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同刻 新宿区内 路地 



 アンリと杏花の行手を阻むように、一人の男。パリッとしたスーツを着込んだ神経質そうな顔の男は、眉間に皺を寄せてアンリたちを睨みつける。


「一応聞いておくけど、あんたの知り合い?」


 男との間合いを測りながら、アンリは杏花に問いかける。


「いいや、知らない人」


 そう言って、杏花がポケットの中に手を伸ばそうとするのをアンリが制止する。一瞬、杏花の方をチラリと見て首を振った後、アンリは男の方に視線を移す。


「誰?悪いけど男の顔は覚えない主義なんだ」

「謝る必要はない、初対面だ」


 見た目通りの神経質そうな声。一歩間違えれば即戦闘に発展しそうな男の態度に、アンリは全身に力を入れて身構える。


「じゃあはじめまして、何の用かな」


 臨戦体制は崩さない。杏花を守るように少しだけ前に出ながらアンリは静かなトーンで応酬する。


「その娘を引き取りたい」

「理由が聞きたいね」

「言う必要はない」

「じゃあ断る」


 瞬間、場の空気が変わったのがわかった。男の眉間の皺が薄くなる。なんだ、こいつもこっちの方が得意なのかと、アンリもまた肩の力が抜ける。


「それならここで2人とも消させてもらうだけだ」


 銃声。その直後、アンリの口元が小さく動き、男の視界から2人が消える。


「消え……っ!後ろか!」


 振り返ろうとした男の背中に、アンリの蹴りが入る。


「テレポート……、腐っても番犬ってわけだ」

「あれ?うちの一族をご存知?有名になったもんだ」

「あぁ、有名なのは悪名だがな」

「そりゃあどーも!」


 銃声、と同時に再び視界から姿を消したアンリの蹴りを、男は難なく受け止める。


「有名になるってことは、そんだけ対策もされるってことだ」

「みたいだね」


 再び姿を消すアンリ。その転移先を男の視線が追う。


「転移先は、視線の先数メートル…!」


 軌道を予測し発砲する。周囲に響く銃声の直後、ヒットを確信した男の耳に届くのは、およそ人体が発するものとは思えない金属音。慌てて振り返った視線の先にあったのは、銃弾が掠ったと思われるへしゃげたナイフのみ。


「ナイフ……だと……!?」

「あれ?こっちは知らなかったか」


 驚愕する男の後ろから、再び強烈な蹴りが入る。男はバランスを崩し倒れ込みながらも、アンリに向けた銃口だけはぶれない。


「んー、見せなきゃよかったかなぁ」


 慌てた男は銃を連射するが、弾丸は全てアンリの足元に着弾する。


「ま、いいか。懲りずに当たらない弾撃ち続けるような奴なら知られたところで問題ない。jump」


 引き金を引こうとした男の指が空を切る。握っていたはずの拳銃は、いつの間にかアンリの手の中に収まっていた。


「お、良いの使ってんじゃん。一丁前に強化術式が組み込んである」

「貴様…!」

「jump」


 訳もわからないままアンリに突進する男の体が宙を舞う。


「あんたには宝の持ち腐れだったけどね」

「やめ、やめてくれ」

「バン」


 宙を舞いながら必死で命乞いをする男の頭を目掛けて引き金を引く。パンッと軽い銃声が響く。直後、ドサッと鈍い音と共に地面に倒れ込んだ男は、すでに意識を失っていた。


「殺したの?」


 ビルの隙間から杏花が顔を出す。


「いいや、空砲だよ」


 アンリが握りっぱなしだった手を開くと、パラパラと薬莢が地面に落ちる。


「あの一瞬で抜いたんだ。……それだけの能力がありながら、わざわざ相手を生かす理由は何?」

「別にこいつに対して恨みがある訳じゃない。殺す理由がない相手を殺せるほど、あたしは人間辞めてないから」


 ふーん、と興味なさそうに呟く杏花をよそ目に、アンリが男のスーツの中を探る。


「あった。……やっぱり」

「あった?何が?」


 男のスーツの胸ポケットからアンリが取り出したのは警察手帳。


「こいつ魔捜だよね。あんた、一体何者?」



   ×     ×     ×


歌舞伎町 トー横広場


 正直な所、レガリアにはもう「」が自身の元を訪れないだろうことはわかっていた。レガリアの魔力探知も無限ではない。彼がバーに戻った時点で、「彼女」のそれは探知できる範囲の外だったのだ。あの数分でそれができる人間を、レガリアは片手で足りるほどしか――人間じゃない可能性も考えるなら、両手ぶんくらいは居るかもしれないが――知らない。

 「彼女」を追いかけるべきか、おとなしく櫂の依頼を受けるべきか、どちらがより面白い結果をもたらすかを考えていたが、ほんの半日前に肇と喧嘩をしていたことを思い出す。「彼女」を追うなら肇の耳が欲しい。しかし、今は協力を得られる自信がない。ならば、とレガリアは仕方なく櫂の言っていた起爆剤ブースターの調査に乗り出したのである。


「あれ、レガリアさんじゃないッスか」


 広場の中央で片付けをしていた男が、レガリアに気が付き声を掛ける。


「やあ玲司、久しいね」


 派手なタトゥーに金髪のウルフカット、轟玲司である。


「そうでもないッスよ、事務所にお邪魔したのは一週間ほど前なんで」

「おや、そんなものだったかい」


 玲司に言われてなお、レガリアはいまいちピンときていない様子である。そんな二人のところへ、周囲のゴミを集めて回っていたらしい男が、大きなゴミ袋を持ったまま近付いてくる。


