず、ちんぷんかんぷんだった。
難しい顔をするリウの目の前で、ラーゴが宙でクルリと指を回す。
するとそこに丸い水の球が浮かんだ。
「お、おお?」
「これが魔力だとしましょう」
目の前でふよふよする水に、リウは恐る恐る指を近づける。
「これを作るために、僕が魔力を十使うとしますね。僕が保有する魔力が百の場合、この魔法は些細なものです。ですが十しか魔力がない者は、一度しか使えません」
「わ、わッ」
リウの目の前で水球が十に増える。触れると弾力があり、不思議な感覚だ。
水球の向こうでは、ラーゴが麺棒で伸ばした生地を広げている。魔法を使いながら料理もするのだから、なんとも器用な男である。
「ただ闇雲に魔法を使っていては、魔力が少ない者はすぐに力尽きてしまいますよね? だから十の魔法を五や二の魔力で行使するための補助具として、魔方陣が存在しているんです。杖や靴に仕込んだり、スクロールと呼ばれる紙に描いたりするんですよ」
「すごいもんだ。つまり魔方陣は、少ない魔力で魔法を使うためにあるのか」
「その通りです。リウは理解が早いですね」
全く知らなかった世界の説明に、リウは興味津々だった。手の中では水球が揺らめく。
話している間にもラーゴの手元では、平らになった生地が高さ十センチほどの円柱型に敷きつめられていた。そこに先ほど炒めたタマネギたちが流し込まれる。
「認定魔法使いになるには保持している魔力量も大事ではあります。しかしなにより開発した魔方陣の功績が大きいのです」
型の上から更に生地を乗せて、ラーゴはそれをガス台下にあるオーブンに入れた。
「魔法は個人の魔力とセンスが勝負ですが、魔方陣であれば、理論上は魔力を有する誰しもが使用できますからね。あくまで理論上は、ですが」
やけに理論上を強調する。
となればラーゴが認定魔法使いになった切っ掛けも、なにか新しい魔方陣を開発したからということになる。
「ラーゴはどんな魔方陣を作ったんだ?」
単純な疑問をラーゴにぶつける。全く知らなかった世界で功績を挙げた男は、熱したオーブンを外から覗き込むと、リウに身体を向ける。
それからズイと距離を詰め、息がかかるような至近距離まで顔を寄せてきた。
キスをされる――リウが一瞬顎を引くと、ラーゴからフッと笑いが籠もった息が漏れる。
「今日はリウからキスしてくれませんか?」
「え、ええ?」
ホラ早く、とラーゴは自分の唇を指先でチョンチョンとつついた。
この一週間、日に何度も口づけをしていた。
それは恋人同士が愛を確かめるためのものではなく、あくまでリウの体内に蔓延る痛みを吸い出すためだ。
呪いをラーゴが吸収していることを隠すために、周囲にはリウとラーゴは仲の良い婚約者だと偽っている。だが痛みを吸い取るため以外の口付けは滅多にしない。
実はリウの方からは、一度も口付けをしたことがないのだ。
だがそれを理由に断っては男らしくない気がした。リウは腹をくくる。
「め、目を閉じてくれるか?」
「ふふ、その方が雰囲気が出ますもんね」
「そういうことじゃない……」
ラーゴは茶化してくるものの、指示に従い目を閉じてくれた。長い睫が閉じられた目元に影を落とす。こうやって改めて見ても、やはり綺麗な男だと思う。
若くて、才能がある。見目もよく、人気がある。優しくマメで、料理だって上手い。
三十歳を目前にして呪いを受け、竜騎士の座すら危ういリウとは大違いだった。
「リウ?」
目を閉じたままのラーゴに名前を呼ばれ、リウはハッと我に返った。
ギクシャクとラーゴに顔を寄せていく。
吐息がかかる距離になると、心臓の鼓動がドクドクと煩い。
いつもラーゴがするように、ゆっくりと唇を重ねた。薄い皮膚越しに体温を感じる。
角度を変えて何度も押し付けるように表面を擦ると、ラーゴの唇が開きリウを迎え入れる。
まだ戸惑いはあるものの、誘われるままに舌を差し込むと熱いラーゴの口腔へと招かれた。
「ん……」
他人の口の中の感触に驚いていると、己の舌にラーゴのそれが巻き付いた。
無意識に逃げようとするリウの腰はいつのまにか強く抱き留められている。
