呪われ竜騎士とヤンデレ魔法使いの打算

てんつぶ

第1話 竜騎士と呪い

 竜騎士団の宿舎の中で、ただ寝台に横になって痛みに耐える。

 自室の窓から見えるのは同じ敷地内にある王城、それから澄み渡る大空だ。

 遥か上空に翼を羽ばたかせる竜たちの姿は、このセデンス王国ならではの光景だろう。野生の竜を気が遠くなるほどの時間をかけて飼いならし、今では竜騎士団として竜はこの国の守護を担っている。

 馬よりも速く走り、鳥よりも高く飛び、たやすく剣を通さないその硬い鱗と武器である鋭い爪は、味方であればこれほど頼もしいものはない。

 竜騎士であるリウ・パッフはもう少し竜の姿を見ようと身体を動かし、それから突然の痛みに身体を捩る。

「っ、ぐう……う」

 全身が焼かれるような、ねじ切られるような痛みだ。リウの額に脂汗が滲む。

 暫く襲いかかる痛みに耐えて、ようやく収まるのだ。

 こうして身体を動かしただけで全身を貫く激痛は、呪いを受けてからもう何度も味わっている。それなのにリウは、まだ自分の厄介な身体を上手く扱えない。

 慎重に腕を動かし額の汗を拭おうとして、自分の指先の忌まわしさに眉をひそめた。

 指先から手首にかけてまだらに浮かぶ赤黒い痣は、つい最近降りかかってきた災いだった。

「もう空も飛べない、呪われた竜騎士か」

 いつか誰かに言われた言葉――。

 誰もいない室内で、リウはそう独りごちる。

 壁に掛けられた制服は、この国を守護する竜騎士団のものだ。

 赤黒い指先をシーツに戻し、リウは小さなため息を零す。

 遠くから竜の嘶きが聞こえ、空には再び大きな影が舞い上がった。


◆ ◆ ◆


 セデンス国の城下町は、王城をすぐそこに見上げる港街だ。

 港で入り混じる外国の荷物や文化のお陰もあって、威勢のいい活気が満ち溢れている。

 なによりセデンス国は他国に比べて情勢が安定していると評判で、街の治安もいい。

 大きな声で客を呼ぶ魚屋の主人や、新鮮な野菜を売り歩く女たちの姿がある。子供達が石畳を走り回り、笑い声が響く。

「どうだい、今日の目玉を見ておくれ!」

「これは西から入ったばかりの銀細工だ!」

 そんな明るい声が風に乗って、上空にいるリウの耳にまで入ってくる。

 赤煉瓦の屋根の街並みは建国から続くものでもあり、それは王都が戦火に見舞われたことのない証しでもあった。

 リウが暮らすこのセデンスという国は、大陸では中堅どころの国である。

 大きな山脈が国土の多くを占め、そこから流れ出る豊富な湧き水は田畑を潤し、小さな港が主な外交の場だ。

 それだけならば取り立てて特筆するべき点がない、よくある小国の一つである。

 だがたった一つ、他国にはない特色があった。

「あー、ママ! リウ様だ! リウ様の竜が飛んでるよ!」

 目ざとい子供が、空を舞うリウとその相棒に気付いて手を振ってきた。

 リウが乗る竜は青色で、その腹と翼は薄い水色だ。ともすれば青空に馴染んで見つからないことの方が多いというのに、よく見つけたものだ。

 地上から見えるようにリウが大きく手を振ると、街中からはワッと歓声が上がる。

 くすぐったい気持ちになるものの、悪くはない。

 こうして民衆に愛されているリウ・パッフは、竜騎士と呼ばれる職に就いている。

 そして竜こそが、セデンス国が周辺国に誇れる唯一の存在でもある。

「ふふ、ガジャラは人気者だな」

「グルッ」

 天高く騎乗しながら相棒である竜――ガジャラの目元を撫でる。鱗に囲まれた大きな金色の瞳が満足げな色を含み、リウは彼女の素直さにまた笑みを深めた。

 ガジャラとの付き合いはリウが十八歳の頃からで、つまりもう十年にもなる。

 それでも竜騎士の中ではまだまだリウもガジャラもひよっこだ。街の巡回は若手竜騎士の仕事である。

 ガジャラが青い翼を力強く動かしたところで、三時を告げる鐘が空に響いた。

「よし。今日の巡回は終わりかな。帰ってごはんにしよう」

「ブルルルッ」

 露骨に喜びの声を出す食いしん坊のガジャラに、今度こそリウは声を上げて笑う。

「ガジャラが元気で俺も嬉しいよ」

 手綱を握って旋回し、王城の敷地内にある竜舎へと急いだのだった。

「おー、リウ、ガジャラ。お疲れさん」

 滑空したリウたちを迎え入れたのは、同僚であるコラディル・マガボニと彼の相棒であるショアだった。どうやらショアの鱗を磨いていたらしい。コラディルの片手に巨大なブラシが見える。

