第2話 知識の欠片と、砂塵の町(ダスト・タウン)
悠久の叡智の図書館(アルカナス)の地下研究室。
エリウスは小さな椅子に座り、魔導盤を操作していた。その向かいに立つリーサは、護衛用の剣と、食料や道具を詰めた革袋を携えている。
エリウス「外界の状況分析を終えました、リーサ」
エリウスは魔導盤に映し出された地図を指さした。それは図書館から西へ半日ほどの場所にある、小さな鉱山町『グラベル』の状況図だった。
エリウス「この町は、鉄を溶かすための『高純度精錬術式』が失われたことにより、産業が完全に停止しています。これが『聖典の欠落』の影響です。さらに悪いことに、町では原因不明の高熱の病が流行している」
リーサは眉をひそめた。
リーサ「高熱の病?それも欠落のせいですか?」
エリウス「直接的な原因ではありません。しかし、病を治すための『強力な解熱ポーションの調合術式』が失われたため、治癒が滞っている。つまり、知識の欠落が招いた二次災害です」
エリウスは静かに断言し、机の上に手のひらサイズの羊皮紙の巻物を置いた。
エリウス「これを持って行ってください。中には失われた『解熱ポーション』の正しい調合術式と、精錬術式の基礎が記されています。私の知恵は外界の人間にとって、失われた古代の知識の再現に他なりません」
リーサ「これが……失われた叡智の欠片」
リーサは緊張した面持ちで巻物を手に取った。
エリウス「リーサ。決して、私の正体を明かしてはならない。あなたはあくまで『アルカナスの司書』として、たまたまこの巻物を発見したことにして。知識は力です。その力が幼い子供の掌中にあると知れれば、あなたは教団だけでなく、王立学者団からも狙われます」
リーサ「承知しています。エリウス様。では、行ってまいります。知識の欠片は、必ず町の者たちに届けます」
リーサは図書館を後にし、急ぎ足でグラベルへと向かった。
半日後、町はリーサの想像以上に荒廃していた。町全体が埃と鉄屑に覆われ、活気の代わりに沈鬱な空気が充満していた。
町の広場にある簡易な診療所では、病に倒れた人々が高熱に苦しんでいた。
リーサは診療所に入り、唯一残っている年老いた薬師の老女に声をかけた。
リーサ「私は悠久の叡智の図書館の司書です。この町を救うために来ました」
老女は疲弊した様子でリーサを見上げた。
老薬師「図書館?そんな伝説の場所が今更。治癒術式は全て試した。もう打つ手はないよ」
リーサはエリウスから預かった巻物を差し出した。
リーサ「いいえ。これは、失われた古代の調合術式が記された巻物です。試していただきたい」
老薬師は疑いつつも巻物を開いた。羊皮紙には、彼女が知る現代の術式とは全く異なる、複雑で効率的な調合手順が記されていた。
老薬師は震える手で術式に従い、ポーションを完成させた。そのポーションは、現代の粗悪なものとは比べ物にならないほど澄んだ青色に輝いていた。
老薬師は半信半疑で、高熱に苦しむ若い鉱夫にそのポーションを飲ませた。
直後、鉱夫の額から熱を帯びた白い湯気が一瞬噴き出し、彼の顔からみるみるうちに苦痛の表情が消え去った。
鉱夫「効いた……!熱が、引いていく!」
老薬師は驚愕し、リーサを見上げた。
老薬師「これは、本物だ!失われた知識だ!まさか、本当にこんなものが……」
町の人々にも希望が広がり、リーサの周りに集まってきた。
病を乗り越えた人々は、次に町の産業の再建を願った。
町の長老がリーサに懇願した。
長老「司書殿!病は治るかもしれんが、我々は仕事がない!鉄を溶かす精錬炉が動かせなければ、この町は死んでしまう!」
リーサはもう一つの巻物を取り出した。そこには、失われた『高純度精錬術式』の基礎が、素人にもわかるように丁寧に図解されていた。
リーサ「これを見てください。この術式を使えば、貴方たちの精錬炉は再び動きます。ただし、術式の再現には稀少な触媒石が必要です」
その記述を見て、長老と元鉱夫たちは色めき立った。エリウスの巻物には、触媒石がグラベル鉱山内のどの層に存在するかの正確な記述があったのだ。
元鉱夫「こんな場所、知らなかった!大賢者様が残した真の知識だ!」
人々はリーサを英雄のように称え、希望を取り戻し、すぐに鉱山への再調査に取り掛かった。
夜、リーサはグラベルの町を見下ろす丘の上から、静かに図書館へ向かって魔力の通信術式を発動させた。
地下研究室。エリウスは魔導盤の前で、報告を待っていた。
リーサ(通信)「成功です。病は治まり、精錬術式の基礎も伝達されました。グラベルの町は再建に向かっています」
リーサの報告を受け、エリウスは安堵したように小さく息を吐いた。
エリウス「よくやった、リーサ。ただし、精錬術式は基礎のみ。彼らが自立して再建の努力を続けられるよう、高度な術式は保留しました」
リーサ(通信)「知識の段階的な解放、ですね。それが、エリウス様の方針。ですが……この知識の欠片は、あまりにも強力です。既に王都の学者が、グラベルの奇跡について嗅ぎつけ始めていると聞きました」
エリウスの瞳が、静かに光る。
エリウス「ええ。最初の収穫は、常に最大の危機を呼びます。司書リーサ。あなたは次の指令を受けるため、速やかにアルカナスへ戻りなさい」
エリウスは、次の戦いが、知識の伝達ではなく、その知識を狙う者たちとの情報戦と防衛戦になることを予感していた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます