009 初めての○○


 さて、もう流石に、少女が戻って来ることはなさそうだ。なんとか助かったけど、一歩間違えば死んでいたかもしれない。


 でも僕のことを悪人だと認識したまま逃げられたのは、やはり後々面倒なことになりそうだった。


 けれどもあの場面では、最良ではないものの、死ぬよりはマシな選択だったと思うことにした。


「ヒューッ。ヒューッ」

「あっ、この人、どうしよう……」


 そして逆さ吊りで首から血を流している中年男性を見て、僕は顔を青くする。


 これはもう、助からない。明らかに、死ぬ一歩手前だ。たぶん少ししたら事切れるだろう。


 首の傷は僕の右腕が勝手に行ったことだけど、僕自身に責任がなかったとも思えない。実際こうして、逆さ吊りにしているわけだし。


 どうやっても救う手立てはないし、罪悪感で押し潰されて行動に支障が出たら、たぶん僕が死ぬことになる。


 だからこの人のことは、諦めるしかない。これで僕も、人殺しの仲間入りか……。


 このデスゲームに巻き込まれる前の僕なら、精神的なショックは計り知れないだろう。


 けど、今の僕は少し違った。罪悪感や後悔はあるけど、心を壊さずにある程度は割り切れてしまう。


 先ほど少女を殺すことを躊躇ちゅうちょしたのに、ある意味酷い手の平返しである。


 しかしそれは偶発的なものが原因なのと、自分の意志で殺すのとで、大きな違いがあった。


 まあどちらにしても色々あって、僕も精神的におかしくなり始めているのかもしれない。


 けどそうだとしても、ここで正常に戻る方が危険だと思われた。


 そうだな。少し狂っているくらいが、ちょうど良いのかもしれない。


 僕はあえて現実から目を背けることで、自分の心を守ることにした。


 これまでの生活における秩序は、崩壊したと判断せざるを得ない。それにこの狂った状態が、まだ序章に過ぎない可能性が高かった。


 これからどんどん、色々とおかしくなっていく気がする。人を殺すくらい、どうということはないくらいには。


 当然それはとても嫌なことだけど、下手に引きずったら生き残れない気がした。


 だったら、僕も割り切ろう。この人は、そう。運が無かったんだ。


 ならどうせここで死ぬのなら、せめてもの罪滅ぼしじゃないけど、僕の糧になってもらおう。もしかしたら、僕の中で生き続けられるかもしれない。


 そう判断すると、僕はリスクを承知の上で、この中年男性に【吸収融合】を発動させることにした。


 それは無視しようとした罪の意識に、無意識にもさいなまれた結果かもしれない。


 死亡した者には発動しなかったけど、果たしてまだ生きている人間ではどうだろうか?


 そうして僕は意を決して、【吸収融合】を発動させる。


 けれども数秒後、結果は何も起きずに終わってしまう。


 そうか……。つまり【吸収融合】は、人間に対しては発動しないのか。


 残念なような、ホッとしたような。そんな気持ちになる。


 相手の異能を吸収してチート無双とは、ならなかったみたいだ。世の中、そんな甘いことは無いみたいである。


 すると軽く気を抜いたからか、またしても右腕が勝手に動く。


 中年男性を持ち上げている太ももの部分から、血を吸い始めた。


 またなのか!? 何で勝手に動くんだよ。


 突然のことに驚きつつも、二回目ということもあり、僕は意外と落ち着いていた。


 ゆえに集中して右腕へと意識を向けられたのか、右腕が中年男性を解放する。


 だが唐突に解放したことで、中年男性が首から床へと落下してしまった。そして鈍い音を立てると共に、事切れてしまう。


「あっ……」


 思わず声に出したが、もう遅かった。思考では割り切ろうとしていたけれど、実際目の前で起きるとそれは、精神的に厳しいものがある。


「おえっ」


 結果として先ほど飲んだ水が、気持ち悪さと共に吐き出された。


 考えるな。考えちゃいけない。生き残りたいなら、割り切れ。割り切るんだ。


 自分にそう言い聞かせて、呼吸を整える。そしてどれくらいそうしていたかは不明だけれど、僕はしばらくしてから、落ち着きを取り戻す。


 でもそのときには既に、中年男性は虫のクリーチャーたちによって、ミイラにされたあとだった。


 またあとから気がついたけど、僕の吐しゃ物などには、全く群がっている様子はない。ましてや、僕の口を目掛けて攻撃してくることもなかった。


 どういう理屈かは不明だけど、人間特有の臭いの元があっても、虫のクリーチャーと融合した僕の物は、例外になるのかもしれない。


 加えて虫のクリーチャーたちは、仲間の死骸にも群がる様子はなかった。元から共食いをしないのか、または同族を襲わない何かが別にあるのかもしれない。


 そんな新たな発見をしつつ、僕は中年男性のスマートウォッチを拾って、内容を確認した。ちなみに他には、何も持っていないようである。


 

 名前:太山一成ふとやまかずなり

 年齢:42

 性別:男


 異能:短縮睡眠



 中年男性の名前は、太山一成ふとやまかずなりさんというらしい。年齢は42歳で、異能は【短縮睡眠】だったようだ。


 名称からして、睡眠時間が短くて済む感じかもしれない。普段が八時間睡眠なら、四時間くらいで十分になるという感じだろうか?