 コラディルはひょろりとした体格でつかみ所がなく、竜騎士だというよりも商人だと言われたほうがしっくりとくるような見た目だ。

 ところがこう見えてコラディルは、誰よりも上手く竜を乗りこなす。その細かな技巧で荒っぽい気性のショアを、竜騎士団でも一二を争う騎竜へと変えた男でもあった。

「リウは今日、昼番だろ? 夜は俺に任せて、さっさと帰れよ」

「ああ、ありがとう。そうだ、その前にこれ」

 リウは腰に付けている小さな鞄から、真っ黒な石を取り出した。小さなそれは一見ただの黒い石のようだが、リウの手の中で小さな瞬きのような光を放つ。

 それからリウはその手を、一緒に飛んできたガジャラの口元で広げた。大きな舌がべろんと出てきて、その石を無数の牙が並ぶ口の中へ運んだ。

「グア、グアア」

 機嫌の良い声が竜の喉から聞こえ、その隣にいたコラディルの相棒・ショアまで物欲しそうにリウに顔を寄せた。

「ふふ、ショアもほしいのか? コラディル、ショアに魔石をあげても?」

 コラディルは呆れたように肩を竦める。

「そりゃいいけどよ。お前、ホント竜バカだよな。それ一個が俺らの日当相当なんだぞ。それをポイポイ竜に食わせるバカは、この竜騎士団でもお前くらいだぜリウ」

 竜にとって魔石はご馳走だ。

 普段は肉と少しの草で過ごす彼らだが、魔力を多量に含むこの鉱石は身体を強くするだけではなく、美味しいものらしい。

 この国で働く竜たちは元は魔物であったせいか、少なからず魔力を欲する。魔力を帯びているものといえば、街の外を闊歩する魔物や、こうしてどこかから採れる魔石が主だ。

 その上この魔石は魔法の媒介になるせいで、希少価値が高く値が張る。

 本来ならたとえ竜といえどそうそう口にできるものではないのだが、リウは身銭を切ってポイポイと与えてしまう。

「いいんだ。お前と違って俺は独身だし、金のかかる趣味もない。こいつらが喜んでくれたら俺も嬉しい」

 欲のない発言をするリウに、コラディルは肩を竦める。

 二匹の竜はといえば、貰った魔石を食べてすっかりご機嫌の様子だ。

「グルルル……」

 赤竜であるショアはガジャラに顔をすり寄せ、実に仲睦まじい様子を見せる。

 ショアとガジャラは同じ母竜から生まれた姉妹のせいか、他の竜たちに比べて昔から仲が良い。

 こうやってお互いの帰還を喜ぶ様子は、姉妹というより恋人のようでもあった。

 地に足を着けたリウがその様子を微笑ましく眺めていると、コラディルが自分の無精髭を擦りながらニタッと笑う。

「リウも俺とやるかぁ? ほ~ら、お帰りのハグぅ」

 ふざけたコラディルが、リウに抱きつき顔をすり寄せてきた。

「うわっ、やめろコラディル! 髭が痛いだろう!」

「わーはは! 娘たちにも大人気のパパの髭だぞうっ!」

 コラディルは大人気などと言うが、愛娘たちにも絶対に嫌がられているだろう。コラディルに似ない彼の娘たちは、奥さんに似て美人に育つと評判である。

「お前達。遊ぶのは勤務時間が終わってからにしろ」

「はっ! 失礼しました!」

「すみません!」

 嫌がるリウとはしゃぐコラディルにぴしゃりと注意したのは、この竜騎士団が誇る隊長だ。入団三十年のベテランは、幾度となく危険をくぐり抜けてきた歴戦の竜騎士である。その醸し出す雰囲気は高潔そのもので、竜騎士たちの尊敬を集めていた。

