第十話 ミラーハウス

「みゆき、ちょっと待った」


 駅ビルは、大型のショッピングモールになっている。

 そのエントランスホールに入ったところで、俺はみゆきを引き留めた。


 入り口付近の壁にあるフロアガイドを確認する。


 えっと、ゲーセンの場所は、と……。


 あった。


 記憶通り、ビルの四階。

 シネコンタイプの映画館と一緒のフロアだ。


 そして、ミラーハウスは、ここで一番人気のないコンテンツ。

 たしか、東側の隅に追いやられるように設置されてたはず。


 俺はフロアガイドを見ながら、ミラーハウスがある場所から現在地につながるルートを組み立てていった。


 エレベーターは使えない。

 ミラーメソがどういう行動をとるか予測がつかないからだ。


 同じく、エスカレーターもだめ。

 幅が狭いし、何より、利用者が多すぎる。


 となると、残されたオプションは階段だが――。


「かおるくん、そろそろ動かないと」


 外を見張っていたみゆきが、俺の裾をくいくいと引いた。


「わかった。ちょっと、エヌマと話すから待ってて」

「うん」


超速思考シンキング・アクセル・デュアル、起動!」


 正面のフロアガイドを見据えたまま、俺はエヌマを呼び出した。


『……ぬう、また、陳腐な言葉を使った召喚か』


 エヌマは開口一番、クレームをつけてきた。


『主よ、繰り返すが、いい加減にを定めよ。もう、我には、存在の力がほとんど残っておらぬ。次に、つまらぬ言葉で召喚されれば、汝も我も存在が危うくなるぞ』


(いきなり、それ、言うか? てか、こういうのを「おまいう案件」っつうんだ。大体、存在の力が枯渇しかけてんのは、さっき、お前がブチ切れて、俺の妄想なしに、阿呆みたいにパワー使ったからだろうが!)


『ツ――。おかけになった電話は、電波の届かない場所にあるか、電源が入っていないため、かかりません』


(そんなセリフをどこで覚えた、こらあ!)


 くそ、この神、返事しやがらねえ。


 だが、今はエヌマと遊んでるヒマはない。


(もう、いい。もうツッコまねえから、話、聞けって。お前、さっきみたいな領域を不定形で展開することはできるのか?)


『無論だ。我は暗黒の創世神。創れぬものなど何一つない』


(たしかにな。さっきのヤツも、ドコモのお姉ちゃんの声にそっくりだったわ)


『そうであろう、そうであろう』


(褒めてねえ! とにかく、時間がないんだ。今から、ミラーメソを、この建物の上階にあるミラーハウスまで誘導する。そのための動線を教えるから、ルートとなる通路を領域化して、さっきみたいな「人払い」をしてほしい)


『それはまた、面倒なことを。彼奴きゃつと接触したところで、人は死なぬと知っておろう?』


(わかってる。でも、まあ、なんだ。掃除の人が可哀そうじゃねえか)


 人払いなしにミラーハウスまで突っ切ると、建物内は間違いなくゲロの海になる。

 それは、あまりにも申し訳ない。


『ふん。相変わらず、つまらぬ感傷を。まあ、よかろう。――で、動線とやらはどうやって我に示すのだ?』


(俺が頭の中で立体マップをつくる。それを読み取れ。たしか、前に、俺の頭の中を読んだよな?)


『相分かった。では、示してみよ。いくら、妄想を得意とする主でも、所詮は人の身。わずかな時間で、精緻な地図を描くなど出来はすまい』


 エヌマの声には、半分、嘲りの色が混じっていた。


 ふん、舐めんな。神よ。


 俺は、ウィザードリィを無印から八まで、すべて脳内マッピングだけでクリアしてきた男だ。

 方眼紙とオートマッピングに頼る、そこらの軟弱ゲーマーと一緒にするな。


 ――いくぜっ!


 脳内マッピング開始!


 三Dワイヤーフレーム展開!

 現在地からミラーハウスまでの、階段を使った最短ルートを検索!

 該当のフロア部分及び階段を動線に設定、ルートにマーカーを敷設!


『うおおおおっ! 何だ、この詳細でわかりやすい立体マップは! しかも、ここから目的地のミラーハウスまでの道のりに、くっきりと赤い線が引いてある!』


 俺の脳内マップを覗き見たエヌマは、極めて説明的なセリフを吐いた。


(どうだ! 神をも、説明キャラ化させてしまう、俺の圧倒的マッピングスキル!)


『……わ、我、説明キャラ?』


(細かいことは気にするな。それより、さっさと領域を展開しろ。痛いセリフもすでに考えてある)


『ぬぬぬ、わかった。だが、次に我を呼ぶときは、必ず、を定めておくのだぞ。よいな!』


(ああ、わかった。――超速思考、解除!)


