2

「位置情報を送ったわ、来なさい」


 いつまでも要件を言わない兄の話が終わったかと思えば、今度は要件しか言わない妹からの電話だ。


「ったく、どいつもこいつも一体僕を何だと思ってるんだ」

「あら、誰の話かしら?」

「君ら兄妹の話だよ」


 電話口の向こう、声だけでも伝わってくる高慢な態度。緋田櫂の妹、緋田有羽である。


「兄さんから話は聞いたでしょう?待ってるわよ」


 ファイが一言言い返す間も与えずに通話は終了する。残ったのは、ツーツーと規則的に流れる無機質な電子音だけ。


「有羽だろう?見ていればわかる」


 眉間に皺を寄せ顰めっ面をしているファイを見て、可笑しそうにレガリアが笑う。


「待ってるから来いってさ。一緒に来るか?」

「興味はあるけど、さっきそこで声をかけた子が居るんだ。万が一来てくれた時に留守ってわけにはいかないからね」

「そうか、なら僕一人で行く」


 テーブルの上、カップに残った紅茶を口に運ぶ。淹れたての暖かさは既に残っていないが、甘くほろ苦いリンゴの風味は冷めてもなおしっかりと主張する。

 ぐい、とカップの中身を一気に飲み込み、ソファの上に置かれたままの真っ黒の外套に手を伸ばす。窓の外を見れば、日は完全に落ちていた。


「日が昇るまでに帰れると思うか?」

「有羽の頼みがそんなに簡単に片付くかい?」

「いや、無いな」


 諦観したように苦笑いを浮かべ、小さく折りたたんだ外套を小脇に抱えて立ち上がる。


「じゃあ、行ってくる」


 ドアの外、肌に触れるのは初夏独特の湿度を含んだ蒸し暑い空気。ジメジメとした生ぬるさの中で、吹き抜ける風だけがほんの少しの冷たさを孕む。

 送られてきた位置情報を確認する。そのビルの名前には見覚えがあった。

 静かな裏路地を出て、都会の喧騒の中へ。夜の歓楽街を小さな少年が歩いていても誰も気に留めない。何故ならここは、歌舞伎町なのだから。



   ×     ×     ×



武丸ビル 正面玄関



「来たわね」


 もはや懐かしさすら感じるビル。その前に辿り着くと、腕を組んで外壁にもたれかかっている有羽が居た。


「来なけりゃ店まで迎えにきたんだろう」

「あら、よくわかってるじゃない」


 短く会話を交わし、二人はビルの中へと歩き出す。


「さすが彼女が使っていただけあるわよね。ここ、魔力密度がすごく高いのよ」


 周囲を見回しながら有羽が言った。

 

「まあ、ゲートもあるからな」

「あら、そうなの?」


 有羽は意外そうな顔で聞き返す。


「人が通れるような大きさじゃないけど、指輪持ちなら問題なく広げられる。厄介なら今のうちにちゃんと閉じておくか?」


 そう言いながら、ファイはシャツの第一ボタンに指をかける。


「いえ、いいわ。その程度ならちょうど良い網になるかもしれない」

「罠だとしたら見え見えすぎる。あの時のフィーネくらいに暴走してなきゃ近づかないだろうな」

「わかりやすくて良いじゃない。これに引っかかるようなのはマトモじゃないってことでしょ?」

「僕個人としても、調査範囲を絞れるのは有り難い。残しておくのには賛成だ」

「なら、そういうことで」


 二人の間で結論が出ると同時に、有羽がビルの奥、突き当たりの部屋の扉を開ける。

 壁や床には未だ痛々しい跡が残されている。外観の部分は綺麗に修復されているが、この部屋は現場保存の意味も兼ねてフィーネが荒らした時のままになっていた。


の力を借りたいの。ここなら喚べるでしょ?」

「魔力密度は問題ない。来てくれるかは知らんがな」


 そう言いながら、ファイがシャツの首元に手を入れる。取り出したのは、小さな革製のキーケース、のようなもの。

 パチン、と音を立ててボタンを外すと、中には様々な色や形の宝石がズラリと収納されている。煌びやかな宝石達とは反対側の面、キーリングに引っ掛けられた無骨なデザインの大きな指輪を取り出し、右手の薬指にはめる。


「Blake」


 そう小さく呟くと、床面に黄金の光。魔法陣を描きながら浮かぶ暖かな光は、小さな粒となって舞い上がり指輪へと吸収されていく。それは無骨なデザインの指輪をキラキラと照らし、中央に取り付けられた漆黒の石を黄金色へと染めていく。