リウの舌に絡まってくすぐり撫で上げるラーゴの舌は、まるで別の生き物のようだった。
「っは、う、ン」
強く吸い上げられ、身体が震える。
同時にリウの唇から甘い吐息が溢れると、ラーゴは満足げに目を細めた。
「かわいい……リウ、リウ」
ラーゴは逃げ腰のリウの身体を、キッチン台に押さえつけるようにして覆い被さってきた。
先ほどから一転、ラーゴの舌がリウの口内に侵入してくる。
こんなときは、先ほどして貰ったように舌を絡めなければいけないのだろうか。
だが既に息が上がっているリウには、難しいことだった。
一方的に翻弄されるばかりで情けなく思う。
せめて口づけが離れないようにと、ラーゴの首に両腕を回した。
わずかに驚いたような気配がして、だが口づけは更に深くなる。
ラーゴが言うには、こうしてお互いの粘膜をより擦り合わせ快楽を高めることで、一度に吸収できる呪い(いたみ)が増えるのだという。
最初にその推測を持ち出されたときには、さすがにリウも眉唾ものだと思った。
しかし実際一緒に検証をしていくと、確かに軽い口づけよりも痛みの発生が遅れるのは事実だった。
だから最近は一度の口づけが、まるで濃厚な恋人同士のようなものになってしまうのだ。
「んっ、ン……んえ」
ようやくラーゴの唇が離れた頃には、リウの舌はジンと痺れてうまく動かない。
リウの口元に零れる唾液が、細長い指で拭われる。
「飛行です」
なんの脈絡もなく、ラーゴが呟いた。
茹だったリウの頭ではそれがなんの話に該当するのか見当もつかず、ただラーゴを見つめてぼんやりと首を傾げる。
リウの唾液を拭った指先に口付けをして、ラーゴは続けて言葉を紡ぐ。
「僕は、飛行の魔方陣を作ったんです。魔力があれば誰でも空を飛べる――実際は魔方陣を使っても消費する魔力が多すぎるせいで、現時点でそれを使えるのは僕だけですが」
だから理論上は、なのです。ラーゴはそう呟いて、僅かに口角を上げた。
話を聞きながら、ようやくリウも頭の回転が戻って来た。
つまりラーゴが言っていることは、先ほど問いへの回答であった。
「飛行の魔方陣で、認定魔法使いになった?」
「作った魔方陣は、今は僕しか使えませんがいつか大きな国の武器になる。上の方々はそう考えられたようですね。空を飛べるのは鳥か翼を持つ魔物か――竜しかいないでしょう? 僕も竜と同じように、空を飛びたかった」
まっすぐにリウを見つめながらも、ラーゴはどこか遠くを見ているようだった。
しかし思いがけないラーゴの発言に、リウは思わず身を乗り出した。
「分かる! いいよな、空は! 俺も初めて竜に乗って空を飛んだ時には、こんなに自由な世界があるのかって驚いた。空と風と一体になるような、悩みなんて吹き飛ばしてしまうような壮大さが……って、すまない」
竜と同じように大空を愛するリウではあるが、あまりに熱が入りすぎた。
だがラーゴはそんなリウに呆れるでもなく、真剣な瞳のまま繋いでいた手に力を込める。
「もっと聞かせてください。リウの好きなものを、僕はいつだって知りたいので。竜に乗って空を飛ぶ時のコツはあるんですか?」
「っ、あるぞ。いいか、竜騎士は最初からうまく騎乗できるわけじゃない。まずは竜との信頼関係を築くために――」
気がつけばリウは、いかに空を飛ぶ竜が素晴らしいか、逞しい翼を動かす竜が美しいかを熱弁してしまっていた。
ラーゴは要所要所で合いの手を入れ、疑問を挟み、リウの話を引き出すのがとても上手だった。
そうしてオーブンがタマネギのキッシュを焼き上げるまでの間、リウはひとしきり竜について語り楽しい時間を過ごした。
だがラーゴがなぜ空を飛ぶ魔方陣の研究を選んだのか、どうして空を飛びたかったのか、その本質を深く考えることはなかったのだった。
◆ ◆ ◆
いよいよ叙勲式の朝となった。
リウはいつもよりも早起きをし、風呂へと入れられ、器用なメメルの手によってあれこれ着飾られていた。
最初こそ少年のような恰好をしていたメメルを少年と見間違えたものだが、どうやら日によってメイド服も着るらしい。今日はふわりとしたスカートを穿いた女性らしい服装だ。
