竜姫のスフィーリア ~“俺”はこの世界で生きていくようです~

@novi_nobiru

第一部:スフィーリア、世界に触れる

第一章:目覚めと出会いの森

第001話 いつもと違う朝

※本作には刺激の強い描写が含まれます。苦手な方はご注意ください。


――――――――――――


焼け焦げた木と肉の臭いがする。

朝の空気に混じるには、あまりにも異様だった。



俺は今、森の真っ只中で座り込んでいた。

目の前の光景を理解できず、頭が真っ白になる。


ただ――

ここにいては命の危険がある。

それだけは分かった。


朝倉洋一として三〇年近く生きてきたが、こんなに混乱するのは初めてだった。

肩に重いものがのしかかったようで、喉が張り付くように乾いている。


深呼吸を一つ、ゆっくりと視線を巡らせる。

狭い小学校の校庭ぐらいの空き地は、土がむき出しになり大きくえぐれている部分もある。

まるで、巨大な何かが暴れたみたいに。


寝て起きたら森のど真ん中。

異常なのは、それだけではない。


二〇メートルほど先。

焼け焦げた馬車の残骸が、黒い塊となって鎮座している。


俺が中世ファンタジー好きでなければ、廃材の山にしか見えなかっただろう。


黒焦げの車体と積荷、そして――馬や人だったものが十体ほど。

細く揺らめく白煙が燻っているのを見るに、少し前まで燃えていたのは想像に難くない。


喉がひりつく。

鼻腔を刺激する匂いが、“死んだ場所”であると告げていた。


ただ、妙に目を引くものが一つ。


焦げた革紐に絡まる銀白の繊維。


場違いなまでの鮮やかさが目に焼き付いた。


少し冷たい風が頬を撫で、草木の香りに肉の焼ける匂いが混じる。

夢なら匂いなんてしない。現実だ。


……理解できない。

誘拐? いやいや、俺が?

そもそも、なんで馬車が燃えてるんだ?


考え込んでいても答えは出ない。

今は、動かなければ。


決意を固め、立ち上がろうとして――


「ん? なんだこ……あ、え、声……髪……えっ!?」


自分の喉から出た声が、明らかに女性のものだった。

喉仏から出る音じゃない。


「なっ……!」


咄嗟に頭に手をやる。

指に絡むのは、少なくとも肩より長い、艶のある黒髪。


俺は社会人として無難な短髪のはず。

指ですくえるほどの長さはないはずなのに。


猛烈に嫌な予感がする。


ゆっくりと自分の身体に視線を落とす。

見覚えのない、黒いダボダボの服。そして――


「はぁっ!? う、腕……足もっ……なんだこれっ!?」


胸位置にあるはずのないものが二つ。

服越しでも分かるほどの重みが、現実だと告げてくる。


更に腕と足。

手のひら腕の内側以外、肘から先と膝から下が、光沢のある真っ黒な鱗のようなもので覆われていた。

指先には二センチほどのかぎ爪。


コスプレ? 森で?

意味がわからない。作り物にしては出来すぎている。


「……………………」


笑えなかった。

冗談だと思いたいのに、体の感覚がそれを許さない。


異世界転移――そんな馬鹿げたワードが、現実味を帯びて頭をよぎる。


だが、目の前の光景も、この体もそれ以外に説明がつかない。

本当に“俺”なのか?


いやいや、外見がどう変わろうと、そんなすぐに心まで変わらない。


けど――鏡がほしい。

全身は無理でも、せめて顔だけでも見たい。頼むから。


俺の顔は「笑顔が素敵だよ」と無難に褒めざるを得ない程度。

できるだけ早く確認しないとこっちの精神が持たない。


それに……何とは言わないが、まだ直接確認したわけじゃない。

一度も役目を果たしていないのに、まだ諦めるのは早い。


俺はまだ“俺”だ。きっと、そうであってくれ……。


落ち着け。昨日はどうしてた?

いつも通り過ごして、新作のゲームを朝まで遊んで……そこまでは覚えている。


思考が渋滞し始める。

このまま突っ立っていても埒が明かない――そう判断して、一歩踏み出そうとしたその瞬間。


『――……すまぬ』


心臓が跳ね上がった。

脳内に直接響いた、沈んだ気配のある大人の女性の声。


「っ……誰だ……?」


柔らかいのに、ひどく沈んだ音色だけが残る。

周囲を見回すが、やはり誰もいない。


幻聴? にしては鮮明すぎる。

誰なんだ。俺の頭の中にでもいるのか?


胸の奥がざわつく。

謝られる理由に、心当たりなんてない。

身体の変化とは別の、“もっと根本的な異常”がそこにある気がした。


声の正体はわからない。

だが今は――動かなきゃ死ぬ。


焼け焦げた馬車。野ざらしの死体。

ここは安全じゃない。


風に揺れる草を見ているだけで、何かが潜んでいるような気さえしてしまう。

恐怖を押し殺し、俺は一歩を踏み出した。

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