宰相閣下は断罪した追放者を甘く溶かす
悠・A・ロッサ @GN契約作家
第一章 冷血宰相と異端の医官
第1話 断罪の夜、冷たい腕に抱かれて
あの日のことを思い出すと、今でも、心臓がひとつ跳ねる。
胸の奥がざわついて、息を吸うのが少しだけ、苦しくなる。
──フェルノア王国の王立魔導研究所の研究室が焼け落ちた夜。
小さな雨粒が、赤く照らされた屋根を打っていた。
燃え上がる薬草庫の匂い。
割れた瓶の破片。
床ににじんだ血。
「お前はもはや医官ではない。魔物だ」
冷たい断罪の声──『冷血宰相』グランフォードの灰青の瞳が、今もリオを射抜く。
信じていた。
誰かを救えると、本気で思っていた。
それなのに、あの時、誰も自分を庇わなかった。
あれから三年。
リオ=セガルドはすべてを捨て、名を偽り、辺境の地に身を潜めている。
魔除けの符を貼られた家の扉。
来客はない。
目を合わす者もいない。
傷も怒りも、とうに枯れたと思っていた。
──だから、その声が聞こえたとき、最初は幻聴かと思った。
「リオ=セガルド。君を迎えに来た」
開いた扉の向こうに、かつてリオを断罪した男──フェルノア王国宰相、グランフォード=カレヴィンが立っていた。
銀糸の長髪が燭台の光を受け、灰青の瞳は氷のように冷たい。だが、その奥に、僅かな揺らぎが宿る。黒の礼服は絹のように滑らかで、刃の鋭さを思わせる。『冷酷宰相』──そう呼ばれ恐れられる男が、リオをまっすぐ見つめていた。
視界が揺れ、心臓が大きく跳ねる。背筋を冷たいものが這う。
──膝が、震えた。
がくん、と足元から力が抜け、身体が傾いだ。
瞬間、硬くも迷いのない腕がリオの肩を掴む。冷えた掌なのに、どこか懐かしい温度を思い出しそうになる。
「……まだ、傷は癒えていないか」
低く冷えた声が、耳元をかすめる。
リオは息を呑んだ。凍りついたような言葉のはずなのに――なぜだろう。どこか、気遣うような響きに聞こえた。
あの夜、研究所の炎の中で、冷たい声で断罪したのはこの人だったはずだ。
冷酷で、容赦なく、リオを追い詰めたはずなのに。
なのに、どうして。
この人の目が優しいのは。
その手が今、自分を力強く支えているのは。
「な……なんで」
リオは震える声を絞り出す。
グランフォードが一歩近づき、見下ろす。
「罪は許さぬ。だが──」
一瞬、言葉が途切れ、灰青の瞳に微かな熱が滲む。その眼差しが、リオの心を探るように見つめる。
「君の信念……三年前、命を救うと誓ったその眼が、ずっと気になっていた」
言葉は静かで、感情は抑えられている。だが、そこには理屈を超えた何かが宿っていた。
「君に、頼みたいことがある」
宰相の瞳がリオを射抜き、記憶が波のように押し寄せる──
***
リオ・セガルド──本名
生まれは日本。地方都市に育ち、決して裕福ではない家庭に生まれた。
幼い頃から身体が弱く、喘息や微熱を繰り返すような子どもだった。
そんな自分を支えてくれたのは、いつも近所の診療所の医師だった。
たとえどんなに苦しくても、優しい声と白衣の背中に、何度も救われた。
だからこそ、自分も誰かを救える人間になりたいと思った。
目立つことも得意なこともなく、成績だって中の上。
それでも医学部に進んだのは、ただひとつ、命を救いたいという気持ちだけだった。
地方国立の医学部に補欠合格し、奨学金を頼りに日々の学びを積み重ねていた。
寝不足、バイト、実習と、押しつぶされそうな毎日。
しかも自分は要領が悪いのか、なぜかいつも仕事が集中して、誰よりも遅くまで残る羽目になっていた。
それでも、自分にはこれしかない。そう信じて、学び続けてきた。
国家試験を目前に控えた頃、大学附属病院での研修に入った。
臨床現場は想像を遥かに超える苛烈さで、命を扱うという緊張感、患者との応対、上司や先輩からの叱責と、終わらない記録。