「明日は第二王子の護衛があるからな。まさかその調子で挑むつもりじゃないだろうな?」

「ま、まさかぁ! 滅相もないですよ、なあリウ?」

「はい。全力で王子を守ります」

 胸に手を当て騎士の礼を取る二人に、竜騎士団長はやれやれといった顔をした。

 国が保有する竜の数は二十匹程度だ。

 そのため自然と、竜に認められた竜騎士も少数精鋭となる。

 大陸内には数多の魔物が存在しているが、その中で最も脅威なのは竜種だ。

 鋭いかぎ爪と牙、馬よりも速く走り、鳥よりも高く空を飛ぶ。その上賢く、山間を移動する人間を楽に狩るため罠に嵌めるような竜もいる。

 本来ならば竜は人間に従うような生き物ではないが、それをセデンス国は長い時間をかけて竜を研究し、命がけで交配させ、それを卵から育てることで人間と共存できる独自の竜種を作り上げたのだ。

 一見なんの変哲もないセデンス国は、大陸で唯一人間に従う竜と、彼らを操る竜騎士たちが守る国だ。

 人間に飼い慣らされたとはいえ竜はこの大陸最強の魔物だ。セデンス国に竜がいると知っていながら、手を出そうとする愚かな周辺国はない。

 リウは十八歳の頃に竜騎士試験に参加し、当時生まれたばかりのガジャラに見初められて竜騎士となった。

 隣に立つお調子者のコラディルは、一年先にショアの相棒となっており、年も入団時期も近いということで仲がいい。コラディルの結婚式にはリウも呼ばれたほどだ。

 竜が増えなければ竜騎士も増えないのだから、少数精鋭の竜騎士団員は家族のような存在でもあった。

 とはいえなあなあの関係になっては、規律も緩む。

「第二王子殿下であるミッシャラ様は、王妃殿下共々反竜派だ。お前たちの仕事によっては竜たちの処遇が変わる恐れもある。心してかかれよ」

「はっ!」

 規律を遵守する竜騎士団長の叱咤激励を受けて、二人は胸を叩き礼をした。去って行く団長の後ろ姿を見つめながら、リウは改めて気を引き締めたが、隣の男は違うようだ。

「はあ~団長マジ怖いよな。俺は愛する妻と可愛い娘たちがいて、金を貰いながらショアと空を飛べたらいいだけなんだけどさあ」

「コラディル」

「あーはいはい。まったく、リウはいい子チャンなんだからさあ。真面目すぎるんだって。そんなんだからモテモテの竜騎士のくせに、いつまでたっても童貞なんだよ」

「コラディルッ!」

 全く関係のない指摘に、リウは顔を赤くした。

 恋人ができないというより作らないのであって、そういった経験がないのはしたいと思わないからだ。

 リウは身長は高いが、すっきりとした特筆すべき点がない顔立ちだ。お世辞にも美男ではないものの見た目には清潔感がある。それでいて高給取りかつ名誉職である竜騎士だ。

 若い時からそれなりに露骨な視線と好意に晒されてきたが、リウは恋愛に興味がなかった。

「俺は、ガジャラといられればそれでいいって言ってるだろ」

 コラディルはいい同僚だが、デリケートな部分を踏み荒らすような軽口はいただけない。若くして大恋愛をし結婚したコラディルからすると、リウはつまらない人間に見えるのかもしれないが、それはお互いの価値観の相違であり尊重する部分だ。

「あーはいはい。ま、そこは俺も同意だからさ。このオイシイ仕事をなくしたら大変だし。王子の護衛はつつがなくやりきるつもりだぜ。なんたって、ミッシャラ王子は反竜派だ。俺たちのミス一つで、ショアたちの居場所が奪われかねん」

