2-5

 新人は突然現れたあるはずのない空間に目を奪われたまま、鏡を押さえてくれているクラッシュの前を通り部屋に足を踏み入れる。薄らと口が開いていることにも気付かず、マホガニー材で作られた温かみのある調度品や暖色のライトを見渡そうとして、視界の外から飛んできた叱声に首を竦めた。

「遅刻よ、クラッシュ。新人くんが遅れないために貴方に案内してもらったのに」

「おいおい、遅刻だって?! 今度は何秒だっていうんだ。俺はちゃんと間に合わせただろう?!」

 クラッシュは本棚を閉じながら身振り手振りも喧しく抗議する。新人が左を向けば、島を作るデスクやソファから少し離れたデスク。そう、UXのいた場所と鏡兼本棚を挟んでちょうど背中合わせになるようにして、この部屋で一番地位の高いであろう人間が腕を組んで立っていた。ツンと唇を尖らせた、ショートボブヘアの若い女が。

「十八秒よ」

「新人くんが隠し部屋に感動してた分くらいの時間じゃないか? 誤差だろう。せっかくの新人くんへの最初のサプライズが台無しじゃないか」

「サプライズも何も、どうせ貴方が反応を楽しみたくて説明を後回しにしていただけでしょう。もうすぐ昨日の作戦の結果と次の作戦内容を伝えるんだから、早く仕事をして」

「『仕事をして』だって? 誰に言ってるんだ? 組織一の敏腕エージェントだっていうのに!」

 芝居がかって両腕を広げるクラッシュの背後で、「誰が?」と無音で口を動かして嫌そうに舌を出して見せる女。こっちに話を振らないでほしい、と新人は苦笑いを返す。

 絶対に彼女がレディ・フローレスだ、と察した。通信で昨日はまだ声しか聞いていなかったので、チームに指示を出す人間としてもっと年配を想像していたが思ったより若く見える。

「さっき言ったように、この部屋が連邦捜査局国家保安部、すなわちNSBのニューヨーク支部、つまりレディ率いる俺たちのチームの会議室だ。あちこちで潜入捜査中のチーム全員が集まることはほぼないが、ここで作戦会議をしたり、潜入準備のための情報収集をしたりする。デスクの位置は決まっていないから、好きな椅子に座ってもいいが持ってきた私物は置いて帰るな? どこにも自分のいた痕跡を残さない対策なんだ。全部持って帰るように」

 クラッシュは艶やかなデスクをコンコン、と叩きながら新人を覗き込んで念を押した。確かに全てのデスクが空っぽだ。

「このビルは表向きは下水道管理局。中には政府関係の部署が幾つか入ってるが、この部屋の存在を知っているのはさっきのUXがいた部屋の人間だけだ。ちなみにあっちはNSBの暗号解読や情報統括の部署。諜報活動のうちのシギント、信号情報だな。それに対して、俺たちの仕事はヒューミント、人的情報だ。国内のテロ組織なんかに潜入したりして接触し、人間が人間から情報を得る。とはいえ、そのままテロ組織を壊滅させたりだとか、諜報活動だけじゃなく攻撃的な防諜活動も含めて最近は便利な何でも屋みたいになってる」

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