第2話 戦士ゴウ【惨劇】
命がけの旅を終え、この世界で最も誉れ高い偉業を成し遂げた男が故郷への道を歩いている。
――――なのに、足が重い。
褒美の財宝が乗った荷車のせいではない。
空気が粘り気を帯びて、体にまとわりついてくる。初夏を迎えた白い日射しも、常にだれかの視線に晒されているように思えた。
「へっ、世界が敵になりやがった」
憎々しげに呟くと、ゴウは足下の小石を蹴飛ばした。
「ヤなこと言うんじゃないわヨ」
となりを歩くジョシュアが口を挟むが、いつもの軽口に覇気がない。
「あぁ、すまん。つい、な」
「女神様の罰が当たりますよ?」
荷台に乗っていたマーブルも降りてきて、三人は並んで歩いた。
「見えたぜ。俺の故郷のラギリ村だ」
小高い丘の上に差し掛かると、眼下に小さな村が現れた。
林と平原の境に広がり、木と石の背の低い塀で囲まれている。奥には林を切り開いた小麦畑があり、収穫間近の黄金色を揺らしていた。
「寄ってくか? 村人総出で歓迎するぞ?」
「せっかくだけど。ゼインの葬儀でドムリアに滞在しすぎたから。もうゆっくりしてられないワ」
「別れづらくなるのが怖いんですよ、ジョシュアさんは」
マーブルに笑われ、ジョシュアは「んなッ!」と顔を赤らめた。
が、否定することはなかった。
「俺もわかってたぞ? 三年も旅してたんだからよ」
「そうネ。三年、いっしょにいたのよネ」
「はい。ながいようであっという間で、でも、とても大切な三年間でした」
三人は同時に泣いた。
さっきのような暗い涙ではなく、限界まで走ったあとの汗に似た、今この場で必要な涙だった。
「お前らは絶対につまらねぇ死に方すんなよ! 俺はこの国の将軍になることが決まってんだ。権力使って動向探るからなっ!」
「あらあら。旅の賢者を見つけられますかしらン」
「わたしは魔法学校で教師になるつもりです。なにかあったら手紙をください。わたしは、なにもなくてもっ、書きますからっ」
肩を抱き合い、互いの存在を確かめる。
どの胸も足りないひとりの空白を感じながら、記憶の中から在りし日の姿を呼び起こし、輪の中に加えた。
「んじゃあ、気をつけてな」
ゴウはむずがゆい嬉しさを噛み締めながら、仲間の背中が見えなくなるまで見送った。
「シャンとしろ、戦士ゴウ」
頬を叩き、気持ちを持ち上げた。
仰々しく荷車を引いて丘を下りると、子どもたちがいち早くこちらに気づいた。
「ゴウだ!」「ゴウにいちゃんだ!」
「お前ら元気だったかー? ラギリ村の英雄ゴウ、ただいま帰ったぜぇー!」
分厚い胸板をドンッと鳴らし、駆け寄る歓迎を受け止めた。
子どもたちは財宝や背中の大剣に目を輝かせ、周りを子犬のように歩いた。
「おぉ、ゴウ!」
「おかえり、ゴウ!」
騒ぎに気づいた大人も集まり、ゴウは懐かしい顔ぶれに囲まれた。
「帰ったぜ、みんな」
「本当によくやったな。でも……勇者様は」
歓迎が一変、気まずそうに下を向く村人たちに、ゴウはひと際強く胸を叩いてみせた。
「あいつが望んだのは平和で明るい世界だ。せっかく帰ってきたんだから笑ってくれよっ!」
ガハハッと笑う声にはまだ穴が開いてる。
けれど村人を誤魔化すには、じゅうぶんだった。
「ゴウ!」
懐かしくてたまらない声がした。
目をやると記憶より年老いた両親が、涙を浮かべて歩み寄ってきていた。
「父ちゃん、母ちゃん」
土だらけの手に抱きしめられると、ゴウの顔はくしゃくしゃとしぼみ、子どものような涙が流れた。
「ありがとう、みんな。そうだ、リリはどこだ?」
また顔つきを改めると、ゴウは愛する幼馴染の名を呼んだ。
両親たちとの再会も嬉しいが、やはり一番欲しいのは旅の支えでもあった未来の妻による抱擁だった。
「あっ、えっと」
「この時間だと畑のほうか。ひとっ走りいって驚かせてくるか!」
「よ、よく聞けゴウ」
父親がしわがれた声をかけると、ゴウの背にざっと鳥肌が立った。
「リリは、死んだ」
土から出たばかりのセミの声が、やたらに大きく聞こえる。
頭の奥が揺れた。体に力が入らなくなったゴウは、呆然としたまま膝から崩れ落ち、動けなくなった。