 顔を寄せてくるショアの顎を、コラディルは優しい手つきで撫でた。そしてもっと撫でろと言わんばかりに、ショアはコラディルの足元に座った。

「可愛いやつだなあ、おい。安心しろよショア、俺とお前は運命共同体だからなあ」

 いかに竜に認められた竜騎士とはいえ、これだけの信頼関係を築くのに費やした時間は短くはない。この距離で撫でることを許されるのは、騎乗する竜騎士くらいだろう。

 リウの相棒であるガジャラも同じようにリウの隣に座る。目の間をそっと撫でると、その金色の瞳は嬉しそうに輝く。

 この強く美しい竜は、守らなければいけない。リウは硬く拳を握る。

「竜の飼育費用が国庫を圧迫すると言われても、その竜によって守られているのがこの国だ。反竜派がどんな手を使おうと、俺たちは竜を守るしかない」

「だよな。安心しろよショア。俺たちがぜってー守るからな」

 クルルル、と喉を鳴らす二体の竜を見つめながら、竜騎士たちは決意を新たにしていた。


 だがその翌日。

 朝から暗雲がたちこめる天気だったため、リウはなんだか妙な胸騒ぎがしていた。

 だが第二王子の遠征の付き添いは王命であり、多少の悪天候で延期できるものではない。

 国土はそう広くないものの、やはり馬よりも竜が圧倒的に速い。王族の地方視察には竜を使うことがセデンス国では当たり前だった。

 空は竜の独壇場で外敵もいない。竜は自身が認めた相棒――竜騎士以外はその背に乗せないが、竜騎士と一緒であれば堪えてくれるのだ。

 馬車に比べて少々乗り心地が悪いという点を除けば、竜騎士を伴う空の旅は安全そのもので、かつ国の威信を見せつけることに適しているといえよう。

 出発のため演習場に現れた第二王子ミッシャラは十八歳という若さのせいか、国王に比べ傲慢な態度が透けて見えている。つり目がちは目元も相まってか随分尊大だ。

 周囲の従者たちはあれこれ気を配っているが、本人は腕を組み不機嫌さを隠さない。

「ほら、さっさと行ってさっさと帰るぞ!」

 第二王子は国王の前でこそしおらしさを装っているものの、正妃の一人息子として育てられたせいか自分が世界の中心だと思っている節がある。

 王城の中では当然なだろうが、これから移動する空の上ではその理屈は通じない。

 空の上、竜の背中の上では竜騎士の指示が絶対だ。

 果たしてこの王子を無事に目的地まで送り届けることができるだろうかと、リウはコラディルと視線だけでその不安を伝えあう。

 しかし残念なことに、その不安は最悪の形で的中してしまった。

「痛い!」

 演習用の広場には、青ざめるコラディルと、その傍らで怒りを露わにする相棒のショア。そしてコラディルとショアに剣を突きつける、第二王子ミッシャラの近衛騎士たちがいた。

 コラディルの案内すらない状態で、第二王子が勝手にショアに乗ろうとしたのだ。

 そのせいでショアは怒りを露わにした咆哮を上げ、驚いた第二王子が尻餅をついた。

「うう~、痛い、痛いよお~」

 第二王子は地べたで土まみれになりながら、大袈裟に痛みにのたうち回る。

「王室に飼われている竜の分際で、第二王子殿下を振り落とすとはなんたる不敬!」

 近衛騎士に剣を突きつけられたコラディルは、両手を上げて弁明した。

「い、いや! だってよ、竜騎士より先に竜に乗るなんて、そりゃぶん投げられても当たり前っつーか……」

「コラディル!」

 同僚の真っ当すぎる言い訳に、リウは思わず制止の声を上げた。

 竜が信頼を寄せているのは王族ではなく、あくまで相性がいい竜騎士だ。それは竜騎士の常識であり、もちろん国民も理解しているはずだった。

 そしてなにを基準に竜が騎士を選ぶかは解明されておらず、竜騎士になるために必要なものは運だけだと言われているくらいだった。

 だがコラディルの言葉は、第二王子のプライドを傷つけたらしい。

 涙と鼻水で顔をべしょべしょにした第二王子は、スックと立ち上がると自分の顔を拭った。それからその指先を、まだ興奮の収まらない竜・ショアに向けた。

「殺せ。王太子であるボクに土を付けたんだ。その無礼は命を持って償って貰うぞ」

 王子の冷酷な言葉に、リウとコラディルは一瞬で青ざめた。

 確かに王族への非礼は事実だが、その相手は竜だ。

 ここまで育てるのに手間も費用もつぎ込まれ、繁殖期の少ない竜の現役個体数も十分ではない。それになにより、リウたち竜騎士にとっては家族だ。

 リウは考えるよりも先に、地面に額を擦りつけた。

「ミッシャラ王子! 大変申し訳ございませんでした! しかし相手は竜、人間の常識では動かない動物であり国防の要です。どうぞ寛大なお心でお許しいただけませんか!」

 叫ぶリウに倣い、慌ててコラディルも土に膝を付けた。

「申し訳ございません! なにとぞ、ショアには私から言って聞かせますので……!」

 場に重い沈黙が落ちる。

 朝から続く曇天は雨雲を纏わり付かせ、不穏な空気を強調しているようだった。

 土に平伏すリウとコラディルを見下ろし、王子は彼らを鼻で笑った。

「ボクも母様もさ、そもそも竜も竜騎士もキライなんだよね。金は食うし、アイツらが従うのがボクじゃなくて竜騎士だってのも気に食わない。ボクは未来の王だよ? なんでボクが竜騎士にお願いして、わざわざボクの持ち物に乗せて貰わないといけないワケ?」

