第九話 涙の逃避行
バスを降りた瞬間、風景が変わった。
あべこべになっていた世界が、全て元に戻った。
「――わっ!」
「戻った?」
俺とみゆきは思わず、あたりを見回した。
犬に首輪をつけられて散歩していたおばさんも、革靴に両手をつっこんで逆立ちして歩いていたおじさんも、何もかも元通りになっている。
「ミ、ミラーメソは――!?」
バスの方を振り向くと、車体の表面がキラキラと輝いていた。
ミラーメソの外観は不明。
何故なら、俺が考えたミラーメソは概念の怪物という設定だったからだ。
つまり、『暗黒の創世記』では、姿形は定義されていない。
だが、現実世界に顕現するには、存在の形が必要となる。
「まさか、これか……?」
「うーん、ちょっと、きれいかも」
バスの車体を覆った虹色のキラキラ。
それがミラーメソの実体化した姿のようだ。
――なるほどな。
俺の考えたミラーメソの設定イメージを外観に落とし込むとしたら、確かに、ああいう形になるだろう。
どうやら、俺が『暗黒の創世記』の中で定義していない設定は、その他の設定から、自然な形で補完されるようだ。
と、俺が納得した、そのときだった。
呑気にミラーメソの姿を眺めていた俺たちの目の前で、バスが発進した。
しかし、虹色のキラキラはその場に残っている。
「……なんだ?」
バスの抜け殻のような形になったミラーメソ。
しかし、それはすぐに形を変え、球体を形成し始めた。
「やばい! 来るぞ――」
俺たちが走り出すのと、ミラーメソの変形が終わるのは、ほぼ同時だった。
大きさは、直径三メートルといったところ。
外観はミラーボールに似てるが、その造りは驚くほど細かい。
まるで魚鱗のように並んだ小さな鏡のピースが、光を虹色に反射している。
それが、ゴロゴロと転がるように、ゆっくり、俺たちに向かってきた。
「ちょっ、大玉転がしかよ!」
「きゃあああ! 来てる来てるっ!」
俺はみゆきの手を引いて、JRの駅ビルの方に走った。
大声をあげながら走る俺たちを見て、道行く人が何事かと目を止める。
ミラーメソは、その人たちや、ベンチや花壇などの障害物を透過して、一直線に俺たちの方に転がってきていた。
当たり判定はないのだろう。
ミラーメソの通ったあとも、特にモノが倒れたり壊れたりはしていない。
ただ、本体に触れたり透過された人は、みな一様に、口元を押えてゲロを吐いている。
ミラーメソの概念攻撃を食らって酔ったのだ。
「やだ、もおっ! かおるくんのばかああっ!」
「なんでだよっ!」
みゆきは後ろを指さした。
見ると、俺たちの通ってきた道が、ゲロだらけになっている。
「あれ、見てよ! 変な設定ばっかり、作るから!」
「お、俺のせいか!?」
「かおるくんと一緒に歩いてく道は、もっと、こう――」
すまんな、希望に満ちてなくて。
ていうか、ゲロに満ちてて。
「それより、これから、どうするの?」
「駅ビルの四階に、ゲーセンがあったろ。そこのミラーハウスに行く」
「ミラーハウス?」
「ああ、ミラーメソをその中に誘い込む。鏡の中に閉じ込めれば、あいつの鏡像概念は反転して消失する」
鏡像反転による概念の消失――『暗黒の創世記』の中に記述したミラーメソの弱点だ。
「そのあとは?」
「調伏して、俺がミラーメソの主になる!」
そう宣言した途端、みゆきがぷっと吹き出した。
「か、かおるくんてば」
そして、それを皮切りに、大きな声で笑い出す。
「あはは、だめ、お腹痛い」
こら、止まるな。
まったく、怒ったり笑ったり、忙しいやつだな。
「なんで、そこで笑うんだよ? てか、走れ。ミラーメソがそこまで来てる!」
「あはは、ミラーメソ。その名前、言っちゃダメ。つぼった、あははは……」
「なんでだよっ!」
俺は涙をぬぐうみゆきの肩越しに、ミラーメソの方を見た。
ここまで全力で走ってきたおかげで、かなり、距離はかせげた。
思いのほか、ヤツの足は遅いらしい。
だが、このまま、止まってるわけにはいかない。
「ほら、みゆき。走るぞ!」
「う、うん……ぷっ、あははは」
みゆきは横腹を押さえたまま、俺についてくる。
「だって、かおるくん。あれ、最初は、鏡男でミラーマンだったの覚えてる?」
「ああ、それが、どうかしたのかよ!」
喋りながらの逃避行。
「そ、それがさ、ちょうど『X-MEN』の映画流行ってたときで、マンをメンに変えて、あははは……」
くそ、確かに消しゴムで消して書き直したよ。
ミラーマンをミラーメンに。
そっちの方が、グッと来たからな。
「でさでさ、そのころ、かおるくん、二ちゃんねるのオカ板にもハマってて……あはは、無理っ、お腹痛い」
おい、笑いすぎだ。
「ミ、ミラーメンを、ミラーメソにっ……あははは、だめっ、もうやめてっ」
「うるせーな、人の黒歴史、掘り起こして、笑うな!」
「だ、だって……あはは、かおるくん、映画見過ぎっ、二ちゃん見過ぎっ……あははは」
まったく、いい根性してるぜ。
この状況で、自分で言って、自分で受けてる。
――でも。
俺、やっぱり、こいつ好きだわ。
なんだかんだ言いながら、ずっと俺を受け入れて、俺の恥ずかしいところも厭なところも、いい感じで笑い飛ばしてくれる。
大事にしねえとな……。
笑いながら、涙を拭いながら、それでも俺と一緒に走ってくれるみゆき。
その横顔を目に焼き付けると、俺はもう一度前を向いた。
------------------------------------------------
【あとがき】
お読みいただき、ありがとうございます。
みゆきちゃん、今回もヒロイン力全開ですね!
書いてて、こんなに楽しい子、なかなかいないです。
次回、第九話「ミラーハウス」
ゲームセンターのミラーハウスに、ミラーメソを誘い込むかおるたち。
そのとき、何が起こるのか――?
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます