5

新宿区内 某所



 ピンピロリン、と賑やかな電子音が鳴る。着信音。アンリはホットパンツのポケットに入れっぱなしだったスマホに手を伸ばす。

 数秒、眉間にしわを寄せたままスマホの画面と見つめ合う。表示された名前はファイ。わざわざ電話をかけてくるのだ、何処かから魔捜とやり合ったことがリークされたと考えて良いだろう。

 さっき闘った男は追跡者チェイサーではなかった。追跡者と呼ばれる有羽直轄の部隊であれば、アンリが顔を知らないはずがないのだ。だとすると櫂の部下か。いや、あの問答無用の殺意はどちらかというと……。


「あんた、面倒なのに目付けられてるんじゃない?」

「何を今更。お姉さんもわかってるんでしょ、私が何者か」


 杏花の髪が風に舞う。長く重たい前髪の隙間から見えるのは、赤い瞳。


「混血ねぇ。魔術師の家系なら別に珍しくもないでしょ?そもそも魔術師の起源が大昔に悪魔と交わって生まれた人間なんだし」

「どこかで少し混じった程度ならそいつはほとんど人間だけど、私はそうじゃないのが半分以上入ってる。そんな私は、あいつらにとっては人じゃないんでしょ」

「そんなもんかね」


 いまいちよくわからないな、と付け加えながら前を向き直す。杏花もまた後ろをついていこうとするが、アンリの足に視線がいく。右足の太もも、その外側に、まだ新しい切り傷があった。


「それ、さっきの?」

「へ?……あ、そうかも。まあ、唾つけとけば治るでしょ」


 気にせず前進しようとするアンリを、杏花がその手を取って制止する。


「見せて」


 グイ、と思いの外強い力で手を引かれ、アンリが一瞬バランスを崩してしまう。倒れ込むように前に出した右足の傷口に、杏花が手を触れる。


「リパラーレ」


 杏花の長い前髪の隙間から赤い光が漏れる。彼女の唱えた呪文に呼応するように、手のひらから植物の蔓のような黄緑色の光が伸びる。それはうねうねと周囲に根を張り、アンリの傷を縫い止めるかのように覆い隠す。芽が出て、葉が伸びて、花が咲く。まるで幻想的な花畑のような光景に釘付けになっていると、その花の一つ一つが実を付けるように膨らみ、パンッと弾けるようにそれらは一際強い光を放つ。強烈な眩しさに目が眩む。一瞬の瞬きの後、再び太ももに視線を落とすと、そこにあったはずの傷は綺麗さっぱり消えていた。


「わ、すご。めっちゃ綺麗」

「これはお礼。貸しっぱなしは嫌だから」


 傷の消えた太ももに手を伸ばす。跡も痛みも全く無い。


「治癒、じゃないね。それなら傷跡や内出血は残る。再生か……、いや、無機物にも有効なら修復、ってところかな」


 じとりと目を細めてアンリが呟く。


「へえ、意外。ただの脳筋なんだと思ってた」

「そうだね、よく言われる」


 束の間の沈黙。アンリの意外な返答に、杏花は次の言葉に詰まってしまう。煽ったつもりだった。驚いたように変な声をあげて怒るものだと思っていた。ようやく少しわかりかけていたアンリという人間について、杏花はまたわからなくなってしまう。


「番犬、って言ってた」


 ぼそり、とかき消えそうな声で杏花が問いかける。


「あれ、知らない?うちの家の二つ名、みたいな?」

「ふうん、有名なんだ」

「らしいね〜。あんま帰ってないから家の事はそんなに知らないけど」


 飄々とした態度。あまりにも興味無さげなその態度に、思わず「自分のことでしょう」と突っ込みたくなってしまう。


「魔術師の知り合いが居るなら聞いてみなよ。良い話が一つも出てこないから」

「どういうこと?」

「要するに、この国の暗部さ。国を守るためなら犯罪すら厭わない、番犬というより狂犬だね」


 眉を下げ、困ったような表情でカラカラと笑う。その表情に混じるのは、自身の境遇に対する諦観と、役割に縛られる自身の家に対する憐憫。


「けどね、それを担うにはそれなりの実力と知識が要るんだよ。何せ、負けたら文字通り国が終わるんだ。あたしも、それになるべく育てられた」


 静かで、淡々とした声。どこか困ったような表情はそのままに、その視線はまっすぐに杏花を見つめている。


「それが、どうしてこんなところで便利屋もどきなんてやってんの?」

「大した理由はないさ。仕える相手は自分で選びたかった、それだけだよ」


 ふっと優しげな顔で微笑むアンリの背後で、コツンと小さな足音が響く。

 

「なら電話くらい出やがれ、馬鹿」


 振り返ると、巨大な紙飛行機から飛び降りたばかりのファイと目が合った。その後ろから有羽、オリアスの順に続く。


「一応聞いておくが」


 ファイは背後を振り返らないまま、彼の後ろで今しがた降りたばかりの紙飛行機に触れている有羽に問いかける。


「アンリと櫂とで意見が食い違った場合、お前はどちらにつく?」

「もちろん、あたしが正しいと思う方よ」

 

