九重甘茶は沈みゆく中で藻掻く

 中学の教科書に、『蜘蛛の糸』という作品が載っていたのです。……この部室の片隅、脚本の詰め込まれたキャビネットにも、同じタイトルが並んでいるのです。甘茶は今日、ようやくあの物語の核心に触れたのです。お釈迦様の狭量さを責めるよりもっと切実な。



 あのお話の、なにが一番残酷かって、『掴めるだけの希望があるところ』でしょう。



 最初から絶対に無理な望みなら、カンダタも束の間の光を見出して、我欲に溺れることもなかったでしょうに……なんて、残酷な物語なのでしょう。



 その惨さは丁度、今の甘茶たちに酷く、酷く酷く似ていて――――









「ったく! そんな隅っこで膝抱えてんじゃないわよ甘茶っ!! むしろ喜びなさいよ!」







 わしゃわしゃ、わしゃわしゃわしゃわしゃ。



 出鱈目に髪を弄られて……瞼を、頬を、胸を擽ってくるそれがこそばゆくて、甘茶は払いのけるように首を振りました。……栗色のノイズが入った視界の真ん中、滲んでいても燃えるような赤色が、その娘の堂々たる佇まいを見せつけているのです。




「……紅実、ちゃん……」



「帰って早々しゃがみ込んで、さめざめと泣いちゃってさ。まずは久呂恵を褒めてやんなさいっての。あの子が腹括んなかったら、あのクソ白髪に条件取り付けるのさえ無理ゲーだったのよ? 希望が見えただけ、随分マシだと思うけど?」



「…………で、も」



「分ぁってるわよ。1――――確かに、厳しいハードルではあるわね。無理ゲーからクソゲーに変わったって感じ」




 ……分かって、ないのです。確かに、紅実ちゃんの言う通りではあるのですけど。



 ほんのわずか、できそうって希望的観測がちらつくからこそ……できないっていう現実が、ズキズキと、胸の奥を刺してくるのです。




「……ぁ、あの……わ、わたし、ダメ、でした、か……? また、失敗、して――」



「ううん、そんなことはないよ。久呂恵はよくやってくれた。……ですよね? 紫苑さん」



「むしろ一久呂恵に救われたとしか言えないな。私ではあそこまでの搦め手は考えつかなかった。――――それでもなお、貴様がそうして貝になるだけの困難がある訳だ。そうだろう? 甘茶」




 テーブルの定位置に着いた久呂恵ちゃんと紫苑ちゃん、相変わらず書割に凭れている蒼汰ちゃん。……3人の声が、ぼんやりと聞こえてきて、甘茶は、かくんっ、と赤べこのおもちゃみたいに首を揺らしました。




 失敗……それを言うなら、甘茶の方なのです。ちょっと痛烈に言われたくらいで、簡単に折れて泣いちゃって。……後輩で、気弱で臆病な久呂恵ちゃんに、全部全部押しつけて。




 酷い、醜態。……部長、失格な振る舞い。




 もう、もうとっくに、甘茶は。




 黄羅星先輩に、顔向けなんかできなくて――




「んー、まぁ見当はつくけどさー。ぶっちゃけ人数が全然足りないよね、今って。5人で舞台で演劇とか、かなーり無茶って言うか――」









「っ――――そんなっ!! 簡単なことじゃないっ!! のですっ!!」








 ――――あぁ、あぁまた、また、またなのです。また、やっちゃった。



 紅実ちゃんが、まるで、まるでなんてことのないように軽く、軽口みたいに言うものだから……ダメ、なのに、凄く、腹が立っちゃって……。



 怒鳴りながら立ち上がっちゃって――――涙以外で視界が滲んで、背後の書割へと身体を預けました。……勿論、酷く不本意に。




 うぅ……頭が痛い。胸も、本当に刺されているみたいに、痛い。痛い。




 ――――もう、一度。もう一度だけで、いいから。




 抱き締めてほしい。撫でてほしい。大丈夫って、根拠なんかなくても言ってほしい。……そんな、情けない甘えが、ふつふつと湧いてきて。





 ――ダメ、なのです。


 ――甘茶は、部長なのです。


 ――黄羅星先輩から託された、演劇部の、部長――――




「っ……ご、ごめんなさい、なのです、紅実ちゃん……。久呂恵ちゃんも……ありがとう、なのです。状況をここまで動かしてくれたことには、感謝しているのです。本当なのです。……けど――」