「玲司ー、こっち終わったけどどうすれば……。あ、ども」


 男はレガリアに気が付いて軽く会釈をする。茶色がかった黒髪をカチューシャでオールバックにした、気怠げな雰囲気の男。

 

「やっぱり、驚くほど雰囲気が違うね」


 少々愛想が足りないようにも見えるが、鉄仮面のような薄ら笑いに比べれば、こちらのほうがいくらか信用できる気がする。


「なるほど、あっちが仮面ってわけか」

「何のことです?」


 そう言って男ははぐらかすように笑う。


「あれ、お2人って知り合いなんスか?」


 空になったタッパを重ねながら、割って入ってきたのは玲司。


「なんて言えば良いのかな?」

 

 レガリアもまた、試すような目で男に伺いを立てる。


「多分また人違いだよ。もしかして樹に会いました?さっきも来てたみたいだし」


 そう言いながら、男はネットカフェの方を指差す。事件からそう時間が経っていないそこには、未だ数人の警察官が闊歩している。


「ああ、弟さん。似てるッスもんね〜」


 玲司はまるで「よくあること」とでもいうような反応である。


「ああ、なるほど。そういうことになってるんだ。じゃあ、お兄さん……ってのも変か。なんて呼べば良い?」

「せーやで良いですよ。ここではみんなそう呼んでますから」


 「せーや」はそう言って眠そうな目をさらに細めて笑顔を作る。


「じゃあせーや、よろしく」


 レガリアの差し出した手を、せーやは一瞬の躊躇いもなく握り返す。その笑顔の一端に、ほんの少しだけ樹の鉄仮面が見えた気がした。


「そういやレガリアさん、なんか用事あったんじゃないんスか?わざわざ来るなんて珍しいじゃないッスか」

「まあ、用事ってほどじゃないんだけどね。最近ここで変わったことはないかと思って」


 そう言いながらレガリアがタバコを取り出し、ブックマッチで火をつける。マッチ棒の硫黄の香りと、タバコの甘いバニラの香りが混じり合う。


「変わったことって言われても、毎日変わったことしかないッスよ。ここはそういう場所なんで」


 タバコの煙を燻らせながら周囲を見回す視線の先、片付けの集団の中に居る一人の男と目が合う。


「彼は?歌舞伎町らしくないようだけど」


 レガリアの言う通り、歌舞伎町らしくない、どこか歓楽街には似つかわしくない雰囲気。なんというか、ちゃんとしすぎているのだ。夫婦二人、子供二人の四人家族が、贅沢はできないが特に生活苦もなく暮らせる程度の給与の貰える会社に勤め、ベッドタウンで家庭を持ち、土日には必ず家で家族サービスをする、そんな姿がありありと浮かぶような、普通の善良そうな男性がそこにいた。


「ああ、最近手伝ってくれてるんスよ。ここに来る子達と同世代の娘さんが居るらしいッス。おーい、ゴンさーん」


 ゴンさんと呼ばれた男が玲司の声に気がつき近付いてくる。


「どうも、はじめましてですよね?」


 30代半ばくらいだろうか、老いは感じないが脂の乗り始めた時期といった雰囲気に見える男が、見た目だけだと明らかに年下のレガリアに対して、異常と呼べるくらいの低姿勢で挨拶をする。


「はじめまして、レガリアだ」


 外面の良い柔かな笑顔。レガリアがその笑顔のまま差し出した手をスルーして、ゴンさんはポケットから小さな丸い缶を取り出す。


「すみません、煙草は。若い子が真似するので」


 ゴンさんの手の中の丸い缶、よく見ればそれは携帯灰皿だった。あまりにも今更ではないだろうか、とレガリアが周囲を見回すと、確かに煙草を吸っている人間が一人も居ない。ここが歌舞伎町であることを一瞬忘れそうになる。


「凄いな、君の力かい?」

「そんな大層な力持ってませんよ。彼らの意思です」


 レガリアが灰皿の中で煙草の火を揉み消すと、ゴンさんはなんの躊躇いもなく吸い殻ごと携帯灰皿をポケットに仕舞う。


「けどほんと凄いんスよ。みんな俺らの言うことなんて話半分にしか聞かなかったのに、ゴンさんの言うことはちゃんと聞くッスから。みんなのお父さんッスね」


 まあ、玲司やせーやの見た目なら舐められるのも仕方ない。良くて友達にしかなれなさそうな2人では父親には程遠いだろう。納得したように頷くレガリアの方を、ゴンさんは恐縮したように「そんなことありませんよ」とはにかみながら向き直す。


「レガリアさん、でしたね。申し遅れました。ここでは権田原と名乗っている者です。よろしくお願いいたしますね」

「ああ、よろしく」


 ゴンさん改め権田原の差し出した手を、レガリアが握り返す。今度こそ、二人の間で握手が交わされる。


「本当に驚いた。未成年の飲酒も喫煙もここでは当たり前の光景だったからね。……けど、酒も煙草も禁じておいて、クスリについては見て見ぬフリかい?」

「レガリアさん、それは……」


 レガリアはわざと嫌味な口調で権田原を煽る。権田原の複雑な表情を見かねて援護に入ろうとした玲司を、彼は制止する。


「さすが、貴方の目は誤魔化せませんね」

「そんなんじゃない。カマをかけてみただけさ」


 レガリアの意地の悪い薄ら笑いをまっすぐに受け止めながら、権田原は小さく諦観の溜め息を漏らす。


「後で、2人で話しませんか?」

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