 瞬間、世界に音が戻った。


「話はついた。これから、ヤツを誘導する動線を引く」


 俺はみゆきの方を振り返って言った。


「わかった。わたしは何をすればいい?」


「離れとけって言っても、どうせ、聞かねんだろ?」

「うんっ」


「じゃあ、こうするしかねえじゃんか」


 俺はそう言うと、みゆきの手を握り締めた。


 返ってくる確かな応力。


 サンキューな。

 お前が横にいると、ほんと、勇気出るわ。

 

 みゆきの手の温もりを感じながら、俺はもう一方の手のひらをフロアの奥に向けた。


光明ひかりよ、退しりぞけ! 白日の理はここについえ、万象、黒き静寂しじまに沈むだろう。――開け、無人の廃廊はいろう! 生ある者を拒絶する昏き旅路を我が前に示せ!」


 周囲の一般客の奇異な視線を集めながら、俺は全力で痛い呪文を唱えた。


領域展開テリトリー・エクスパンション!」


 その途端、空間が大きく脈動するように歪んだ。


 薄墨を撒いたような魔のかげが、俺とみゆきを包み込む。

 さらに、その翳がショッピングモールの床をまるで一本の道のように切り裂いた。


「うわ……何か、ゾワゾワってきた」


 みゆきは、わずかに身震いすると、自分の肩を抱きしめた。


 領域が持つ「人払い」の効果だ。

 普通の人間は、本能的にこの空間に忌諱を感じる。


 領域展開が終わると、すぐに人の流れが変わった。

 ショッピングモールの中のすべての人間が、領域を避けて歩き始めている。

 

「よし、いくぞ!」


 すぐそこに、ミラーメソが迫っている。


 俺たちは手を取り合って、無人の回廊を走った。

 さらに、階段を一足飛びに駆け上がる。


 二階、三階――。


「はあ、はあっ。――ちょ、ちょっと、待ってくれ」


「んもう、かおるくん、体力なさすぎ!」

「るせえ。オタクに体力はいらねえんだよ!」


 みゆきの冷ややかな視線を浴びながら、俺は息も絶え絶えに階段を上った。

 そして、ようやく、ゲーセンのある四階に辿り着く。


 映画館とセットになっているアミューズメントスペースは東西に長い。

 そして、ミラーハウスは一番奥まった場所にある。


「はあはあ……。あと、ちょっとだ」


 俺たちは、人払いされた領域を駆け抜けた。


 俺たちが走るルートの両側――領域の外は、たくさんの一般客で賑わっている。


 特に、目につくのは、クレーンゲームで遊んでいるカップルの姿。


 くそ、ここはリア充の巣窟だった。

 本来、俺にとっては、超アウェイな空間だ。


 ……いや、まてよ?


 俺は並んで走っているみゆきの横顔を見た。

 俺を「好きだ」と言ってくれた可愛い幼馴染。


 ちょっ、よく考えたら、今日から、俺もリア充じゃん!

 もう、一人悲しく、ガシャポン回して帰ることないじゃん!


「ふふ、うふふふ」


「どしたの? かおるくん」

「いや、なんでもねえ」


 危うく、忘れるところだった。

 俺はいま、自分の黒歴史から生まれた化け物に追われている身の上だ。


 みゆきといちゃラブする前に、ミラーメソを調伏しねえと!


「よし、あそこだ!」


 通路の突き当り近く、目指すミラーハウスが見えてきた。


 記憶の中にあるものより、小ぶりな感じのボックスタイプ。


 入口は、腰の高さくらいの位置にあるバーで塞がれている。

 隣の料金箱にコインを入れると、バーが引っ込んで中に入れる仕組みだ。

 入場料は、一人三百円。


「やばっ。みゆき、ジャラ銭、持ってる?」

「えっ? ちょ、ちょっと待って」


 俺たちは財布を引っ張り出すと、百円硬貨を出し合った。


 俺が一枚、みゆきが五枚。

 合わせて、ちょうど六百円。


「みゆき、先に行け」


 俺は料金箱にコインを三枚投入すると、みゆきをミラーハウスに押し込んだ。


 次は、俺だ。

 続けざまに、三枚投入。


 しかし、入り口のバーは引っ込まない。

 見ると、返却口に百円玉が一枚戻ってきていた。


 回収して、何度も投入したが、どうしても受け付けてくれない。


「くそっ、こんなときに!」

「かおるくん、後ろ! 来てる、来てる!」


 みゆきに声に急かされて、俺は後ろを振り返った。


 ――まずい!


 もう、こうなったら、緊急避難というやつだ。

 最後の百円玉を返却口に残したまま、俺はバーを乗り越えた。


「みゆき、奥行け、奥っ!」

 

 ミラーハウスの奥行きは、わずか、五メートルほどしかない。


 だけど、俺たちが中央付近に陣取れば、ギリでミラーメソの全体をハウスの中に入れられる。


 そうすれば、あいつは力を失うはずだ。


 しかし、それは完全に計算外だった。


 ガシャン! バリバリバリ……、ガシャン!


「なっ、何が起こった!?」


 振り向くと、ミラーメソがミラーハウスの壁を破壊しながら迫ってきていた。


 ――ちょっ! なんで、鏡が割れてんだよ!


 ここまで、どんな障害物も通り抜けていたミラーメソ。


 それなのに、何が起きてる?


 まさか――!


「かっ、鏡に干渉してやがる!」

「きゃあああっ!」


 つんざくような音とともに崩れていくミラーハウスに、領域の外の一般客もパニックを起こしている。


 計画は完全に破綻した。


 このままじゃ、ミラーメソを鏡の部屋に封じ込めるどころか、割れた鏡の破片で俺たちの方が切り刻まれる。


「みゆき、プランBだ。とにかく、屋上までいくぞ!」


 俺はみゆきの手を取ると、反対側の出口に走った。


「プ、プランB? 今度は、何?」


 それはだな……。


 すまん、今から考える。




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【あとがき】

お読みいただき、ありがとうございます。


次回、第十一話「召喚の言霊」


屋上に追いつめられた、かおるくんとみゆきちゃん。

絶望的な状況の中で、かおるが叫んだ神との契約を示す言霊とは?

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