――――特に、演者をできるのがお姉ちゃんと甘茶さんしかいない。……よりもっと、解決困難な問題がある、ってことですよね?」




 ……いつでも、羨ましいくらいに冷静な蒼汰ちゃんが、促すように訊いてくれました。




 ……本当、甘茶はダメダメなのです。話をすることすら、後輩にエスコートされないとできやしないなんて。




 そんな、甘茶だから、余計に。



 できるかどうか分からなくって、できなさそうだと思えてしまって……怖い、のです。




「……演劇は、演者だけじゃできない、のです。背景の書割は勿論、大道具や小道具の準備は必須なのです。なければ買うか、最悪作るしかないのです。それに……BGMやSEといった音響素材の厳選に、照明の色、時間、角度の打ち合わせ、上演中での実際の操作……――――でもなにより、まずは『なにをるか』なのです」



「なにを……、劇で、演じる物語を決めなければ、ということか?」



「はい、なのです……。結局、それが決まらないと、他のことはなにもできないですし…………今回は、演者が甘茶と紅実ちゃん、ふたりしかいないのです。……そんな少人数用の劇なんて、部室にある脚本にはないのです……」



「ふぅん、なるほどねぇ。そりゃあ焦る訳だ。よしよし、パイセンは白状できるいい子だ」




 ぐりぐり、ぐりぐり、力任せに頭を撫でてくる紅実ちゃん。



 ……なにか、違うのです。むしろちょっと、後ろのベニヤ板に髪が引っかかって痛いので、やめてほしいくらいなのですけど……。




「でもさぁ――――そんな時こそっ! の十六夜センセーの出番でしょうよっ! パイセン、なんかないの? ふたりしか出てこない短めの台本っ! 言葉簡単な奴!」



「私は脚本家ではない。……この部室が一番静かだから、執筆スペースとして間借りしているだけだ。散々言ってきたはずだが? 四ノ宮紅実」



「散々聴いてきたよー? それでもさぁ、毎日毎日パソコン叩いてんだぜー? なんかしらはあるんじゃないのー? ほらほらぁ、甘茶パイセンが泣きっ面なんだぜー? 助けてやりなよ紫苑パイセェン」




 ……フットワークの軽い子です。大股で部室を縦断して、怖いもの知らずに紫苑ちゃんへ絡んでいるのです。



 でも、紫苑ちゃんは呆れも疲れも微塵も隠さないで、深く溜息を吐きました。




「……これも言ったがな、私は平々凡々な文芸部から理不尽に排斥された身だぞ? 凡庸な愚物共に理解できるような、単純でつまらない物語になど興味はない。……確かに、書き溜めた掌編小説は50ほどあるが、そこから貴様が探してみせる気か? 新入生歓迎会という晴れの舞台に相応しく、演劇にも適している、作者の私にすら覚えのない小説を。……無駄骨になる可能性の方が、よほど高いと思う――」







「っ、紫苑、さんっ! 、って言いました、よね? 何ページ、くらいです、か?」







 ――――その声は、声量は、突拍子のなさは。




 いつでも、甘茶たちを驚かせるのです。でも……どこか、期待をしてしまうのです。だってもう、いくつも実績があるのですから。




 手を挙げて、身を乗り出して。




 紫苑ちゃんにすら眼を剥かせているの、荒い息が、ここまで聞こえてくるようでした。




「っ……い、一編が5枚から15枚程度……文庫本換算で、10ページから30ページほどだが……それが一体――」



「わたし、探し、ます! そ、そのくらい、だったら……30分もあれ、ば、読み切れます……!」



「っ……!? し、しかしだな、そもそも劇に使うなんて想定していない話ばかりで、無駄骨を折る羽目になるのがどうせ関の山――」



「なっ、ないっ、ですっ! そんなことっ、……ない、はず、です……!」


 ずっと、甘茶ちゃんと、部室で、ふたりきりだった、紫苑さんが。


 ぴったりの作品……書いてない、はずが、ない、です……!




