第21話 ただいま

 「⋯⋯ん⋯」

人間界への扉にその身のまま飛び込んだシラネルだったが、いつの間にか眠っていたようで、気付けば自然に囲まれた森の中にいた。

 

 (どこだろ、ここ⋯⋯)

 天界の仲間の協力で、今回もラヴィレンの近くに降りてきているはずだ。また彼を一から探さないといけないが、今回は今までと違って自分は天使のままだ。

 なにが起こるか分からない。とにかく早い方が良い、⋯とシラネルは横たわっていた身体を起こそうとした。

 

 「⋯え⋯?」

 

 思わず声が出てしまった。

 ――何故なら、身体がものすごく重かったのだ。

 

 「なにこれ⋯」

 例えるなら、肩や背中に大きな石を背負っているような感じだった。人間の時には感じたことのない感覚に、シラネルは戸惑う。

 (⋯天使のまま転生してきてるからなのかな⋯)

 天使が人間界に来るとどうなるか、詳しく聞いては来なかったが、そういう可能性はじゅうぶんあると考えられた。

 

 「⋯でも、行かなきゃ」

 彼はきっとそこにいる。水の中を歩くような重みのまま、シラネルはゆっくりと歩き出した。



 天使のままだからなのか、ラヴィレンが今どこにいるのか、元々知っていたかのように居場所が分かった。

 なので迷うことなくまっすぐに彼の元へ歩いているのだが⋯いかんせん、身体が重すぎる。

 

 「う⋯」

 森を出て人通りの多い街へ出てきたが、体調は更に悪化した。色々な人の思念が渦巻いているのだろうか。

 怒り、恐怖、欲望がぐわんぐわんとシラネルの頭に響いて、めまいが止まらなかった。その場の汚れたエネルギーがにおいとなっていて、まるで下水のようなそれに吐き気まで催す。

 (⋯こんな影響があるんだ⋯⋯)

 息をするのも苦しく、思わず天界に戻りたくなった。 

 しかし、そんなわけにはいかない。涙を滲ませながらも力を振り絞って、ラヴィレンの元を目指した。




 「⋯⋯⋯いた、」


 こちらで目が覚めた時は太陽が真上にあったのに、今はもう帰ってしまうところだった。

 数百メートル先にいる、オレンジに染められた彼の横顔に、シラネルは思わず息を吐いた。

  

 (⋯綺麗) 

 その瞬間、ぶわっと胸にあたたかいものが広がった。

 ――愛しくて、守りたくて、苦しいくらい、好き。

 

 (⋯どうしても彼じゃなきゃだめだ)

 シラネルは涙を堪えながら、そう痛いほど感じた。

 先ほどまでの重さが嘘のように、気付いたら走り出していた。


  

 「⋯あのっ⋯!」

 

 大きな声で彼を呼ぶと、ゆっくりと振り返った。

 彼はまた記憶が無い。

 そして、この前の転生により、さらに魂の傷を深くしてしまっている。きっと過去最高に悲しい状況に身を置いている事が、彼の顔を見ただけで伝わってきた。

 

 「⋯⋯」

 

 シラネルを見下ろす蔑んだような目に、今はショックを受けるのではなくて、⋯抱きしめたくてたまらなくなった。

 「あのっ⋯、」

 そうだ、ここからどう言おう。

 「えっと、その⋯っ」

 「⋯⋯」

 良い文言が思い付かない。前も同じような状況があったのに、なぜ事前にちゃんと考えなかったのだろう。

 すると、ラヴィレンはぷいっとシラネルに背を向けてその場を去ろうとした。

 「まって⋯!」

 ――そう叫んだ瞬間、突然身体がフラついて、視界が真っ暗になった。





 「⋯⋯⋯」

 いつの間にか眠っていたようだ。

 なんだか身体が、さっきのように重くない。

 でもまだ、目を開けられるほど元気ではなかった。

 もう一度眠ろうかな⋯と思ったところで、シラネルはハッとした。

 

 (此処はどこ⋯?!)