鏡の前に腰を下ろすリウの周囲を、メメルはクルクルと動き回る。肌の手入れや髪のセットを入念にされ、リウの人生でこんなに丁寧に飾り立てられるのは初めてだ。
手先の器用なメメルは、普段洗いざらしのリウの髪の毛をあっという間に綺麗に整えてしまう。
叙勲式では竜騎士の正装で参加する。そのためパーティー用に仕立ててもらった衣装は、事前にラーゴが王宮の控え室へ持っていった。
まだリウは目にしていないものの、機嫌の良さそうなラーゴの様子から察するにいい出来映えだったのだろう。
ラーゴ本人はといえば、頼まれた仕事があるからと朝からリウを抱きしめ名残惜しそうに出て行った。もちろん痛みを吸い出すため、出発前に濃厚な口づけを交わしている。
リウの毛先をチョイチョイと細かく調整するメメルは、実に真剣な表情だ。
自分などよりもラーゴを飾り立てた方が楽しいだろうにと思うのだが、それをメメルに伝えると「全く同感です」と言われてしまう。
「だよな」
飾り立てがいがあるなら間違いなくラーゴだ。
しかし当の本人は自分の魅力を把握していながら無頓着である。
今朝も普段通りのマントと変わりない髪型で出発しかけて、メメルに捕まっていた。神業のようなメメルの手によって髪の毛を整えられ、一瞬で目を奪われる美男子に仕立て上げられたのは良かったのか悪かったのか。
間違いなく周囲の目を惹くだろうと考えて、迷惑そうな表情をするだろうラーゴが思い浮かぶ。
メメルは真剣な表情で襟足の跳ねを細かく調整している。
「リウ様はラーゴ様の婚約者です。たとえメメルが個人的に気に食わなくとも、ラーゴ様の隣に立つ以上最高の状態で臨んでいただかなくてはいけねえんです」
歯に衣着せないメメルの言い方に、リウは苦笑を漏らす。
だがリウは案外、メメルのことは気に入っていた。
この二週間、リウはその殆どの時間をこの屋敷で過ごしている。
寝込んでいた分の体力を回復すべくよく寝てよく食べ、空いた時間には庭でトレーニングをさせてもらっていた。おかげで今日は竜騎士として問題なく叙勲式に立てる。
その間、食事以外の世話を焼いてくれたのがメメルだった。
リウに対して敵意を隠さず口と態度の悪いメメルだが、決して職務をおざなりにすることはなく、細かいことにもよく気がついてくれた。素直すぎる性格は時に問題はあるだろうが、リウにとってはこれくらい真っ直ぐに来てくれた方が過ごしやすい。
それにかつて育った孤児院にもこういう子供はよくいたのだ。むしろ気取って対応されるより、親近感が湧いていしまう。
「今日の俺なら胸を張ってラーゴの隣に立てるかな?」
「メメルの力をもってしても、けっこーギリギリでげす」
「はははっ」
両腕を組み、フンと鼻息を吐くメメルが面白くてリウは大笑いした。
なんだかんだ駄目だとは言わないのだ。
メメルにとって恋敵だろうリウに、職務とはいえこうして塩を送ってくれる優しさもある。
「さ、できたですよ。髪の毛が崩れるので絶対に触らないでくだされ。完璧な仕上げが台無しになっちまうんで」
「俺は触らないけど……それ、ラーゴにも言ってくれるか?」
後ろに流された髪の毛は、細かい束が作られ立体的に固められている。
芸術的にセットされたリウを、ラーゴが抱きしめてくる可能性は大きいのではないか。この二週間の生活で、ラーゴの行動を大体予測できるようになってしまった。
「ラーゴ様が崩されるならしかたありません。それこそ至高の髪型なのでしょう」
「ぶれないなあ」
この主従はこういう部分がどことなく似ている気がした。
渡された濃紺の上着を羽織り、襟元まで並ぶ金ボタンを留める。
普段着として着用していた制服とは違い正装用に用意されている特別な竜騎士服は、生地にも華やかな金糸が使われていた。
騎士団と同じ色合いだが、あちらは赤色を基調に誂えられている。赤はセデンス国の国章にも使われているため、一部の赤色は使用が王族に限定されるほど特別な色だ。
では竜騎士団は特別でないのかといえば、そうではない。
竜騎士団も、始まりは騎士団と同様の制服だったのだ。