 ――――顔は、見えないのです。けれど声はぴんと張られていて、自信に漲っていて。



 確信の下に言っているのだけは分かって……紫苑ちゃんにも、それが伝わったのでしょうか。仄かに赤くなった顔を伏せて、くるりと、ノートパソコンを回転させました。




「……そこまで言うなら、別に、読むくらいは構わない。……徒労に終わっても怨むなよ? 一久呂恵」



「ありがとう、ございます。紫苑、さん」




 椅子へと座り直した久呂恵ちゃんは、ただでさえ酷い猫背をいっそう酷くして、パソコンの画面との睨めっこを始めました。カチカチ、カチカチカチカチと、クリック音が盛んに響くのです。




 …………でも、もし仮に。



 仮に、紫苑ちゃんが本当に、丁度いい物語を書いていたとしても。




「そもそもの、人数不足は全然、解決、してないのです……」




 演者が、ふたりで済むと仮定しましょう。


 音響も、ひとりでできるとしましょう。



 けれど……照明は客席側から、ホリゾントライトやピンスポットライトをリアルタイムで動かさなくちゃいけないのです。舞台となる集会所では、色程度ならリモコン操作で変えられるですが、人の動きに合わせるならやっぱり、人間が操作しなきゃ……だから、








「どう、頑張っても足りない……照明をでだなんて、無理、なのです……」









「………………………………………………………………………………………………ん?」



「わっ!?」




 不覚にも。


 足元にしゃがみ込んで、甘茶を覗き込んできていた紅実ちゃんに、甘茶は、全然、気付いていなかったのです。声に驚いて、跳び退こうとしたですが……背後の書割に後頭部をぶつけて、別の涙が溢れるところでした……。




「ななっ、なに、を、しているですか!? 紅実ちゃんっ!?」



「聞き耳立ててた。……パイセン、計算おかしくない?」



「ふえっ?」



「いやだって、演者があたしとパイセンのふたりでしょ? 音響がひとりで……。なんで照明がひとりって計算してんの? バカなの?」



「っ、い、や、だって……約束、なのです……」



「約束? なんの? ってか誰との?」



「誰って…………その、劇には関わらない、って条件で、部に籍を置いてもらってるですから……――」





「はあぁっ!?」





 ――――最初、甘茶はその叫びを、紅実ちゃんから浴びたのだと思ったのです。



 思わず眼をギュッと瞑っちゃうくらい、怒気と不服とで鋭く砥がれた声……聞き覚えがなさ過ぎて、だから、紅実ちゃんにまた怒られちゃったと身構えたのですけど。




 それにしては、音の圧が弱くって……まるで。




 怒声に慣れていないのか、或いは……単純に、遠いようで――





「……甘茶。九重甘茶。――――座れ。そこにだ。正座でだ。そして四ノ宮紅実、退け」



「はーい了解。……さーすがにこれは同情するよ、パイセン」



「黙れ。……慣れない感情の処理に手間取っているんだ、こっちは」



「ふぇっ……? へ、あ……ふぇ……?」



「座れ、と言った。聞こえなかったのなら、メガホンで鼓膜へ直接ぶち込んでやろうか?」



「っ……紫、苑、ちゃん……?」




 甘茶は、訳も分からないままただひたすら、従うしかなかったのです。



 紫苑ちゃんの、あんな声。動揺、怒り、困惑、その他諸々……混ぜこぜになった怒鳴り声があまりに意外で、突然で、……正しい反応が、分からないのです。




 正座した甘茶を、紫苑ちゃんが見下ろしてくるのです。




 いつも通りの仏頂面……いえ、いつもより、眉間の皺が濃い……?




「あ、あのあの……紫苑ちゃん、どうして――」



「ふんっ!!」



「あ痛ぁっ!?」




 高低差、腕のスイング、指を弾く勢い。



 その全てを計算し尽くした、多分、最大火力のデコピンが、無防備だった甘茶の額にクリーンヒットしたのです……脳、脳が、頭蓋の中心部に至るまでが痺れるように痛いのです……!