 三人を乗せていた巨大な紙飛行機は、今はもう有羽の手の中に収まっている。三人の視線は、アンリの向こう側にいる杏花へと向いている。


「嬢ちゃんのお目当てはあのわっぱのようじゃぞ」

「ええ、知ってるわ。前に一度会ってるから」


 有羽の姿を確認するや否や、臨戦体制に移ろうとする杏花。そんな杏花を制するように、アンリが前に出て彼女を背後に隠す。


「彼女を守ることが何を意味するかわかっているのか?」

「魔捜との対立でしょ?もうったから知ってるよ」

「それはつまり、現在魔捜の依頼を受けている僕とも対立するということだ」

「へえ、面白いじゃん。一度本気でやってみたかったんだよね」


 ふわり、とアンリの髪が揺れ、その口元がかすかに動く。瞬間、ファイの視界から彼女が消える。


「Blake」


 アンリが姿を消すと同時に、ファイが胸ポケットの手帳に手を伸ばしながら小さく呟く。その声に呼応して手帳は青く発光し、ファイの足元から魔力を帯びた鎖が生えてくる。その背後、姿を現したアンリをめがけて、鎖は急激にスピードを上げて襲いかかる。


「……!?」


 鎖を目視した瞬間、アンリがひょいと後ろに飛び退く。


「ほう、やっぱり知ってるんだな」

「魔捜ってそうか、あいつとも会ったんだ」


 「jump」と口元を動かしてアンリが再び姿を消す。目的物を見失った鎖は空中で一瞬動きを止めると、背後を振り返るファイの視線に追随するかのように、鎖帷子くさりかたびらにも似た壁を作る。カシャン、と金属のぶつかる音が響く。


「君の闘い方は知っている。何年見てきたと思ってるんだ」

「それはお互い様でしょ」


 アンリの伸ばした拳を、鎖で編まれた壁が受け止めている。アンリはぴょんと跳ねるように鎖から距離を取ると、再び姿を消してしまう。彼女を追随しようと動き出した鎖は一瞬動きを止めた後、カタカタと震えながら方向を転換する。


「Blake」


 すかさずファイがそう呟く。その目線は、鎖の動きを追ったまま。手元では、開いたままの手帳から一枚の紙が青い炎にも見える魔力を纏って消えていく。


「便利だな、これ」


 そう呟いたファイの視線の先、彼の頭上数メートルの高さで、アンリの両手足に彼女の背後から伸びた鎖が絡み付いている。振り解こうと身体を捩らせるが、宙吊りの状態ではうまく力が伝わらない。


「自動追従の向きと速度から、あたしのワープ先を目算したってわけ?」

「プラス、今日は未来視のバックアップも付いている」


 ファイの指差す先、ヒラヒラと手を振りながら笑うオリアスの瞳が赤く揺れている。


「なんだ、はじめからタイマンじゃなかったんじゃん」

「僕は一対一だなんて一言も言ってない」

「あーあ、勝てるわけないじゃん。降参だよ、こーうーさーんー」


 縛り上げられた手足の先をバタバタと動かしながら、アンリがつまらなさそうな声を上げる。

 

「何が降参だ。自動追従は君自身の魔力しか追わないんだ。本気じゃなかったのはお互い様だろう」


 パンッとファイが手を叩くと、アンリを縛っていた鎖が霧散する。くるり、とまるで猫のように身を翻しながら、アンリの両足が地面を鳴らす。


「あんた相手に武器は使わないさ。それはフェアじゃないでしょ?」

「僕相手にワープ一本で勝つつもりだとは、大した驕りだな」

「……やっぱナイフ一本くらい投げときゃよかったかな」


 軽口を叩き合う2人の後ろで、杏花がモッズコートのポケットの中に手を入れる。指先に触れるのは、起爆剤ブースターの入った小さな袋。


「やめた方がいい。現状僕には、君相手に手加減をする理由が無いんだ」

「手加減されなきゃ逃げきれないとでも?」

「ああ、そう言っている」


 数刻、ピリついた空気のまま時が止まる。両者とも物理的な動きはないが、視線だけは今にも破裂しそうな熱を孕んで絡み合っている。睨み合いの末、先に視線を外したのは杏花だった。諦観したように目を閉じて、ゆっくりと両手を頭の上に上げる。


「いいよ、わかったよ。最早逃げ続けるメリットもないしね」


 そう言いながら、敵意がないことをアピールするかのように、からっぽの両手をヒラヒラと振っている。その様子に、ファイも安堵したかのように息を吐きながら肩を降ろす。


「ようやく話ができそうだな。有羽、頼んだ」


 腕を組んだまま、背後で状況を眺めていた有羽が顔を上げる。


「全く、面倒なところは丸投げなのね」

「そもそもこれは魔捜の管轄だろう。僕の出張るところじゃない」

「苦手なのよね、尋問。相手が吐くまで待ってられないのよ」


 面倒くさそうに眉を寄せて杏花の目の前に立つ。背は有羽の方が少し高い。目線を合わせて屈むような事はせず、ピンと背筋を伸ばしたまま見下すような視線を杏花に向ける。


「悪いけど、あたしは兄さんと違ってせっかちなの。手短に頼むわよ」

「……その兄さんの方もかなり問答無用だったけどね。いいよ、私も痛いのは嫌いだし」


 かなり威圧感があるはずの有羽の視線を受け止めてなお、杏花の態度からは恐怖に類するものは微塵も感じない。それが彼女自身の度胸なのか、ただの虚勢なのかは側から見ているだけでは判断がつかない。


「それで、何が聞きたいわけ?」


 もはや太々しさすら感じる態度。顔は上げずに、目線だけを上に向けて長く重たい前髪越しに有羽の瞳を見つめる。


「全部よ。貴方のことや薬のこと、それから貴方の居た施設のこともね」

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