 

 無理矢理目を開くと、見知らぬ白い天井があった。

 部屋を見渡すとどこかの家にいるようだった。

 でも家にしては物が少なすぎて、人が暮らしているのか不思議なほど⋯。

 「⋯⋯⋯」

 ベットに寝ていたシラネルは、もう一度目を閉じると、胸の前で手のひらをぎゅっと握り、唇を噛みしめた。

 ――この部屋の気配、香り⋯⋯間違いなく、彼だった。

 

 (⋯記憶がなくても、あれだけ荒んでても、やっぱり僕を助けてくれるんだ)

 それだけでシラネルはどれだけ救われることか。

 嬉しさで胸を詰まらせながら、その幸せを噛みしめた。


 

 「⋯⋯あ」

 ガチャリと音がして、部屋の扉が開かれた。

 「目が覚めたか」

 「⋯あっ、すみません、」

 「⋯べつに」

 「⋯⋯⋯」

 重苦しい雰囲気に気まずくなる。

 やはり彼は助けてくれたとはいえ、心をかたく閉ざしていて、まともに会話をすることさえ難しいかもしれないと思った。

 

 「⋯⋯具合が良くなったなら、帰れ」

 「えっ⋯」

 「目の前で倒れられたから、ひとまず連れてきただけだ。先程よりは顔色が良い。もう動けるだろ」

 「そ、そんなっ⋯」

 しかし、彼の言う通りだとも思った。彼にとっては見ず知らずの怪しい人間だ。

 ここは出直すしかないのだろうか。

 どうやって手配してくれたのかは分からないが、目覚めた時シラネルの手元には小さなカバンがあって、そこにはお金が入っていた。なのでしばらく生活していくには問題ない。

 ⋯ないのだが、それでいいのだろうか。そんな悠長に考えていていいのだろうか。そもそもシラネルの身体はいつまで持つか⋯。

 

 「⋯⋯ま、まだ、しんどくてっ」

 

 シラネルは勇気を振り絞って、彼を見つめた。

 「まだ歩けるほど回復してなくて⋯」

 「⋯⋯⋯」

 「い、一日だけでいいんです⋯!明日には出ていくので⋯だから⋯」

 無茶な事を言っているのは分かっていた。でもせっかく家にいれてくれたのだし、ゆっくりと距離を詰めるより、少しでも一緒にいて、早く彼に心を開いてもらわなければと思った。

 「⋯⋯家は?」

 「⋯え、と⋯⋯」

 「⋯⋯家出でもしてきたのか?」

 「⋯そ、そうです」

 家出⋯ではないが、そのようなものだ。

 シラネルは心の中で何度も「お願い」と繰り返した。

 ⋯すると彼は、はぁと息を吐いた。

 「⋯⋯わかった」

 「!!」

 「明日、俺が仕事に行くまでだ。分かったな」

 「っ、ありがとうございます!!」

 ひとまず良かった。飛び跳ねそうなほど嬉しい。シラネルは思い切り彼に笑いかける。

 すると彼はぷいっとそっぽを向いた。髪の間から見えていた耳は、赤く染まっていた。



 布団もなくベッドしかないということで、シラネルは床で寝ると言ったが何故か彼は許さず、シラネルも彼を床で寝かせるわけにはいかなかったので、結局ベッドに一緒に寝ることで落ち着いた。

 以前のラヴィレンの部屋にあったベッドと同じように、今回も狭いが眠れなくないサイズだった。

 シラネルは端でなるべく小さくなって、背中を向けている彼を見つめる。

 

 (⋯そういえば、彼の今回の名前聞いてなかったな)

 

 こんな高ピッチで転生を繰り返したことで、彼も、自分も、一気に色々な名前が付いたなぁと改めて思う。

 (⋯起きたら聞こう)

