6

歌舞伎町 路地



「思ったより早かったですね」


 権田原が呟く。その背後にスーツの男。


「けど残念ながら一歩遅い。私の仕込みは完了していますから」

「ならそいつ共々消すまでだ」

「楽しみにしていますよ。貴方か彼か、どちらが先にいらっしゃるか」


 パン、とサイレンサー越しのくぐもった銃声。権田原の左胸に赤黒い花が咲く。


「これでも、お前の事は部下として信頼していたんだがな」


 神経質そうな男の声が微かに揺れる。男が言い終わるのを待たずに、権田原の身体はズシャリと音を立てて地面へと崩れ落ちる。暗い路地、コンクリートの地面。じわじわと広がる赤黒い水溜まりを踏まないように、男が一歩後ろへと足を引く。

 依然広がり続ける権田原の血液の上、波紋を描いて落とされたのは、小袋に入った錠剤。権田原が配っていたダミーではない。当初の効能通りの、元来作られていた起爆剤ブースター


「ちゃんと調べてくれよ、魔捜さん」


 その場を離れながら、スマートフォンでメッセージを送信する。

 シュポッと短い音の後に、画面上に吹き出しが表示される。既読は付かない。男は数秒画面を見つめた後、それを尻のポケットに戻し、血溜まりの中に目線を落とす。じわじわと広がる赤黒い液体の中心、先程まで話していたその男は、もはや虚ろな眼光の蝋人形のようになっていた。



   ×     ×     ×



新宿区内 某所



「全部って言われてもねぇ。正直クスリのことも施設のこともあんまり知らないんだよね。私みたいな末端のガキにまでちゃんと詳細が共有されるような組織なら、それこそもっと早く足がついてると思わない?」


 面倒くさそうに杏花が言った。


「まあ、そうよね」

「だな。期待はしていなかったが」


 その言葉に有羽、ファイと続く。


「あれ、がっかりしないんだ」


 意外そうな顔でそう言ったのはアンリ。


「そもそも、あたしたちの目的は彼女の保護よ。情報が手に入るに越したことはないけど、それは最優先事項じゃないわ。……まあ、あなた個人の目的くらいは聞かせてくれないと困るけれど」

「それは全部終わったら話してあげるって兄貴にも言ってあるでしょ。その証拠に置き土産も置いてきたし」

「置き土産?」

「あれ、聞いてない?魔捜ってのも一筋縄じゃないんだ」


 一瞬、有羽が押し黙る。反論できなかった。


「あたし達は追跡者チェイサーだもの。あたし達の仕事は、兄さんの特定した犯人の追跡。捜査は管轄外よ」


 悔しさを噛み締めるように、言葉を飲み込んでそう言った。櫂は他人を信用しない。それは、実の妹である有羽も例外ではないのだ。有羽が部隊を持って魔捜に関わるようになってからも、櫂が捜査の上で信頼を置くのは自身の直轄の部下のみだった。有羽に任せるのは、あくまで仕上げの追跡の部分だけ。有羽には、それがどうしようもなく悔しかった。


「ふうん。適材適所、ってわけね」

「へ?」


 杏花の言葉に、有羽が呆けた声をあげる。


「あの兄貴の方には悪魔を捕縛できるほどの魔術出力は無いし、お姉さんは尋問が苦手ってさっき自分でも言ってたじゃん」


 スッと、胸のつっかえが取れるような気がした。


「ああ、そっか、そうね」


 櫂にも何度も同じことを言われていた。それでも拭いきれずにモヤモヤと胸を渦巻いていた劣等感が少しだけ希釈された、そんな気分だった。


「ともかく、だ」


 二人の会話を割くように、声を上げたのはファイ。


「まずは今後の方針だ。杏花、君はこのまま魔捜に捕まる気はあるか?」

「あるわけないでしょ。だからこそあんた達を頼ったんだ」

「なら次は有羽、魔捜への引き渡しは急ぎの要件か?」

「急ぎといえば急ぎだけど、思ったよりも早く合流できたからね。少しくらい寄り道をしても問題はないわ」

「どうやらそういうことらしい」


 ファイはそう言って一瞬有羽とアイコンタクトをした後、視線を杏花へと移す。


「君の依頼を終わらせてから君を魔捜に引き渡す。それで良いか?」

「良いも何も、私に断る理由はないよね。むしろ良いの?」

「僕も面倒ごとは嫌いだが、ここで君の依頼を無視したら、あのお人好しが黙っていないだろうからな」


 ファイに促されて杏花が視線を移す。その先には、満足げに笑みを浮かべるアンリが居た。


「さて、方針が決まったところで、早速君が逃げ回る理由わけを聞かせてもらおうか」


 その場に居た全員の視線が杏花に集中する。杏花は一瞬だけ居心地悪そうに視線を下げるが、すぐに顔を上げ凛とした表情を作る。


「私の目的はただ一つ。お父さんに会いたい、それだけだよ」


 よく通る低めの声。ハッキリとした聞き取りやすい口調でそう言いながら、杏花は反応を探るかのように、自身の前に立つ一人一人に順番に視線を送る。全員がそれぞれの出方を伺う中で、最初に声を上げたのはオリアスだった。


「なるほど、人探しならば妾の独壇場かのう」


 ニッと口角を上げ、まるで獲物を前にした獣のように瞳をぎらつかせる。よく研がれたナイフで全身を愛撫されているかのような冷たさが全身を通り抜け、杏花は思わず後ずさってしまう。