――――――――
日が落ち、夏の夜空が広がる。
星と松明の明かりに照らされたラギリ村は、重い静寂の中にいた。
「ゼイン……リリ」
ゴウは実家の隅で寝込んでいた。
夜がこんなにも寂しく、暗く感じたことはない。
「ゴウは? なんか食ったか」
「い、いんや。水も飲まずに寝込んどる」
「相当弱っとるみたいよぉ」
隙間のある木戸の向こうで両親がだれかと話している。
相手は兵士として国境の砦で働く、兄のゴアだった。
しばらくすると戸が開き、ゴアが入ってきた。
背格好はゴウとよく似て屈強。髭と頬の傷が、いくらかの貫禄を与えている。纏う鎧は一般兵士のものではなく、上級兵のものだった。
(さすが兄貴……出世したんだなぁ)
気持ちとは裏腹に声が出ず、腕すら持ち上がらない。
自分の醜態にいよいよ呆れかえり、ゴウは目を閉じた。
『なぁ、ゴウ――――』
その一瞬で、ゴウは短い夢を見た。
旅の途中。立ち寄った村のどれかで、酒を飲んでいたゴウにゼインが声をかけていた。
『起きてるときのお前は最強の戦士だけど、人間は寝てるとき無防備になる。だから、飲み過ぎて寝込みを襲われるようなことはやめてくれよ? 無防備なときこそ警戒を怠らないでくれ』
このときのゴウは「寝てるのにどうやるんだよ」と笑った。
ゼインも笑い返していたが、目は真剣そのものだった。
『なんにせよ、お前がいないと僕が困るんだ。一番最初から旅をする親友だからさ』
くすぐったいことを平気で言うものだから、ゴウはそれ以上酒を飲まなかった。
「でもそうだな、ゼイン。一番無防備なときこそ警戒しなくっちゃあな――――」
夢から覚めると同時に、ゴウの肉体は覚醒した。
そして、目覚めた耳が音を拾った。
剣が抜かれる殺意の音を。
ゴウはとっさに転がって剣撃を躱し、そのまま壁を殴って破壊。外へ逃げ出した。
「もう、このくらいじゃ驚きもしねぇぜ」
寝間着姿のまま苦笑を浮かべ、開けたばかりの穴を睨んだ。
「とんだ歓迎じゃねぇか。兄貴の偽物か?」
「馬鹿がっ。大人しく殺されてりゃいいものを」
バキバキと音を立てて、外壁の木板が壊されていく。
現れたのは、まぎれもなく本物の兄だった。
「なんで殺そうとしたのか、聞いてもいいか? 兄貴、順風満帆だろ?」
「だからだよ。オレは今や周辺を管轄する砦長。ラギリ村の頂点はオレなんだ。今さらお前なんていらねぇんだよ!」
嫉妬か。くだらねぇ。
実の兄に冷めた視線を送ると、ゴアは剣を構えて突っ込んできた。
「数百の魔物を斬った最強剣! くらえやあ!」
勇ましく振り下ろした剣は、かすることすらなかった。
間髪入れずに攻め立てるも、ゴウは最小限の動きで躱し続ける。
「ちょっと頭冷やせよ」
固く握った拳は鎧を砕き、兄を殴り飛ばした。
何度か跳ね、地面を転がり、血を吐いたところでやっと止まった。
「たしかにこの辺りの魔物は相手にならなかっただろうなぁ」
のそのそと歩きながら、血を分けた兄弟を見下ろす。
返ってきた視線には、驚愕と隠しきれない怯えがあった。
「でもよぉ」
兄には弟が、実物よりも数倍大きく見えた。
「魔物程度でふんぞり返ってるやつが、魔王倒した男に勝てるわけねぇだろう」
ついに決壊した恐怖が、ゴアの全身を震え上がらせた。
圧倒的な威圧感を前に、体と夜空の境目すら曖昧に見える。
「でも兄貴に殺されかけるなんてショックだぜ。だからもうちょい仕返ししてもいいよな?」
「やめてっ!」
金切り声と共にひとりの女性が飛び出し、ゴアを庇うように覆い被さった。
その姿に、ゴウは言葉を失った。
「リ、リ?」
死んだと言われた幼馴染が、目の前に現れた。
だが婚約をしていたはずの恋人は、自分を殺そうとした兄に寄り添っている。
「お、お前、死んだんじゃ……い、いや、それよりも離れろっ。兄貴は俺を」
「結婚したの。あたしたち」
――――ビギッ。
自分の中のナニカにヒビが入る音を、ゴウはハッキリと聞いた。
「だってゴウ、無事に帰ってくるかもわからなかったから! ゴアはどんどん出世したんだもん!」