 仮にいつもの日常なら、僕も是非ほしい異能だった。いわゆる、ショートスリーパーになれるということだろう。


 けれどもこのデスゲーム内に限れば、かなり厳しい異能ではある。


 もちろん睡眠時間を短縮できることはメリットだけど、それよりも先ほどの少女のような、攻撃系の異能の方が生存率には有利に働くだろう。


 ある意味この【短縮睡眠】は、デスゲームではハズレ側の異能かもしれない。


 たぶん僕が殺さなくても、いずれは死んだと思われる。うん。そう思うことにしよう。


 僕は自分の心を守るために、そのように割り切ることにした。


 その後は太山さんのスマートウォッチから、エンの移動も行う。太山さんはしばらく最初の部屋にこもっていたのか、他にエンを使っておらず、90エン持っていたのである。


 結果として僕のエンは、240エンから330エンになった。


 そして太山さんのスマートウォッチをビニール袋に入れると、次に僕は少女が倒した虫のクリーチャーの元へと移動する。


 虫のクリーチャーの死骸は、他の虫のクリーチャーにすすられることなく、そのままの状態で残っていた。


 辺りには、少し乾いたピンク色の粘液が広がっている。また独特な腐った柑橘系に近いような、そんな臭いを放っていた。


 先ほども思った通り、この虫のクリーチャーたちは共食いをしないみたいである。


 そして僕はその死骸を確認した後、軽く深呼吸してから気合を入れた。


 よし、次は虫のクリーチャーの死骸に発動できるのか、試してみよう。これで発動すれば、色々と分かってくるはずだ。


 まだ気持ちを完全に切り替えることは難しいけど、心の中でそう言葉を発することで、少しは気がまぎれた。


 それに虫のクリーチャーの死骸にも異能が発動するかどうかは、ある意味今後を大きく左右することに繋がる。


 僕は左腕で死骸に触れると、腕の変形を想像して強い忌避きひ感がしつつも、そのまま勢いで【吸収融合】を発動させた。


 するとその結果、当たり前のように【吸収融合】が発動したのである。


 加えて僕の予想とは違い、左腕は元のままだった。変化したのは既に変わっている右腕であり、見れば少女につけられた傷が元通りに治っていたのである。


 元々右腕はある程度再生はしていたけど、それは少しいびつな形だった。けれども今の右腕は、完全に新品という感じである。


「なるほど……そういうことか」


 この結果で僕はこれまでのことも含めて、多くの情報を得ることに成功した。


 まず僕の異能である【吸収融合】は、おそらくその対象はクリーチャーだけなのだろう。物や人間には発動しなかったことからも、その可能性が高い。


 そしてクリーチャーに発動しても、変化するのはたぶん一度目だけなのだろう。同じ種類のクリーチャーを吸収した場合、融合せずに変化した部分が治るみたいだ。


 なので両手を化け物にすることは、現状で不可能ということである。


 けどもしもこの虫のクリーチャー以外の種類が現れた場合、どうなるかはまだ分からない。でもそれは、おそらくその時に判明することだろう。

 

 そして僕は、おそらくそれを実行することになる。このままではどう考えても、強い異能には勝てないからだ。


 パンク系の男である毒島ぶすじまはもちろんのこと、光の矢を放ってきたあの少女にも勝てるかは怪しい。


 近距離なら勝てる可能性はあるけど、遠距離なら何もできずに終わってしまう。


 だから新たな力を求めて、僕はこの【吸収融合】をまた使うことになるはずだ。


 死にたくないなら、使うしかない。


 ちなみに生きている虫のクリーチャーにも発動してみたけど、結果は死骸と同じだった。


 どうやら、生き死には関係ないらしい。いや、多少生きている方が、少し抵抗を感じたような気がした。


 これが虫のクリーチャー以外では現状不明だけど、抵抗の強さによっては発動が不発に終わるかもしれない。


 だとしたらある程度は弱らせたり、抵抗の少ない弱点などを起点にして、【吸収融合】を発動させる必要が出てくる可能性があった。


 しかし現状、それを確かめるすべはない。なのでそれについては、また新しいクリーチャーと遭遇したときにでも考えよう。


 現状では他に、もっと気にするべきことがある。そう思い僕は、後回しにしていたあることに意識を向けた。


 今最も問題なのは、この右腕が勝手に動いたことなんだよな……。


 僕にとってそれは、かなり重要な問題になり得たのである。


 場合によってそれは、この異能の大きなデメリットかもしれなかった。

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