「っ……!? な、なん、で……!?」



「……長い付き合い、とまでは言わないがなぁっ!」



「――――っ!?」




 胸倉を掴まれて、引き摺るように持ち上げられて。



 紫苑ちゃんは、鋭く砥がれて尖って怒って……でも、何故か。



 悲しそうな、寂しそうな暗さを湛えた目で、甘茶を、睨んでいました。




「……紫苑、ちゃん……?」



「っ……、……貴様は、九重甘茶は! ……私、を、そこまで薄情な人非人だと、思っていたのかい? はっ……酷い、思い違いだ。名誉棄損で訴えてやりたいくらいだよ」




 そう言って、紫苑ちゃんは、疲れてしまったように。



 甘茶ごと床へと墜落していって――――手を放るように離して、綺麗な紫の髪を乱

雑に掻き毟ったのです。




「……確かに、舞台に立つ心算はない。だが、劇の成功のために助力する程度なら、吝かではない。……特に今回は、この場所を維持できるか否かが懸かっているのだからな」



「っ……! て、つだって、くれる、ですか……!? っ、裏方なら! やってくれるのですかっ!? 紫苑ちゃんっ!!」



「っ、えぇいいきなり詰めてくるな! 手を握り締めるな熱いんだよ! ……、はぁ…………言っておくが、私は完全なる門外漢だ。機器の操作を教える手間はかかる。そこだけは覚悟しておけ」



「そこは全然心配してないのですっ! あとは――」







「ふっふっふっ……それじゃあ更に1個! 不安要素を消してあげるわよ、パイセンっ!」






 床に胡坐を掻く紫苑ちゃんの、そのすぐ後ろで仁王立ちして。



 鼻息を荒くする紅実ちゃんは――――にかりと歯を剥いて、蒼汰ちゃんのいる方へと目を向けたのです。




「蒼汰は中学時代、放送部に入っててね。音響機器にならある程度精通しているわ。加えて……蒼汰の特技、忘れた訳ないわよね?」




 蒼汰ちゃんの、特技……それって、確か。




「声帯、模写……どんな声も出せるっていう――」



「そうよその通りっ!! 実はね、蒼汰は人の声だけじゃない……自然音や効果音まで声真似できるのよ! すっごいでしょうちの弟っ!! 褒めて使い潰して構わないわよっ!!」



「潰さないでくれるとありがたいのだけど。――――そういう訳です、甘茶さん。紫苑さんに頭の出来は敵わないですけど、音響関係なら、少しは力になれると思います」



「っ…………!!」




 凄い、凄い、凄い凄い凄い凄いのです!!



 演者、音響、照明要員! 足りないと思っていたものがどんどん揃って――――ううん、違うのです。最初から揃っていたのです! まるで『青い鳥』……こんな、こんなに部員たちに恵まれていたなんて……甘茶は、全然、気付かないで、勝手に落胆して……。




 ――――ううん、恥じるのは後。反省も後。



 頭数はいるのです。やる気も十分……じゃあ、あとは。



 どんな劇を演じるか、問題はもう、たったそれだけ――――











「――――っ、あ、り、まし、た……っ!!」








 その、声に。



 痺れかけていた脚をよろよろと震わせながら、甘茶は思わず立ち上がりました。




 ? そう、久呂恵ちゃんが言った、ですか? じゃあ、それは、つまり。




 紫苑ちゃんの作品の中に、ふたりでも演じられるような丁度いい台本が、あった、ということ、なのです……!?




「うっそマジでっ!? ってか速くない!? まだ10分も経ってないんじゃ……!?」



「……久呂恵。どのくらい読んだの?」



「さ、30作くらい、読ませて、いただきまし、た……! た、多分……これ、が、丁度いい、です。少人数で、の、演劇、に」



「……まるで覚えがないから訊くんだが、一久呂恵、どれを選んだんだ?」



「『魔女の餞別』、です……! わ、わたし……この作品、好き、です……」



「……また際物を選んだものだな……」



「ど、どういう話なのですか? 紫苑ちゃん」




 ……やたらとうきうきキラキラしている久呂恵ちゃんに、この質問をするべきではないって、直感が囁いていたのです。絶対、長くなるですから。そんな目をしていたのです。



 胡坐のまま、半身を振り向かせていた紫苑ちゃんは、膝へ頬杖を突きながら答えてくれました。




「……世界を災禍に陥れた邪悪な魔女の、死に際を書いた物語でね。一人娘に遺産を遺そうとするが、そこに女勇者が乱入し、問答の末に一人娘を殺害……魔女の力を掠め取った女勇者が、結局は世界を滅ぼしてしまうというお話さ。――――加害者に加害者の自覚はなく、被害者は二度と地獄から抜け出せない……そんな醜い世界の真実を、端的に切り取った灰汁の強ぉい物語だ。とても、新入生を歓迎する場で演ずるべき内容ではないと思うがね――」