 王子の蹴った土が、コラディルの顔に当たる。短気なコラディルだが、さすがに何も言い返さずジッとしていた。

 しかしそれが王子には面白くないのか、黙ったままのコラディルの背に足を乗せる。

「ねえ、お前があの無礼な竜の竜騎士? 無礼な竜には、無礼な竜騎士が付くんだね! 所詮、獣に選ばれただけ。騎士なんて呼べるようなまともな身分でもないんでしょ!」

 ゲラゲラと笑う王子の言葉に、リウもなにも言い返せない。

 なぜならそれは全て、事実だからだ。

 騎士と呼ばれる身分は、主に貴族子息がなれるものだ。

 しかし竜騎士だけは、身分に関係なく竜が選ぶ。リウは孤児院出身で、コラディルもまた平民だ。いくら竜騎士になって人々に尊敬されようと、事実王子が言うように竜に選ばれただけの人間なのだ。

「はあ、つまんない。ホントもう、痛いし……これだけ痛い思いをしたんだから、もう今日の目的は完了でいいよね。じゃああとはコレの処分だけ、しといて」

 王子はそれだけ言い放つと、城へ戻ろうと踵を返す。

 リウは慌てて顔を上げた。

「ミッシャラ王子、お待ちください! 竜を処分する気ですか? ですが――」

 考え直してほしい、リウがそう続けようとした所で、隣からつんざくような怒声が響いた。

「ふざけんな! 勝手にショアに乗ったお前が悪いんだろうが! ショアは悪くねえ!」

 立ち上がったコラディルの身柄はすぐさま周囲の騎士たちに取り押さえられる。しかしそれがなければコラディルは、今にも王子に殴りかかりそうな勢いだった。

 それだけ相棒のショアを大事にしていたのだ。

 コラディルだけではない、竜騎士にとって竜とはそれくらい特別な存在だ。

 だがそれは王子の機嫌を損ねただけだった。

「ほーら、やっぱり竜騎士は生意気なんだよ。自分が竜の主人だとでも思ってるワケ? この国の主は誰なのか、分からせないと駄目なのかなあ?」

 王子はコラディルの腰から剣を抜いた。そしてその刃先をコラディルの首へヒタリと当てた。

「アハッ! お前があれの竜騎士なら、お前を殺したら竜はどうするのかな?」

「やめ――」

 リウの制止よりも先に、周囲一帯に響いたのはショアの雄叫びだった。耳をつんざくようなその声に、木々に止まっていた鳥たちが一斉に飛んで逃げていく。

 近衛騎士たちも皆剣を抜き、王子を守るように周囲を固めた。

 リウはその様子にドキリとした。もはやショアは王子の敵になってしまっている。

 そして尋常ではない姉妹の声に、リウの相棒であるガジャラまで興奮した様子で腰を上げる。

「ガジャラ、落ち着くんだ。お前まで感化されるんじゃない」

「ぐる、ぐるるる」

 落ち着かそうと宥めるが、ガジャラの金の瞳は王子を睨み付けたままだ。このままではマズイ、そう思うがどうしたらいいのか分からない。

 膠着する場を打ち破ったのは、フードを被った女性の声だった。

「鉄の鎖、光の命、精霊の名の元に――捕縛!」

 その女性から光が立ちのぼる。その光は鎖となり、一瞬でショアとガラシャの巨体を拘束した。

 あれは魔法だ。

 数の少ない魔法使いは、その特殊な能力のため高位貴族や王族に召し抱えられている。初めて間近で見る魔法に一瞬気を取られるリウだったが、それからすぐにハッとする。

「やれ」

 冷たい王子の声が響くと同時に、近衛騎士の剣がショアに向く。

「やめろ――」

 コラディルの叫びと同時に、無数の剣がショアの巨体を貫き、容赦なく切り裂いた。竜の断末魔がコラディルの声をかき消す。

 硬い鱗の隙間から血が噴き出し、土の上にいくつもの水たまりを作る。そしてそれは、ゆっくりと地面へと染み込んで赤黒い染みを作った。

 いくら最強の竜種といえど魔法で押さえ込まれ、無抵抗な身体を二度三度と切りつけられれば、命など儚く散っていく。自らの身体すら支えきれなくなった巨体は、砂埃を上げて地面へ横たわった。