夜中に病棟をまわりながら、缶コーヒーだけで空腹をまぎらわせ、気づけば白衣のまま床で眠っていたこともある。
──それでも、誰かの命を守るためなら。
その一心で踏ん張り続けた。けれど、ある当直明けの朝、ふと意識が途切れた。
***
目が覚めたのは、見知らぬ石畳の路地だった。空気が濁っていて、胸が苦しい。頭は痛み、手足の感覚もぼんやりしていた。
──ここは、どこだ。
見上げた空は見慣れない色で、建物も、服を着た人々の姿も、異国めいていた。いや、異世界としか言いようがない。自分の身体すら、見下ろして愕然とした。見慣れた病院の白衣は消え、手のひらは少しだけ大きく、血の気の薄い肌をしていた。
「気づいたか」
その声に、身体がびくりと跳ねた。振り向けば、白髭をたくわえた老人がひとり、手に杖をついて立っていた。ゆったりとしたローブに薬草袋を下げ、明らかにこの世界の人間のようだった。
「路地裏で倒れておったのだ。魔力の反応が異様だったので、連れてきた」
そう言って、老人は小さな診療所に案内してくれた。ベッドに横たわりながら、諒は必死に状況を理解しようとする。自分の名前、記憶、そして医大での生活──国家試験目前の、あの当直明けの朝。
(まさか、俺は死んだのか……?)
茫然としていると、診療所にまたひとり、来客があった。
「……例の者はどこだ」
低く響く声。鋭い眼光を持つ中年の男が、戸口に立っていた。灰色の長衣に黒いベルト。腰には魔導具と思しき杖が吊られている。
「王立魔導研究所の医官、ドラン=ハルトだ。お前、名は」
「……せがわ……りょう」
「セガワ、リオ、か。ならば──リオ=セガルドと名乗れ」
「……俺は、医者で……いや、まだ研修医で……」
「けんしゅう……い?」
「医者……の卵、です。病院で働いてました。人の身体の仕組みとか、治療とか……」
ドランの眉がぴくりと動いた。
「ふむ。……珍しい。魔力の流れもこの大陸のものとは違う。異邦の民か、あるいは……」
彼はしばらく思案したのち、診療所の老人に一言だけ言い残してリオを連れていった。
「研究所で預かろう」
「えっ、ちょっと……」
「我々のものではないが──興味深い」
それが、リオとこの世界の運命をつなぐ最初の一歩だった。
そして、王立魔導研究所──フェルノア王国の首都にある医療と魔導の融合機関に、リオは医官として迎えられた。
研究所の建物は、白く輝く石造りの塔を中心に、いくつもの棟が連なっていた。研究棟のひとつに割り当てられた小部屋には、古びた机と椅子、薬草棚と魔導炉がひとつ。そこが、リオのすべてだった。
薬理と魔力の構造解析、それに……感染拡大の防止手段。それが、この国で最初に自分が取り組んだ課題だった。
研究所には多くの医官や魔導師が集まり、時に政治の思惑すら絡む場でもあった。そのなかで、リオにとって特異な存在だったのが──
ドラン=ハルト医官だった。
彼は王立魔導研究所の上級医官であり、寡黙で鋭い視線を持つ中年の男だ。リオの異邦人としての出自にも早くから気づいていたようで、時折、厳しい課題や研究報告を求められた。彼が推薦してくれたからこそ研究所に受け入れられたのだが、当初はその意図すら掴めなかった。
まるで試されているような日々。けれど、ひとつだけ確かなことがあった。
ドラン医官は、研究において「誠実であれ」と何度も口にした。魔導が絡む世界で、忌避されがちな「感染」という分野にリオが取り組むことを、真っ向から否定しなかった、数少ない存在だった。
それがどれほど、救いになっていたか。
当時のリオには、まだ気づけなかったのだ。
***
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