第2話 信頼は1日にしてならず

 隠し部屋で古文書を見つけた後、俺は部屋に戻った。

 ――翌朝。

 天蓋つきのベッドから身を起こすと、窓から差し込む朝日が部屋を照らしている。

 さて、今日から『行動』を開始しなければならない。

 最強の力は手元にある。問題は、それが己の身についていないこと。この世界で生き延びるためには超えなければならない壁だ。


 悪くはない――

 胸の奥で、何かが熱く燃えている。


 俺はゲーマーだからな。こういう課題は燃えるものだ。コツコツとゲームを進めていくのは嫌いじゃない。

 その時、部屋のドアがノックされた。


「失礼いたします、お坊ちゃま」


 控えめな声と共に、二人のメイドが入ってくる。

 一人は若い女性で、もう一人は年配のメイドだ。二人とも、俺の顔を見た瞬間、微かに身体を強張らせた。


 ……ああ、そうか。

 原作のアルバートは、使用人たちに対して横暴だったのか。


 脳裏に、断片的な記憶が蘇る。

 些細なことで怒鳴りつけたり、気に入らないことがあれば物を投げつけたり――

 そりゃ、あんな表情になるよな。

 ちょっとでもしくじれば、逆鱗に触れるんだから。


 同情した俺の胸の奥で――

 何かが蠢いた。

 ……なんだ、これは?

 それは、奇妙な感覚だった。

 メイドたちの怯えた表情を見ていると、胸の奥から、じわりと黒いものが湧き上がってくる。

 他者を支配する愉悦に、

 恐怖で縛りつける快感。

 それは、明らかに俺自身のものではない感情だった。原作のアルバートの肉体と精神が育んでいた暗い感情――


 ……やれやれ、原作のアルバートの影響が残っているのか。


 もしも、無意識のままに口を開けば、きっといつものアルバートのような『絶対的な支配者』の言葉となってしまうだろう。

 言いたい、言いたい。

 彼女たちが困惑し、唇を噛む表情を見たい。

 俺は、そんな嫌な感情を意思の力でねじ伏せる。


「おはよう!」


 にこやかな笑顔と、元気な声で!

 いつもであれば、不機嫌そうな表情で目すら合わせてこないアルバートの態度に、メイドたちは驚いたように目を見開いた。


「お、おはようございます、お坊ちゃま……」


 若い方のメイドが、恐る恐る答える。


「お着替えのお手伝いに参りました」


「わかった。手間をかけるね」


 にこやかに応じて、俺はベッドから降りる。

 偉大なる貴族であるアルバート君は、毎朝メイドに服を着せてもらうらしい。

 ……正直、庶民な俺としては服の着替えなど自分でやりたいところだが、それは彼女たちの仕事なのだ。

 せめて気分よく働いてもらうのが、俺のするべきことだ。


「は、はい……」


 礼の言葉も衝撃的だったらしく、メイドたちは表情に、坊っちゃまは頭でも打ったのだろうか? みたいな疑問を浮かべながら作業を始める。

 とはいえ、一朝一夕で何かが変わるわけではない。

 俺の服を着させるメイドの手が、微かに震えているのが分かった。


 その表情には、少しの失敗も許されない――

 そんな緊迫感が広がっている。


 なるほど、原作のアルバートが、それほど横暴だったのか。


 胸の奥で、また黒いものが蠢く。

 ああ、今すぐ怒鳴りつけたい。服にしわができたではないか、無粋な爪が肌を引っ掻いたぞ、なんでもいい――適当なことをでっち上げて罵声を浴びせれば、もっと怯えた顔を見られるんじゃないか?