「ありがとう、ございます、紫苑さん。……作者の意見、解釈を、直接、聴けるなんて……読書家、冥利に、尽きます――――けど、わたしは少、し、違う、受け取り方、しまし、た……」




 甘茶、紫苑ちゃん、紅実ちゃん、蒼汰ちゃん。部室中の視線を一身に集めているのに、話すことに夢中な久呂恵ちゃんは、いつもより澱みなく喋るのです。



 弾むようなその声は、決して眼を見張るような大声ではないのですが。



 どうしてか、目を離せない――――そんな、声音でした。




「女勇者の末路、は、『他人から奪ったもの、では、決して、幸せにはなれ、ない』という、教訓……なにか、成し遂げたいことが、あるの、なら……自分、自身で、なにかを、掴み取らなくちゃ、いけないって……そんな風、に、読めまし、た。……きっと、前向きなメッセージ、を、届けられる、はず、です……素敵な、作品、です……!」



「……その深読みには感心するがね。似たテーマの作品なら他にもあっただろう? 何故に『魔女の餞別』を選択したんだ?」



、って、思ったから、です」




 そう言うと、久呂恵ちゃんは唐突に立ち上がって――――促すように紅実ちゃんの肩に手を置いて、弱々しく引いてみせました。



 紅実ちゃんも、察した訳ではなさそうでしたが……特段逆らうこともなく、斜め後ろへと下がります。窓際に立ち止まらせた紅実ちゃんと、その真向かいにいる蒼汰ちゃんの間に、久呂恵ちゃんはちょこん、と立ってみせました。




「魔女の娘、と、女勇者、の、立ち位置は、こう、です。これなら……スポットライトは、動かさなくて、構いません」



「っ……!」




 そう、だ。そうなのです。だって紫苑ちゃん、『問答の末』って言っていたのです。



 派手な動きがないのなら、ピンスポは点けるか消すか、色を変えるかで十分……その程度なら遠隔操作でなんとかなるのです!




「ほ、他に、も……背景、は、黒一色で構わない、ですし……地の文が多い、から、ナレーションを多めに、できて、だから……役者さん、が、憶える台詞量、少なくて、済み、ます。BGMも、戦火のものを、最初と最後、使い回せます、し……SEは、ドアの音と、剣の音、だけ……音響の、蒼汰くんの負担、ちょっと、多くなっちゃいます、けど……」



「…………久呂恵、ちゃん……演劇、やってたですか……?」



「っ? い、いいえ、こ、校外学習で、何度か、見たくらいで…………ご、ごめんなさいっ、へ、変なこと、言っちゃいまし、た……?」




 変……変というか、最早異常なのです。



 初見の掌編小説を、ここまで即座に演劇に即した形に解釈できるなんて……なんの知見もない状態でこれなら、じゃあ、本格的に勉強したら……。




 甘茶は、もしかして、とんでもない才能の原石を、目の当たりにしているですか……!?




「ぼくの負担が多いっていう点は、気にしなくていいけどさ」




 絶句する甘茶に、同じくといった感じの紫苑ちゃんと紅実ちゃん。



 相変わらず冷静さを維持できているのは、小さく手を挙げた蒼汰ちゃんだけなのでした。




「今の紫苑さんの説明だと、演者は魔女の娘と、女勇者、それと『魔女本人』の、合計3人必要になるよね。照明がひとりで事足りそうではあるけれど……魔女の演者は、誰を考えているの? 久呂恵」




「っ…………わ、わたし、が……出ます」



「っ、ちょっ、久呂恵っ!? あんた、それマジで言ってんのっ!?」




 ……紅実ちゃんが、慌てるのも無理はないのです。紫苑ちゃんですら眼を剥いているのです。



 演劇というのは、当たり前ですが観客の前で演るもの……舞台に立って照明を浴びると、予想以上に観客の顔がよく見えるのです。彼ら彼女らの視線が、自分めがけて照射されていることも。



 臆病で気が弱くて、過呼吸や泣き癖のある久呂恵ちゃんには……いえ、甘茶も人のことは言えないのですけどそれでも!



