第13話

エラーラ、盾にして頭脳セラフィーナ、そして財布レオ

俺の計画に必要不可欠な三つの駒が、盤上に揃った。彼らはそれぞれが個として極めて優秀だ。だが、本当に重要なのは、彼らが一つの意志――すなわち俺の意志の下に、いかに連携し、機能するかである。


そこで俺は、一つのを行うことにした。

駒たちの連携能力を試し、同時に、この王都という名の淀んだ沼に、最初の波紋を広げるための実験を。


標的は、バーンズ子爵家。

王宮内で中堅貴族としてそれなりの羽振りを利かせているが、その実態は、違法な魔力結晶の密売と高利貸しで私腹を肥やす、腐敗した寄生虫だ。排除したところで、誰も困らない。むしろ、社会にとっては益となる。こういう手駒は、最初の実験台としてだった。


「――計画を開始する」


深夜のタウンハウス。俺の短い号令と共に、三つの駒が同時に動き出した。


◇◇◇


最初に動いたのは、『金色の狐』ゴールデン・フォックスレオ・ヴァレリウスだった。

彼は、俺から与えられた「バーンズ子爵が密かに関わる全ての商会のリスト」という、未来予知にも等しい情報を手に、水面下で罠を張り巡らせた。


「バーンズの旦那に、特上の儲け話を流せ。『東方諸国で、希少な魔法薬の原料が高騰している』と。我々が用意したダミー商会を使い、全財産を投じても惜しくないと思わせるほど、甘い蜜を吸わせてやれ」


レオの指示で、バーンズ子爵の周囲には、都合の良すぎる情報が流れ始めた。最初は半信半疑だった子爵も、実際に少額の投資で莫大な利益が転がり込んでくると、次第に警戒を解き、欲望を剥き出しにしていく。

その裏で、レオは自身の裏社会のネットワークを使い、子爵の不正会計や密売の物的証拠を、一つ、また一つと着実に集めていった。


次に動いたのは、セラフィーナ・フォン・リヒトハイム。

彼女は、レオが集めた証拠の数々を、リヒトハイム公爵家の情報網というを使ってフィルタリングし、より信憑性の高い情報へと仕立て上げた。


「お父様。最近、王都の風紀が乱れているようですわ。出所不明の魔力結晶が、市場に流れているとの噂が…」


彼女は父親であるリヒトハイム公爵とのティータイムで、何気ない世間話を装い、情報を刷り込む。正義感の強い公爵は、その情報を聞き捨てならないと判断し、独自に調査を開始するだろう。

さらに彼女は、匿名の手紙を王宮の監査部門へと送付した。その手紙には、バーンズ子爵の不正を示す、決定的な証拠がいくつか同封されていた。リヒトハイム公爵家が水面下で動いているという噂と、この告発状。二つの情報が合わされば、監査部門も動かざるを得ない。


全てが、外堀を埋めるための、完璧な連係プレーだった。


そして、計画の最終段階。運命の日。

バーンズ子爵は、己の全財産と、さらに闇金融から借り入れた莫大な借金を、東方との貿易話に注ぎ込んでいた。その全てが、レオが仕掛けた幻影の商会へと流れた瞬間――その商会は、忽然と姿を消した。


全てを失ったことを悟ったバーンズ子爵は、狂った。


「こうなれば、もう終わりだ…! だが、ただで死んでやるものか!」


彼は、屋敷に隠していた禁断の魔法具――使用者の生命力を対価に、強力な悪魔を召喚する『絶望の聖杯』を手に取った。王都の中心で無差別な破壊を行い、全てを道連れにしようという、愚かで卑劣な最後の足掻きだった。


彼が悪魔を召喚しようと、血の契約を聖杯に注いだ、その瞬間。


「――それ以上は、いけません」


屋敷の暗闇から、静かな声が響いた。そこに立っていたのは、一人の従者の少女、エラーラ。

子爵が雇っていた腕利きの魔法使い(用心棒)たちは、すでに音もなく床に倒れている。彼らは、自分たちがいつ、誰に倒されたのかすら、理解できていないだろう。


「な、何者だ、貴様は!?」


「通りすがりの者です。ただ…私の主人が、この先の未来はだと仰っていましたので」


エラーラは、一歩前に出る。子爵が恐怖に駆られて悪魔召喚の詠唱を叫び終えるよりも早く、彼女はただ、指先を聖杯に向けただけだった。

彼女の指先から放たれたのは、攻撃魔法ではない。それは、純粋な魔力を、針のように細く、鋭く圧縮しただけの、不可視の


キィン、というガラスが割れるような微かな音と共に、禁断の魔法具であるはずの『絶望の聖杯』に、一本の亀裂が入った。次の瞬間、聖杯は制御を失った魔力を暴走させ、内側から弾けるようにして粉々に砕け散った。


「ば、馬鹿な…! 我が家の至宝が…!」


希望を打ち砕かれたバーンズ子爵は、その場に崩れ落ちた。

エラーラは、その姿に一瞥もくれることなく、静かに闇へと消えた。


◇◇◇


バーンズ子爵家が破産し、当主が逮捕されるまで、わずか三日しかかからなかった。

あまりにも鮮やかで、無駄のない一連の流れ。王都の貴族たちは、その背後に何か巨大な「見えざる手」が存在することを肌で感じ、静かな恐怖に震えた。だが、その正体は、誰にも掴めなかった。


タウンハウスのリビングで、俺は三つの駒からの報告を同時に受けていた。

レオは、バーンズ子爵の資産を合法的に吸収し、莫大な利益を上げた。セラフィーナは、子爵の失脚によって空いた権力の椅子を狙う、次の候補者リストを俺に提出した。そしてエラーラは、物理的な脅威を、完璧に、そして誰にも知られることなく排除した。


「見事だった。三人とも、僕の期待以上だ」


俺の言葉に、三人は静かに頭を下げる。

駒の性能も、連携も、申し分ない。

実験は、成功だ。


俺は、セラフィーナが提出したリスト――空席となった権力の椅子を狙う者たちの名前――を眺めながら、静かに呟いた。


「壊すのは、簡単だ。観客でいるのも、もう飽きた」


俺は立ち上がり、窓の外に広がる王都の夜景を見下ろす。


「次はこの王都に、僕たちの息のかかった人間を配置する。僕たちの意のままに動く、新たなを、だ」


盤上の駒を掃除する段階は終わった。

これより、元大賢者による、王国の支配構造の本格的なを開始する。

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