 そんな考えが、不意に頭をよぎった。

 俺は思わず奥歯を噛み締めた。


 ……クソ。

 アルバート、お前は本当に心底からクソ野郎だな。油断すると、こうやって変な考えが湧いてくる。

 この感情に飲まれることはない――

 そう強く己を律した。

 着替えが終わった。


「どうでしょうか、坊っちゃま」


 若いメイドが一歩下がり、俺の評価を待つ。

 もちろん、問題などない。


「ありがとう」


「……え?」


「ありがとう、と言ったんだ。手際が良くて助かる」


 まあ、わかるよわかる。記憶を軽くさらっても、アルバートがメイドに礼を言うことなんてなかっただろうからな。


「素晴らしいお言葉を――光栄です!」


 若いメイドが、感極まった様子で頭を下げた。

 ……さて、まずはここを彼女にとって良い職場にしてやらんとな。小さな改革を進めるとしよう。


 原作の俺は傲慢ゆえの愚かさで死んだ。

 こうやって日々を改めるのも、きっと死亡フラグの回避に役立つはずだ。


 その後、朝食などの朝のルーティンを片付けたところで、俺は屋敷にある学習部屋で家庭教師のクロードと顔を合わせた。

 クロードはもう60を超えた元魔法使いで、引退した今は貴族の子供に魔法を教える日々を送っている。


「おはようございます、アルバート様。本日もお元気そうで何よりです」


「おはよう、クロード。今日もよろしく頼む」


 クロードの目を見て、にこやかに俺は挨拶をする。

 それだけで、クロードの目が驚愕に震えた。

 ……まあ、メイドと同じく、アルバートはクロードにも横柄な態度を取り続けていたからだな……。本当は日本人的精神に基づいて敬語を使いたいところだが、貴族が家の使いに丁寧すぎるのもどうかと思うので、そこは自重している。

 クロードは驚いたものの、反応は表面的な部分で止まった。


「それでは、本日の授業を始めましょうか」


 すぐに表情を固くし、クロードが穏やかに言う。

 クロードがつらつらと魔法理論について説明し始める。その講義を10分ほど聞いてから、俺は口を開いた。


「止めてもらえないか」


「……なんでしょう」


 いちいち、俺の言葉に反応して緊張するのは辞めないかな……?


「講義のレベルを上げてもらえないか?」


 俺に魔法理論は理解できないが、どうにも話している内容を稚拙に感じる。

 クロードは戸惑いながらも、言葉を選びながら話す。


「……今のレベルが最適だと存じますが?」


「率直に教えて欲しい。僕の魔法の習熟度はどれくらいだい?」


 またしてもクロードの表情が曇る。

 たっぷりと考えてから、答えを口にした。


「特に問題ないレベルに成長しております。心配することはありません」


 だいたい察しがついてきた。

 おそらくは『理解できなかったクロードの不興を買いたくない』から講義のレベルを『クロードでも理解できる』程度に下げているのだろう。

 それでは困るのだ。

 俺が狙う頂ははるか高みなのだから。

 アルバートの血統を考えれば、現時点で『問題ないレベルの成長』は遅すぎる。


「もっと高度な授業をしてくれないか?」


 クロードは完全に困っている様子だった。

 おそらくは職業的な倫理観にしばらく頭を悩ませてから、首を振った。


「焦る必要はありません。今のままでも十分でございます」


 そこには強い意志があった。この一線だけは絶対に守ると言う意志が。

 ……それほど、アルバートの不興を買いたくないか。

 こちらの事情が大きく変わっていることなど知る由もない以上、わがまま坊ちゃんの突然のやる気に付き合っても、その気分がいつまで持つか保証はない。いきなり「わからねえじゃねえか!」と逆ギレされるのを考えると気乗りしないか。


「わかった。クロードの思う通りに進めてくれ」


 俺がそう言うと、クロードが、ほっとしたような表情を浮かべた。

 残念だが、仕方がない。

 だが、仕方がないで終わらせるつもりもない。古代魔法の習得には、おそらく豊富な魔法知識が必要だからだ。そのためにはクロードの協力が不可欠だ。


 ――ならば、行動で示すしかない。


 毎日の積み重ねで信頼を得るしかないだろう。

 アルバートは変わった、その言葉は信用に値する――

 そう思わせるのだ。

 幸い、メイドたちへの態度も何もかも改めるつもりだ。ここからアルバートという人間の印象を180度変えてやろうじゃないか。


◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇


 大昔の話だ。

 幼いアルバートと出会ったとき、クロードは電撃に撃たれるかのような衝撃を受けた。

 ――この子はまさに魔法に愛された子! 神童だ!

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る