 周囲に嫌な振動がズウンと響く。

「あ……あ……ショア……ショア!」

 騎士に取り押さえられながら、コラディルは必死に相棒へと手を伸ばす。だがその願いもただ空回るのみだ。

 その代わりのようにショアの姉妹であるガジャラが、拘束されながらも必死で顔を向け舌を伸ばし、肉親の頬を舐めていた。

 だがショアはもう動かない。

 どうしてこんなに残酷なことができるのか。

 だがリウにはなんの力もない。

 今逆らってもガジャラもろとも、簡単に命を奪われて終わるだろう。

 竜騎士などとと呼ばれもてはやされようとも、結局権力の前ではなにもできない。リウは自分の無力さを知っていた。

 痛いほどに爪が手のひらに食い込もうとも、ただ拳を握り締めるしかない。

「竜の死体は魔法の研究材料になるんだっけ? 適当に売り飛ばして、母様の宝石代にでもしちゃお。じゃあボクは部屋に戻るから、あとはよろしくね」

 王子だけが場にそぐわない明るい声を出し、スキップでもしそうな足取りで王城へと戻っていった。

 残されたのは、コラディルのすすり泣きとむせ返るような鉄の匂いだ。

「ショア……ショア……ううっ」

 思わず目を背けたくなるような惨劇の中、リウは奇妙な空気を感じた。悪寒のような、首のあたりがぞくりとするような嫌な感覚だった。

 昔からこれを感じた時には、良いことがあったためしがない。

 家族と住んでいた村を焼かれた夜も、孤児院で弟のように大事にしていた子供がいなくなる前もそうだった。

 そう考えていた時だ。

『グオオン……オン』

 その音は、ショアの声のようにも聞こえた。

 だがそれは耳ではなく、直接頭に響くような音であった。竜の怒りにも似た、怨嗟のような、リウが思わず身震いしてしまうほど恐ろしい音だった。

 それは周囲の騎士達にも聞こえていたようで、彼らもその異質な音に宙を見渡しどよめいている。城へと戻り掛けていた王子までもが足を止めて叫ぶ。

「なんだ! 今の音は!」

 王子もただならぬものを感じ取ったのだろう。キョロキョロとせわしなく動くが先ほどから変化はなにもない。

 空は今にも雨が降りそうな厚い雲に覆われている。

 だがその瞬間、ショアの亡骸からどす黒いモヤのようなものが立ちのぼった。モヤは滑らかに地を這い、一直線に王子へと向かう。

(あれは、駄目だ!)

 なぜだか分からないが、リウはそう直感した。

「うわあ! ぼ、ボクに近寄るんじゃない!」

 リウは考えるよりも先に身体が動いていた。すぐさま立ち上がると、襲いかかるモヤに動けないでいる王子の前に立ち塞がった。

 黒いモヤは、王子の前に飛び出したリウに即座に反応できない。

 そのままリウの身体の中へと突っ込み、呆気なく消えてしまった。

 周囲がシンと静まりかえる。

 腰を抜かした王子は、自分の失態を隠すかのように低く笑った。

「は、ははは! なんだあれは、竜の最後ッ屁か!? あの、あんな竜ごときが! 高貴なボクに敵意を向けるなんて! フン、お前は竜騎士だったか。ボクを守るとは、当たり前のことだが褒めてやる」

 よく喋る王子がリウの肩を掴んだ。だがリウの身体は力が入らない。

 身体はそのままぐらりと傾き、受け身も取れないまま地面に転がった。

(痛い、熱い、なんだこれは……っ!)

 地面に打ち付けられる痛みの比ではない激痛が、リウの全身を襲っていた。

 神経を刺すような、脳を内側から破られるような熱さと痛み、味わったことのない苦しみに血を吐きそうになる。

「う、あ、ああああっ!」

 痛みにのたうち回るリウを、王子は気持ち悪いものを見るように眺めていた。それの視線を感じながらリウはあまりの痛みにもがき苦しみ、あっけなく意識を手放した。

 それが竜――ショアによる呪いだったとリウが知るのは、彼が意識を取り戻した二週間後の話である。


◆ ◆ ◆


 竜騎士であるリウが王子を庇い、その身に竜の呪いを受けた。

 前代未聞の事件は、リウが眠っている二週間の間、王城で随分な騒ぎになっていたらしい。

「その痣と痛みが恐らく、竜の呪いだとされてします」

「呪い……」

 殺されたショアが最後に報復しようとしたのだろうか。

 呪いという単語とショアの元気な姿が繋がらない。

「呪いというのは暫定的な呼び名です。前例がなく、実態は全く分かっていません。しかしリウ様に漬けられた痣は徐々に身体を蝕んでいるのは分かります。恐らく今のままでは半年から一年の命でしょう」