 舞台に立って、演技をするなんて、そんなの――




「っ、だ、大丈夫、ですっ! く、黒い布を持って、書割と一体化して……幽霊みたいに、眼を瞑って……タイミングが来たら、台詞を言え、ば、それ、で、大、丈夫……大丈、夫、大、丈夫……大丈夫、です、大丈夫、大丈夫、大丈――」



「っ、く、久呂恵ちゃん、落ち着いて――」







「久呂恵。できないことを、無理矢理やる必要はないよ」






 淡々と、歌うように、冷淡に、温かく――――どちらでもありそうな声音は、女の子顔負けに甲高くて。



 髪型や服装も含めて……時々、蒼汰ちゃんが男の子なことを、本気で忘れそうになるのです。




「っ、で、でも……でも、でも――」



「はいはいよしよし、落ち着いて、ゆ~っくり呼吸しなさい。――――蒼汰、あんたの負担、今でさえ結構重めなの分かってる? BGMもSEもナレーションも、全部あんた任せよ? その上で重ねて背負う気? ……いつからそんな漢気溢れる弟になったのよ」



「ぼくの考えは昔から変わらないよ。才能のある人間は、できない人の代わりにそれをこなしてあげる、ある種の義務がある――――逆に言えば、才能のある人はサボるなんてできないってことだね。宝の持ち腐れが、一番、勿体ない」



「――――久呂恵。3人目の演者はあんたよ。ただし、演技はしなくていいわ。突っ立って……そうね、口パクくらいでいいか。他は全部、



「ぇ……? っ、それ、って、どう、いう――」



。久呂恵はそれに合わせて、不自然でない程度に口を動かしてくれればいい。――――それでいいですよね? 甘茶さん、紫苑さん。マイクを通した方が、幽霊の声としては相応しそうですし」




 ――――1個だけ、今、先に恥じておかなきゃです。反省しなきゃなのです。



 期待外れ? ……甘茶は、なんて的外れなことを思ってしまったのでしょう。恥ずかしい、恥ずかしい、穴があったら入りたいのです。



 紫苑ちゃんの物語。久呂恵ちゃんの演出家としての才能。蒼汰ちゃんの特技と責任感。紅実ちゃんのフォローと潤滑油。



 誰ひとりとして欠けちゃいけない、一騎当千が互いを補完し合う完璧な布陣。



 この子たちとなら……賑々しいだけだった、人数が多いだけだったあの頃より、もっともっと、ずっとずっと。



 楽しく、真剣に、演劇に臨めるのです。確実に、間違いなく。




 黄羅星先輩が。




 甘茶に、望んでくれたように。




「……紫苑ちゃん、久呂恵ちゃんと相談しながら、小説を台本形式に起こしてほしいのです。甘茶は、生徒会に掛け合って、集会所の使用許可を取ってくるのです。その間に紅実ちゃんと蒼汰ちゃんで、小道具と背景の書割を見繕っておいてほしいのです。剣くらいなら、その辺に埋まっているはずなのです」



「――――はっ、急に部長らしくなったな、甘茶。……承った。いけるな? にのまえ久呂恵」



「っ……は、い……! よろしく、お願いしま、す……紫苑、さん……!」



「っしゃぁ一丁身体動かすかーっ! 準備運動に丁度いいわっ!」



「書割はお姉ちゃんがお願いね。お姉ちゃんの方が筋肉あるんだから」




 本番は来週。一刻の猶予もないのです。急がないと、焦らないと――――なのに。



 顧問不在っていう危機が、少しも薄れていないのに……暢気、なのでしょうか。




 甘茶は、部室を出る時にこれっぽっちも、笑顔を抑えられていなかったのでした。

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