「待て、まだ子供だぞ」


 慌てて割って入るファイに、オリアスがじっとりとした冷たい視線を向ける。


「ほう。ならばぬしに何ができる?」

「それは……」


 言い返す言葉が見つからなかった。事実、ファイのストックに、人探しに使えるような魔術は一つもない。オリアスのダウジングをこの場でコピーすることは可能だが、ファイのそれは精度や練度までオリジナルのままコピーできるような便利な代物ではない。あくまで術式の構造を読み取って時間差で出力させるだけ。とてもじゃないが、会ったこともない、どこに居るかもわからないような人間を探し出すような事はできない。


「そんな顔をせんといてくれ。別に主を責めるつもりは無かったんじゃ」


 悔しそうに俯くファイに、オリアスが困ったように笑って声をかける。


「妾とて人間は好きじゃ、命までは取らんわい。……とはいえ貧弱なハーフのわっぱじゃからのう、血や肉では釣り合いが取れん。……そうじゃ」


 オリアスはそう言うと、何かを思いついたかのように視線を杏花の方に移す。


「記憶なんかはどうじゃ?」


 不適な笑み。舐めるような視線が杏花を刺す。しかし、先ほどのぞくりと肌を撫でる悪寒に比べれば幾分かマシであると、その視線を真正面から受けながら杏花は考えていた。


「例えば?」


 交渉の余地はある。それが杏花の出した答えだった。


「主の人生で最も幸福な記憶、とかでどうじゃ」

「生まれてこのかた幸せだった事なんて無いけどね」

「大事なのは質と量じゃ。質が低いならば、その分量が必要にはなる。じゃが、まあ見た感じ良質なものもあるようじゃからの。生きるのに必要な部分が抜け落ちるようなことはなかろう」

「ふうん、悪くはないね」


 そう言って考え込むようなポーズをとった瞬間、杏花のジャケットのポケットの中でスマホが振動する。一度きり短いバイブレーション。恐らくメッセージの受信だろう。


「ごめん」


 一言そう言って画面を確認すると、予想通りロック画面に通知が来ていた。

 ふう、と息を吐き画面を閉じる。その瞳に映るのは微かな焦燥感。


「あんまり時間とってられなくなったみたい。その条件でお願い」


 きっぱりと言い切るその声に迷いはない。


「良いのか?それは多分、君を君たらしめる記憶だろう?」

「いいよ。もとよりここには全部捨てるつもりで来てる」


 従順な駒ではなくなった自身に利用価値などないことくらい、もちろん杏花にもわかっている。施設の意に反して動き始めた時点で、自身が消される可能性も考えていた。それは目的を果たせるのであれば命を賭すという、覚悟という言葉で覆い隠した諦観である。

 そんな杏花にとって、オリアスの提案はこれ以上ない好機だ。悪魔は契約を重んじる。ここで記憶を差し出して契約が成立すれば、彼らは依頼を遂行するまでは杏花の身の安全も守らなくてはならない。記憶の抜け落ちた彼女が彼女のままで居られるかわからない点を差し引いても、これは彼女にとって、リスクよりもリターンの多い賭けなのだ。

 そんな杏花の覚悟を感じ取ったのか、それ以上ファイは何も言わない。代わりに、やれやれといった風に小さく息を漏らす。


「うむ、良い返事じゃ」


 よく通る鈴のような声。オリアスが杏花の瞳をまっすぐに見つめてそう言った。


「主の願いは主の父親を探し出すこと。対価は後払い、妾の働きと結果に応じて同質量の記憶を頂戴する。以上の内容で問題ないかえ?」

「うん、いいよ」

「承った。ここに契約を締結する」


 オリアスの足元に黄金の光。立ち上る光の中で、オリアスの赤い瞳だけがゆらゆらと揺れている。


「へ?」


 ふと、左手の甲に違和感。見やれば、オリアスを包むのと同じ黄金の光が杏花の手の甲に五芒星の印を刻む。


「悪魔との契約は初めてか?」


 杏花の様子に、ファイが不思議そうに問いかける。


「そりゃあね、これまでは自分の親しか知らなかったから」

「そうか、まあ、この町以外の人間ならそれが普通か」


 まるで「そんな人も居るよな」とでも言いたそうなくらいに他人事である。彼らにとっては悪魔と共生して生きていることの方が当たり前なのだと、杏花は改めてこの町の異常さを思い知った気がした。


「平たくいえば、差し押さえ印みたいなものだな。契約がなされて対価を支払うまでは消えない。もちろん、対価を払わずに逃げるようなことがあればその印が君を殺す。悪魔に魂を売るというのはそういうことだ」

「ふうん」


 なるほど、と一瞬納得しかけたが、杏花の頭の片隅に疑問が浮かぶ。


「お兄さんには無いの?」


 杏花の見つめる先、ファイの左手にはそれらしい印が見当たらない。使役している場面を目撃している杏花にとっては当然の疑問だ。


「先払いで貰っておるからの。まあ、先祖代々のお得意様じゃし、こやつはツケを払わず逃げるような愚かな真似はせんという信用もある」

「信用……」

「人と人との契約と同じじゃよ。こやつがコツコツと妾との契約を守ってきた結果じゃ」

「そっか、よくわかんないや。……けど、信頼ってその響きは、ちょっとだけ羨ましい」


 そう言って杏花は寂しそうに笑う。その意図が読み取れずにぽかんとした顔をするオリアスの後ろから、有羽が会話に割って入る。


「これからよ。そんな関係、これからいくらでも作れるわ」


 高飛車な彼女らしからぬ、暖かく優しい響きの声だった。

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