しかし平民出身が多く意識の低さが多かった竜騎士の中には、配給される制服の管理が杜撰な者もいた。結果として制服を紛失してしまう者も多く、盗んだ制服を使用し偽騎士として罪を犯す不届き者が現れることがしばしあった。
そのため竜騎士と騎士は色を分けられた、という経緯がある。
万が一過失により制服を紛失した場合、色を変えた全員分の制服を自腹で新調する罰則がある。もちろん安くはない。
つまり自腹で弁償したくなければ管理を怠るなという話なのだ。
さらに教養不足の竜騎士に対しては、一年かけて入念な座学の時間が用意される。おかげで勉強に慣れていなかったリウのような平民出身者でも、知識と教養を得ることができた。
それらに加え、竜を伴い空を飛ぶ竜騎士の仕事で度胸もついた。
おかげで特別な式典に臆することはない。
「よし、そろそろ行こうかな」
肩から胸へと流れる金色の飾緒が、鏡の中で揺れる。
年に数回しか着ない正装を身に纏い、髪の毛を整え香水までつけたリウは立派な竜騎士だ。
「え、もう行かれるんですか。さすがに早すぎませんか。いくらメメルとて、今日の主役をさっさと追い出そうってつもりはないでげすよ」
「はは、そういうわけじゃないんだ。先に寄りたいところがあるから」
珍しく慌てるメメルに、リウは微笑みを向ける。
用意してもらった屋敷の馬車に乗り込み、まだ朝露も乾かない時間の街道を走った。
早朝からリウが馬車に揺られ足を向けた先は、城の敷地内ではあったが控え室でも竜騎士団でもなかった。
王城内の端、竜舎からすこし離れた場所だ。
木々が茂る杜の中に、まだ添え木をされ植えられたばかりの若い苗木がある。
そしてその横には石に刻まれた――ショアという名前があった。
それは王子の気まぐれで殺されてしまった、同僚コラディルの相棒竜の名前だ。
真っ赤な鱗が美しく、大空を舞う姿は凜々しかった。ショアは繊細で気難しい竜だったが、リウの相棒竜のガジャラとは仲睦まじい姉妹で、よく鱗を擦りつけてじゃれあっていた。
この国が管理している竜は亡くなるとこの杜に埋められ、墓石の代わりに木を植える。
樹木葬と呼ばれるものに近い。
こうすることで竜の体内に宿る魔力は肉体ごと土へと還り、現役で活動する竜にとって居心地のよい場所になるのだという。杜は竜舎からほど近い場所にあり、仲間を喪ったばかりの竜にも竜騎士にも慰めとなる。
亡くなったショアの墓前には、既に大輪の花が供えられていた。
ショアの鱗と同じ真っ赤な花びらが美しい花束は、まだ新鮮なものだ。今朝既に誰かが来ていたのかもしれない。
リウは膝を突き、持ってきた花を静かに手向けた。
「ショア。来るのが遅くなったな。怒ってるか?」
墓石の隣に小さな魔石を置く。
魔石はやや値が張るものの、良質な魔力を含んでおり竜の好物だ。
ショアも何度、リウの手から魔石を食べてくれたか。
鋭い瞳が嬉しそうに細められるあの表情は、もう二度と見ることができない。
「守ってやれなくて、すまなかった」
反竜派の第二王子が我が儘な暴君だということは、リウも知っていたはずだ。
まさか竜騎士を差し置いて竜に跨がろうとするとは思わなかったが、それはリウたちの慢心だったのかもしれない。もっと一挙手一投足に注視するべきだった。
竜騎士として国に忠誠を誓っている限り、なにより守るべきは王族だと理解はしている。
だがそれ以前にリウたち竜騎士を、竜騎士という存在にしてくれたのは竜なのだ。深い繋がりを持つのがどちらなのかと問われれば、恐らく竜騎士ならば竜を選んでしまうだろう。
「なあショア。俺はこの呪いを、お前を守り切れなかった罰なんじゃないかと思うんだ」
もっと第二王子に注意していればよかった。そうすればショアを喪わず、そして彼女の相棒であった同僚のコラディルもまだ竜騎士として活躍できていたのに。
この国に生きている人間は等しく、竜の恩恵に与っている。
セデンス国は竜という強い武器を飼い慣らしているおかげで、他国に対して強く出られるのだ。それは国内の平穏に繋がり、戦争の少ない豊かな生活をもたらしている。
