フェスタの浮気、ボスに報告する

学園を出て向かった先は、裏組織のボスの屋敷だった。


普段は接触することのない人物だが、フェスタとの婚約を認めてくれた人だし後見人でもあるので、何かあれば彼を頼るのが筋でもある。でも、気乗りしない。


「お嬢様、ボスに頼るおつもりですよね?」

「ええ。ボスしかいないものね」


ボスの屋敷は学園からそう遠くない。学園を出て、石畳の道をしばらく歩く。


マルタと話しながら歩いていると、じきに鉄製フェンスに囲まれた門前が見えてきた。黒く塗られた格子は、装飾のない無骨な造りでまるで“外の世界を拒む壁”という感じに見えた。


エリールは立ち止まると、深く息を吸った。


「ここに来るのも久しぶりね」


実情を知っているせいか、この屋敷がどうも要塞みたいに見えてしまって緊張する。


マルタが一歩前に出て、門の呼び鈴を鳴らすと、金属の音が静かに響いて扉の向こうから人影が現れた。


従者のパイクだ。彼は黒い制服を着て無言で門を開けた。すぐに中へ通される。


居間に通されるとソファに腰を下ろした。そこそこ大きな荷物を持ってきたから、やっと床に下ろすことができて、一息つけた。


「お嬢様、手が赤くなってしまいましたね。お疲れでは?」

「大丈夫よ。マルタこそ大きい荷物を持ってくれたから、大変だったでしょう?」

「私は訓練されていますから、どうってことありません」


マルタがふと後ろを向いた。つられてエリールも振り向く。


すると、パイクが紅茶のトレイを持って静かに佇んでいた。エリールは、人の気配がなかったので声を上げそうになった。


「なぜ足音を忍ばせてるんです?お嬢様が驚いているじゃないですか」

「マルタさんが振り返らなければ、エリール様も驚くことはなかったでしょう」

「なんですって?」

「ご存じでしょう?私が足音を忍ばせる時はどういう時か」


パイクは澄ました顔で言う。マルタがエリールにそっと耳打ちした。


「彼が足音を消して歩く時は、警戒している時なんですよ」

「え、私たちは警戒されてるの?」

「まあ、荷物を抱えて突然の訪問になりましたから」

「聞こえてますよ。私の仕事は、主を守ることですからね。おや、……主が帰ったようです」


エリールには聞こえなかったが、パイクは耳がいいようだ。彼は主を迎えに向かった。


「お嬢様、ボスにはどう説明なさるつもりですか?フェスタ様は彼の腹心ですが」

「……腹心でも関係ないわ。ありのまま話すつもり。ボスなら公平に判断するべきだろうし」

「そうであるといいんですが」


しばらくして、屋敷の主──裏組織のボスが現れた。


金髪の巻き毛に緑の瞳。スラリとした美青年だ。


「どうしたんです?急に訪ねてくるなんて」

「こんにちは。突然押しかけてすみません。……授業、早かったですね」

「気になることがあって早退しました。あなたが来ていると聞いて」


実は、彼は同じ学園の生徒だった。彼は理由があって学生の身ながらボスを務めている。


「それで、どうしてこちらに?」

「寮にいられない理由ができました。新しい居場所をお願いしたくて」

「理由とは?」

「……フェスタに浮気されました」


一瞬、沈黙が落ちた。


「フェスタが?彼は君を大事にしていたはずでは?」

「私も、現場を見るまでは信じていました……」


声が自然と低くなる。


彼は静かに問いを重ねた。


「現場を見たのですか?」

「ええ。彼の部屋を訪れたところ……女性とキスしているところを見ました」

「そうですか。それは辛かったですね。そういうことなら、住む場所を手配しましょう」


ボスはエリールの言葉を聞いても、表情をほとんど変えず淡々と話していた。


「ありがとうございます。もし、できればこのままこちらで1週間ほどお世話になりたいんですが」

「ここに?まあ、構いませんが。金銭的に困っているのですか?」

「ええ。手持ちも少なくて……次の送金まで1ヶ月空いてしまうんです。寮を出たら実家に知らせがいくだろうと考えると、ボスの所に置いてもらえたら都合がいいなと思いまして」

「なるほど。君の兄たちも心配するでしょうからね。では、部屋を急いで用意させましょう」


キャプスはパイクに指示を出すと、部屋を後にした。


(いつも思うけれど、あの落ちついた感じが同い年だとは思えないわ)


――案内された部屋は南向きで、窓から街が見渡せた。通り沿いには尖塔を持つ屋敷が並んで見えた。


「お嬢様、とりあえず落ち着ける場所が確保できてよかったですね」

「ええ。お兄様たちにも伝えなくちゃいけないわね」

「相当、お怒りになるでしょうね。フェスタ様、殺されちゃうじゃないですかね?」

「彼はボスの右腕よ。まあ、でもお兄様たちだったらやりかねないわね」


兄たちはエリールを溺愛している。今回のことを知ったら、間違いなく激怒する。


「こんなことが起きなければ、平穏に暮らせたのに」


エリールは、平穏を愛していた。父が任務で命を落とした日から。


家が組織に属していることを知らなかった幼い頃、たまに血まみれで帰ってくる父や兄たちを見て、普通の家ではないと幼い頃から感じていた。


だから、普通に暮らす人々がうらやましい。


でも、今こうして自分が不自由なく生活できているのは、兄たちが組織で働いているからだと思うと、複雑な気持ちだった。


「平穏に過ごしたいのに……」


誰に言うでもなく、再びエリールはぽつりとつぶやいた。

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