 今回は親がいないから、自分のも決めなきゃ。そう思って、シラネルは目を閉じた。




 「⋯うっ、⋯っ⋯」

 静かに眠りに付いていたはずだった。

 しかし、急に胸が苦しくなって、シラネルは魘されながら目を覚ました。

 「っは、っ⋯⋯、う⋯」

 なんでこんなに苦しいんだ。ぐるぐると禍のようなものがシラネルの身体に入り、蠢いている気がする。

 「や、っ⋯⋯た、すけ⋯っ」

 どうしよう、どうしたらいい?シラネルは目の前にあった彼の背中に手を伸ばした。

 

 「⋯どうした?」

 

 その手が彼に触れる前に、彼はシラネルの異変に気付き、こちらを向いた。

 「うっ⋯、⋯」

 「苦しいのか?」

 シラネルは彼に手を伸ばす。

 「冷たっ」

 シラネルに触れると、彼は反射的に手を引いた。

 「⋯」

 それでもシラネルは気にせず彼の手を握り、頬に近付けた。

 すると、苦しさがゆっくりと解けていく。禍が少しずつ消えて、肺に息が通るようになった。

 彼に触れているだけでここまで落ち着くとは。きっと彼のエネルギーが浄化してくれているのだろう。

 しばらくすると完全に落ち着いて、ふぅ、と息を吐いた。

 「⋯⋯ありが⋯」


  

 「⋯シラネル?」


 

 それは静かな部屋に一粒雫が落ちるような、声だった。

 「⋯⋯⋯え?」

 

 シラネルは耳を疑った。

 幻聴かと思い、彼を見た。すると彼はまっすぐと、深い目をして、自分を見ていた。

 「シラネル」

 

 「⋯⋯思い出した⋯の?」

 

 彼はゆっくりと頷くと、何かを噛み締めるように、下を向いた。

 ぽた、と光るものが落ちたと思ったら、前向いて、もう一度名前を呼ばれた。

 

 「⋯⋯⋯シラネル、久しぶり」

 

 震える手が、まっすぐとこちらに伸ばされる。

 今目の前に起こってることが信じられなくて、息をするのも忘れて、ひたすら彼の泣いている顔を見るしか出来なかった。

 それでも、これが現実か確かめるように、彼に右手を伸ばす。

 指先に触れたと思ったら、ぐいっと引っ張られるように、胸元に引き込まれた。

 

 「⋯⋯っ⋯」

 「シラネルっ⋯、っ⋯」

 「⋯っぅ⋯⋯」

 「⋯⋯ごめ、ごめんな⋯っ⋯守れなくて、」

 

 強く、掻き抱くように、今までの全てを包み込むように。ラヴィレンは強くシラネルを抱きしめた。

 

 「傍を離れて、ごめんっ⋯」

 「っ、ラヴィレンは、悪くないっ⋯⋯⋯」

 「⋯一人で頑張らせて、っ⋯ごめん⋯!」

 

 今までの辛かった記憶が蘇る。でももう、今はちっとも辛くなかった。だって彼に会えたのだから。

 身体を離すと、額を合わせる。

 もう涙や鼻水やらでぐちゃぐちゃで、酷い顔をしていた。

 でももうそんなの気にせず、ただ目の前の存在を愛おしむように、まるで心を撫でるように、触れ合った。

 

 「ラヴィレン⋯」

 ラヴィレンはシラネルの頬を優しく撫でながら、愛しげに目を細める。

 

 ――あの彼の瞳に、自分が写ってる。ちゃんと、彼がここにいる。目の前に。

 

 「ありがとう」

 「ありがとうはこっちだよ」

 「ううん、僕が。⋯ありがとう。ラヴィレン」

 

 ――帰ってきてくれて、僕を抱きしめてくれて、ありがとう。

 消えずに、生きててくれて、ありがとう。

 

 それが伝わるように、シラネルはぎゅっと、愛しい人を抱きしめ続けた。

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