だがリウは思うのだ。
それは竜たちにとって幸せなのだろうかと。
竜が自由に空を飛べるのは、専属となる竜騎士が現れてからだ。それまでは特殊な枷を足に嵌められ、飛べないようにされている。
いくら卵から育てあげても竜は元々魔物だ。逃げ出さないとは限らない。
そして竜騎士を失えば、その命が大地に還るまで再び空を飛べる機会を失う。
竜にとってこの国で生まれたことは、不幸なのではないか。
「人間は勝手だよな。お前が怒る気持ちも分かるよ」
その上、竜によって平穏が守られているはずのセデンス国内でも、近年では反竜派と呼ばれる竜を不必要だと訴える派閥が現れているのだ。
国庫を圧迫する竜を減らせ、金になる竜の亡骸は切り刻んで売るべきだ、いや竜などもはや国に不要だ――そう考える貴族は王妃の実家が中心だという。
ショアを死に追いやった身勝手な第二王子は、その王妃の唯一の実子だ。
リウは植えられたばかりの、まだしなやかな若木を撫でる。
「ガジャラのためにも俺はまだ生きていたい。本当は償って苦しんで死ぬべきなのかもしれないが……ガジャラのためなら俺はなんでもする」
それが例え、ラーゴの好意を利用することになっても。
膝の上で硬く握る拳の上に、別の手のひらが重なった。
リウはハッとして、見覚えのあるその手の持ち主を見上げる。
「ラーゴ? 驚いた、どうしてここに」
「竜のためじゃなく、僕のために生きてほしいところですね」
いつから隣にいたのか、仮にも竜騎士であるリウが全く気づけなかった。独り言を聞かれていたバツの悪さを誤魔化せずに、リウは曖昧に笑った。
軽口を叩くラーゴは綺麗に口角を上げる。
「叙勲式の前にリウの騎士正装を見たいと思い一度自宅に戻ったのですが、こちらだと聞いたので……迷惑でしたか」
「いや、大丈夫だ。ショアに挨拶もし終わったし」
差し出された手を取って、リウは立ち上がり大きく伸びをした。上等な硬い生地で作られた上着は普段の騎士服より動きの制限が多く、何度着ても着なれない。
「そういえば朝からこっちで仕事だったんだよな。もう一段落ついたのか」
「ええ。全く、早朝から面倒な呼び出しには困ったものです。こき使われる哀れな魔法使いですよ僕は」
「ははは、ラーゴでもそんな風に思うんだな。なんでも涼しい顔でこなすから、上司受けがいいんじゃないか」
そう話して、ふとリウは気付いた。
ラーゴを呼び出したのは一体誰なのだろうか。
魔法使いとしてゴッドランド宰相の後援を受けているがラーゴだが、ただの魔法使いではなく認定魔法使いだ。認定魔法使いともなれば一貴族相当の立場となり、一つの家に縛られることなく活動することができる。
一般の魔法使いであれば後援者は一人だけで、それは専属魔法使いと言ってもいい。
しかし魔法使いあくまで後援者は認定魔法使いを支持しているという表明であり、場合によっては複数人後援者がいるのだ。後援しているからとこき使えるというわけではない。
早朝の王宮にラーゴを呼び出せるほどの後援者といえば、やはりゴッドランド宰相だろう。
そうなるとなぜわざわざ、叙勲式の朝に突然ラーゴを呼び出したのか。
(いや、深入りすることでもないだろう)
魔法使いには魔法使いの、リウの知らない世界があるのだろう。
親しくしてくれているとはいえラーゴの身分はリウよりも上だ。
迷惑をかけている恩人の身辺を探ろうとするなど、あまりに恩知らずだろう。
リウは一瞬湧いた疑問を振り払う。
「さあそろそろ急がないと。城に入りましょう。貴方を控え室までエスコートする名誉をいただけますか?」
「ふは。ああ、よろしくお願いするよ」
手をスイと掬いあげられる。
芝居がかった様子でいつものようにふざけるラーゴと共に、リウは元来た道を歩く。
なんだかんだラーゴの隣は居心地がよく、これから大舞台に挑むリウの緊張もほぐれるというものだ。
だからリウは気づかなかった。
そんな自分を、木の陰から見つめる男の視線に。
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