 そう診断したのは、あの日王子の命を受けて竜たちを拘束した女魔法使いだった。王族専属だという魔法使いには王子を諫めることができず、悪事に荷担したことを謝罪された。

 だが、謝罪されたからといって許せるものではなかった。リウは謝罪は受け取るものの許せる心情ではないと、はっきりとその旨を伝えた。

 肩を落とした魔法使いに罪悪感が湧いたが、リウにとって竜は家族の一員だ。家族であるショアを殺されて、それをそうですかと受け入れることはできない。

 リウは赤黒い染みが滲む指先を見つめる。殺されたショアの悲痛な叫び、呪いを発動するほどの強い怒りを考えると、胸が苦しくなった。

「半年から一年の命……それはどんな基準で出た数字なんだ?」

「ええっと、こちらの痣ですね。リウ様が倒れた際に調べた者によれば、最初は指の付け根程度にあったそうです」

 言われて、リウは自分の手を見る。

 赤黒い痣ははっきりと手の甲を覆い、薄く手首にまで伸びている。

「つま先にも同じものがあると聞いております。恐らくこれは徐々に身体を覆うことでしょう。進行していくにつれ痛みや苦しさが増し、最終的には……全身が呪いに覆われると予想しております」

 リウの背中にヒヤリと冷たいものが流れる。

 開いた手を握り、それからひっくり返してまた開いても、痣は全く動いていない。

 だがこの痣が、いわばリウの残りの寿命を教えているのだ。

 魔法使いは申し訳なさそうに言葉を続けた。

「王子を庇ったことが評価され、リウ様の階級が上がると聞いております。竜騎士団の副団長になると聞いていますが……その痛みは日増しに大きくなると考えられます。呪いが進行すれば痣も広がり、同時に痛みも増えることで騎乗そのものが難しくなるでしょう」

「そんな馬鹿な、うっ」

 慌てて身体を動かそうとしてしまい、身体のいたる所が悲鳴を上げた。

 筋肉痛にも似た、それよりも強く鋭い痛みだ。

 リウが、副団長。

 明らかに形式だけの詫び出世だとすぐに分かった。

 魔法使いは慌てて薬を渡し、これで少しは痛みが引くはずだと伝えられる。

「わたくしの方でも、呪いを解く方法は探しますがあまり先例がなく……竜の魔力があのような形で放出されるとは……あの、あまり期待はなさらないでください」

 女魔法使いは申し訳なさそうな顔をして、何度も頭を下げて部屋を辞した。罪の意識はあるようで、リウ自身も謝罪する彼女を許せない自分を情けなく思うのだった。


 目が覚めて二日目になるとなんとか身体を起こせるようになったリウだが、指先を少し動かすだけでも身体中に鋭い痛みが走った。

 寝台の上で起き上がるリウの傍らには、今日は近くの椅子に腰掛けるコラディルがいた。

 事態を把握したほうがいいだろうという竜騎士団長の勧めを受け、コラディルが一連の騒動を説明しに来てくれたのだ。

 魔法使いが言葉を濁した部分もありのままに語られ、あまりに酷い内容にリウも眉根を寄せた。

 風に吹かれたカーテンが、僅かに揺れる。

「酷いな……」

「ああ。とにかく王子は竜――ショアが悪いんだと一点張りでさ。だがそこからショアや俺にした王子の悪行が明らかになってな。竜の呪いを受けるほどの怒りを抱かせた王子が悪いってことで、なんとか俺の首は、皮一枚で繋がったってわけだ」

 コラディルは軽く言っているが、王族相手に逆らって無事ならば凄いことだ。

 あの日、第二王子であるミッシャラの態度は、いくら反竜派とはいえ酷いものだった。罪のないショア――コラディルの相棒である竜を貶め、命を奪った。

 竜を育て上げるための経費、損失。そんなものよりもなにより、十年一緒に過ごした仲間を失ったのだ。リウの胸からも悲しみが引かないが、相棒であったコラディルの辛さは計り知れないだろう。

「それで……俺もさ、竜騎士を辞めることになった。そりゃそうだよな。相棒の竜を失ったんだ。いくら他の竜たちも俺に懐いてくれているとはいえ、騎乗までは許してくれねえし。せめてお前が目を覚ますまでは、ってさ。今日まで竜騎士としていさせてもらったんだ」

「コラディル……」

 竜の引退は、竜騎士の引退でもある。

 一般の騎士であれば、馬がいなくなろうともそれを替えればいいが、竜はそうはいかない。だからといって竜を降り、騎士職につけるかと問われればそれは不可能だ。

「いくら竜騎士ってもてはやされても、竜がいなけりゃただの平民だしよ。王城に残るにはちっとばかし学も足りねぇ。下働きでもなんでもいいって囓りつくには、竜騎士としていい思いをしすぎたんだ……」

