第11話 降臨
険しい山道を越え、魔力の濃い森を抜け、クァイヤとジェネリはほとんど疲労困憊だった。だが、アロクシロの街が視界に入った瞬間、二人は胸を撫で下ろした。
夕日を浴びるレンガ造りの建物、遠くから聞こえる祭り太鼓、商人たちの呼び込み。山奥の静寂とは対照的な、生活の息吹がそこにはあった。
「やっと文明に戻ってきたぁ~!!」
最も喜んでいるのは、ほとんど戦闘に参加しなかったニッチである。
ジェネリが眉をひそめる。
「あなたほぼ歩いただけでしょ! 魔物の大半はクァイヤとあたしが――」
そんな騒がしいやり取りも、アロクシロの街並みに吸い込まれていく。
だが――このとき三人はまだ知らない。
ニッチが“隠れ住んでいた村”に、前代未聞の現象が起こっていたことを。
***
ニッチが去ったあの村。
太陽が傾きはじめ、人々が夕餉の支度を始める穏やかな時間だった。
空が――音を立てて裂けた。
最初は、耳をつんざくような黒雷の一撃だった。
ドォオオオオ――ンッ!!
地面が震え、家々の窓がガタガタと鳴る。
村人は皆、鍋を落とし、畑仕事の手を止め、一斉に空を見上げた。
「な、なんだ!?」「雷か!? いや、雲ひとつないぞ!」
空に巨大な魔力陣が形成されていた。
村の誰も見たことのない異様な紋章。
まるで王都の儀式魔法を十倍にしたような禍々しい魔力。
そして――その中心が裂ける。
グワァァァァッ!!
「空が……割れた……?」
村人たちは恐怖に震え、逃げ惑うように家へ駆け戻った。
しかし、誰一人として“何が起きているのか”を理解できない。
この村は魔導師とは無縁の世界。宮廷魔導師の顔すら知らない。
裂け目から黒い影が降りてきた。
黒いマントに身を包み、黄金のバッジが胸元で光る。
――王国宮廷魔導師団。
村人はただ唖然としていた。
「な、なんだあれ……兵隊か?」「いや、見たことねぇぞ……!」
しかし彼らは村人に目もくれず、一直線に村の奥へ向かった。
その中心に立つ男――
冷酷な眼差しで村を見渡し、低く呟いた。
「クリスティア・ロブ、着地完了だ」
アコロの直属二番弟子。
神童と呼ばれ、宮廷魔導師の席を最年少で手に入れた怪物。
ロブの後ろで、部下のピアが頭を下げる。
「ロブ様、目標の居住地はあちらです。村の奥……“例の悪魔”が最近まで潜伏していた家です」
「案内しろ」
二人は村人の驚愕の視線の中を通り抜け、古びた家の前に立った。
ニッチが何年も住み、隠れ住んでいた小屋。
ロブは何の迷いもなく、右足を振り上げた。
――ドガァッ!!
扉が吹き飛び、家中に木片が散る。
しかし、そこには誰もいなかった。
家具は少なく、質素な暮らしの跡だけが残っている。
「……逃げている最中、か」
ロブの声は抑揚がない。
だが、その瞳には冷たい怒りが渦巻いていた。
「ロブ様、まだです。……これを」
ピアは床に落ちていたニッチの古い服を拾い上げた。
汚れ、ほつれ、長く着られた跡。
「残留妖精がいます。呼び出します――」
淡い光と共に、小さな妖精が姿を現す。
ボサボサ頭、汚れた羽、だらしない表情
“逆監視妖精(トラッキフェアリー)”だ。
「うぃ~……あぁ? なんだよてめぇら……」
ピアは躊躇なく魔力をぶつける。
「持ち主はどこだ。匂いを追え」
妖精はビビリつつ、鼻をクンクンと動かし――
「ふむ……山だな。あっちのでっけぇ山を下って……今頃は麓の街のどれかのはずだ」
ピアは頷き、ロブへ報告する。
「確認しました。ニッチは山を越え、麓へ向かっています」
「麓には四つ街があったな」
ロブは手を後ろで組む。
「各隊はエブロフ、マチドリ、アコゴン。その三方向へ散開せよ。
私の隊はアロクシロに向かう」
「はっ!」
次の瞬間――
宮廷魔導師団は再び黒雷をまとい、空へ舞い上がった。
村人はただ言葉を失ってそれを見るしかなかった。
「……なんだったんだ今の」「雷の神か?」「悪いことが起きなきゃいいが……」
ただ不吉な胸騒ぎだけが、村に残った。
***
一方そのころ――アロクシロ。
駅受付所で、ニッチが叫んでいた。
「10万ef!? 高すぎるだろ!!」
受付嬢は呆れ顔で言い返す。
「ですから! アロクシロからネオニュールへの高速魔導列車は最低10万efなんです!格安ルートはありません!」
「貨物列車でもいい! 荷物の隣でも下でも上でもいいから!」
「安全上、貨物には乗れません!!」
ジェネリは大笑いし、クァイヤは頭を抱えた。
「……ニッチ。文明の値段は高いぞ」
「知るか!! 王国はいつの間に金銭感覚を狂わせたんだ!!」
そんな喧噪の中――
遠くの空で、黒雷が、一瞬光った。
クァイヤは振り返る。
「……今、光らなかった?」
しかし、その黒雷こそが――
彼らの運命を大きく変える“追跡者”の影であることを、まだ誰も知らない。
アロクシロに、ロブが向かっている。
最悪の遭遇まで、あとわずか。
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