スターライトスコープ

花沫雪月🌸❄🌒

第1話 屋上にて


 笹山を叩き起こしたのは一発の銃声だった。

 もっとも、大学を出てからは自宅と会社を往復するだけの生活リズムを30余年刻んできた笹山には、空気を破裂させたのがなんであれ眠りから引き戻す傍迷惑な騒音でしかなかった。

 しかし、今回に限ってはそれが救いの音となった。


 また残業だった。

 1人会社に残り、今日何本目かのダンディな男性のパッケージの缶コーヒーを共に使いこなせているとは言い難いパソコンと向き合った。

 教えを乞いたいがこの素敵な上司BOSSは眠気を覚ます以外に役に立たないのだ。


 とっくにオフィスビル内は笹山と警備員だけで、2ヵ月前に警備会社から配属されたばかりの不真面目な若い警備員が巡回している。

 気だるそうに懐中電灯で部屋を数秒照らしては次、数秒照らしては次とろくな確認もしていないのが丸わかりだった。

 警備員は暗い部屋についたディスプレイライトに照らされた笹山に気がつくと手を上げた。


「まーた残業っすか? 笹山さん。あんま長居されても困るんすよね。戸締まりとかあるんで」

「どうも悪いね、佐々木君」

「日付け変わるまでには出てくださいよ」

「はいはい、もう終わるからさ。あ、缶コーヒーいる?」

「んー……今日は遠慮しとくっす」

「そうかい?」


 警備員――佐々木とは繰り返す残業のおかげで、何百人と人の出入りするオフィスビルの中にあって、互いに顔と名前を覚えられるくらいの仲になっていた。まとめ買いした缶コーヒーを薦めたが佐々木はやんわりと断るとすぐに別のフロアに向かっていった。

 

 23時前だった。

 作業に目処がついた笹山は、運動がてらえっちらおっちら非常階段で最上階にあがるとそのまま屋上に向かい煙草を一服つけた。

 一応、屋上は立ち入り禁止だ。が、鍵は半年程前に守衛から拝借して合鍵を勝手につくらせてもらった。

 まったく無用心だと思う。


 笹山の勤める広告代理店の入っているオフィスビルはここらでは特に高層で、かつ他のビルから外れたところにあった。

 眺めがよいと、高層階に入っている会社の社員が口にしていたが、笹山のデスクは4階の通路側だった。

 笹山はまだ開発中のオフィス街のまばらな夜景を見下ろしながらぷかぷかと煙を吹かす。

 一本目が切れ、もう一本を取りだし咥えると笹山は空を見上げた。

 笹山は夜の空が好きだった。


 10月もそろそろ終わる頃だ。

 冷たく乾いた空気に雲の欠片すら見当たらない。

 風も穏やかで心地いい。

 満天の星が広がるはずの夜空は、けれど街の灯に埋もれてくすんでいた。

 田舎の出の笹山は、実家の屋根に上がり父と並んで見た星空を思い出し、ゴロンと仰向けになった。


「いい夜なのにもったいないね、どうにも」


 記憶の中の美観との雲泥の差に落胆して、帰り支度でもするかと立ち上がると途端に足が縺れた。膝から下に力がまるで入らない。胸が、裂けるほどに痛んだ。


「あ、れ?」


 そのまま社屋の壁に手をつき数歩進んだところで力尽き、笹山はうつ伏せにぶっ倒れ屋上の床と一体化した。


 ▽


 死の淵から奇跡的に戻り、よろよろと立ち上がった笹山に「誰だ?!」と燻る銃口が突き付けられた。

 しかしやはり、朦朧とする笹山には何をされているのか判然としなかったが、相手が心底驚いているのはわかった。

 ここ最近、聞きなれた若い声が頓狂な響きで笹山の耳をついた。


「はぁ!? 笹山さん?! 帰ってなかったのかよ!」

「や……悪いね、佐々木君。ちょっと寝ちゃってた」

「寝ちゃってたって……」


 相手は若い警備員、佐々木だった。

 警備員の制服は着ておらず宵闇に紛れる黒尽くめだったが、それは黒のスーツの笹山も似たようなものか。

 佐々木は「まずいな……消すか? いやいや」とぶつぶつと口の中で呟いたが、笹山には激しく脈打つ心臓と耳鳴りのせいでよく聞こえなかった。


「あー……佐々木君?」

「なんすか……って笹山さん、顔色……」

「ごめん」

「は? ちょっと! 笹山さん?!」


 再び膝から崩れ落ちた笹山だったが、薄れ行く意識に佐々木の慌てた様子がかろうじて感じられた。


 次に笹山が目覚めたのは病院のベッドの上だった。

 診断は軽度の心臓発作。過労だった。

 発見が遅れていたら死んでいたぞと、強面の担当医に脅された。


「あなたは運がよかった。警備員さんが見つけてくれて、救命処置もしてくれていたらしい」

「はぁ……」


 生返事を返し、また病室のベッドに身体を預ける。

 笹山は警備員と聞いて、真っ先に佐々木のことを思い出していた。


「たしか私は屋上で……。それにしても佐々木君は何をしていたんだろう」


 曖昧な記憶を掘り起こそうとしたが、ひっきりなしに見舞いにやってくる会社の上司と、その上司、そのまた上司に邪魔をされた。

 用件は過労で倒れたことを言いふらさないで欲しいという口止めだった。

 曖昧な返事をしているうちにいつのまにか笹山はそれなりの、下手をすれば退職金より多そうな見舞い金と、半年程の休暇を得ていた。


 4日後、退院した笹山が私物を取りに会社に寄ると警察車両が何台も停まっていた。

 制服警官が睨みを利かせ、黒スーツが社屋をひっきりなしに出入りしていた。

 刑事ドラマなんかで見る光景に感動を覚えた笹山だったが、建物に入られないのは困る。

 私物には財布や家の鍵もあるのだ。

 笹山はとりあえずと、制服警官に声をかけた。


「あの、すいません」

「何か? 部外者は立ち寄らないでください」

「中の会社の者です。何か事件がありましたでしょうか? お恥ずかしながら入院しておりまして……何も事情が」

「入院? もしかして……少しお待ちください」


 制服警官は何処かへいくとすぐに黒スーツの人物を伴って戻ってきた。


「捜査一課の須藤です。失礼ですが、ホシノホールディングスの笹山さんでお間違いないでしょうか?」

「えぇ、笹山です。あの、どうして私のことが?」

「いくつか伺いたいことがあります。どうぞこちらへ」


 スーツの刑事は、警察手帳を素早く拡げ須藤と名乗ると、有無を言わさぬ様子で笹山を社屋の中に連れていった。



 


 






















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