 竜騎士は、竜を操ることに特化している。剣を操るよりも竜を操った方が強力な武器となるのだから当然だ。

 結果、竜があっての竜騎士となり、つぶしがきかない。

 竜を失うか、竜騎士を失うか。

 数年しか竜騎士でいられない場合もあれば、五十年と付き合える場合もある。それらはもはや、運でしかない。

「ま、竜騎士になれたのもショアのおかげだったからよ。竜との別れも、竜騎士としての寿命もいつか来る。それが思ってたより早まっちまっただけだ」

 リウとコラディルは他の竜騎士よりも入団が近く、この十年間ずっと一緒にやってきた仲間だ。少なくともあと二十年は共にいると思っていただけに、仲間の突然の引退をリウは受け止めきれないでいた。

「おいおい、んな顔すんなって! 言っとくけどなあ、俺はお前と違ってちゃーんと蓄えてんだ。娘二人が成人するまでは、奥さんと田舎でのんびり過ごせるくらいはあるんだぜ」

 コラディルは笑って、リウの肩にドンと身体をぶつけた。

 気にするな、俺は大丈夫だ。そう伝えてくるコラディルの気遣いは、しっかりリウに伝わっている。

 相棒であるショアと竜騎士の職を失い、一番辛いのはコラディルなのだ。

 気遣われる立場が違うだろうと、リウは自分を叱責する。

 外から吹き込む風が、カーテンを大きく揺らした。

「また、会えるよな」

「あったり前だろ。今度会ったら竜騎士団副団長サマには酒を奢って貰わなきゃな」

「下戸のくせに」

「う、うるせえな! こういうのは気分だろ、気分!」

 去りゆく仲間を見送るのは寂しい。

 だがリウはコラディルの気遣いを受け取り、あえて普段通りに接した。

 またな、と軽く告げるコラディルを寝台の上から見送り、その姿が見えなくなるとリウの身体は布団の中へと沈み込んだ。

「はあ……コラディルが。そっか、そうだよな」

 目覚めたばかりのリウにとっては寝耳に水の話だが、あの事件から二週間が経っているのだ。コラディルもそれを受け入れ、飲み込んでいるのだろう。

 常にズキズキと鈍く痛む身体は、腕を動かすだけで雷が走るように突き刺す痛みが襲ってくる。

「余命一年……いや、半年か」

 昨日訪れた女魔法使いの診断によれば、呪いに蝕まれたリウの身体はそう遠くない未来に死が訪れる。全て鵜呑みにするわけではないが、呪いといえば魔法使いの専門分野だ。

 詠唱だけで使う魔法もあれば、開発した魔方陣を使って発動する魔法もあると聞く。

 彼らの体内に存在している多くの魔力がそれを可能にし、同じく体内に魔力を持つ魔物を祖とするこの国の竜も、魔力を有していたのだ。

 その竜がなんらかの魔法――呪いを使えたとしても、不思議ではない。

「親も恋人もいないし、それは別にいいんだけどさ」

 見慣れた天井を眺めながら、リウは独りごちる。

「だけど……ガジャラ。ガジャラが」

 ガジャラ――リウの相棒である竜の名前だ。

 竜の死は竜騎士の死だ。

 そしてそれと同様に、竜騎士の死で竜は空を飛ぶ自由を喪う。

 竜は気高く、乗る人間を選ぶ。

 しかし自由に空を飛べる竜を、単騎で空に放つ度胸は人間にはない。弱い人間は竜の報復を恐れ、自由を与えず地上に縛り付ける。

 そのため乗る人間が現れるまで、竜は脚に特殊な枷を付けられ飛ぶことを許されないのだ。

 運良くリウの後釜が見つかればいいが、そうでなければガジャラは二度と空を飛ぶことはないだろう。

 それを思うだけでリウは辛かった。自分の死は受け入れられても、大切なガジャラの今後を考えるだけで胸が苦しい。

 大空を舞う、あの巨大な翼。悠然と羽ばたく美しいガジャラは、いつだってリウに寄り添って飛んでくれていた。

「俺は――死ぬまで竜騎士でありたい」

 強い祈りとは裏腹に、リウの指先も足先も酷く重くて動かすだけで酷く痛む。

 絶望に傾きそうな心を奮い立たせ、一日でも早く起き上がり、一日でも多く竜騎士として生きようと誓った。

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