「汝、我と縁を結びし者。契約の下、我の呼び声に応えよ」


 足元の光が魔法陣を描き終えると同時にその輝きもピークを迎え、眩いほどの光が周囲を照らす。


「頼む、手を貸してくれ。オリアス」


 ファイの言葉に呼応して、周囲を照らしていた光の粒が花火のように破裂する。目が眩むような眩しさの奥、魔法陣の中央に一筋の影。それは徐々に人の形を成していく。

 時代錯誤な十二単。艶やかな長く重たい黒髪。うっすらと開かれるつり目気味の瞼の奥には、深い青色の輝きを放つ大きな瞳。


「オリアス、召喚に応じ馳せ参じた」


 十歳前後だろうか。幼く見える見た目には不似合いな、ゆったりとした落ち着いた口調。しかし、そのアンバランスさがより一層彼女の妖艶さを引き立たせる。


「贄は?」

「ここに」


 彼女に問われ、ファイはポケットからゼリー飲料のようなパックを取り出す。


「ほう、随分太っ腹じゃないか」

「それだけの働きを期待してるからな」

「相変わらず可愛げのない坊やじゃの」


 受け取ったパックの中の赤黒い液体をまじまじと見つめると、彼女はニィっと口角を上げファイの方を向き直す。


「よかろう、お主の血液なら贄としては最上級じゃ。それを渡されて断るわけにはいくまい」

「なら」

「うむ、契約成立じゃ」


 彼女の手の中、ボウッと柔らかく青白い光がパックを包み込む。次の瞬間、光はまるで手のひらに吸い込まれるかのように収縮し、手の中のパック諸共姿を消してしまう。


「さて、もらった報酬分は働くとするかの」


 そう言って彼女は、ずっしりと重たそうな十二単を引き摺りながら歩き出す。


「わざわざ妾を呼び付けたのじゃ、つまらん依頼じゃったら承知せんぞ」

「それは有羽に言ってくれ。君の力を借りたがったのは彼女だからな」


 並んで歩く二人の視線の先で、有羽が丁寧に頭を下げる。

 

「ほう、嬢ちゃんも居ったか」

「急な要請にも関わらず、引き受けてくださり感謝いたします」

「堅苦しいのはやめぃ。……志具磨しぐまは元気かえ?」

「ええ、まぁ……」


 有羽にしては珍しい、歯切れの悪い返事。そんな有羽の態度に、オリアスもまた複雑そうな表情を浮かべる。


「全く、変なところばっかり似ておるわい。あやつも若い頃はそうじゃった」

「あの人は……、あの人が見ているのは歪んだ正義よ。あたしは違うわ」

「嬢ちゃんも、もう少し大きくなればわかる。人間って生き物は、嬢ちゃんが思っておるよりもずっと複雑なんじゃよ」


 オリアスは有羽を見つめながら、どこか懐かしそうな笑みを浮かべる。


「しかし、あやつが娘に手を焼くようになるとはのう。あの悪ガキが大きくなったもんじゃ」


 カッカッと軽やかに笑い声をあげ、ビルの外に向かって歩き出す。


「待て」


 と、その後ろから声を掛けたのはファイ。


「その格好のまま行くつもりか?」

「なんじゃい、何も問題はあるまいて。そもそも実体化しておらん妾は普通の人間には……ああ、そうか」


 そう言って窓の外へと視線を移す。その瞳に映るのは、カラフルな色の煌びやかなネオン。ギラギラとした華やかさにステータスを全振りした、上品さとはかけ離れた雑然とした光の中で、一際異彩を放つ真っ赤なアーチが目に入る。


「そうじゃった、ここはそういう場所じゃった」


 オリアスの漆黒の瞳に、色取り取りのネオンが反射する。まるで花火のようである。本来、霊体の状態の悪魔に物理法則は通じない。それはネオンの光も同じであり、キラキラと反射するその光は、彼女が実体を得たことを意味していた。


「ふむ、今の時期ならこれが良いかの」


 一言呟くようにそう言った後、彼女は胸の前でパンッと両手を打ち鳴らす。コンクリートにビンビンと反響するその音と共に、ブワッと彼女の周りを生暖かい風が包み込み、まるでカーテンのように周囲の視界を遮る。次の瞬間、風の中から現れた彼女が身につけていたのは、それまでの重厚感のある十二単とは打って変わって、軽やかなシフォン生地、上品さを感じる黒地に白い小花柄のワンピースだった。


「どうじゃ?流行りに乗ってみたんじゃが」


 ふんぬ、と腰に手を当てながら、彼女は得意げに鼻を鳴らす。


「ああ、確かに流行っていたな。数年前に」

「んな!?」


 そんな彼女をみながら、ファイは眉ひとつ動かさずにそう言った。そのあまりにも薄いリアクションに、オリアスは愕然と口を開ける。


「おろしたてじゃったんじゃがのう」


 独り言のように呟きながら、指でスカートをつまみ上げる。ざらついた柔らかいシフォン生地は、微かな風さえも巻き込んでふんわりと揺れる。


「悪かった。その……、よく似合ってる」


 しょんぼりと視線を落とすオリアスを見かねて、ファイはぎこちない褒め言葉を口にする。ぶっきらぼうな態度は照れ隠しだろうか。視線は逸らしたまま、ほんのりと頬を紅潮させている。

 微笑ましいと思った。ほんの少し前まで、脊椎からそのまま声が出ているかのように、思ったことをそのままにしか言えない子供だった少年が、相手の顔色を伺って世辞を口にした。彼の年齢を考えれば当たり前のことなのだろうが、齢一桁のまま時間が止まっていた彼が、少しずつだが前に進んでいる。


「なんだよ」


 ニヤニヤと頬を緩めるオリアスを見て、ファイはまたぶっきらぼうにそう言った。


「いいや、何も。ただ……」


 くるり、とオリアスは踵を返す。


「ヒトの成長は早いと思っての」


 歌うように軽やかにそう言って、踊るように歩みを進める。ファイの成長がどうやら本当に嬉しいらしい。


「さてと、調査に赴くとしようか。わざわざ妾を呼んだんじゃ、きっと難事件なんじゃろうて」


 軽やかな足取りはそのままに、オリアスは有羽の方に視線を送る。ニッと口角を上げて煽っているつもりなのだろうが、愛嬌のありすぎる彼女の容姿では少々迫力が足りていない。


「そうね。もし簡単な事件だったら、あたしが貴方に会いたかっただけって事にしてくれていいわ」


 有羽もそう言って負けじと微笑み返す。こちらはなかなか悪人ヅラが決まっている。


「カカカッ、それは良いわい。子孫代々擦り倒してやろう」


 時刻は二十時を少し回ったところ。彼らの夜はまだまだこれからである。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る