四天王との最終対決で追い詰められたとき、ゴウはリリの笑顔と「帰りを信じて待ってる」という言葉を思い出し、残された力を振り絞って勝利した。
そんな誇らしかった奇跡が、今は哀れな道化に思えてくる。
「リリを死んだことにしてヤケ酒飲ませて、毒で殺す算段だったんだけどな。お前は勇者の仲間に選ばれたが、リリに選ばれたのはこのオレだ! そしてそれはリリだけじゃねぇ!」
ぞろぞろと気配がした。
鍬や鎌、手入れもろくにしていない剣を持って、大人たちが周囲を取り囲んでいた。
「す、すまねぇなゴウ」
「ゴアさんのおかげで他所の村も、おらたちの言うこと聞くんだ」
「ゴアはあんたが旅してる間、ずっと魔物から守ってくれとったんだよ」
幼いころから顔を知る村人の言葉が、薄刃となって心に刺さる。
拗らせてしまった田舎の権力構造と団結力がどれほど狭小なものか、世界を見てきたゴウはよく知っていた。
自分が比べ物にならない地位を手に入れることを知らないのだろうか。今教えてやったら、この連中はどうするのだろう。
わずかに巡っていた思考も煙のように消えた。
背後の実家から両親の殺気を感じたことによって、正義の熱はすべて心の水底へと沈んだ。
「マーブル、ジョシュア……やっぱりこの世界は俺たちの敵だよ」
ふらふらとした足取りで、ゴウは自らが空けた穴の中へと戻っていった。
攻め時を知らない視線が集まる中、戦士は再び現れた。
鮮血滴る大剣と両親の首を持って――――。
「こ、殺せぇ!」
だれかが叫ぶと、ゴウは首を宙に放った。
視線が逸れた隙に剣を構え、轟音響かす横薙ぎを振るう。すると切れ味を孕んだ風が吹き荒れ、村人を真っ二つに切り裂いた。
「ぎゃあ!」「ひいっ!」「うわああああああ!」
恐れおののく顔の前にたった一歩で距離を詰め、次から次へと叩き斬っていく。
やがて二分とかからず、ラギリ村は血の海と化した。
残りは身を寄せ合うゴアとリリのみ。
「う、うおおおおわあああああああ!」
ゴアは渾身の力で剣を突き出した。
磨き研がれた切っ先は、寝巻の向こうの腹を捉えた。
「…………え?」
が、動かない。
どれだけ力を込めようと、肌に傷をつけることすらできない。
それどころか腹筋に力を入れられただけで、自慢の剣は折れてしまった。
「ま、待て、悪かった。すまなかった弟よっ」
「ゴウ、ねぇ、あたし本当は親に言われて無理やり結婚させられたの。あたし、ずっとあなたを待ってた。愛しているのはあなただけっ」
「ふざけんじゃねぇ! 騙されるなゴウ! こいつは金と地位のためにオレを誘惑したんだ。オレが血迷ったのはこいつのせいだ!」
「ち、ちがう! この男が無理やり迫ってきたの! あなたのために守ってきた純潔を」
醜い、なんとも醜い。
共に育ち血を分けた兄弟が、一度は永遠の愛を誓い合った女性が、今は世界一醜い存在に思える。
これが俺たちが守った命か。
これが魔王を倒して得られたものか。
これが定められた運命だというのなら――――俺はもう、なにもいらん。
ゴウはひどく冷たい目でふたりを見た。
そして無言のまま剣を振り下ろした。
何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も何度も振り下ろして、ふたりの血と肉のちがいがわからなくなったころ、やっと手を止めた。
「ゼイン……俺……あいつらに会わす顔がねぇよ」
倒れた松明の火が村中に広がっていく。
燃え盛る炎に照らされながら、ゴウは虚空に向かってしゃべり続けた。
「あぁ、そうだな。あいつらには幸せになってほしいな……うん、うん、そうだったのか。じゃあ最後に一仕事するよ。なに、みんなの盾役が俺の仕事だからよ。お前の無念も、少しは晴れるようにがんばるぜ。だから……見ててくれよな、親友」
ふと穏やかに笑うと、ゴウは炎と闇の中に消えた。
――――
一週間後。
ゴウを将軍に迎えるため村を訪れた兵士によって、崩壊したラギリ村が発見された。
魔王を倒し勇者を支え続けた戦士は、林の奥でひとり冷たくなっていた。
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